ミレニアムの秘密の研究室   作:まったり愛好家

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第三十六話 2度目の遭遇 短編あり

 そのあと、部室ではいくつかの細かい話をした。

 

 明日は何時頃がいいか。

 連れてくる本人――いや、“その人”の体調は問題ないか。

 検査はどこまで許可できるか。

 侵襲的なものは避けるべきか。

 

 どれも慎重で、誠実で、そして真剣だった。

 

 感情制御アルゴリズム部の四人は、出会って間もない私の話を、まるで長年の仲間の相談事であるかのように扱ってくれた。

 好奇心だけではない。

 研究者としての責任感と、人としての配慮が、はっきりと伝わってくる。

 

「感情の検査装置と、医師の診察用の機材も準備しておくよ」

 

 レイはそう言って、指を折りながら確認してくれた。

 

「無理はさせない。あくまで観察が中心だ。

 必要なら、こちらから止める」

 

 ユリも頷く。

 

「数値化できる範囲だけで、無理に刺激は与えないっす」

 

 ミコトとサラも、それぞれ静かに同意を示した。

 

 ――ありがたい。

 

 心の底から、そう思った。

 

 気がつけば、窓の外は夕焼けに染まり始めていた。

 ミレニアムの高い建物の影が長く伸び、部室の床に斜めの線を描いている。

 

「今日はこの辺でお開きにしようか」

 

 レイがそう言ったとき、私は名残惜しさを感じている自分に気づいた。

 

「明日、必ず連れてきます」

 

 立ち上がり、頭を下げる。

 

「今日は本当に、ありがとうございました」

 

「こちらこそ」

 

 レイはにっと笑った。

 

「面白い研究になりそうだ」

 

 私は部室を後にした。

 

 廊下に出た瞬間、胸の奥がふわりと軽くなる。

 

 ――久しぶりだ。

 

 こんなふうに、純粋な期待だけで胸が満たされるのは。

 

 足取りは自然と軽くなり、気づけば小さく鼻歌まで出そうになっていた。

 明日。

 明日が来るのが、待ち遠しい。

 

 その上機嫌が、判断ミスを生んだ。

 

 帰り道。

 何の疑いもなく、私は駅へ向かい、そのまま電車に乗ってしまった。

 

 ミレニアムからアビドス方面へ向かう路線。

 その途中に――アビドス高校の最寄駅があることを、完全に失念していた。

 

 扉が閉まり、電車が走り出してから、ようやく違和感に気づく。

 

 ――あ。

 

 だが、その時にはもう遅かった。

 

 次の駅で、扉が開く。

 

 乗ってきたのは、見覚えのある顔だった。

 

「……え?」

 

 その少女は、こちらを見るなり目を見開いた。

 

「あ!」

 

 声を上げる。

 

「……あんた!」

 

 黒見セリカ。

 

 アビドス高校一年生。

 

 こちらも、反射的に息を呑んだ。

 

 まずい。

 

 頭の中で、警鐘が鳴る。

 

 最近は意図的にアビドスと距離を取っていた。

 電車を避け、バスを使っていたのも、そのためだ。

 

 それを、浮かれて忘れていた。

 

 ――完全に私のミスだ。

 

 車内の空気が、一瞬で張り詰める。

 

 周囲の乗客は事情を知らない。

 だが、当事者同士には十分すぎるほどの緊張が流れている。

 

 最悪の場合――撃ち合い。

 

 その可能性を、私は否定できなかった。

 

 アビドス襲撃。

 あれで、相当な恨みを買っているはずだ。

 

 前回会った時は、セリカがバイト中だった。

 だから事態は穏便に済んだ。

 

 だが、今は違う。

 

 私は視線を落とさず、さりげなく銃に手をかける。

 発砲する気はない。

 だが、警戒は怠れない。

 

 ところが。

 

 黒見セリカの様子が、おかしい。

 

 確かに、こちらを見ている。

 だが、その目にあるのは敵意ではなかった。

 

 怒りでも、憎しみでもない。

 

 ――困惑。

 

 どうしていいかわからない、そんな色だった。

 

 彼女は一歩踏み出しかけて、止まる。

 口を開きかけて、閉じる。

 

 ……なんだ?

 

 何を、そんなに迷っている?

 

 もしかして。

 

 脳裏に、ある可能性が浮かぶ。

 

 ――小鳥遊ホシノ。

 

 あの人から、何か聞かされているのか?

 

 だが、それが何なのかは、まったく想像がつかない。

 

 私自身、小鳥遊ホシノが私とカイザー理事の契約をどう受け止めているのか、正確にはわかっていない。

 話した。

 確かに話したはずだ。

 

 だが、どう伝わったのかは、別問題だ。

 

 セリカが混乱しているように、私もこの状況を把握しきれていなかった。

 

 このままでは、埒が開かない。

 

 私は、ゆっくりと口を開いた。

 

「……何もしないんですか?」

 

 できるだけ、棘を抜いた声音で。

 

 挑発でも、牽制でもない。

 純粋な問いかけだ。

 

 私は別に、アビドスに恨みがあるわけじゃない。

 カイザー理事の依頼で動いただけだ。

 

 できるなら、穏便に済ませたい。

 

 黒見セリカは、一瞬言葉に詰まった。

 

 視線が揺れ、拳を握りしめる。

 

 そして、少し間を置いてから、ぽつりと答えた。

 

「……えっと」

 

 声は小さい。

 

「ホシノ先輩から、大体の話は聞いたの」

 

 やはり。

 

「あなたが、なんでアビドスを襲撃したのかとか……いろいろ」

 

 電車の走行音が、やけに大きく感じられる。

 

「それでね」

 

 セリカは、一度言葉を切った。

 

 覚悟を決めるように、深呼吸する。

 

「私としては……あなたを責めるのは、違うと思うの」

 

 ――?

 

 予想外の言葉だった。

 

「……というと?」

 

 思わず、問い返してしまう。

 

 ますます、わからない。

 

 小鳥遊ホシノは、一体どう伝えた?

 

 私は確かに、自分が望んで契約したと言った。

 その結果、従う立場になったとも。

 

 襲撃そのものは私の意思じゃない。

 だが、襲撃に関わる原因を作ったのは、私だ。

 

 そう伝えたはずだ。

 

 なのに――

 

 セリカは、私を責めないと言った。

 

「私もよく騙されたり、詐欺に遭ったりするから言える」

 

 黒見セリカは、そう前置きしてから言葉を続けた。

 

「あなたは悪くないよ。

 騙されたほうが悪いなんて、騙す側の言い訳でしかないんだから」

 

 車内のアナウンスが、遠くで流れる。

 次の駅名を告げる声が、やけに現実感を伴って耳に届いた。

 

「絶対に、騙すほうが悪い。

 ……あなたは、私たちと同じで、被害者だと思う」

 

 ――なにを言っている。

 

 その言葉が、反射的に頭に浮かんだ。

 

 騙された側?

 被害者?

 

 どういうことだ。

 

 一瞬、理解が追いつかない。

 

 ……ああ。

 

 そういうことか。

 

 脳裏に、小鳥遊ホシノの顔が浮かぶ。

 あの、どこか眠たげで、それでいて人の本質を見抜くような目。

 

 あの人は、私が“騙されて契約した”と思っているのか。

 

 確かに私は、契約の話をした。

 被害者のようにも聞こえる言い方を、意図的に選んだ部分もある。

 

 だがそれは、同情を買うためじゃない。

 介入されないためだ。

 

 私が自分で選んだ結果であり、私の責任だと伝えたはずだった。

 ――少なくとも、私の中では。

 

 だが、伝わり方は、いつだって相手次第だ。

 

 どう解釈されたのかは、私には制御できない。

 

 結果として、私は「騙された可哀想な人」になっているらしい。

 

「あー……」

 

 言葉に詰まる。

 

 正直に否定すべきか。

 いや、それをしたところで、今さら何が変わる?

 

 黒見セリカは、真剣な顔でこちらを見ている。

 疑いも、計算もない。

 ただ、自分なりに考えて出した結論を、誠実に差し出してきている。

 

 ……めんどくさい。

 

 率直な感想が、それだった。

 

 私の計画では、アビドスの面々には、

 

 ――私は命令されて襲撃した。

 ――だが、そこに至った原因は私にもある。

 

 その程度の認識で止めておきたかった。

 

 同情も、正義感も、介入も不要だ。

 必要以上に情を向けられるのは、厄介でしかない。

 

 だが、もう遅い。

 

 この様子だと、黒見セリカだけじゃない。

 アビドスの五人全員が、似たような認識を持っている可能性が高い。

 

 廃校寸前でも学校に残り、復興を目指す生徒たち。

 優しさと行動力の塊だ。

 

 ――特に、小鳥遊ホシノ。

 

 あの人なら、「助ける」と決めたら、本当に助けに来る。

 

 それが、どれだけ面倒なことか。

 

 私としては、もうこれ以上アビドスと関わるつもりはない。

 関わる理由も、必要もない。

 

 ……だが、どうすればいい?

 

 考えがまとまらない。

 

 その間も、黒見セリカは私を見ている。

 

 じっと。

 逃げ場を塞ぐようでも、責めるようでもなく、ただ待つ目だ。

 

 多分、彼女は言いたいことを言い切ったのだ。

 だから次に何を話せばいいかわからない。

 

 それは、私も同じだった。

 

「……ありがとうございます」

 

 とりあえず、そう言った。

 

 感情を乗せず、丁寧に。

 彼女の善意だけは、無下にしたくなかった。

 

「気にかけてくれて、嬉しいです」

 

 嘘ではない。

 だが、本心とも少し違う。

 

 また、沈黙。

 

 電車の揺れと、レールを走る音だけが、二人の間を埋める。

 

 他の乗客はスマホを見たり、窓の外を眺めたりしている。

 この車両の中で、私たちだけが、奇妙に切り取られた空間にいるようだった。

 

 しばらくして、不意に黒見セリカが口を開いた。

 

「ねえ」

 

 声が、少しだけ柔らかい。

 

「あなたは……学校、楽しい?」

 

 予想外の質問だった。

 

 緊張も、警戒も、正義感もない。

 ただの、何でもない問い。

 

 だからこそ、少し戸惑う。

 

「学校……ですか?」

 

 一拍置いて、答える。

 

「今のところは、楽しんでますね。

 やりたかったことも、順調に進んでますし」

 

 研究のこと。

 神秘のこと。

 今日、感情制御アルゴリズム部で得た希望。

 

 それらを思い浮かべながら、自然に言葉が出た。

 

「そうなんだ」

 

 セリカは、ほっとしたように息を吐いた。

 

「……よかったね」

 

 それ以上は、何も言わない。

 

 また、沈黙が落ちる。

 

 互いに、相手のことをよく知らない。

 知ろうとするほどの距離でもない。

 

 そして、私としては、これ以上会話を重ねて、情を向けられるのは避けたい。

 

 だから、この沈黙は、むしろ都合がよかった。

 

 やがて、電車が減速する。

 

 アナウンスが、次の駅名を告げた。

 

 黒見セリカの降りる駅だ。

 

 彼女は、扉の前に立ち、少しだけ迷うようにこちらを振り返った。

 

 そして、電車が止まり、扉が開く直前。

 

 ほんの一瞬の間を置いて、言った。

 

「あなたが、私たちをどう思ってるかはわからない」

 

 真っ直ぐな視線。

 

「でも、私たちは……あなたを助けたいと思ってるから」

 

 一歩、外へ。

 

「何か困ったことがあったら、アビドスに来て」

 

 最後に、はっきりと。

 

「力になる」

 

 そう言って、黒見セリカはホームへ降りた。

 

 扉が閉まる。

 

 電車が再び走り出す。

 

 彼女の姿は、すぐに見えなくなった。

 

 私は、しばらくその場から動けなかった。

 

 話した回数は、今回を入れて三回。

 二回目に至っては、襲撃時だ。

 

 そんな相手に、あそこまで断言できるのか。

 

 ――底抜けに優しい。

 

 それに。

 

 ――底抜けに、騙されやすい。

 

 そう思った。

 

 だが、胸の奥に残った、わずかなざらつきは、

 電車がどれだけ走っても、消えてくれなかった。

 


ホシノ視点 9

 

 明らかな動揺だった。

 

 ほんの一瞬。

 呼吸が止まり、肩が跳ね、視線がわずかに揺れた。

 だが、それだけで十分だった。

 

 ――確信。

 

 私の中で、疑いは完全に形を失い、ひとつの答えへと収束していく。

 

 私はこの子を、知っている。

 

 どこで?

 いつ?

 なぜ、今まで気づかなかった?

 

 思考が高速で回転する。

 目の前の子から得られる情報を、必死に掻き集める。

 

 小柄な体格。

 そして――どこか、自分を切り捨てるような立ち振る舞い。

 

 記憶を遡る。

 

 いた。

 

 一人だけ、はっきりと思い当たる子が。

 

 最近、出会ったばかりの。

 小さくて、白い髪で、赤い目をした――あの子。

 

「……私さ」

 

 自然と、声が落ち着いた。

 

「君と、同じくらいの身長の子を一人、知ってるんだよね」

 

 もはや、問いではなかった。

 確認ですらない。

 

 私は、すでに確信したまま、話し始めていた。

 

 声も違う。

 持っている銃も違う。

 顔はヘルメットに隠れている。

 口調も、戦場用に作られた別人のものだ。

 

 ――それでも。

 

 一度「その子」だと認識してしまった瞬間、

 今まで感じていた違和感が、すべて既視感だったことに気づいた。

 

 初対面のはずなのに、懐かしさを覚える感覚。

 妙に気になる視線。

 放っておけないという直感。

 

 全部、最初から答えはそこにあったのだ。

 

「その子との初対面はね」

 

 私は、ゆっくりと言葉を選びながら続ける。

 

「アビドスのオフィス街だった。ビルの前で、虚な顔して降りてきたんだよ」

 

 瓦礫の向こうにいるその子は、動かない。

 だが、こちらを見ているのはわかる。

 

「目が合ってさ。……あれは、放っておけなかったな」

 

 思い出す。

 夕暮れの光。

 沈黙したビル。

 世界から切り離されたような、あの目。

 

「あの時、何かされたんじゃないかって心配して、声かけたんだ」

 

 私は、少しだけ笑った。

 

「体も細くてさ。制服はミレニアムで……高校生だってわかって、余計に胸が痛くなった」

 

 シロコちゃんの方を見ると、完全に困惑した表情をしている。

 何が起きているのか、まったく理解できていない顔だ。

 

 それでも、私は止まらない。

 

「次に会ったのは、アビドス行きの電車の中」

 

 砂の匂いと、鉄の音を思い出す。

 

「ドアの近くで、俯いて、震えてた。……何かに怯えてたんだと思う」

 

 そのときの光景が、鮮明によみがえる。

 

「聞いてもさ、何も話してくれなかった。言いたくないって」

 

 それでも。

 

「でもね」

 

 私は、一拍置いて続けた。

 

「セリカちゃん、覚えてる?」

 

 その名前を出した瞬間、空気が微かに揺れた。

 

「セリカちゃんも、電車で会ったらしくてさ。落ち込んでたところを、励ましてもらったんだって」

 

 私は、目の前の子をまっすぐに見据える。

 

 いつの間にか、相手の銃口は下がっていた。

 完全に、地面へ向いている。

 

 私も、ショットガンを下ろした。

 盾を横に置き、武装を解く。

 

 戦闘の空気は、もうそこにはない。

 

 ただ、重くて、冷たい沈黙だけが残っていた。

 

「いい子なんだよ」

 

 声が、自然と柔らかくなる。

 

「自分も辛いことがあるだろうに、他人に頼ろうとしない。巻き込もうともしない」

 

 胸の奥が、少しだけ痛む。

 

「全部、自分一人で抱え込んで」

 

 あの時。

 私には話してくれなかった。

 

「言いたくありません」

 

 そう言って、首を横に振ったあの仕草。

 

「……でもさ」

 

 私は続ける。

 

「他人が頑張ってるのを見たら、ちゃんと声をかけて、励ましてあげられるんだ」

 

 セリカちゃんの、あの明るい声が思い出される。

 

「自分が弱ってるときでも、誰かの背中を押せる」

 

 それは、簡単なことじゃない。

 

「優しくて」

 

 一歩、距離を詰める。

 

「強い子なんだ」

 

 私は、ヘルメット越しに、その子を見た。

 

 表情は見えない。

 けれど、空気が変わっているのがはっきりとわかる。

 

 張り詰めていた緊張が、少しずつ溶けていく。

 動揺は、やがて諦めにも似た、静かな落ち着きへと変わっていった。

 

「誰に命令されて、こんなことやってるのかはわからない」

 

 私は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「どんな事情があるのかも、わからない」

 

 無理に踏み込むつもりはない。

 

「話してくれなくてもいい」

 

 でも。

 

「けどね」

 

 私は、はっきりと告げた。

 

「うちの後輩ちゃんは、きっとそれじゃ納得しないんだ」

 

 彼女たちは、理由のない暴力を受け入れない。

 

 私は、先ほどまで抱いていた怒りも、疑念も、警戒心も、すべて手放していた。

 

 そこにあるのは、ただひとつ。

 

 心配と、優しさ。

 

 そして――

 

 どうしても、放っておけないという感情だけだった。

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