アビドスの体育館裏、砂埃をかぶった壁、ひび割れたコンクリート、風に揺れる乾いた雑草。
小鳥遊ホシノがその場所に立っていた。
俯いて、肩を落とし、彼女らしからぬ沈黙。その背から漂う「いつもの軽さとは違うもの」に、アビドスの生徒たちは本能的に察して、誰も後を追わなかった。
距離を取っていたホシノに、数歩近づいて声をかける。
「ついてきましたけど…話したいことってなんです?」
口調はできるだけ普通にしたつもりだが、空気の重さは誤魔化せない。
彼女が何を言うかは、ある程度想像はついていた。
ホシノはしばらく黙っていた。
風が制服の裾を揺らし、砂漠から吹いた熱が少し肌に当たる。
「神秘の研究…」
ようやく口が開く。
「それは、あいつと同じ研究をしてるってことなのかな」
俯いているせいで、表情は見えない。
だが唇の形から、苦味のある感情が読める気がした。
「あいつ…黒服さんのことを言っているなら、そうです。神秘を研究し、探求し、解明する研究です」
こちらも、真正面から嘘を吐くつもりはない。
目を逸らしたら嘘に見える。だから視線は正面を貫いた。
「そう…」
ホシノは呼吸を整えるように、短く息を吸い込む。
「それは、黒服に言われてやってるの?それとも君の意思?」
「私の意思です。元々、個人で神秘の研究をしていました。そしたらある時、黒服さんから声をかけてきたんです。『あなたの研究の助けとなりたい』って」
本当は言葉の選び方は違ったが、意味としては嘘ではない。
「…対価は何?あいつはただではそんなことしないでしょ」
ホシノは顔を上げた。
瞳の奥に、警戒と、焦燥と、なにかしらの痛み。
自分が誰かに利用されることを、何よりも嫌う性格だ。
「そうですね。対価はあります。ですが、答えることはできません」
静かに、だがはっきりと。
「なんで」
「だって、言ったら多分、私を放っておかないじゃないですか」
一歩踏み込んでくる彼女を、必死に足止めしている感覚。
「そうだね。」
ホシノは苦笑するように息を吐いた。
「君がどんな対価を求められてるかわからないけど、多分私は助けようとする。でもそれは、君にとっては迷惑なんだね」
「迷惑…ではありませんよ。でも、あんまり関わってほしくないです。多分、ろくなことにならないので」
「心配してくれてるんだ」
「一応、勘違いとはいえ2回も慰めてもらってるので」
「ああ…」
短い沈黙。
風が足元の砂をさらい、カラカラとどこかへ転がしていった。
「それに、あなたのあり方は結構好きですよ」
それは本心だった。
ホシノの「青春」への傾倒は、私には羨ましく、敬意を抱けるものだ。
「ありがとうね。でも、私も君のこと結構好きだな。セリカちゃん励ましてくれたし、優しいし、だから君が辛そうなら助けになりたいんだ」
その言葉に胸が締め付けられる。
「それはありがとうございます。でも、だとしても言いません。これは、私の秘密にも関係しているので」
秘密。
それは、傷の治りが早いどころでは済まない。
深く掘られれば、すべてが崩れる。
「秘密…ね。まだ私は信用できないかな」
「そうではないですけど…」
信用という問題じゃない。
ホシノの性格だ。
知れば必ず止めに入る。
彼女はまた息を吐いた。
「小鳥遊ホシノさん」
「何かな?改まって」
私は一歩、距離を開けた。
風の音が耳の奥で鳴る。
「私を助けようとしてくれるのは、すごく嬉しいんですけど…私には私の事情があるので、ここらで失礼したいんですよね」
「…シロコちゃんたちにも説明しないと」
「言えるわけないじゃないですか。あの人達まで巻き込んだら、いよいよ私を助けるモードになるでしょあなた」
ホシノは目を伏せ、顔をしかめた。
「そうかもね」
「なのでダメです。これ以上私を助けようとしないでください」
「そんな言い方されちゃうと…ねえ?」
ホシノの声には、ほんの少し涙の気配が混ざっていた。
「何度も言っていますが、これは私の問題です。あなたたちは自分たちの問題を優先してください」
「こうやって関わっちゃったんだからそれは難しいねー」
もうだめだ。
この人はきっと私を止める。どう転んでも。
だから、私は――
すぐそばに落ちていた釘を拾い上げた。
胸が冷たい汗で湿る。
「動かないで下さい」
「…何をするつもりかな?そんな釘で私をどうにかするつもり?」
「いいえ、あなたに釘はそもそも刺さらないでしょうからそれはないです。けど、私には刺さると思いませんか?」
ホシノの表情が凍る。
その瞬間だけ、体育館裏は声すら失った。
「どう言うこと」
「私はそろそろ失礼します。追ってくるならこの釘を頭に打ち込みます」
「自分を人質にするのか、これはまいったね…」
ホシノは頭を掻く。
「けどその服で逃げられるの?多分途中で脱げるよ」
「確かに、サイズが合ってませんからね。けど、全裸くらいなんてことないです」
笑って言うしかなかった。
乙女心?そんなもの、今は捨てるべきだった。
「では、さようなら。できればもう会いたくないですね」
一瞬、ホシノは腕を伸ばした。
掴もうとした指先は、空を切る。
私は逃走を開始した。
砂漠の乾いた地面に、足音が吸い込まれるように響く。
体育館裏を離れると、アビドスらしい熱気が戻ってきた。
だれもいない砂漠地帯を疾走する。
途中で服は破け、諦めて脱いだ。
全裸で砂漠を走る姿は滑稽かもしれないが、生き延びられるなら安いもの。
適当な空き地で拾った服を着て、息を整え、そして私は家へ帰った。
途中で通ったオフィス街――
二度見された。
そりゃそうだ。誰だって驚く。
けれど、あの場所から離れることができた。
それだけが救いだった。
ビルのエレベーターの扉が、無機質な音を立てて閉まった。
降りた瞬間、冷たい空調の風が汗ばんだ背中を撫でる。
一階から続く静寂は、まるで人の気配を忘れた眠りのようで、夜の都会ならではの孤独を思わせた。
自宅のドアに指をかざし、重い扉が開く。
「おや、これはお早いお帰りで…どうしたんですか、その格好」
黒服さんの声が、奥の部屋から軽やかに飛んできた。
彼は書類の束を片手に、タブレットを操作していたらしい。仕事中の顔――表情は淡々、眼差しは鋭い。
「カイザー理事の任務で色々ありましてね。詳しくは後で説明します。先にシャワー浴びてきますね」
自分の服装がまともではない事実を突きつけられる前に、逃げるように言った。
黒服さんは眉をひそめたが、問い詰めはしなかった。
バスルームに入り、シャワーの蛇口をひねる。
熱い湯が身体に降り注ぎ、肩の緊張をほぐしていく。
砂漠の砂、汗、血の匂い――それらを全部洗い流せるような気がした。
体を拭きながら、思わずため息を吐く。
そこでようやく思い出した。
――あ、C&Cに連絡してない。
急いでモモトークを開く。
画面に打ち込む指が微かに震えていた。焦りだけでなく、今日の出来事を振り返る疲労も混ざって。
────────
《掃除には遅れますとお伝えしていましたが、急遽行くことが出来なくなりました。把握のほどよろしくお願いします》
《わかった。アタシらでやっとくよ。元々お前が手伝うことじゃねえんだ。気にすんな》
《ありがとうございます》
────────
送信して、胸の奥の重石が少し動いた気がした。
よし、と短く呟く。
「シャワー終わりましたー」
バスタオルで頭を拭きながら、リビングへ向かう。
床の冷たさが足の裏に伝わり、現実に戻ってきた感覚がした。
黒服さんは仕事を中断し、椅子をくるりとこちらに向けた。
「では、何があったかをお聞きしますね」
その目は決して厳しくはない。
ただ、真実を求める目だ。
「朝方に小鳥遊ホシノの戦闘データが送られてきたので見てみたら、ほとんどデータが取れてませんでしたが…あれはどうしてですか?」
「それはですね。向こうがほとんど戦闘に応じなかったからですね」
「どういうことです?」
黒服さんは腕を組み、姿勢を少し前に倒す。
私の言葉を逃すまいとする態度。
「接敵して30秒くらいで、向こうが戦闘をやめまして。どういうわけかこちらの正体に気づきかけてたみたいなんです」
「…続けてください」
短い言葉だが、重みがあった。
私は、椅子の背に寄りかかりながら話を続ける。
「そっからすぐに、別動隊から作戦中止の煙が上がったんですが、その時にはもう逃げれそうもなく、追加で二人の生徒も合流してきたので、いよいよ逃げれないなと思い、別働隊が逃げるための時間稼ぎを行おうとしたんです。そしたら、小鳥遊ホシノが、『私たち初対面じゃないよね?』って言い出して」
黒服さんの眉がぴくりと動いた。
驚きでもあり、興味でもある。
「ほう。ちなみに、それがわかる要素は何かあったんですか?」
「いいえ。服も、声も、口調も、武器も、ヘイローすら偽装してたんですよ?なのに向こうは、何か違和感があったらしいです」
「小鳥遊ホシノの能力に関係あるかもしれませんね。そのあとは?」
「動揺したことで正体がバレたので、装備とかでカイザーまでたどられないよう、自爆しました」
黒服さんはため息と共に微笑む。
「あなたらしいですね」
「そしたら、アビドスの校舎に運び込まれて、色々聞かれました」
「何を答えましたか?」
「アビドス全員に答えたのは、カイザー理事との契約の一部、命令権について。私の名前、学校、所属組織ですね」
「所属組織…神秘研究会ですか。なら、小鳥遊ホシノは反応したはずですが」
椅子の軋む音が小さく響いた。
「二人での話し合いをしました。流石に嘘言ったらやばそうだったんで、私たちが協力していること、対価を支払ってることを言いました。その際、できるだけ私が黒服さんにいいように使われてるような言い方をしました。あと、カイザー理事の契約も黒服さんとしてる契約みたいに言っときました」
「小鳥遊ホシノの反応は?」
「ほっとけないから助けるって感じでした。説得しようとはしたんですが、無理だったので、私自身を人質に逃げてきました」
黒服さんは、頷きながらコーヒーカップを口元に運ぶ。
一口飲んで、そのままゆっくり置いた。
「なるほど、そういうことでしたか…ちなみに、帰ってきた時のあんな格好だったのは?」
聞かれると思っていた。
私は深いため息を吐く。
「自爆した時、服も吹き飛んで、着せられたのがブッカブカの病院服だったんですよ。そんなの、もちろん逃げてる時に脱げるじゃないですか。だから、そこら辺の空き地で適当な服拾って着てたんですよ」
黒服さんは少しだけ肩を震わせる。笑っている。
「それは…災難でしたね」
「ほんとに、今までで一番やばかったです」
「まあ、それで済んだだけよかったと捉えるべきでしょう。カイザー理事には私から報告しときますから、今日はもう休んでは?」
「いえ、差額分をカイザーに持っていかないといけないので、ちょっと行ってきますよ」
「わかりました」
私は立ち上がり、ケースからコンタクトを取り出した。
瞳に装着し、深呼吸する。
このコンタクトをつけると、日常から任務へと切り替わる感じがある。
荷物をまとめ、扉へ向かう。
夜風は冷たい。
都市の光は遠くにぼやけて見える。
アビドスの砂漠とは違う、人工の匂い。
報告のため、再び私は夜の街へ踏み出した。
アビドス編描くの疲れた…