ミレニアムの秘密の研究室   作:まったり愛好家

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掃除シーン、長くなりすぎたので二話に分けます。

登場人物が多いため、誰が話しているかをわかりやすくするために説明を付け加えています


第十四話 研究室掃除 1

 

ミレニアムタワーのエレベーターは、今日も無機質な機械音を響かせながら上昇していく。

ゴーグルには、階ごとに行われている研究や実験の映像が簡易表示され、ただ立っているだけの移動時間ですら退屈させない。時おり、実験装置の光が画面越しに瞬き、壁越しにまぶっさを感じさせる。

「清掃は早めに始めないと終わらなそうだし、それに戦闘訓練まであるんだから、なおさら急がないと」

 

そんなことをぼんやり考えながら、私はエレベーターの上昇を見送っていた。

 

目的の階につくと、そこにはすでにC&Cの部室があり、扉を開いた瞬間、数人分の視線が一斉に向けられた。

 

全員が掃除道具や持ち運び用ケースを手元に置いて待機しており、こちらが声をかけるまでもなく、すぐにでも出発できる状態だった。

 

「相当広いって聞いたからな。早めにメンバーに声かけておいたぜ」

 

「助かります。それでは改めて、依頼内容を確認しますね」

 

コハクが、落ち着いた声で話し、手元のメモを軽く確認する。

 

「私の依頼は、私の研究室予定地を清掃してもらうことです。広さは大体、野球場と同じくらい。天井は約二十メートル。電気と水道は通っていますので、自由に使ってください」

 

数字だけ聞くと簡単だが、実際に野球場サイズと言われると気が遠くなる。ネルはそんな私の内心を察したように、逆に明るく問い返した。

 

「わかった。ちなみに、使ってほしくない薬品とかってあるか?」

 

「匂いが強くて残るものは、なるべく避けていただければ。あとは特に指定はありません」

 

「了解。じゃあ道具持って向かうとするか」

 

そう言いながらネルが立ち上がると、周囲のメンバーもそれぞれ腰を上げた。

すると、コハクがひょいと手を挙げる。

 

「私も持ちますよ」

 

「いや、依頼主に手伝わせんのは…」

 

と、ネルは思わず顔をしかめる。

 

「自分が使うところなんですから、少しくらいはなんかしますよ」

 

その言葉には妙な熱があり、ネルは観念したように笑った。

 

「そうか、わかった。じゃあこのモップとワックス容器持ってくれ」

 

「はい、わかりました。よいしょ…と。では、清掃場所まで案内しますのでついてきてください」

 

「了解」

 

―――

 

ミレニアムの敷地を、掃除道具を大量に抱えた集団が歩くというのは、なかなか異様な光景だ。

 

すれ違う学生たちは一度ぎょっと振り返り、しかしC&Cの面々が揃っているとわかると納得したように眉を下げてそれ以上は気にしなくなる。

 

「だいぶ歩いてきたけど…まだつかないなんて、相当端っこにあるんだね」

 

アスナが息をつきながら周囲を見回した。ミレニアム特有の無機質な白い道が、もう延々と続いている。

 

「予算がなかったので無料で使えるところを紹介してもらいまして…」

 

コハクが、少し気恥ずかしそうに肩をすくめる。

 

「それで、誰も使っていない端っこの練習場に決まったんです」

 

「端っこにあるとはいえ、結構な広さの練習場が誰にも使われていないとは運が良かったな」

 

カリンが周囲を眺めながら感心する。だがコハクは、どこか言いづらそうに付け加えた。

 

「端っこにあるだけなら、まだ使う人もいたかもしれませんね…」

 

「どういうこと?」

 

アスナが首をかしげる。

 

「まあ、見ればわかりますよ。あ、ここです。この小屋です」

 

案内された先には、ミレニアムの敷地らしからぬ、古びた小さな小屋が佇んでいた。外観だけではとても広い練習場が隠れているようには見えない。とりあえず私たちは、小屋の横に道具を下ろし、一列になって中へ入った。

 

ネルが周囲を見回しながら呟く。

 

「これは…地下か」

 

「そうです。地下にあったことこそ、ここが長年放置されてきた原因なんですよ」

 

コハクは井戸の入口のような縦穴の縁へ歩き、手招きした。

 

「地下にあるくらいでなんで使われなくなったんだ?」

 

カリンが訝しみながら身を乗り出す。

 

「下をのぞいてみてください」

 

「どれどれ…うわ! たっか!」

 

その声は小屋中に響き、全員が思わず笑ってしまうほど素直な驚きだった。カリンの反応にコハクが満足そうに頷く。

 

「でしょう?」

 

ネルも覗き込んで、思わず息をのむ。

 

「ほんとだ。下が見えねぇくらい高え。これは使われないのも納得だな」

 

「150メートルあります」

 

コハクの説明は淡々としているが、数字の重さは洒落にならない。アカネがやや真面目な顔で分析を始めた。

 

「150メートルですか。ミレニアムタワーに匹敵する高さですね。地下鉄や電線等を避けようとした結果、この深さになったのでしょうか」

 

「そう聞いています。これを作った当時はミレニアムはそこまで大きい学校ではなく、生徒を集めるための“学校の強み”として建設されたんですって。ですが、学校が発展するにつれ新しい施設が増え、アクセスの悪いここは次第に使われなくなったそうです」

 

ネルが腕を組み、穴の底を見ながら言った。

 

「なるほどな。地下深くで壁や天井は頑丈、おまけに人も来ない。研究室には最適ってわけか」

 

「そうなんですよー。ほんとにいい物件です」

 

コハクは、まるで新居を紹介する不動産屋のような調子で嬉しそうに笑う。

 

ネルが階段の手すりを軽く叩き、気合を入れたように言った。

 

「そんじゃあ、その物件を掃除するためにも、降りるとするか」

 

「そうですね。降りましょうか」

 

階段は縦穴に沿って渦を描くように深く続いている。上から見下ろせば無限に続く螺旋のようで、下から見上げればただただ暗闇が立ちこめている。

 

「これは降りるだけでも大変だな」

 

カリンが肩をすくめる。

 

「なんか、こういうとこってワクワクするね」

 

アスナは子どものように目を輝かせていた。アカネはそんな二人を見て、柔らかく釘を刺す。

 

「皆さん、足元には注意してくださいね。道具も多いですし」

 

ーーーーーー

 

階段を降りる私たちの足音が、金属製の踏板に反響して、カン、カン、と規則正しく鳴り響く。

 

螺旋状に続く階段は視界の中でずっと同じ角度で曲がり続け、壁の材質も色も変わらない。荷物を抱えて降りているというのに、誰一人として息を切らす様子すらない。とはいえ、キヴォトスの生徒でも、この長さは肉体より精神がやられていく。

 

ネルが、苦笑しながらも呆れた声を漏らした。

 

「わかっちゃいたが……なげぇな。時間感覚が狂いそうだ」

 

彼の言う通り、いけどもいけども景色は変わらず、前回来た時も自分が同じ階段を何度もぐるぐる回っている錯覚に襲われたほどだ。

 

アカネは階段の手すりに軽く手を添えながら言う。

 

「まだそれほど経ってないはずなんですけど、なんだかずいぶん降りたように感じますね」

 

「ずっと同じ景色なのでゲシュタルト崩壊が起こってるんじゃないですかね」

 

とコハクが淡々とした声で返すが、その顔にも歩き疲れではない種類の疲れがほんの少し浮かんでいる。

 

人数が多い分、会話が途切れないだけマシだが、黙って降りていたら、精神に変な負荷がかかりそうだった。

 

カリンが前を見ながら呟く。

 

「景色だけじゃなくて階段を降りる音も一定だから、余計に変になりそうだな。リズムがずっと同じだ」

 

「みんなしっかりして、もうすぐ下につきそうだよ」

 

アスナが明るい声を出す。その声に引っ張られるように、私たちはもう一度下を覗き込んだ。

 

確かに、遥か下に床らしき板のようなものが見え始めている。ようやく、終わりが見えた。

荷物を持っているせいで前回以上に長く感じたが、どうやら無事に全員で降りられそうだ。

 

そしてついに階段は終わり、私たちは巨大な扉の前の空間に降り立つ。条件反射のように、全員が道具と制服を整え始めた。階段を降りている間にズレてしまった肩紐や、ぶつかって傾いた工具箱、腰のホルダーの位置など、それぞれが静かに整えていく。息が上がっている者はいないが、長距離を移動したという実感だけはあった。

 

「よし、じゃあ体力も戻ったでしょうし、扉開けますね」

 

コハクが言い、重い扉に手をかける。きしむような低い音が広い空間に響き、そして――扉がゆっくりと開いた。

 

ネルが最初に息を呑んだ。

 

「こりゃあ……思った以上に広くねえか」

 

扉の向こうは、巨大な空間だった。地上の練習場ではありえないほどの横幅と奥行き。野球場ほどと言われた広さは、わかっていたつもりでも実際に目にすると圧巻だ。

 

だが、同時に――放置されてきた年月が、はっきりと見て取れた。

 

カリンが腕を組みながら呟く。

 

「埃もすごいな……我々に依頼するわけだ」

 

アスナは壁を見ながら、目を丸くする。

 

「壁の汚れすごいねー。これ、いつから放置されてたの?」

 

アカネは淡々と分析を始める。

 

「戦闘演習場だったこともあって、煤や火薬の痕、摩耗による金属粉が壁に焼きついたままになっていますね。今日中に終わるんでしょうか」

 

コハクは苦笑しつつ、肩をすくめた。

 

「別に今日中に終わらせる必要はないですよ。まだ設備も揃ってませんし、しばらくはここを使わないつもりですし」

 

ネルが、モップを肩に担ぎ直しながら言った。

 

「とは言ってもな、あたしたちにも仕事はある。できるだけ早く終わらせるぞ」

 

――そして、いよいよ掃除が始まった。

 

広すぎる。ただそれだけで心が折れそうになる。

 

最初の一歩を踏み出した瞬間、靴裏がモコッと沈むほどの埃が広がり、乾いた粉が殺風景空間に白く舞った。

 

足跡がまっすぐに伸びるたび、その汚れの量がよくわかる。

 

アスナはモップを引きずりながら、思わず声を上げた。

 

「一回拭いただけで……モップが真っ黒になるよ!?」

 

カリンは壁用ブラシを取り出し、壁に押し当てる。ギギギ、と金属が擦れるような音がして、灰色の汚れが何層にも剥がれ落ちた。

 

「これ、掃除っていうか……発掘作業じゃないか?」

 

アカネは静かに頷きながら、スプレー洗浄液を吹きかけ、化学反応の泡がゆっくり汚れを溶かしていくのを確認している。

 

「煤と油分が固着していますね……この種類の汚れは水拭きだけだと厳しいです。中和剤を使って、こっちのブラシで――」

 

説明しながら彼女は、極めて効率的に壁を磨いていく。

 

ネルは床担当で、巨大なワックスモップを豪快に動かしていた。

 

「よし、縦に一列終わったら横いくぞ。アスナ、そっちサボんじゃねえ!」

 

「サボってないってば! ただ……広いなぁって思っただけ!」

 

コハクは床に手をつき、細かな溝や古い設備の跡を一つ一つ確認している。

 

「やっぱり設備が撤去された跡がそのままですね。凹んでるところは泥埃がたまってるから、ブラシが必要です」

 

私はモップを動かしながら、果てしない空間を見渡した。見渡す限りの空白。何もない広大な床を、ただ黙々と拭く。

 

どれだけ進んでも終わらない作業は、まるで永遠に続くような錯覚すら与える。

 

しかし、不思議と苦痛ではなかった。みんなが同じ空間で、同じ動きをして、同じ目的に向かっている。足音、モップの音、ブラシがこすれる音、それらすべてが、単調だけどリズムを刻んでいた。

 

それが妙に心地よくて、

 

「この空間が、だんだん自分の居場所になっていくんじゃないか」

 

そんな錯覚すら湧いてきた。

 

――だが、現実は容赦ない。

 

広さが広さだから、やってもやっても終わる気がしない。何度もモップを洗い、バケツの水を替え、ブラシの毛が摩耗しては新品に交換し、また壁に取りかかる。

 

少し進むたびに、また新たな汚れが見つかる。視線を上げれば、天井の20メートルの高さに、まだ何も手をつけられていない影が広がっていた。

 

「……これ、本当に終わるのか?」

 

心が折れそうになる感覚が、胸の奥でかすかに軋んだ。

 

しかし、誰も弱音を吐かずに掃除を続けていた。その光景が、不思議と背中を押してくれる。

 

私たちは、ただ黙々と、終わりの見えない巨大な空間を磨き続けた。広い、何もない空間が、少しずつ――人の手の入った“場所”になっていく。

 

その変化が、なんだかたまらなく嬉しかった。

 

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