彼はその晩、ジェシカに思い切ってプロポーズをし、それと同時にジェシカの身に起こったある変化にマイケルは驚愕するのだが……
テルミナス行きの輸送船団がトランターを出発するまで残り10日を切ったころ、<大学>から宇宙港へ断続的な人々の移動が始まった。宇宙港では十万人の人々を収容するための臨時宿泊所が設けられ、環境を整備し宇宙港にやってくる人々を準備万端で待ち受けていた。
宇宙港への移住者の移動は特に大きなトラブルもなく予定通り行われていった。マイケルを含め一部の主要メンバーと、何人かの移住計画サポートスタッフ数名は<大学>に残り、テルミナス移住まで施設を利用させてもらった感謝の気持ちとして<大学>の施設を隅から隅まで清掃していた。ジェシカもマイケルとともにそれに参加し、充実した日々を送っていた。
ジェシカは相変わらず家と研究室を往復し、その間に二、三度洗面所で彼女が嘔吐していたのをマイケルに見られたが、単に身体の調子がわるいということでその場を言いくるめた。そしてついにマイケルがトランターで過ごす最後の夜を迎えた。
マイケルは洗い物をするジェシカの背後から近づき、彼女の腰に手を回した。彼はジェシカの首筋に軽くキスをすると「渡したいものがあるんだ。洗い物が終わったら部屋に来てくれ」と言った。
ジェシカが洗い物を終えてエプロンで濡れた手を拭きながらマイケルの寝室に入ると、彼は慌てて後ろ手に何かを隠した。
「マイク、私に渡したいものって?」
「とりあえずここに座って、ジェス」
ジェシカは言われるままに椅子に座り、キョトンとした表情でマイケルの顔を見つめた。彼は後ろ手に隠していた小さな箱を取り出し、彼女の目の前で開けた。
「ジェス、これを受け取ってくれ」
そう言って彼は箱を彼女の前に差し出した。その小さな箱にはやや緑色が強い小さなペリドット(カンラン石)を微小なダイアモンドの粒で囲んで加工されたプラチナ製の指輪が入っていた。
「これは!?」
ジェシカは驚いて目の前の指輪を見つめた。
「ごめん、遅くなったジェシカ。本当はもっと早く渡そうとしたんだけど、なかなかタイミングが掴めなくて……」
マイケルはそう言うと、箱から指輪を取り出し親指と人差し指で挟んでジェシカの目の前に指輪を差し出した。
「ジェス……僕と結婚してほしいんだ」マイケルはそう言うと真剣な表情でジェシカを見つめた
一日のほとんどの生活を共にし、何度も体を重ね合わせた関係にも関わらず、もしこのプロポーズを断れば彼はその理由を尋ねるだろう。
そしてその理由が彼を納得させるようなものでなければ、彼の気性からして彼は絶対にあきらめないに違いない。でも、これを受け取ってしまったら、私は……
彼女は指輪を見つめたまましばらく迷ったあと、再びマイケルの顔を見た。彼は真剣そのもののまなざしでジェシカを凝視し続けた。
マイケルは黙っているのにもかかわらず、まるでその口からは『Yesと言えっ! Yesと言えっ!』という言葉が聞こえるかのような真剣さだった。
その見たことのない程の彼のあまりの真剣さに彼女はおかしくなって思わずクスっと笑い、それを見たマイケルは怪訝そうな顔をした。
しばらくしてジェシカはフッと軽く息を吐くと、マイケルに優しげな視線を送り柔らかな笑みを浮かべながら口を開いた。
「お受けするわ……」とジェシカが短く答えると、彼はいきなり立ち上がり、両方のこぶしを握り締め背中をそらすと、Galaxy! Galaxy! (やったぞっ! やったっ!) と叫び腕を振った。
彼はこんなキャラだったかしらとジェシカは訝しく思い、彼のその様子を見守った。またそれと同時に彼が激しく腕を振り回すので、彼が掌に握りこんでいる指輪がどこかへ飛んで行ってしまうのではないかと、彼女はハラハラした。
プロポーズが成功して、少し興奮が落ち着くとマイケルは再び椅子に座り、ジェシカの左手の薬指に指輪を通した。指輪はあつらえたように彼女の左手の薬指にぴったりとはまった。
彼女は感慨深げに指輪の上の深緑色に輝くペリドットを見つめたが、その顔には複雑な表情が浮かんでいた。
彼女のその表情に気づいたマイケルは、彼女が指輪に不満を持っていると思い、慌てて指輪について言い添えた。
「その……もしかすると君は、指輪の石は大きなダイアモンドの方が欲しかったのかもしれないね? でもね、決してお金をケチったわけじゃないんだ。実は、その石が意味する言葉は『夫婦の幸福・信じる心』を表すと聞いてね。まさに今の僕らにピッタリだろ?」
ジェシカは自分が思ってもいないことをマイケルから聞かされると、小さく首を振ってすぐに彼の考えを否定した。
「いいえ、私不満なんて……男性から指輪をもらえることになるなんて、つい6か月前までは信じられなかった……この指輪をもらって、私とってもうれしいわ。本当よ? すごくきれいな緑色……『信じる心』……」そう言って、彼女は優しげな視線をペリドットに注いだ。
その夜、ジェシカは祖父に今夜はマイケルの部屋に泊まると伝えた。ベッドをマイケルと共にしたジェシカは、夜中に吐き気を催し洗面室に駆け込んだ。
しばらくして隣にいるはずのジェシカの気配がなくなったことに気づいたマイケルは、遠くの洗面室に明かりがついているのを目にした。彼はそこに足を運んだ。
ジェシカは激しくえずいていた。マイケルはジェシカの元に慌てて駆け寄り「なあ、ジェス、最近君はちょっと体の様子がおかしいみたいだぞ? 医者に診てもらったほうがいいんじゃないか……」と彼女に声をかけたが、ふとあることに気づいて彼は震える声でジェシカに尋ねた。
「ジェス……まさか、君は……」
ジェシカはマイケルの方を振り返りニッと笑った。
「ぼっ、僕の子か?」彼は目を見開いて喜びを押し殺しながら身構えたが、ジェシカからは彼が思ってもいない返事が返ってきた。
「違うわよ」
「えっ!? ……でも……えっ? ……えっ!」
混乱するマイケルの様子を見てジェシカはクスっと笑い「あなたの子じゃなくて……『あなたと私の子』よ」とジェシカはそう答えて微笑んだ。
マイケルは腰を抜かしたようにその場にへたり込んで、ジェシカを睨んだ。
「ジェス、たちの悪い冗談はやめろっ! 僕の心臓が止まったらどうする!」と言って腹を立てた。だが、彼の怒りはすぐにそれを大幅に上回る喜びに変った。
「今夜は僕にとって最高の夜になったな。プロポーズを受けてもらって、なおかつ自分の子……いや僕らの子供の誕生まで知らされるなんて」
好きな男性に子供の誕生を喜んでもらうのは女としての特権だ。世の中にこれほどの喜びが存在することを彼女はつい最近まで想像する事すらできなかった。二人にとってその夜は生涯最高の夜になった。
そして……これが最後になった。