11話
その日は彼女にとって生涯忘れられない日となった。
何せそれまで日々の家庭の食卓の話題に困っていた。暗い話題なんておよびじゃない、かといって明るい話題を出しても無理をした笑いが漏れるのが精々だ。
ニュースの話題も論外、下手をすれば“党に献身的”な隣人によって反動分子として即座に通報されてラーゲリ送り。魔女裁判においては他人を売る事が最善の生存手段であるのだ。
まあ結局何をしようがラーゲリ送りはほぼ確定していたようなものなので完全に杞憂だったが。
ロリヤ亡き後、ルーシー連邦は平常運転を極めていた。
すなわち粛清、一心不乱の大粛清だ。
ロリヤは狂人だった。しかしルーシー連邦、特にあの“とても丁寧“な書記長の下においては狂気こそが正常なのだ。大道は廃れ、仁義も無い。
彼は狂っていたからこそ粛清もある程度“制御”されていた。“平等”を掲げる偉大な連邦において、特定の人種への差別などが存在せずあらゆる人種や民族への粛清が執行されていた。
しかし、ロリヤの死は“狂気を扱える狂気”の喪失を意味した。
“明晰”なる書記長の疑念は“賢臣”の不在もあり特定の層に向かいがちになってしまっていた。それまではあらゆる“国家に対する陰謀“の存在を察知しては潰してきた”偉大な指導者“も衰えてしまったのだろうか。”戦勝”で気が緩んだか。
そう、“勝利”だ。世界の敵たる帝国に対しての輝かしい勝利。それにも関わらず日々の生活は相変わらずで、むしろ“サポタージュ”や“ノルマ未達成”が増えてすらいる。秘密警察の活動も活発。何につけても戦時中の方がむしろ良かったくらいだ。
そんな感情を抱かずにいられない国民に最低限の言い訳が必要とされた。ちょうどいい“羊”もいる。伝統的に民衆に捧げられてきた、いわばスケープゴートのスペシャリスト集団が。
そして遂に医者団に陰謀の疑念が向けられた。医者には偶然というか必然というかラコブス人が多い。
あとは手慣れた作業だ。党の新聞“真実”を筆頭にあらゆる媒体から発信されるラコブス人による国家に対する陰謀。
恐ろしい事に連中は戦時中においても帝国と繋がり、情報を流したり兵器生産にも悪影響を流していたのだ。主力戦車の生産が遅れたり逆に無理に生産期間を引き延ばしたせいで性能不足に陥らせ、二人乗り棺桶(軽戦車)の生産を維持して戦死者を増やしたり。開戦時帝国を粉砕できなかったのも連中が情報を流していたらしい。あとモスコーへのあの 屈辱的な襲撃も連中の手引きがあった。
要は大戦中の苦々しい記憶全てに連中が関与していたのだ。
しかも今やその“成功”に調子に乗って書記長を亡き者にしようとしているらしい。
と、そういう事になった。
そしていつものように民族移送の実行まで秒読みとなった時、“奇跡”が起きた。
“主の御業“としか言いようがない”奇跡“が。
「その時の我々の気持ちが分かりますか。ラコブス共和国の交渉が実を結んで共和国への移住が当局から許可された時の気持ちが」
「すみませんが、分からないですね。私には“縁の無い“話なので」
ラコブス共和国の首都、正確には政庁が集まっているだけで本来首都にはふさわしくない都市で名目上は違うことになっている。そんな都市の一角、警察病院の一室。厳重に警備、監視、もはや“封印”と言っていい病室でディナ・へイル少尉は訪問を受けていた。
面会謝絶のはずだが何故か許可されたらしい彼女は続ける。
「…でしょうね。それを聞いて納得しました」
もそもそ病院食を食べながらディナは黙って話を聞いている。
「あの時、やはり主は我々を見ておられるのだと確信しました」
ラコブス共和国への移送を許可したのは書記長だったが、勿論彼は神の意志など気にもしていない…はずである、おそらくは。それに現実は神の意志が容易く通用するほど簡単ではない。理由が必要だ。大戦後の混乱の中ラコブス人への自然な迫害、一面的に見るなら八つ当たりというべきか、は世界中で生じた。その状況下でラコブス共和国への移住を許可すればどうだろう。残虐な西側に対して人道的に優れた東側とできる。しかも強制移住には絶対にならない。不可解にも当局が許可すればラコブス人達は我先に出国しようとした。
他にも様々あるがとりあえずそれは今、重要ではない。
重要な事と言えば、その招かれざる客である彼女が病人のディナに対して拳銃を突きつけていることだろうか。
「良い銃ですね」
気にせず食べ続けるディナに彼女は苛ついた様子で答える。
「ええ、“少将“の形見です」
かなり短めです
人道マウント以外で書記長がラコブス人に出国を許可した理由付けとしては
・数百万の国家に対して百万規模で送り付けることで世論を物量的に親東側に誘導する
・多数の移民を送りつけた所でどうせ共和国と完全に同質化することは困難であり、ルーシー連邦からの移住者のコミュニティ(北方派と呼称)は連邦との関係を維持せざるを得ない
・国境整理に伴う流行りの民族移送に合わせて実行することで国内のラコブス人問題の解決を図る。
・国民を煽ったは良いものの、想像以上の“反響“で、当局の制御が効かなくなるレベルでボグロムが悪化した
・見えざる手の介入
といった感じです