「……え?」
思わず、間の抜けた声が喉からこぼれ落ちた。
仕方がないだろう。
ついさっきまで、目の前で銃を構えていたチンピラたちは、次の瞬間には衝撃音とともに吹き飛ばされ、地面に転がっていたのだ。
そして、その中心に――まるで最初からそこに立っていたかのような自然さで、空崎ヒナが立っていた。
理解が追いつかなくて当然だった。
「……これは……運が悪いな」
思わず、そんな独り言が漏れる。
せっかく時間をかけて焚き付けたチンピラたちは、全員まとめて失神。
呼吸はあるし、致命傷ではないが、戦闘訓練どころではない状態だ。
――これじゃあ、戦えない。
風紀委員に見つかる可能性があることは、もちろん想定していた。
だが、来るとしても下っ端の委員か、巡回中の数人程度だろうと思っていたのだ。
まさか――空崎ヒナ本人が来るとは。
彼女は、倒れたチンピラたちを一瞥すると、慣れた手つきで拘束具を取り出し、淡々と、しかし無駄のない動きで縛り上げていく。
その動作には一切の躊躇も感情もなく、まるで「業務」の延長のようだった。
その様子を、私はぼんやりと眺めていた。
「あなた、怪我はない?」
縛り終えると、ヒナは私の方を振り向き、そう声をかけてきた。
その声は落ち着いていて、普段通りの冷静さを保っている。
「ええ、特に痛いところは――」
そう答えかけた、その瞬間。
「……え……?」
ヒナの視線が、私の体に向けられた途端、はっきりと変わった。
眉が寄り、瞳がわずかに揺れ、表情から血の気が引いていくのが分かる。
「その怪我……! だめ、すぐに救急医学部を呼ぶわ!」
「え?」
理解する間もなく、ヒナは端末を取り出し、慌てた様子で通信を開始していた。
「こちら風紀委員長。重傷者一名、出血多量。場所は――」
私はしばらく、呆然とその様子を見つめていたが、やがて自分の体に視線を落として、ようやく理由を理解した。
――ああ、そういうことか。
今の私は、血だらけだった。
怪我そのものはとっくに再生し、痛みも残っていない。
だが、治る前に流れ出た血が、制服や地面を赤く染めている。
知らない人が見れば、どう見ても大怪我だ。
むしろ、よく意識を保っているな、と思われるレベルだろう。
「あの、私は――」
説明しようと口を開いた瞬間、
「喋らないで!」
ヒナの声が、いつになく強い調子で響いた。
「横になって! 無理に動かないで、おとなしくしてて!」
……ええ……?
「大丈夫、すぐに救急医学部が到着するわ! それまでどうにか意識を保って!」
そんなに……?
私、今どれだけの瀕死状態に見えているんだ。
「私の体……どうなってるんですか?」
半ば呆然としたまま、そう聞いてみる。
「大丈夫、大丈夫だから」
ヒナはそう言って、私の手をぎゅっと握ってきた。
その手は少しだけ冷たく、そして、わずかに震えている。
――ああ、これは。
どうやら私は、「今にも死にそうな被害者」に見えているらしい。
これは……何を言っても、聞いてくれなさそうだな。
この雰囲気、どこかで感じたことがある。
そうだ。小鳥遊ホシノだ。
初めて会った時の、あの過剰なまでの保護者ムーブに、少し似ている。
そんなことを考えているうちに、遠くからサイレンのような音が近づいてきた。
三十秒も経たないうちに、救急車に似た白い車両が路地に滑り込み、救急医学部の人員が次々と降りてくる。
「重傷者はこちらですね!」
「意識あり、出血量多量!」
「担架持ってきて!」
あっという間に囲まれ、私は担架に乗せられようとしていた。
――これは……怪我がないとバレたら、めんどくさいな。
そんな現実的な考えが、ふと頭をよぎる。
治療中に「傷がない」ことに気づかれたら、説明が面倒だ。
下手をすれば、能力の詳細に踏み込まれる可能性もある。
それは、できれば避けたい。
私は一瞬だけ迷ってから、決断した。
担架に乗せられる直前、痛む場所を押さえる“ふり”をしながら、指先に力を集中させる。
皮膚に、ほんの小さな穴を開ける。
じわり、と新しい血が滲み出た。
側から見れば、無理に動いたことで出血が悪化したように見えただろう。
「出血増えてる!」
「急いで! 車に!」
案の定、現場は一気に慌ただしくなり、私はそのまま救急車に運び込まれた。
扉が閉まり、エンジン音が高鳴る。
車両は猛スピードで走り出し、体が大きく揺さぶられる。
天井を見つめながら、私は小さく息を吐いた。
――ちょっと、やりすぎたかもしれないな。
胸の奥に、ほんの少しだけ、罪悪感が芽生える。
風紀委員長を本気で心配させ、救急医学部まで巻き込んでしまった。
だが同時に、どこか冷静な自分が「まあ、仕方ない」と結論づけてもいた。
救急車の揺れに身を任せながら、私は目を閉じる。
今日の訓練は、完全に失敗だ。
――だが、思いがけない出会いと、厄介な展開を引き当ててしまった。
そんな予感だけが、やけに鮮明に胸に残っていた。
⸻
ホシノ視点6
シロコちゃんたちに側面の集団を任せ、私は校門の内側でひとり立っていた。
砂に覆われた地面の向こう、歪んだ鉄骨と古びた門扉の先には、まだ敵の姿は見えない。乾いた風が吹き抜けるたび、錆びた校門がかすかに軋む音を立てる。
これといって、焦りはなかった。
心臓の鼓動も、普段と大して変わらない。
――チンピラも、少しは頭を使うようになったんだな。
そんな程度の感想だった。
正面から一人だけ来るという不自然さも、囮だろう、とどこか楽観的に考えていた。こちらを引きつけて、頃合いを見て引く。あるいは逃げる。いつものパターンだと思っていた。
バズーカが撃ち込まれる、その瞬間まで。
それは、あまりにも唐突だった。
警告もなく、前触れもなく、校門の正面から放たれた一撃。
轟音が空気を引き裂き、次の瞬間、衝撃が地面を揺らした。
「――っ!」
構える暇すらなかった。
爆風が校門を叩き、鉄と砂とコンクリートの破片が舞い上がる。
視界は一瞬で灰色に染まり、何も見えなくなる。
耳鳴りがする。
粉塵が喉を刺し、息を吸うたびにざらついた空気が肺に流れ込む。
私は反射的に体勢を低くし、警戒態勢を取った。
姿は見えない。だが、敵がいることだけははっきりしている。
しばらくして、ゆっくりと煙が流れ始めた。
砂埃の向こう、崩れかけた校門の正面から、声が響く。
「アビドスよ! 貴様らの学校、我々の新拠点として貰い受ける! 抵抗なく立ち去れ!」
いかにもな口上だった。
大仰で、芝居がかっているような声。
「うへー……また来たのー?」
思わず、ため息まじりに声が漏れる。
「いい加減にしてほしいなー。勝てないんだから、諦めて他を当たりなよー」
そうぼやきながら、私は一気に距離を詰めた。
砂を蹴り、最高速で接近する。煙の中を抜けると、敵の姿がはっきりと見えてきた。
「うちには優秀な新人ちゃんがいてさー。接近には事前に気づいてたんだよー」
言葉を投げながら、相手の様子を観察する。
「一人しかいなかったから、おかしいとは思ったけど……まさか本当に襲撃してくるとはねー」
本音を言えば、校門の一人は囮だと思っていた。
こちらを引きつけておいて、頃合いを見て退く――そんな動きだとばかり。
だが、目の前の相手は逃げる様子もなく、堂々と立っている。
「こちらの誘いに、わざわざ乗ってくれるとは……」
ヘルメットごしなはずなのに、相手が笑ったのがわかった気がした。
「随分と、後輩への信頼が厚いんだな」
その言葉に、私は思わず笑ってしまった。
「もちろんそうだともー。いいこと言ってくれるねーそうだねー。おじさんには勿体無いくらい、できた後輩だよー」
「……は?」
一瞬、相手が固まった。
「え? おじさん? なんで?」
あ、そこ驚くんだ。
内心でそう思いながら、私は肩をすくめる。
「おじさんは、おじさんだよー」
教えてあげる。
「お前……ストレスで頭が……」
「失礼だなー」
少しだけ不満を込めて返す。
「おじさんは、まともだよー」
相手はしばらく黙り込み、やがてやれやれと言いたげに頭を振った。
「……はあ。まあいい。一旦、納得したことにしておく」
「うへー……」
私は小さく息を吐く。
「おじさんは、戦いたくなんかないんだけどなー……」
本心だった。
できることなら、こんな面倒なやり取りは避けたい。
「戦わないのなら、アビドスはもらう」
即答だった。
迷いのない、はっきりとした言葉。
「それは困っちゃうなー」
私は肩をすくめる。
「仕方ないか」
そこでようやく、相手の姿をしっかりと見る余裕ができた。
……小さい。
思っていた以上に小柄だ。
私よりも一回りは小さい。
制服からして高校生のはずだが、本当にそうなのかと疑ってしまうほどだった。
まあ、今はいいか。
そう思った瞬間、頭の中のスイッチが切り替わる。
余計なことを考えるのをやめ、意識を一点に集中させる。
風が吹き、砂が舞う。
校門の影で、私は静かに構えた。
ここから先は、話し合いじゃ済まない。