意識が浮上した瞬間、まず最初に脳裏をよぎったのは光ではなく“違和感”だった。
ぼんやりと開いた視界に映り込んだのは、見慣れない白――いや、白だったものが、時の経過で黄ばんだ色になりかけた天井。
「知らない……天井だ……」
我ながらとんでもなくテンプレな台詞だと苦笑しそうになった。アニメや漫画でしか存在しないと思っていた言葉。だが今、自分の口から現実に漏れた。
「まさか実際に言う日が来るなんてな……」
自嘲した瞬間、すぐ隣から人の息遣いが聞こえてきた。
「うへー、そんなベタなセリフ最近じゃあんまり聞かないよねー」
ひょいと視線を横にやると、小鳥遊ホシノが椅子に座っていた。椅子の背もたれにだらしなく寄りかかっているけれど、その表情には安堵の色が濃い。
焦げ跡を残した制服、ところどころチリチリになった髪の毛――戦闘の痕跡を誤魔化す気配すらない。
「でもまあ、そんなセリフ出るくらいなら意識は問題なさそうだねー。相当な爆発だったんだけど、頑丈なんだねー。……私でもあれは結構効きそうなんだけど。君、タンクの才能あるかもねー」
口調こそ軽いが、瞳には本物の驚きが宿っている。
――つまり、このボロボロの私を運んだのはホシノなのだろう。
「私の装備は……ちゃんと粉々になりましたか?」
まずそれだけ確認しておかなければならなかった。
「粉々に……って、もしかしてそれ目的で自爆したの!?」
「そうですよ。あの装備、依頼主からの支給品ですから。証拠になるんです」
カイザーに辿り着かれたら困る。そう判断して、データ送信を済ませてから自爆した。自分の命より、契約を守るほうが優先順位として高いのだ。
ホシノは唇をきゅっと結んだ。
「そこまでして依頼主を隠すんだね……」
その声音には、怒りでも非難でもなく、淡い悲哀が滲んでいた。
「とりあえず、目が覚めたことみんなに伝えてくるから……逃げないでよ」
「逃げませんよ」
ホシノは椅子から立ち上がり、医務室の古いドアを開けて出ていった。
――さて、状況把握をする。
ここは恐らくアビドスの医務室。ただし、通常の医務室と呼ぶにはあまりにも設備が貧弱だ。
ベッドはわずか三台、どれも金属フレームが錆びてきしみ、布団は黄ばみと黒い染みが散っている。薬棚はガラガラで、残っている瓶はラベルが剥がれたアイボリー色の薬瓶のみ。
壁はひび割れ、配線がむき出しの箇所すらある。
窓からは砂埃の匂いが吹き込んでくる。高さはざっと見積もって四階ほど。
――飛び降りれば逃げられる高さだ。覚悟はいるが不可能ではない。
一応、時刻を確認。壁の時計は、針がぎこちなく震えながらも、昼過ぎを指している。爆発から四時間ほど眠っていたらしい。
次に自分の身体を見る。
身に付けているのは、薄すぎる病院服――いや、むしろレントゲン用の紙のエプロンに近い。下着はない。ほぼ裸エプロン状態。サイズも合っていないので、体を起こすだけでずり落ちそうだ。
もし脱走したら、市街地をほぼ全裸で走り回る羽目になる。
……それは嫌だ。
そう考えていると、ドアが再び開いた。
ホシノの後ろに、アビドスの生徒たちが続々入って来る。
「おお、ちゃんと逃げずに待ってたね。えらいえらい」
ホシノが近づいてくる。
「自爆した時はどうしようかと思いましたが、意識が戻ったんですね」
十六夜ノノミ。柔らかな笑み。あまりにも優しくて、こちらが罪悪感さえ覚えるほどだ。
「服はそれしかなかった。我慢して」
砂狼シロコ。簡潔な言葉。感情の色が見えにくいけれど、分析の目だ。
「本当に傷が全部治ってる……」
黒見セリカ。驚愕と好奇心が混ざった表情で私を見つめる。
「さっきも思ったんですけど、すごく小さいですよね……」
奥空アヤネ。柔らかい声で呟きながら、私の容体を観察する。
これで全員揃った。
「まず聞きたいのですが、なぜ私をベッドに寝かせているんです?拘束すべきですよね?」
これが一番の疑問だ。敵であり襲撃者であるはずなのに、自由に身動きできる状態になっている。
「いやーそれはね……事情があるって言ってたでしょ?だから強引に拘束する気は最初からなかったんだよね」
ホシノ。
「私を励ましてくれた時の目は、嘘でも騙しでもないと思った。だから、悪い子じゃないって思ったんだけど……」
セリカ。
「悪意は感じなかった」
シロコ。
「勝てないって分かってるのに立ち塞がって、ヘルメット団の逃げる時間を稼いだ。その姿が好感持てたので、一旦信じてみたんですよ」
ノノミ。
「私は……運んできた時、あなたが血だらけで服も装備も消し飛んでて、ボロボロだった。そんな子を拘束なんてできませんでした」
アヤネ。
――想像以上にひどい状態だったらしい。意識がなかったから分からなかった。
「……私、どんな状態で運び込まれたんですか?」
恐る恐る聞く。
「相当やばかったよ。体中から血が出てたし、爆弾や装備の破片が体に刺さってたし、顔もわけわかんないことになってたし」
ホシノ。
「うわぁ……」
知らなかった。
「正直、長くないんじゃないかと思ったけど、すぐ血は止まるし、顔も戻るし、傷も二十分くらいで塞がるし。……それはそれでわけわかんないけどね」
「運んでる時にも血がドバドバでしたし」
ノノミ。
「でもしばらくしたら血が全部なくなってた。どうやったの?」
セリカ。
「体質なんです。傷はすぐ塞がるし、血は一定時間で消えます」
「体質ってレベルじゃないでしょ。あんな傷が治るなんて普通じゃないわよ」
「普通じゃない部分なんて、誰にでもあるもんですよ。人間みんな、何かしらの事情は持ってるもんです」
「その事情、話せる?」
ホシノが真剣な目で問う。
「前も言いましたが、無理です」
「そっか……残念」
当然、これで釈放されるわけではない。
「えーと……それ以外は何が話せる?」
「趣味とか。それ以外は無理ですね。依頼主、こちらの事情、襲撃の理由、チンピラのことは話せません」
「何も聞けないって言ってるのと同じじゃない」
セリカが近づいてくる。
「私は納得できない。せめて襲撃の理由だけでも答えて」
困るが――言わざるを得ない。嘘はバレる。なら、責任を押し付けるしかない。
「特定されない範囲なら話せます。私はとある“契約”をしています」
「契約?」
「互いの条件を絶対化するものです。破れば罰が下る。代わりに契約内容は絶対的な効力を持つ」
嘘ではない。ただ、理解させる方向が違うだけ。
「契約条件に命令権があります。今回の襲撃はその命令権によるものです」
「つまり、強制されたってこと?」
「そういうことです」
「解除できないの?」
「双方が納得しない限り不可能です」
「そっか……」
ホシノの空気が変わった。静かな怒りが満ちていく。
「納得はできない。でも理解はした。あなたはやりたくなかったけど、命令されたから仕方なくやった。そういうことね」
セリカ。
「随分優しいんですね」
「私からも聞きたい」
シロコが銃を上げる。
「名前、所属学校、所属組織を聞きたい」
「わかりました。名前は真田利コハク。所属学校はミレニアムサイエンススクール一年」
「所属組織は?」
言いにくい。
「……所属してません」
「言って」
銃口が迫る。
ホシノが止めに入る。
「ちょっとシロコちゃん。所属してないって言ってるんだから」
「さっきアヤネに頼んで調べた。名前も学校も出た。でも所属に“あり”とだけ出て組織名がない。どういうこと?」
やはり調べていたか。
「すでに調べてましたか」
「嘘つくのは困るよ」
「言います。ただ一つ先に言わせてください」
「?」
「その組織は私一人だけです。活動はほぼありません。契約とは関係ありません」
「分かった」
「所属組織は――神秘研究会です」
言った瞬間、ホシノが固まった。
「それって……神秘を研究してるってことで合ってるよね……?」
「はい」
「個人で?」
「そうです」
「……そう」
ホシノは少し動揺がみて取れる。どこか不安げな表情をしていた。
「神秘……神秘属性とかヘイローとかで合ってますか?」
ノノミ。
「そうです」
「じゃあなんでホシノ先輩はこんな顔を?」
セリカ。
「本人が話してないなら言えません」
「答えて」
銃口が更に近づく。ほほに触れる位置だ。
「これは、小鳥遊ホシノ本人の口から聞くことです」
沈黙。空気がねばつく。時間が止まった。
「ねえ」
ホシノが低い声で言った。
「ちょっと向こうで話せるかな?」
その瞳には、先ほどまであったおっとりした雰囲気はなかった。
逃れられない、真実を求める者の眼。