瞳の中に一つの惑星を閉じ込めたかのような神秘的な『アースアイ』を持つポニーテールの少女は、あろうことか自分が『ハリ・セルダン』なの、とあり得ない自己紹介を行った。彼女の正体とは……
少女はしばらくマイケルの目を見つめていたものの一つ大きなため息をついた後、すっかりあきらめた様子でベッドから立ち上がり、自分の左肩あたりにある、じっと注視しなければわからないほど小さな三日月形の模様に手を触れた。
特に何か変化が起こったわけではないが、少女は頭を上げ何もない空間に向かって話しかけた。
「ねぇ、この人本当に見込みあるの?」
すると、何もない空間から雷のような腹の底から響くような声が返ってきた。
「お前がそこにいるってことはそれを確かめるためじゃないのかね?」
それを聞いたマイケルは驚いて立ち上がり、何もない空中に向かって叫んだ。
「その声は、セルダン博士ですね? 私です。ブランダバス、数学者のマイケル・ブランダバスです。今日、トランターにつきました!」
「それはご苦労だった。長旅で疲れたろう?」
「いいえ、博士の下で『計画』に参加できると胸を躍らせていたので、疲れなど感じませんでした」
「そうか、それで早速だが現在、君の置かれている状況は理解できているかね?」
マイケルは困惑気味な表情を浮かべると、ためらいがちに口を開いた。
「いえ……いいえ博士、まるで理解できていません。現在の私が置かれた状況も、この女の子も!」
「
少女はすねた様子で「したょ……『ハリ・セルダン』ですって」とつぶやいた。
空中からの声はしばらく黙ったが、次に聞こえてきた声には少し力が入っていた。
「
少女は少しビクっとしたように「だって、私『今は』ホントに『ハリ・セルダン』だもん……」と消え入るような小さな声でつぶやいた。
「まったくしょうがない子だ。ブランダバス君、すまんねうちの孫娘が」と空中の声がそう言うと、マイケルは驚いて小さく叫ぶと少女の方を見た。
「はぁ、あ、いいえ……って、えっ? 孫娘?」
少女はマイケルの傍らに立つと、人をほっとさせるような柔らかい笑みを浮かべながらマイケルに手を差し出した。
「私、『ジェシカ・セルダン』。ハリ・セルダンの孫娘だよ。よろしくね」
マイケルは彼女の手を握ろうとしたが、自分に差し出されたそのシミひとつない白く細い美しい手を見て途中でやめ、ジェシカの目を上目遣いで見たあと、彼女と握手をせずに自分の手をひっこめた。
「ちょっとっ! もう、押さえつけたりしないってばっ!」と叫んでジェシカはむくれた。
「何っ? なぜお前がブランダバス君を押さえつける?」とセルダンは驚いた様子で尋ねた。
「だって、彼ったら、いきなり私を押し倒して……」とジェシカがそこまで言ったとたん、マイケルは驚いて口をはさんだ。
「ちょっと待ってくれ! 妙な言い方はやめてくれ! 確かに君を押し倒したのは悪かったが、よこしまな考えでは断じてない! そもそも君が妙なことばかりするからだっ!」
「取り込んでいるところすまないが、少々急いでいてね。この後どうしても直接会って話をしなければならない人がいるんだ。急いでいるんだ、話を先に進めてくれないかね」と、セルダンは先を促した。
セルダンの言葉にマイケルは自分の疑問点を思い出し、ジェシカに向かって問いかけた。
「なんだって最初から孫娘の『ジェシカ・セルダン』ですって名乗らなかったんだ? 余計な誤解を生むだけじゃないか!」そう言って、マイケルはジェシカを睨んだ。
「だって、私は『ハリ・セルダン』の代理であなたに会いに来たんだもん……ということは私は『ハリ・セルダン』そのものでしょ?」
マイケルはそれを聞くと心底あきれた表情を浮かべ、非難めいた調子でジェシカに問いかけた。
「いやいや、その理屈は僕にはよく理解できないよ! セルダン博士の姿は電子ビューワーで広く知れ渡っているんだから、君みたいな少女が自分が『ハリ・セルダン』です、って言ったって信用できるわけがないじゃないか!」
「だって……」とジェシカは下を向いてつぶやいた。しばらくすると空中から再び声が発せられた。
「お前がそんなに名前にこだわっているなら、わしが引退した後、名を継げばいいさ。それほど長い間待つこともなかろう。まあ、もっとも襲名するほど由緒のある名前ではないがな」
それを聞いてベッドに腰掛けて下を向いていたジェシカは、嬉しそうに座ったままベッドの上でピョンピョンとはねた
マイケルは今一つ納得のいかないまま、「まだ終わってないよ、まだ君に聞きたいことがある」と、ジェシカに言葉をかけた。
ジェシカはベッドの上で飛び跳ねるのをやめて、警戒するような様子でじっとマイケルを上目遣いで見て言った。
「いいょ……何?」
「君のさっきの……えーっと、なんだあれは? 護身術みたいなやつだよ」
ジェシカの表情はとたんに和らいで彼の疑問に答えた。
「ああ、あれ? 全く動けなかったでしょ? 『ツイスト』って言うんだー。近接格闘技術だよ。起源はよくわからないけどだいぶ古いものらしいよ? おじーちゃん仕込みなんだゾ」
それを聞いたセルダンは「ジェシカ、お前まさか無抵抗のブランダバス君に技を使ったんじゃあるまいな?」と厳しい声音で尋ねたが、「わかってるってば、おじーちゃん。技を使うのは自分自身と自分の大切な人を守るときだけでしょ」とジェシカは答えた。
マイケルは小さく眉をひそめると、「ああ、君の近くにいるときは押さえつけられないようにせいぜい用心することにするよ」と皮肉をこめた眼でジェシカを見ながらそう言った。ジェシカはそれを聞いて再びむくれた。
「じゃあ、次だ」とマイケルが言うと、「えー、まだあるの?」とジェシカが不満げに尋ねた。
「いや、これだけはどうしても答えてもらわないと困る」
「いいよ、何?」
「今日はいろいろと不可解なことが起こったが、さっき起こったことは極め付けだ。私は目で見たものや確認できる理論以外は信じない。君のやったことはどうにも理屈に合わない」
「……」
「君は電子錠のかかったドアをいとも簡単にすり抜けた。帝国のホテルのセキュリティーは完璧だ。とても普通の知識ではずせる代物じゃない。それは認めるかね?」
ジェシカは少し言葉を改めて「ええ……認めるわ」と、顔を少し伏せて答えた。
「……となると、君は帝国のセキュリティーを破る技術の持ち主か、あるいはその代替手段を有している、ということになる」
「……」
「で、よくあるドラマのように、君は都合よくそんな堅固なセキュリティーを破る技術を持っているのかね?」
「……いいえ」
そのまま黙ってしまったジェシカの横顔を、マイケルは探るように見つめながら「じゃあ、いったいどんな方法を使ったんだ」と彼は尋ねた。
その途端ジェシカはベッドからすっと立ち上がったが、彼とは顔を合わせず前を向いたまま静かに答えた。
「それは今は話せない……」
「なぜ?」
「あなたがおじーちゃんの『計画』の一員になることが確定しない限り、どうしても話せないの……ごめんね」とやはり前を向いたまま彼女は答えた。
厳しい表情を浮かべながらドアの方を向いたジェシカの白い端正な横顔を、マイケルはしばらく見つめた。そして少し息を吐き出してすっかりあきらめたように表情を崩した。
「わかったよ、原因がわからないのは学者として気持ちが悪いけど、私が君の信頼に足る人物になったら教えてくれ。その時になれば、たぶん僕は、君を『ジェス』(ジェスはジェシカの愛称)と呼ぶことができる間柄になっているだろうからね」と優しく答えた
「うん……」と、ジェシカははにかんだ表情で下を向いたまま答えた。
「じゃあ、最後の質問だな」
「いいよ、何でも聞いて! ……答えられることなら」とジェシカは再びベッドに腰掛け、マイケルの方に顔を寄せた。
「いや、君にはもう質問はない」
「えっ?」
マイケルは空中に顔を向けたあと、何もない空間に問いかけた。
「セルダン博士、私の記憶違いでなければ、私は『帝国の衰亡を回避するために』君の力を借りたいと博士の口からうかがったと記憶しています。ところが町でセルダン博士について聞いてみると、皆あなたが『帝国は滅びる』と発言したと言っていました……」
「ふむ、それで?」
マイケルはしばらく黙ったが、意を決してセルダンに尋ねた。
「この帝国が滅びるというのは本当なのですか? また仮にそうであったなら、私を呼んだ理由は何なのですか?」
「ブランダバス君、その質問にはもちろん答えるつもりだが、今は時間がないんだ。先ほども言ったように今日はどうしても外せない待ち合わせがある。明日時間を作って必ず説明する。申し訳ないがそれまで待っていてくれないか?」と空中の声が伝えた。
結局、今日聞き出したい情報がほとんど得られなかったことに落胆してマイケルはうなだれた。しばらくの間が空いて、空中から再び声がかかった。
「ほかに質問はあるかな、ブランダバス君」
マイケルは床を見つめたまま「いいえ……今のところはありません、博士」と答えた。
「質問がないならワシはこれで失礼するよ。詳しいことはすべて明日の数学者全体会議後だ、ブランダバス君。それからジェス、真っ暗にならないうちに戻りなさい。いいね?」
「はーい」とジェシカは気楽そうな声を出した。彼女は肩のあたりにある小さな三日月形の模様に再び手を触れるとセルダンとの通信を切った。
そして、マイケルの方を振り返り「じゃあ、わたし帰るね」と言って立ち去ろうとしたが、マイケルは彼女に「送っていくよ」と声をかけた。
「いいわよ、私にエスコートは必要ないわ」
「しかし、帰り際に君に何かあったら、セルダン博士に申し開きができない」
「あれ? おかしいな、さっき私の実力は示したはずなんだけどな……もっかい確かめてみる?」と言って、ニヤニヤしながらジェシカは両手を上げ、指をかぎづめように曲げてマイケルににじり寄った。
マイケルは両手を上げ、慌ててジェシカの接近を拒絶し「う、わかった、わかった!」と上半身をのけぞらせながら言った。
「心配してくれてありがとう。でも、いつか私も誰かに守ってもらいたいなー、なんてね……」と言って、横目でマイケルを見つめた。
「そ、そうだね、そんな人が現れるといいね」とマイケルはしどろもどろになって答えたが、それと同時に僕はとても君の役には立ちそうもないよ、と心の中で言った。
ジェシカは一瞬だけ残念そうな表情をしたがすぐに明るい表情で「また明日ね」といって、部屋のドアに向かって歩き出したが、ドアを開ける前にハッと思い出したかのように立ち止まって言葉を付け加えた。
「あのね、ブランダバス博士。あなた今日ずっと後をつけられていたのよ?」
「えっ、誰に!」思いもかけないジェシカの言葉にマイケルは驚いた。
「帝都の政府機関……だと思う。たぶんすでに空港からつけられていたんだと思うよ? 『レイブン』に呼ばれた学者には全員マークがついているんじゃあないのかな……で、本当にこれは偶然なんだけど、私は展望台エレベーター乗り場付近であなたの後を追う連中に気づいた」
「うんうん、それで? ……その連中はどうなった?」
「……」
黙ってしまったジェシカにマイケルは声をかけた。
「ジェシカ?」
ジェシカは肩越しにマイケルの方を振り返って「連中は私が
マイケルは彼女の目を見てギクッとしたが、彼女の目はすぐに元の優しい目つきに戻り、じゃあねと言ってそのまま去って行った。
誰もいなくなった部屋の中で、マイケルは今日一日の出来事を振り返りながら、周期的に明暗を調整される窓の外の夜景をしばらくの間眺めていた。