3.72%の少女   作:六位漱石斎正重

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 謎めいたポニーテールの少女と、関わりのあった何人かの人々は少女の正体をつかめぬまま彼女と別れることになった。
 一方、マイケルは特に感動もなく展望台を後にし、ホテルまでの帰路を歩いて行った。
 ホテルに到着したマイケルは部屋の電子キーを受け取り自分の部屋に入ったが、そこであり得ないものを目にして驚愕する。彼を驚愕させたものとは……



第七話 ホテル

 展望台から降りた後、マイケルは街中をぶらつきながらしばらく滞在する予定のホテルへと歩いて行った。

 エアタクシーを利用すれば安い料金で早くホテルに到着するが、待ち合わせをしているわけではないし、明日の数学者全体会議に間に合えばよかったので時間の制約はなかった。それに彼はエアタクシーがどうにも苦手だったということもある。

 

 彼はトランターの巨大なビルディングに囲まれた近代的な街並みを、きょろきょろと田舎者丸出しの様子であちこち振り返りながら歩いていた。

 

 彼は目の前にそびえたつビルの一つを見て、いったいこの建物内には何人の人たちがいるんだろうか、と考えた。そしてたぶん自分の出身惑星の人口がすっかり収容できるに違いないと値踏みをした。

 

 マイケルは途中で軽い食事をし、2時間ほど街並みをたっぷり見物しながら歩いたあと、ホテルに到着した。

 

 ホテルのマネージャーはマイケルの姿を見て、「ブランダバス様、おかえりなさい。展望台はどうでした?」と尋ねた。

 

「いやあ、マネージャーの言ったとおりだったよ」とマイケルは少々がっかりした様子で答えた。

 

「でしょう? でも、やっぱりトランターという星を外から見るのは必要だと思いますよ。我々は金属層の中で一生を過ごすわけで、実際のところ我々は本当にトランターという惑星の住人なのだろうかと、不安になるときもありますからね。外からその姿を俯瞰することで一時の安心を得ることができるのだと思います。それで我々は心の平安を得るんですよ……たぶんね」

 

 それを聞いたマイケルは「へー、哲学者みたいだね」とマネージャーに声をかけると、彼は「エセ哲学に過ぎませんよ」と照れ笑いをしながら軽くウィンクした。

 

「ところで、私が留守の間、伝言や来客はあっただろうか?」とマイケルは尋ねたが、「いえ、ブランダバス様宛ての伝言や来客はございませんでした」とマネージャーは答えた。

 

 マイケルは「やっぱりなかったか……」と少しがっかりした様子でつぶやいた。

 

「あなた様宛てに何か伝言が来る予定なのですか?」とマネージャーは心配した様子で尋ねたが、彼は 「いや、そういうわけではないのだが……」と言葉を濁した。

 

 マイケルはもしかすると、セルダン博士から数学者全体会議について何か伝言があるかもしれないと期待していたのだが、残念なことにそれは叶わなかった。

 なんでも今回セルダン博士は50人くらいの学者を銀河中から招聘したらしいから、きっと忙しくて手が回らないのだろう。自分を呼んだことをセルダン博士が忘れていなければいいのだが、と彼は不安に思った。

 

 いずれにせよ、数学者全体会議のアジェンダ(議題)と開催時間及び開催場所は決まっているんだ、あれこれ気にしたって仕方がないさと彼は思い、マネージャーから部屋の電子キーをもらいエレベータで自分の部屋へと向かった。

 

 大きな荷物はない。女性と違って男の一人旅だ。中型のスーツケースに数日間の衣料、数学関連の書籍とツールがあれば十分だ。マネージャーはポーターを呼びつけたが、彼はそれを断って自分でスーツケースを運んだ。

 

 自分の予約した部屋へと向かいながら、マイケルは明日のことについて考えていた。数学者全体会議も大事だが、他にも尋ねたいことがたくさんある。その中で特に気になることは、タクシードライバーの発言だ。

 

 博士が帝国は滅びると言っていたと、タクシードライバーは発言した。ホテルに戻ってくる途中で何人かとセルダン博士や帝国の未来について世間話をしてみたが、タクシードライバーの言ったことと似たりよったりだった。

 

 セルダン博士は様々な社会的事例から帰納された結論から数学的手段を使って、星系規模のマクロな人間の集団の行動傾向を推測するための近似的な方程式を組み上げた。そこから導き出される解には一定の説得力があると思う。

 

 私が見る限り、少なくとも数学的技法による瑕疵はない。誤差を含む範囲での予測を行う『心理歴史学』を演繹に使うのは少々疑問が残るものの、博士の確立した『心理歴史学』の理論の適用モデル例の多くに目を通した限りでは、それは理論上の想定値内に見事に収まっている。

 

 つまり、恐らく……いや、まず間違いなく『この帝国は滅びる』のだ。

 

 だとすれば当然一つの疑問がわきあがってくる。博士は『帝国の衰亡を回避するために君の力を借りたい』と確かに言っていた。

 しかし、ビジフォンなど多くのメディアの場では博士が『帝国は滅びる』と断言していると言う……一体このギャップはなんだ? 博士は私に何をさせたいのだろう。そして私と同様に招聘された他の学者たちの役割とは?

 

 あれこれと考えを巡らして歩いていたマイケルは、途中で体や頭を廊下のかどや手すりにぶつけ、そのたびに悪態をついたが、彼の思考の焦点は結局セルダン博士と帝国のことに収束した。

 

 ぶつぶつと独り言を言いながら、部屋に入った彼はスーツケースを置いて部屋の中を一瞥した。そしてそこで見るはずもない光景を目にして驚きの余り彼は飛び上がった。

 

 「だっ、誰だ君は! 僕の部屋で何をしている?」と彼は震えながら大声を出して叫んだ。

 

 誰もいないはずの彼の部屋の中で、アーバンカモのキャップをかぶったポニーテールの少女がダブルベッドの上に腰かけている。

 少女は顔を上げて柔らかそうな表情で微笑みながら「おかえりなさい」と、彼に向って言った。それはまるで旧知の間柄でもあるかのような態度だった。

 

 マイケルは状況が飲み込めず、「すまない、部屋を間違えたようだ」といって、スーツケースの取っ手を掴み、逃げるように部屋を出ていこうとしたが、彼の背後から少女のきっぱりとした声がかかった。

 

「いいえ、あなたは部屋を間違えてはいないわ!」

 

 その言葉を聞いて彼が恐る恐る背後を振り返ると、少女は腰かけていたダブルベットからポンっと反動をつけて元気よく飛び跳ねるように床に立つと、マイケルの元へ歩いていった。

 

 そして彼の目の前で立ち止まってマイケルを見上げた。マイケルの身長は178センチメートル、少女のそれは148センチメートルで、少女から見ればマイケルの目の位置は頭一つ半弱程高い場所にあった。彼女の髪からほのかな甘いジャスミンに似た芳香が漂ってマイケルの鼻腔をやさしくくすぐる。

 

「あなた、ブランダバス……マイケル・ブランダバス博士でしょ? 背が高いね」と屈託のない笑顔で少女は彼の顔を覗き込んだ。

「なっ、なぜ僕の名前を知っている!」

 

 マイケルはさらに驚いた表情で、彼の間近にいる少女を見た。まだ14、5歳の年齢に過ぎないだろう子供だ。

 ホットパンツから健康そうな白い太ももが覗いており、キャップの中からやや暗めのサンシャインイエローのポニーテールがぴょこんとはみ出している。

 

 幼いが端正な顔立ちでアーモンド型の目、その中にはターコイズブルーにアンティックゴールドとマンダリンオレンジの色が複雑に散らばった『アースアイ』がある。まるで目の中に惑星があるかのようだ。

 それが彼をじっと見つめている。彼は自分を見上げるその少女の瞳を素直に美しいと思った。

 

 だが、それと同時に彼の心には大きな警戒心が沸き上がってきた。この子は私を知っているようだが、自分には思い当たる節がまるでない。あるいはどこかで知り合いになったが、単に忘れているだけなのか? 

 

 しかし、一見すれば記憶に焼き付けるに十分な美少女だ。知り合ったのに忘れているなどという事があり得るだろうか、と彼は訝しんだ。

 彼は頭の中の記憶を丹念に掘り返し始めた。その間、少女は一言も発せず、不思議そうに首を傾げたまま固まっているマイケルの顔を覗き込んでいた。

 

 ようやく、該当する記憶の源泉を苦労して掘り当てた彼は、やっと少女の正体を突き止めたという驚きとともに「きっ、君はあのときのエレベーターの!」と叫んだ。

 

 少女は人差し指を立てたまま小さくウィンクをして、軽く小首を傾げながら「あたり」と短く答えた。

 

 一々仕草が可愛らしい。

 

 彼は多くの女性を目にしてきたが、この少女がその中でもとても魅力的に見えるのはこの『アースアイ』のせいだろうか、と彼は思った。それでもまだ年若い少女に過ぎないし、自分には小児性愛の性癖はない。

 

 そしてそれと同時に一つの疑問が浮かび上がってきた。妙だな、あの狭いエレベーター内で出会っていたならばもう少し印象に残っていても不思議ではないはずだが……

 

 二人はそのまま部屋の中で互いに一言も発せず、マイケルは考え事にふけり、少女は彼を見上げたままだった。

 

 1分ほどの時間が経過したときだった。急にマイケルは恐怖のあまり目を見開いて少女のそばから飛びずさった。

 そして何かを探るかのように部屋の中のあらゆる場所に視線をさまよわせた。少女は彼のそんな様子を見てクスクス笑いながら言った。

 

「リズでしょ? 彼女はここにはいないわ。私一人よ、安心して」

 

 君みたいにどうやって私の部屋に入り込んだかわからない子と一緒にいて安心できるわけないだろ、と彼は心の中で毒づいたが、それを口には出さず、疑り深い目で少女に尋ねた。

 

「あんな爆弾みたいな子と関わってホテルで大騒ぎされるのは困る! 本当に彼女はいないんだね?」

 

 少女は彼から目を離し一瞬だけ寂しそうな表情をした後、「大丈夫よ、あの子はたぶんもうあなたと合うこともないだろうし、少なくともここには来ないわ」とつぶやいた。

 

 マイケルは充分に部屋の中を確認した後、表面上は落ち着いた様子でこう言った。

 

「あのー……」

「ん?」と少女は小首を傾げてマイケルの言葉の続きを待った。

「その……せっかく知り合って申し訳ないんだが……」

「うんうん」

「僕の部屋から出て行ってくれないか?」

「えっ?」

 

 少女がどうやって自分の部屋に入り込んだのか彼は知りたかったが、どうせ、ルームキーパーの隙をついて入り込んだのだろう。

 しかし、だとすればマネージャーにセキュリティー管理のずさんさを追求しなければならない。とにかく他人が自分の部屋にいるのが落ち着かないし、未成年の少女と一緒に部屋にいるところを誰かに見られでもしたら、非常にまずいことになる。

 

 とりあえずこの少女を追い出し、それからゆっくりと考えよう。そう彼は考えた。

 

 少女は驚いた様子で「えー! なんでー? せっかく来たんだからちょっとお話ししようよー!」とふくれっ面をしながら言った。

 

 マイケルはあきらめの悪い小さな子供に辛抱強く言い聞かせるかのように、「おじさんはね……忙しいんだよ。明日は早いんだ」と言った。

 

 すると少女は 「うん、知ってるよっ、明日の数学者全体会議に出るんでしょ?」と無邪気に言った。それを聞いたマイケルは再び驚いて彼女を凝視した。

 

「なぜ知っている? それに僕の名前も! なんだ君は! いったい何者なんだ?」と目を剥いて叫んだ。

 

 少女は「へっへっへー、私は誰でしょー」とクスクス笑った。それは、別に彼をからかって馬鹿にする意図で笑ったのではなく、単純にこの会話を『ゲーム』と見立てて楽しんでいるかのような様子だった。

 

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