3.72%の少女   作:六位漱石斎正重

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 愛を確かめ合ったマイケルとジェシカ。だが、マイケルは彼女とホテルで初めて会った時のことを忘れてはいなかった。
 よほどのスキルを持っていなければ帝国のセキュリティは破れない。マイケルはどうやってホテルの自分の部屋にジェシカが入り込んだのか、その理由を尋ねるのだが……



第二十六話 切り取られた記憶

 マイケルは二人分のコーヒーを淹れると、ジェシカの待つカウンターテーブルに戻った。コーヒーをすすりながらマイケルはジェシカに尋ねた。

 

「なあ、さっき君が示した変数についてなんだが、あれは一体何の変数なんだ?」

「あの変数は、テルミナスの版図拡大につれて関与する変数が増大することによる、カオスの揺らぎを抑制するためのものだってことはわかる?」

「そうなのか? ……でもあの変数が関与している部分の方程式を見ると、ちょっと普通の変数とは思えない」

 

「そうよ、実際のところあの変数は別になくたって『計画』を極めて慎重に進めていきさえすれば、特に問題はないはずなの。まあいわゆる一種の隠しパラメータってところね。でもあの変数だけは特別で、カオスが暴走して心理歴史学的に想定した未来の姿が、予測困難な範囲の数学的発散を示すようになった場合の最後の切り札になるのよ」

 

「よくわからないな、一体どういう意味なんだ?」

「私、例え話をするのは苦手なんだけど……そうね、例えば坂道を転がる鉄のボールがあるとするわね? まあ、質量は30kgくらいのものをイメージしてくれる?」

「ああ」

「あなたならどの時点でその鉄のボールを止めようとする?」

 

 マイケルはあごのあたりをもんで天井を見つめながら、頭の中で特定の速度の時の鉄球の運動量の計算を始めた。

 

「30kgの質量の鉄球か……それほど大した質量でもないけど、勢いがついて転がり始めるとちょっと怖いな……ということは当然、ボールが転がり始める直前に止めようとするに決まってる」

「ま、そうなるわよね? でも、()()はテルミナスそのものを、()()はテルミナスの未来に対する比喩だからね? 一応確認しておくけれど……」

 

「そうか! 現実に存在する坂道と違って、鉄球として表現されるテルミナスの未来への『傾斜』はそう簡単にはわからない。となると……転がり出してしばらく様子を見ないと『転がっていく先』が予想できない」

 

「その通りよ。もっとも心理歴史学の『計画』に従って、その転がっていく先はだいぶ絞られてはいるんだけどね……まあとにかく、転がり始めてしばらくの間ならあなたの力でも鉄球を止めることはできるけど、かなりの勢いがつき始めるともう人の力ではとても止められない」

 

 そこまでジェシカが話すとマイケルはコーヒーをもう一口すすって何やら考え込み始めた。

 

 しばらくしてマイケルが再び口を開いた。

 

「なるほど、じゃああの変数は『転がるテルミナス』を止めるための『ストッパー』として働くことになるわけか……」

 

 マイケルは妙に感心した風にうなずいたが、ジェシカはその考えを即座に否定した。

 

「マイク、残念だけどそうじゃないの……」

「?」

「銀河系規模の星間国家の未来の修正よ? 常識的に考えれば、いったん方向性が決まった巨大な『慣性力』を持つ未来を簡単に変えられるわけがないじゃない!」

「じゃあ、あの変数は一体何の役に立つんだ?」

 

「あの変数はテルミナスの未来への『傾斜』を感知するためのものなの。ごく近い未来を予測しその『慣性力』が、想定する大きさを超えないうちに()()()()()()()()その方向性と『慣性力』を微調整する、そのための変数。まあ例えるならば、転がっていく鉄球の進路に小さな石ころを置くような感じかしら……比喩が適切かどうかわからないけれど」

 

 それを聞いたマイケルは何やら納得のいったような、いかないような判然としない表情でしばらく黙った後、再びジェシカに尋ねた。

 

「うん、まあだいたいの理屈はわかったよ……たぶんだけどね。でも実際にどうやってテルミナスの未来への『傾斜』を感知するんだ? それに進路に置く『石ころ』とは具体的に何を表すんだ?」

 

「それは……ある種の人間の集団の『力』によって……よ」ジェシカは静かにそう答えた。

 

 マイケルは想像していたものと大きく異なる返答に一瞬ポカンと口を開けてぼうぜんとしていたものの、すぐに我に返って「ある種の人間の……集団の『力』?」と訝しげな表情で尋ねた。

 

「そう、人の思念を源泉とする、ある種の力……といったほうがいいのかな?」

 

 マイケルは増々怪訝な表情でジェシカを見て、彼女の後に問いをつなげた。

 

「思念の力だって? 念力でも出して惑星でも動かそうってのか?」とおどけた様子でマイケルはジェシカに尋ねたが、ジェシカは怪訝な表情で彼を見つめた。

「念力? 100gの質量の物体を1m持ち上げるだけで1Jのエネルギーを消費するのよ? それを頭の中で発生する謎の力で? 全くナンセンスな話ね」

 

 ジェシカはあきれたような口調でそう言ったものの、マイケルをからかう様子はまるでなく真剣な様子で話を続けた。

 

「私の言う『力』というのは、()()()()()()()()()()()()()のことよ……」

「人の思考や感情に作用する力だって? それはあれか……いわゆるエスパーってやつか?」

「あなたがそれで納得できるなら、そのイメージでも私はちっとも構わないわよ?」

 

 それを聞いたマイケルは憐れみを込めた眼でジェシカを見つめると、彼女の額に手をやった。

 

「ジェス、熱でもあるのか? いったい全体どうしちまったんだ? エスパーなんて……」

 ジェシカは自分の額に置かれたマイケルの手を払いのけ、「マイク、私は真面目に話をしているのよ? 茶化すのはやめて」と言って、マイケルの目をじっと見つめた。

 

「ジェス、君はさっき念力についてナンセンスだと馬鹿にしたが、僕が思うに君の言う『人の思考や感情に作用する力』っていうのも大概だぜ!」そう言って彼は鼻で笑った。

 

「まあ、いいや。で、そのエスパーの皆々様は今いったいどこにお控えいただいているのかな? ジェス、僕にも紹介しておくれよ。忘れないうちに彼らのサインが欲しいんだ」

 

 そう言ってマイケルは笑顔でジェシカにウィンクしたが、その目は猜疑心に満ちあふれていた。

 

 ジェシカはマイケルが信じないのも無理はないと思った。いっそ彼が疑うなら疑ったままにさせておけばいいじゃないの、どうせ彼とこの変数は生涯関係してこないんだし……彼女はそう考えた。

 だがその一方で、もし自分の持つ能力を見せたら、彼はそれを理解した上で以前と変わらず私を受け止めてくれるだろうか、という考えも頭をよぎった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 別に彼の愛を試したいつもりではない、単なる純粋な興味だ。だが、不安は当然ある。以前マイケルに『干渉』したとき、彼は半ば正気を失った。

 彼を無意味におびえさせたくないし、不気味な力だと思われて彼に嫌われたくない、ジェシカはそう思った。

 

 マイケルが口を開く。

 

「ジェス、どんな話でも結構だが、僕はまだ()()()()()()()()()()()()ぞ? だいぶ話がわき道にそれたようだが、結局あのホテルで僕が見た不可思議な現象と今までの説明との間に何の関係があるんだ?」

 

 ジェシカは一瞬ためらった後、その質問に答えた。

 

「その……人の思考や感情に作用する力の能力を持つ異能者の一人が……実は……私なの、マイク」そう言うと、ジェシカは目を伏せた。

 

 それを聞いたマイケルはひどく驚いた表情をしたが、それはすぐにがっかりした表情へと変化した。

 

「よしてくれ! 僕は軽口をたたくこともあるが、今の質問は正真正銘の真剣な質問だぞ、ジェス!」

「本当なのよ。あなたが信じないのも無理はないけれど、嘘じゃないのっ!」

 

 全く信用されないどころか、マイケルの目に怒りの感情がにじみ出てきたのをジェシカは敏感に察知し、彼女は慌ててそう答えた。

 

 マイケルはジェシカに真摯な回答を期待していたにもかかわらず、彼女が自分をからかっているんだと彼は勘違いし、心底あきれた表情で彼女に話しかけた。

 

「僕の彼女が超能力者だなんて……かんべんしてくれ。君がさっき言った頭の中から発生する『念力』よりひどいナンセンスな話だぜ」

 

 それを聞いたジェシカは、マイケルがあのホテルで見たあの現象の解明をあきらめない限り、この話題は何度も繰り返されるに違いないと直感した。彼女は自分の能力を見せるべきかどうかしばらく迷ったが、ついに覚悟を決めた。

 

「わかった……本当はこんな形で自分の『力』を見せたくなかったんだけど、私がふざけてるというように見られているのは心外だし、あなたにそう思われているのは私にとって何より悲しいの。だから……私の能力の一部を……見せてあげる」

 

 そう言うと、ジェシカは椅子から立ち上がり、身体ごとマイケルに向きなおった。

 

「ねぇ、マイク。あなたが普段使っているもので、これはいつも決まった場所に置いておく、といった所持品はある?」そう、ジェシカは尋ねた。

「ああ……あそこのハンガーにチェックのジャケットが掛けてあるだろ? その左側の内ポケットにはいつも僕の万年筆が入ってる」

 

「そう……」

 

 ジェシカはそう小さくつぶやくとハンガーまで歩いていき、マイケルのチェックのシャツの左側の内ポケットから万年筆を取り出して、「これ?」と彼に尋ねた。

 

「それだよ、親父の遺品なんだ。なかなかいい感じの万年筆だろ?」とマイケルが自慢げに言う。

 

 ジェシカは万年筆を手にしたまま、再びマイケルの元に戻って来ると、彼に伝えた。

 

「少しだけこれ、借りるね?」ジェシカはそう言うと、彼の万年筆を自分のスカートの左ポケットにしまった。

 

 マイケルはその様子を怪訝な表情で見ていたが、特に何も言わなかった。ジェシカは続けてマイケルに話しかけた。

 

「今、あなたの万年筆はどこにある?」

「何を言ってるんだ? 今君が自分のスカートの左のポケットにしまっただろ?」とマイケルは当然の答えを返した。

 

 ジェシカは「そうよ、今あなたが見たように私のスカートの左側のポケットにあなたの万年筆が入ってる」そう言って彼女は万年筆をポケットから取り出して彼に見せた。

 

 彼女は再び万年筆をスカートの左ポケットにしまうと、マイケルを見つめて静かに言った。

 

「マイク、私の……目を見て……」そう言ってジェシカは白く小さな手のひらでマイケルの顔を包み込み、真剣なまなざしでマイケルを見つめた。

 

「ジェス、これはマジックショーかい?」と彼は軽口をたたいた。

「マイク、茶化すのはやめてちゃんと私の目を見て!」

 

「わかったわかった……しかし、それにしても君の瞳はいつ見ても美……し……」マイケルはそう言いかけたが、彼の意識はそのままブラックアウトした。

 

 『干渉』は瞬時に完了した。ジェシカはマイケルの大脳辺縁系の一部である海馬と、側頭葉に同時にアクセスし、彼の記憶の一部を消去した

 

 ぼんやりしているマイケルに、ジェシカは再び質問を行った。

 

「マイク、もう一度聞くわね? あなたの万年筆は……どこにあるの?」

 

 そうジェシカが尋ねるとマイケルはひどく驚いた様子でジェシカに問いかけた。

 

「どうして君が僕の万年筆の事を知ってるんだ?」

 

「まあいいや……」そう言ってマイケルはハンガーのところまで歩いていくと、ハンガーにかかっているチェックのジャケットの左ポケットをまささぐり、「僕の万年筆なら、ほらここに……」と言いかけたが、無論万年筆はそこにはなかった。

 

「無い! 無いっ! なんで無いんだっ? 僕は学者になってこの十年、あの万年筆をこのジャケットのいつもこの左側の内ポケットにしまっているんだ! 一体どこに行ってしまったんだ? どこかに落としてしまったのか?」マイケルはそう叫んで狂ったように万年筆を探し始めた。

 

 それを見たジェシカはマイケルに優しく話しかけた。

 

「マイク、ちょっと落ち着いて。とりあえずここに来て座って」

 

 マイケルは心底不思議そうな表情をして、カウンターテーブルの椅子に腰を下ろした。ジェシカは「ねえ、とりあえずコーヒーを一口飲んだら?」と心配そうにマイケルに提案した。

「ああ……」マイケルはそうつぶやき、コーヒーを一口含むと彼はカウンターテーブルの木目をぼんやりと見つめた。

 

 マイケルのその様子を見て、彼がまだ完全に正気に戻っていないと感じ、ジェシカは不安になった。そして彼女は『干渉』能力をマイケルに作用させたことをかすかに後悔した。

 

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