3.72%の少女   作:六位漱石斎正重

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 エレベーター内の突然の騒動で一人の諜報員が【殺された】。残った『灰色』の諜報員がマイケルを追う。ところが、そんな彼を一人の人物が慎重に観察していた。諜報員を観察していた人物とは……


第五話 ポニーテールの少女

 マイケルはガラス張りの展望台から眼下の光景を見ていた。

 

 遠くに目をやれば樹木の一本や、海洋の一端などを目にすることができるかもしれないと淡い期待を抱いたが、何キロメートルにも及ぶ金属表面が目に入るものの全てだった。それ以外に何もない。

 

「チェッ、ホテルのマネージャーの言ったとおりだ」

 

 彼はがっかりしたようにそうつぶやいた。自分の周りに目を向けてみると、はしゃいで外を見ているのは小さな子供達だけで、ほとんどの人々の顔には期待はずれという文字が浮かんでいた。

 

 また、トランターに旅行に来ていた制服の少女たちはいくつかの小集団を作って展望台の窓の近くにいたものの、外の光景に目を向けている子はおらず、友達同士の会話に夢中になっていた。

 

 展望台の中央には大きな天然樹が一本植えられており、その周りを取り囲むように弧を描いた長椅子が等間隔にいくつか配置されていた。その誰も座っていない長椅子の一つに一人の男が座っていた。

 

 彼の座っている位置からはマイケルの後ろ姿がよく見える。無論、彼はマイケルの後をつけている諜報員の男だ。

 

 彼は手元の空中投影型の電子ニュースの記事に目を通している風を装って、左前方15メートルほど離れた場所に立っているマイケルを監視していた。

 

 監視チームが崩れてしまった今、一人でヤツを追うのはリスクが高いが、ここらで何らかのアクションを起こしてみるか、と彼は考えた。早めに釘を刺しておきヤツの行動を縛る必要がある。

 

 彼は一つ深呼吸をするとすっと立ち上がったが、誰もいなかったはずの彼の右隣にアーバンカモのキャップをかぶったポニーテールの私服の少女が座っているのに気づいて、彼は驚いて飛び上がった。

 

「いつのまに! だ、誰だね?」と声を上げ反射的に周囲の様子を探ったが、ハッとしてすぐに声量を落として尋ねた。

 

「どこかで知り合いにでもなったかな?」と彼は笑みを浮かべたが、その目は警戒している様子をありありと感じさせるものだった。

 

 少女は座ったままの状態で彼には見向きもせず前方に視線を向けたまま 「おじさん、どうしてあの男の人の後をつけているの?」と尋ねた。

 

 彼は少女の口から出るはずもない意外なセリフを耳にして「えっ? 私は誰もつけたりなんかしていないよ。きっと君の勘違いだと思うよ?」とその場を取り繕った。

 

 そして「じゃあ、おじさんはもう帰るから……」と、男はその場を立ち去ろうとしたが、「待って、まだ私のお話は終わってないよ! おじさん」と少女が声を強めると、彼はギクっとして立ち止まった。

 

 どこかで会った子だろうかと、彼は必死に自分の記憶の中をかき回して正体を探った。そしてしばらくして彼女に関する記憶を掘り起こすと合点がいった。

 

 あのエレベーター内で騒ぎを起こしていた制服の少女の連れだ、間違いない。そして、彼女の正体がわかった瞬間、強い警戒心が彼の心の中に湧き上がった。

 

 彼女に警戒心を抱いたのではない、あのエレベータ内でギャーギャー騒いでいた制服の少女が近くにいるのではないかと疑ったためだった。

 

 あれだけ親密な様子を見せていた二人だ、お互いが遠くに離れているはずがないと確信し、彼は急にそわそわしだした。

 

 既に制服の少女に一人の諜報員が()()()()いる。自分が二人目になるのはなんとしても避けたかった。

 

 抗弁したり、理屈に合わないことを言ったりすればこの子も制服の少女のように騒ぎ出すかもしれない。彼は内心の動揺を少女に悟らせまいと必死に心を鎮め、少女の左側にゆっくりと腰かけた。

 

 長椅子には空いている場所がたくさんあるにも関わらず少女と中年男性が横に並んで一緒に座っている。その光景は傍目から見ると様々な想像力を掻き立てさせるが、大声で話したりしない限りそれほど人々の注意をひくことはあるまい。

 

 それよりも何とかこの子を言いくるめてこの場から立ち去らせることにしよう、そう男は決心した。

 

「ねえ、君、なぜ私が誰かの後をつけていると思ったんだい?」と彼は少女に尋ねた。

 

 少女は前方を見据えたまま「だって、おじさんが男の人の後をつけてるのを私見たモン……」と、答えになっていない返事を返した。

 

 彼は困った様子で、「じゃあ、私が誰かの後をつけているとして……」男はそう言った後で「あ、いや、仮にだよ仮に」と慌てて発言を修正し、「誰の後をつけているんだというんだい?」と言葉をつなげた。

 

 すると、少女の透き通るような白い右腕がすっと持ちあがったかと思うと、そこから細い人差し指がまっすぐ伸びてマイケルの背中を指さし、「あの男の人……」とつぶやいた。

 

 彼が展望台の窓の方向に目を向けると何人かの人々が立っており、外の風景を眺めたり互いに向き合って会話したりしていた。無論、マイケルはそのうちの一人だ。

 

 男は「あの人かな? あのグレーのスーツの男性?」と、とぼけてマイケルと全く関係のない男性を指さした。

 

 すぐに少女は 「違うよ、その人の左側の2番目のチェックのジャケットの男の人……」と訂正した。マイケルだった。

 

 男は内心まずいなと思ったが、マイケルを追う自分の動機をこの少女が知るはずがない、何も心配はないと思い自信にあふれた様子で少女に尋ねた。

 

「ふむ……でもおじさんはあの男性の知り合いじゃあないよ? なぜ私が彼の後をつける必要があるのかね?」

 

 そこには、もしお前みたいな小娘に私がヤツを追う理由がわかるのなら言ってみろ、とでも言いたげな挑戦的な成分がわずかに含まれていた。

 

「あなたが、ずっとあの男の人を見ていたから……」とやはり彼の方には顔を向けず、マイケルの背中に視線を向けたまま少女は答えた。

 

「うん、確かに私は『今』あの男性を見てるな」と男が笑った瞬間、少女は男の方に顔を向けて鋭く言い放った。

 

「違うわっ! エレベーターの中での話よっ、ごまかそうとしたって駄目ッ!」と厳しい表情で言い放った。

 

 男はその時に初めて少女の顔を間近で観察することができた。ミルキーホワイトの肌、アーバンカモのキャップの中にやや暗めのサンシャインイエローの髪が収まって、そこから若干左に寄ったサイドポニーテールがキャップの外にはみ出している。

 

 それになんといっても印象的なのはアーモンド形の切れ長の瞳だ。特に光彩の色が印象的だ。ターコイズブルーを背景色にしてアンティックゴールドとマンダリンオレンジの色が散らばっている。俗にいう【アースアイ】というやつだ。

 

 もっとも、()()()とは何なのか彼には見当もつかなかったが、そのような瞳の色がそう呼ばれることだけは知っていた。

 

 厳しい表情で自分を見つめる少女の顔を見て男は、14、5歳くらいかな、かわいいな……あと5年もすれば誰もが振り返る美女になるだろうと思った。

 

 そして、彼は値踏みするようにすばやく少女の全身を一瞥したが、だめだな、まだ俺の射程には入ってないと自分勝手な評価を下し、再び少女の目を見て言った。

 

「エレベーターね……そりゃ、あんな狭い空間なら、たまに誰かを見続けることがあっても不思議じゃないんじゃないのかな?」

 

 少女は男の顔から視線を外し、再び展望台の強化ガラス窓の方向に顔を向けると「そうね、そういうこともあるかもね……」とつぶやいた。

 

 男は少女の美しい【アースアイ】が自分の視界から見えなくなったことを少しだけ残念に思ったが、それと同時に今の少女のセリフを聞いて何とかなりそうだと心の中で安堵した。

 

 しばらくすると少女は再び口を開いた。

 

「私、あの時リズって子と一緒にいたんだけど、彼女がエレベーター内で騒ぎを起こしたのは知ってるでしょ?」

 

 ああ、と男は小さくうなずいた。

 

「で、エレベーターの乗客のみんなの視線はリズに釘づけになって……もちろんあなたもそうだった」

 

 だから何だ。あんなことが起こったら誰もがあの子に注目して当然だろ? そこから私を追い詰めるヒットを打てるのか? と男はあざけるような視線を少女に向けた。

 

 少女は前を向いたままつぶやいた。

 

「でも……」

「でも?」

 

「……そのあとあなたの視線はリズから離れて、あの男の人をずっと見ていた。リズがその後、何度かエレベーター内で騒ぎを起こしていたにもかかわらず、あなたはもうリズには目もくれずあの男の人を見つめていた……そしてそれはエレベーターを降りてからも続いた」

 

 そう言って少女は再び男の目を見た。すべてを探り出すかのような美しい光を宿したアースアイ、男はその探るような少女の目を見て激しく動揺したが、心の揺れを外に出すまいと無理やり押さえつけて、この危機を乗り切るための手段を必死になって考えた。

 

「ぐ、偶然だよ、そういえば、君の連れ、あの騒がしい制服の少女はどうしたんだい? 彼女が心配して君を探していると思うけど?」

 

 少女の注意をそらそうと男がそう問いかけると、少女は下を向いて一瞬悲しそうな表情をした後、つぶやくようにつぶやいた。

 

「リズは……あの子はもう私の前に姿を現すことはないわ……」

「しかし、エレベータ内であんなに親密な……いや」と言いかけた言葉を飲み込むようにして男は口ごもった。そして自分がエレベーター内で見た光景と今の少女の言葉のギャップに混乱した。

 

 少し間をおいて少女は言った。

 

「とにかく、あの数学者にかまわないで」

「私は別に……いや、待て! なんであの男が数学者だと知っている!? 君は何者だっ!」

 

 男は驚いてそう叫ぶと、長椅子から立ち上がって少女を睨みつけた。

 

 少女は長椅子に座ったまま男を見上げ、その視線を正面から受け止めた。アーバンカモのキャップの下から真剣な表情のアースアイが彼を見つめている

 

 年端のいかないただの子供の目だ。だが、やけに心を不安にさせるような、あるいは覗き込むと自分の姿が消えてなくなってしまいそうな漠然とした不安を感じさせる。

 

 ただの気のせいだと思いながらも、男は少女からわずかに目をそらした。

 

「彼はセルダン博士が招待した人よ? 後をつけまわしたりして彼を煩わすのはやめて。一応警告はしたわよ」

 

 少女はそう言うと、すっと立ち上がり男をその場に残したままスタスタと歩き去って行った。

 

 男は「ちょっと、待ってくれ!」と叫んだが、少女を追いかけるのを寸前のところで思いとどまった。

 

 歩き去っていく少女の後ろ姿を見つめながら、今日は想定外のことばかり起きる。しかし、一体全体何者なんだあの子は、と男は訝しんだ。

 

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