仮面ライダージオウ 外伝 FUTURE大戦 作:ボルメテウスさん
博物館を出た途端、空気の温度が一段落ちた気がした。
夜へ向かう街の冷え方とは違う。人の気配が薄いせいで、温度そのものが“空洞”になっている。
ウォズは前を歩く。足取りは迷いがなく、しかし急いでいない。まるで、急げば急ぐほど“何かに見つかる”と知っている歩き方だった。
龍之介――古代龍之介は、少し遅れてついて行く。膝がまだ重い。博物館での戦いの余波が体内に残っている。息を吸うたび、胸の奥で薄い紙が裂けるような感覚がする。
変身の代償が、いまも静かに遅れて追いついてくる。
「……さっきの、あの鎧。お前は誰だ」
龍之介が声を絞ると、ウォズは振り返らずに答えた。
「ウォズです」
それだけ。
名前だけが、夜の道路に落ちる。説明はない。欲しいのは説明より、状況の理解だと龍之介は悟る。
「ここは2018年だ、と言ったな。なら……俺は、何に巻き込まれてる」
ウォズは一拍置き、街灯の光が届かない横道へ視線を滑らせた。
「“未来の綻び”です。いまはそれ以上、言葉にしない方が良い」
言葉にしない方が良い。
その言い方が、逆に不穏だった。
二人が角を曲がると、街の音がさらに薄くなった。
車は走っているのに、クラクションが鳴らない。コンビニの看板は点いているのに、店内に人影がない。駅へ向かうはずの道が、妙に空いている。
街が避難している――そう思いかけて、龍之介は違和感を噛み砕く。
避難なら、声が出る。怒号も泣き声も、説明し合う声も出るはずだ。
だがここには、声がない。声だけが、吸い取られている。
「……静かすぎる」
龍之介が呟いた。
ウォズは歩調を変えず、同じ調子で言う。
「見えますか」
視線の先、交差点の向こう。
街灯の下に、人影が列を作っていた。
十人、二十人。
等間隔。等速度。等姿勢。
誰も喋らない。スマホも見ない。肩が揺れない。
歩くというより、運ばれている。録音を流しているように足音が揃い、止まるタイミングまで同じに見える。
龍之介は思わず足を止めた。
研究者としての好奇心が、嫌なところで顔を出す。人間の集団がここまで同期するのは、普通ではない。催眠でも薬物でも、こんな精度は出ない。
列の最前を見ようとして、見えないことに気づく。
角が多い。路地の曲がりが、視界を必ず遮る。列の先頭が“見えないように”作られている。
(誘導……?)
龍之介の喉が乾いた。
列の横へ近づくと、匂いが来た。
血でも腐敗でもない。湿った鉄と、薬品と、獣臭の中間。鼻腔の奥を掻き回す匂い。長い時間嗅いだら、肺が変なことを覚えそうな匂い。
地面には、透明な粘液が点々と落ちていた。踏むと靴底に吸いつく。糸を引き、戻らない。
街灯の光を受けると、粘液の中に細い繊維が混じっているのが見える。髪の毛より細く、しかし硬質で、きらりと反射する。
龍之介はしゃがみ込みたくなる衝動を飲み込み、息だけで観察した。
生体由来。分泌物。だが、人間ではない。
列の人々は目を上げない。
目だけが同じ方向を見ている。視線の高さすら揃っている。瞬きの間隔まで似ているように見えた。
「……聞こえるか」
龍之介が一人の男に声をかける。
返事はない。男の喉がわずかに上下する。唾を飲み込む動きではない。もっと硬い、何かが内側を通過する動き。
ウォズが小さく言った。
「触れないでください」
「触れる気はない。だが、こいつら――」
言葉の途中で、列の最後尾にいた男が、ふいに膝を折った。
倒れる、と思った瞬間、倒れない。倒れる前に“反って”起き上がる。背中が不自然に弓なりになり、首がぎくりと傾く。
乾いた咳のような音が一度。
続いて、湿った“カチ”という音が二回。
骨が鳴る音にも似ているが、違う。節がある。節が曲がる音。
男の袖口から、細いものが一瞬だけ覗いた。
触手――そう呼ぶしかない。黒く、濡れていて、先端が針のように尖っている。
覗いた瞬間、引っ込む。
列は動じない。誰も振り返らない。
恐怖が起きたのに、恐怖が共有されない。恐怖が“列の一部”として処理されている。
龍之介の背筋が冷えた。
「……操られてるのか」
ウォズは肯定も否定もしない。ただ言う。
「見失えば、増えます」
増える。
その単語が、街全体を濁らせる。
列は駅前へ向かわない。人が集まる場所を避ける。監視カメラの死角を縫う。
偶然ではない。意思がある。
二人は列の後ろにつき、距離を保って追う。
歩くほど、壁の低い位置に粘液の筋が増える。地面だけではない。壁を撫でるように、上向きに伸びる筋。
何かが“這った”痕跡。
角を曲がるたび、湿った節の音が近づく。
“カチ、カチ”。
雨の滴より遅いテンポで、しかし確実に心拍へ寄り添ってくる音。
やがて、列が分かれた。
先へ進む者と、左右へ散る者。
散った者たちが、路地の出口を塞ぐ形で立ち止まる。逃げ道を潰す配置。
無言で、しかし意志的に。
龍之介は息を飲んだ。
近くで見ると、彼らの目は濁っている。瞳孔が定まらないのに、視線だけが揃っている。唇の端が乾いて裂け、喉元に小さな穴が複数ある。
そこから粘液が糸を引いていた。
皮膚の下が、脈打っている。
心臓の鼓動ではない。もっと表層で、細いものが動く脈動。
(人間……だったものだ)
龍之介は本能的に後退した。
学者の理性が遅れて追いつく。感染。変異。使役。
そんな単語が頭をよぎり、どれも現実より軽く感じた。現実の方が重い。
路地の先――街灯が届かない空き地の中央に、“影”が揺れていた。
姿はまだ、完全には見えない。見えるのは輪郭だけだ。
触手が地面を叩く輪郭。壁を撫でるように伸びる複数の線。
粘液が落ちる音が、雨より遅いテンポで続く。
影が一度こちらを向く。
視線ではない。“方向”が揃う。
列の人間たちが一斉に、同じ角度で首を傾ける。まるで、見えない糸が引かれたみたいに。
龍之介の喉が鳴った。
ここで初めて、逃げたいという感情が言葉を押しのける。
だが足は動かない。動けば、こちらが“狩り”の合図になる。
ウォズが、静かに言った。
「……アナザーライダーです」
龍之介は眉を寄せた。
「アナザー……何だ?」
ウォズは、見えたものだけを繋ぐ。説明は最小限。だが、致命的に分かりやすい言い方で落とす。
「歴史を歪める偽物の仮面ライダー。触手で人間を感染・変異させ、使役する個体――アナザーアマゾンネオ」
その名が落ちた瞬間、影が“応える”ように触手を広げた。
粘液が街灯の端の光を反射し、触手の先端に刃のような硬質部が覗く。
立ち塞がっていた人間が、一歩だけ前へ出る。命令された動きだ。
アナザーアマゾンネオの触手が、列の一人の背へ刺さった。
刺さった瞬間、その人間の姿勢が“整う”。背筋が伸び、首の角度が揃い、目の焦点が“戻ったように見える”。
戻ったのは人間性ではなく、命令への忠実さだ。
龍之介の胃が冷たくなる。
研究者として分かる。感染の速度が異常だ。使役の精度が異常だ。
そして何より――人間が“素材”として扱われている。
ウォズは龍之介の横に立ち、囁くように言う。
「ここから先は、あなたの判断です」
龍之介は腰へ手を伸ばしかけ、止めた。
カセキアギトの感触が、皮膚越しに生々しく伝わる。変身すれば寿命が削れる。だが放置すれば“列”は増える。街が街でなくなる。
触手が、地面を叩く。
湿った“カチ”という節の音が、今度は明確に心拍へ追いついてきた。
龍之介は息を吸い、歯を食いしばる。
その瞬間、アナザーアマゾンネオの影が、ふっと“近づいた”。
距離ではない。
存在が、こちらの目の前へ滑り込んだ感覚。
――戦いが始まる直前の、最悪に静かな一秒。
その一秒の中で、龍之介はようやく決める。
(……やるしかない)
その手が、カセキアギトへ向かう。