仮面ライダージオウ 外伝 FUTURE大戦 作:ボルメテウスさん
ビルの屋上は夜風が鋭く、街の灯りがまるで星座のように並んでいた。
ウォズは逢魔降臨暦を胸元から取り出し、指先で表紙を撫でてから静かに開いた。
ページを繰るたび、そこに刻まれた歴史の匂いが、今夜の空気をさらに重くする。
「未来より来訪した者たちは、それぞれの理由で二〇一八年に立ち、互いの運命を削り合っている」
「我が魔王は奪われた道を取り戻し、ゲイツは失われた切り札を修復し、次なる頁へと歩みを進めた」
ウォズはそこまで語ってから、わざとらしい間を置き、次の頁へ指をかけた。
ところが、次の見出しには小さな文字で「ウォッシュ」とある。
ウォズは夜景を見下ろしながら、今更のように思い当たった顔をつくってしまう。
あの少女は人の心を覗き込み、隠した都合の悪い色を遠慮なく口にする危険物である。
「……この頁は、読み飛ばしても差し支えはないでしょう」
そう言ってページをめくろうとした、その瞬間だった。
背後の闇で、閉幕した個人個展のキャンバスが、波紋のようにゆらりと歪んだ。
絵具の匂いを連れて、ゆかりが絵の中からするりと抜け出し、屋上の床へ降り立った。
彼女は頬を膨らませ、ウォズの逢魔降臨暦へ両手を伸ばしてくる。
「ちょっと待って、それはだめだよ、わたしのところを飛ばすのはずるいよ」
「ずるいのではなく、必要な情報の取捨選択というものです」
「でもね、ウォズくんは世界の外から見てるから、痛いところだけ隠すのが得意なんだよね」
その一言が、ウォズの眉間のしわを一本だけ深くした。
ゆかりは無邪気な顔のまま、逢魔降臨暦の端を掴んで引き寄せ、ページを戻そうとする。
ウォズもまた芝居がかった所作で抵抗し、二人の間に静かな引っ張り合いが生まれた。
「私が語るべきは、我が魔王の歩む歴史であり、君の感想文ではありません」
「感想じゃないよ、だってね、ここから先は人間だけの話じゃなくなるんだもん」
言い争いは軽く見えて、互いに譲れない定義の戦いになっていく。
その口喧嘩の最中にも、夜景の向こうでは事件が進んでいる。
ウォズの言葉が途切れ途切れになっても、これまでの出来事は確かに積み重なっていた。
風を裂くダークライダーの影が降り、変身を封じる初見殺しが牙を剥き、戦場は一度、明確に不利へ落とされた。
そこへ現れたのは、絵画から生まれた少女の仮面ライダーであり、彼女は恐怖を抱えたまま走ることを選んだ。
翼に色を塗り重ね、速さを奪い、学習の末に一撃を成立させ、勝利の後に痛みと余熱だけを残した。
そして鏡の前で、ゆかりだけが見えた視線があり、名を名乗る声があり、警告だけを残して消えた。
「……結局、あなたも聞いていたではありませんか、鏡の中の影の声を」
「聞こえたのは君だけです、だからこそ厄介なのですよ」
ウォズは強引に逢魔降臨暦を引き戻し、ページをぱたりと閉じて勝利宣言のように息を吐いた。
その瞬間、ゆかりは少しだけ笑い、夜の街を指さすように顎を上げた。
彼女の瞳は楽しげなのに、言葉は妙に静かで、胸の奥へ沈む重さを持っていた。
「これからは人間達の物語じゃなくて──わたし達の物語だからね」
言い終えた途端、街の灯りがすうっと吸われるように落ち、窓の明かりが次々に消えていく。
残ったのは高層ビルの航空障害灯だけで、赤い点滅が不気味な脈拍みたいに夜を刻んだ。
ウォズはその点滅を見上げ、運命が次の頁を要求していることを理解してしまう。
「なるほど、問いは人間のためだけにあるのではない、だからこそ次が恐ろしいのです」
ウォズはマントを翻し、闇へ溶けるように屋上の縁から姿を消した。
ゆかりは振り返り、個展の絵画へ指先を触れさせると、波紋の中へすっと身を沈めていく。
夜の屋上には、逢魔降臨暦を閉じた余韻と、次の運命を告げる赤い点滅だけが残った。
ガラス片が路面に散り、街灯の光が細く千切れて揺れていた。
ウォズは足取りを緩めず、異変の中心が近いとだけ確信していた。
ゆかりの影は先行し、ローラーの軌跡が空気に薄い線を残していく。
角を曲がった先で、彼女の動きが急に止まった。
廃棄された看板の裏に、割れずに残った姿見が立てかけられている。
汚れた鏡面は光を吸い、そこだけ温度が一段低く感じられた。
ゆかりは鏡の前へ近づき、息を呑むより先に目を輝かせた。
鏡の奥で誰かが瞬きし、こちらを覗き返したと彼女は確かに捉えた。
その視線は生き物の温度より冷たく、刃物の角度で刺さってくる。
「ねえ、そこにいるの」
「……見えるのか」
声は鏡の内側から来たのに、空気を揺らさず、鼓膜の裏へ直接落ちた。
ゆかりは怖がる代わりに首を傾げ、相手の輪郭を確かめるように微笑む。
鏡像の青年は黒い影のまま、口元だけを薄く歪めていた。
「わたしはゆかり!よろしくね!」
「……ゆかり、か」
彼は名を反芻し、味を測るように間を置いた。
その沈黙は迷いではなく、相手の弱さを探す時間に見えた。
ゆかりはそれでも引かず、鏡の中の瞳をまっすぐ見返した。
「あなたはだれ?」
「城戸真司……そう呼ばれたことがある」
名乗りが断定にならず、語尾がほんの少し曇った。
ゆかりはその曇りを色として感じ取り、胸の奥がきゅっと縮む。
鏡像の真司は視線を細め、彼女の反応に気づいてしまう。
「お前、普通じゃないな」
「うん、たぶんね」
ゆかりは軽く頷き、恐怖を隠すより先に、相手の寂しさへ触れた。
鏡の奥の色は黒いのに、奥底だけが揺れて定まっていない。
その揺れが痛みに似ていると、彼女は直感で理解してしまった。
「ねえ、あなたね、迷ってる色がする」
「……黙れ」
低い声が刺さり、鏡面が一瞬だけ波打った。
それでもゆかりは退かず、波の向こうにある本音を見失わない。
怒りが強いのに、怒りで自分を支えているだけにも見えた。
「どうして迷うの?」
「俺は、いくつもいる」
短い言葉の割に、重さがあった。
彼の背後には別の景色が幾重にも重なり、同じ顔が別の役を演じている。
鏡像の真司はそれを語るのを嫌い、だが吐き出さずにいられない。
「勝った俺もいる、負けた俺もいる」
「正義の俺も、悪意の俺もいる」
「どれが俺か分からない、どれも偽物だ」
ゆかりはその言葉を受け止め、胸の奥に同じ形の空洞を探した。
彼女にも、絵から生まれた自分という異質さが、時々足元を揺らす。
だから彼女は慰めではなく、同類として言葉を置く。
「わたしもね、似てるよ」
「わたしも人間じゃないし、どこから来たかもふわふわする」
鏡像の真司は笑いもせず、むしろ疑う目を強くした。
その疑いは攻撃であり、相手を崩して自分の優位を戻す癖でもある。
「偽物が偽物を慰めるのか」
「違うよ、慰めじゃない」
ゆかりは首を横に振り、言葉を短く締めて芯だけを残した。
彼女の声は幼いのに、断定だけが妙に揺るがない。
「生きるのに本物も偽物もないよ」
「助けたいって思ったら、それは本当だよ」
鏡像の真司の瞳が一度だけ揺れ、すぐに邪悪さで塗り直される。
だが塗り直した瞬間に、塗り直したこと自体がゆかりには見えてしまう。
彼は苛立ったように鏡の内側で指を動かし、波紋を広げた。
その場で、ウォズだけが取り残されていた。
彼の目には鏡はただの汚れた板であり、第三者の姿も気配も映っていない。
それなのにゆかりは確かに会話をし、空白へ返事を投げ続けている。
「ウォッシュ、あなたは誰と話しているのですか」
「城戸真司だよ、そこにいるよ」
ウォズは鏡へ近づき、角度を変え、指先で表面の冷たさを確かめた。
返ってくるのはガラスの硬さだけで、声も息遣いも届かない。
彼の胸の奥に、説明できない不快な空白が生まれていく。
鏡像の真司はゆかりへだけ聞こえる声で、最後の言葉を落とした。
その声は優しさではなく、獲物へ餌を投げるような狡さを帯びていた。
「……来るぞ」
「でかいのが、落ちてくる」
言い終える前に、鏡の奥の輪郭が砂のように崩れ始めた。
ゆかりは手を伸ばすが、指先はガラスに当たるだけで届かない。
鏡面の波が収まり、そこにはもう街灯の光しか映らなくなる。
ゆかりは鏡を見つめたまま、小さく息を吸って言葉を飲み込んだ。
ウォズはその沈黙を見逃さず、語り部の顔で一歩だけ後ろへ退いた。
見えない相手が残した余熱が、これから来る初見殺しの前兆に変わっていく。
「なるほど、歴史の外側がこちらへ手を伸ばしましたか」
「ならば問うべきは一つ、彼は何者で、あなたは何者なのですか」
その問いが落ちた直後、遠くで風向きが反転し、街の影が不自然に伸び始めた。
鏡面の波が収まり、汚れた姿見はただのガラスへ戻った。
ゆかりの指先だけが宙に残り、触れられない距離を悔しがっていた。
ウォズは視線を街の奥へ移し、空気の重さが変わる瞬間を待つ。
次の瞬間、風向きが逆になり、背中へ冷たい圧が貼りついた。
耳の奥が詰まり、遠くの生活音が薄い布で包まれていく。
足裏に遅れて震えが来て、路面の硬さが脈打つように揺れ始めた。
「来るって言ってた……でかいの」
「聞こえたのですね、ならば警告は本物です」
二人が走り出した直後、廃棄物集積所の方角から影が伸びた。
建物の影ではない、空そのものを塞ぐような輪郭だった。
振動が肋へ突き上げ、息が勝手に短く切れてしまう。
鉄骨の柵を越えた先で、廃材の山がゆっくり浮き始めた。
空中で回るのはガラクタではなく、捨てられた意志の塊に見えた。
煤の粒が集まり、黒い筋になり、中心へ巻き戻るように絡み合う。
「……生きてないのに、息をしてる色だよ」
「生きていないからこそ、厄介なのです」
轟音は遅れて来た。
廃材が折れ、金属が噛み合い、巨大な骨格が立ち上がる。
その胸部に年号と銘が灯り、異様なまでに明瞭な文字が浮いた。
人間の影が一切見えず、変身者の気配がどこにも存在しない。
マグマが噴き出す核炉心が腹で唸り、熱が視界を歪ませた。
水渦巻くダムの構造が肩に組まれ、濁流の音が耳を叩いた。
烈嵐奔る風車が背に回り、羽根が回転して空気を裂く。
蒸気噴き出す地割れが脚に走り、白い噴煙が地面を舐める。
「アナザーJか」
アナザーJが一歩だけ踏み込む。
その一歩で廃材の山が沈み、地面のひびが一斉に広がった。
巨体の影がゆかりの頭上へ落ち、喉の奥が勝手に乾いた。
風車が回転し、烈嵐が街区を横切った。
見えない壁が横殴りにぶつかり、ゆかりの身体が浮かされる。
骨盤がずれて内臓が遅れる感覚になり、吐き気が喉まで上がった。
「うっ……風が切れる」
「正面から受けては駄目です、角で逃げなさい」
ゆかりはローラーで空中の路を引く。
だが次の瞬間、地割れの蒸気が噴き上がり、視界が白く潰れた。
熱と湿気が肺へ刺さり、呼吸が浅くなって音が耳で割れる。
「見えない……目が痛い」
「耳で距離を測りなさい、足元の震えを信じるのです」
ウォズは即座にゆかりの肩を掴み、蒸気の外へ引く。
変身できない指先が震え、力の足りなさが骨に残る。
それでも引かなければ、次の一撃で終わると分かっていた。
蒸気が薄れた瞬間、ダムの水渦が地面をえぐった。
濁流が路面を削り、足場の高さを一気に奪ってくる。
ゆかりの描いた路が水に触れ、線の端から溶けて崩れ始めた。
「路が……溶ける」
「弱点を突かれましたね、観察されているようです」
ゆかりが踏み替えようとした瞬間、水の渦が足首を絡め取った。
ローラーが空を噛み、踏ん張りが利かず、身体が半回転する。
恐怖が一気に膨らみ、胸の奥から冷たい色が抜き取られる。
アナザーJの腕が降りてきた。
質量が空気を押し潰し、接触する前から頬が痛む圧だった。
ゆかりは咄嗟に転がり、瓦礫へ肩を打ち、息が肺から漏れた。
「っ……まだ動ける」
「動けるなら十分です、倒すのはその次です」
ウォズはゆかりの前へ立ち、巨体の影の角度を読み替える。
避難導線は狭い、ここで受け続ければ街が壊れる。
それでも今は勝てない、勝てない理由が見えすぎている。
アナザーJの胸の文字が再び灯り、煤が周囲へ散り始めた。
散った煤は廃材へ吸い付き、別の骨格を作る準備をしている。
壊しても終わらない、その手触りが初手の時点で分かってしまう。
「倒して終わりじゃないんだね」
「ええ、これは戦闘ではなく鎮める問題へ変わります」
ゆかりは歯を食いしばり、痛む肩を押さえながら立ち上がる。
怖さが消えないのに、守る理由だけが先に残っていた。
彼女はウォズの背中を見て、短く息を吸い直す。
「わたし、逃げないけど……今は引く」
「正しい判断です、退くこともまた選択です」
二人は瓦礫の影へ滑り込み、次の烈嵐を壁で受け流す。
圧が壁を震わせ、粉塵が目へ刺さり、口の中が砂でざらつく。
それでも足は止めず、逃げではなく次の手を作る移動に変える。
アナザーJが遠くで立ち上がり、蒸気と風と水と熱が混ざり合う。
街の端が赤く染まり、熱の揺らぎが空を波打たせた。
ウォズは振り返らずに言葉を落とし、語り部の調子を取り戻す。
「問うべきは一つです、彼らは何者で、我々はどう応えるのか」
「そして答えねばならない、あれをただ壊すだけでは終わらない」