28話から29話の間の、不自然に飛んでいる、コハクの再生能力についてを書いています。
私は昔から、自分の頭の上に浮かぶそれが不思議でならなかった。
輪っか。
天使のものみたいな、淡く光る輪郭。
キヴォトスの生徒なら、誰の頭上にも当たり前のように浮いているもの。
それが私たちの力の源らしい、ということだけは知られている。
けれど、それ以上のことは、誰も詳しく知らない。
子どもの頃は、何も思わなかった。
だって、キヴォトスではそれが「普通」だったから。
生まれたときからそこにあって、みんな同じように持っていて、疑う理由なんてなかった。
けれど、成長するにつれて、少しずつ引っかかり始めた。
どうして、キヴォトスの生徒にはヘイローがあるのか。
どうして、銃弾を受けても「痛い」で済むのか。
どうして、外の世界の人たちよりも、明らかに力が強いのか。
誰かに聞いても、答えは返ってこなかった。
知らない、わからない、考えたことがない。
そればかりだった。
だから私は、自分で調べようと思った。
……とはいえ、最初は何をすればいいのかもわからなかった。
難しい理論も、専門的な機材も、何一つ持っていない。
それなら、まずは一番身近なものから。
――自分自身から、調べてみよう。
私は、どれくらい強いんだろう。
私は、どれくらい硬いんだろう。
そんな単純な疑問から始めて、少しずつ、自分の体を知っていった。
そして、気づいてしまった。
私は、傷の治りが他の人よりも早い。
それは、はっきりとわかるほどだった。
でも同時に、もう一つの事実も見えてきた。
私は、他の人よりも脆い。
その矛盾が、どうしても理解できなかった。
治癒力が高いのに、壊れやすい。
目に見えて違うほど、他人と私の回復の仕方は違っていた。
そこには、きっと理由がある。
そう思わずにはいられなかった。
体が脆いから?
でも、体の弱い人なら他にもいる。
けれど、その人たちは、私と同じじゃなかった。
じゃあ、なぜ私は違う?
考え続けて、行き着いた結論は、ひとつだった。
――ヘイローのせいなんじゃないか。
ヘイローは、人によって形が違う。
大きさも、歪みも、輝き方も、微妙に異なる。
もし、ヘイローの形によって個人の能力に違いがあるとしたら。
私たちの力が、皆それぞれ違っていても、おかしくはない。
そう思った。
だから私は、いろんな人に頼んで、自分のヘイローの形をスケッチしてもらった。
正面から、斜めから、角度を変えて。
線の太さや歪み、欠けている部分まで、できるだけ正確に。
それと同時に、質問も重ねた。
身体能力はどれくらいか。
成績は平均と比べてどうか。
銃の扱いは得意か、苦手か。
集められた情報は、それなりの量になった。
けれど、期待していたような明確な法則は、どこにも見つからなかった。
ヘイローの形と成績は無関係。
大きさと命中精度も一致しない。
歪みがあるから弱い、というわけでもない。
やっぱり、関係ないのか。
そう思いかけて――それでも、私は諦めきれなかった。
調べ続けるうちに、ふと、ある点が引っかかった。
身体能力が高い人は、銃も強い。
命中精度にばらつきはあっても、威力そのものは大体高かった。
完全な一致ではない。
例外もある。
それでも、全体を眺めると、無視できない傾向だった。
もしかして。
身体能力と、銃の威力は、比例しているんじゃないか?
その考えが頭に浮かんだ瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。
もし、それが本当なら。
もし、身体を鍛えることで、銃の威力が上がるのだとしたら。
――確かめる方法は、一つしかない。
私は、自分を実験台にすることにした。
体を鍛える。
限界まで。
結果が出るかどうか、確かめるために。
怪我の治りが早い私は、多少無茶をしても大きな問題にはならなかった。
筋肉が悲鳴を上げても、関節に負担がかかっても、休めばすぐに元に戻る。
その感覚は、どこか現実味がなくて。
自分の体が、自分のものじゃないみたいだった。
それでも、私は続けた。
走って、持ち上げて、撃って。
また走って、また撃って。
気づけば、息切れする距離は伸びていた。
持てる重さも増えていた。
反動に耐える感覚も、前よりずっと楽になっていた。
そうやって、少しずつ。
確実に。
私の身体能力は、上がっていった。
そうやって、私は順調に身体能力を強化していった。
そして、その過程で――忘れられない出来事が起きた。
中学に上がって、間もない頃だった。
新しい学校の周囲を覚えるついでに、いつものように走っていた。
体力作りのための、ただの朝のマラソン。
風が涼しくて、呼吸も整っていて、思っていたよりずっと長く走れていた。
その最中だった。
声をかけられた。
不躾で、低くて、明らかに善意ではない声。
振り向く前から、なんとなく察してしまう。
三人。
いかにも、という雰囲気の人たち。
思わず、心の中で「うわぁ……」と呟いていた。
十中八九、カツアゲ。
それか、行き場のない鬱憤のはけ口。
「金を支援してくれないか」
そういう言葉を使う時点で、断る余地なんて最初からない。
私は、お金を持っていない。
本当に、あまり持っていない。
それに。
たとえ少額でも、こういう相手に渡すのは、どうしても我慢ならなかった。
だから、言った。
はっきりと。
「お断りします」
その瞬間、空気が変わったのがわかった。
相手の顔に浮かぶ、不快そうな表情。
――ああ、やっぱり。
次の言葉も、動きも、予想通りだった。
服を掴まれて、持ち上げられる。
体が軽いせいで、抵抗する間もなく宙に浮いた。
首元が引っ張られて、痛みが走る。
足が地面から離れる感覚が、想像以上に怖い。
それでも。
ここで折れたくはなかった。
怖い。
正直、かなり怖い。
でも、それ以上に。
ここで引いたら、今まで積み重ねてきたものまで否定される気がした。
「出しません」
声は、思ったよりも落ち着いていた。
震えを必死に押し殺して、私はそう言った。
「あっそ。じゃあ仕方ねえな」
その一言で、全部が決まった気がした。
ああ、やっぱりそうなるよね。
最初から、話し合う気なんてなかったんだ。
銃を抜く動作が、やけにゆっくり見えた。
頭のどこかが、冷めたままそれを眺めていた。
抵抗はした。
本当に、必死に。
でも、体格差と人数の差はどうしようもない。
あっという間に押さえ込まれて、背中が壁に打ちつけられる。
息が詰まる。
腕を捻られ、服の内側に手を突っ込まれる。
――やめろ。
声に出す前に、財布が抜き取られていた。
全身が痛い。
どこが、というより、全部が痛かった。
それでも私は、目を逸らさなかった。
屈服だけは、したくなかった。
睨みつける私を見て、相手は満足そうに笑った。
ああ、理解してしまう。
もう、用は済んだ。
次は、遊びの時間だ。
頭を押さえつけられる。
銃弾の硬い感触が、体に何度も叩きつけられる。
鈍い痛みが、波みたいに広がっていく。
罵声が、耳の奥で反響する。
怖い。
さっきまで押し殺せていたはずの恐怖が、一気に溢れ出す。
それが、よほど面白かったんだろう。
対物ライフルを持ち出したとき、私は思った。
――あ、これは、まずい。
威力の強さは、知識として知っていた。
それを、至近距離で。
体の脆い、自分に。
引き金が引かれる。
次の瞬間、世界が壊れた。
衝撃。
痛い、という言葉では足りない。
何かが、根こそぎ持っていかれる感覚。
自分の中から、大切な何かが抜け落ちていく。
私は、呆然と自分の腕を見た。
そこで、ようやく理解した。
――腕が、千切れていた。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
現実感が、まるで追いついてこない。
でも、遅れてやってきた感覚が、それを否定させてくれなかった。
腕のあった場所が、熱くて、冷たくて、何もない。
失われたはずの手の感覚だけが、幻肢みたいに残っている。
足元に落ちる血の音が、やけに大きく聞こえた。
――現実だ。
否応なく、そう突きつけられる。
チンピラたちは、何か喚きながら逃げていった。
言葉の内容は、もう覚えていない。
ただ、三人分の足音が遠ざかっていくのだけが、やけに鮮明だった。
私は、その場から動けなかった。
痛みと恐怖で、体が言うことを聞かない。
息をするのも、ひどく苦しい。
はっきりと、「死」という言葉が頭に浮かんだ。
ああ、これがそうなんだ、と妙に納得してしまう。
そのときだった。
自分のヘイローが、視界の端でチカチカと点滅し始めた。
まるで、警告灯みたいに。
意識が、底へ引きずられていく。
このまま落ちたら、もう戻ってこない気がした。
私は、完全にパニックになった。
痛い。
痛い痛い痛い。
死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない。
思考が、悲鳴に塗り潰される。
その瞬間、恐怖が体を支配するのと同時に、奇妙な感覚が現れ始めた。
ヘイローを起点にして、何かが動き出す。
体の内側を、書き換えられていくような感覚。
骨も、肉も、血も。
全部が、別の配置に組み替えられていくような感覚。
自分が、自分でなくなっていく。
そんな感覚が、はっきりとわかった。
怖い。
何が起きているのか、まったくわからない。
理解できないことばかりが、立て続けに起こる。
でも――
次第に、痛みが引いていった。
さっきまで、すべてを塗り潰していた激痛が、嘘みたいに薄れていく。
失われたはずの腕にも、なぜか感覚が戻ってくる。
それは、まるで時間を逆に辿っているみたいだった。
さっきまでの出来事を、巻き戻しているような感覚。
朦朧とした意識の中で、私は自分の腕を見た。
そこには――
確かに、再生を始めている私の腕があった。
意味がわからない。
理解が、まったく追いつかない。
自分の知っている世界のルールから、完全に外れている。
それでも。
腕が元に戻りつつあるという事実だけが、強烈な安堵として胸に広がった。
その安心感に、張り詰めていた意識が、ぷつりと切れた。
そして、私はそのまま、深い闇へと落ちていった。
ーー
目を覚ましたとき、最初に感じたのは、消毒液の匂いだった。
鼻の奥にツンと残る、少しだけ刺激的な匂い。
それが、夢の中の出来事ではなく、現実に戻ってきたのだと静かに教えてくれる。
視界は、白一色だった。
天井、カーテン、シーツ、壁。
すべてが同じ色調で統一されていて、どこか現実感が薄い。
……ああ。
私は、病院のベッドの上にいた。
ゆっくりと瞬きをすると、視界が少しずつはっきりしてくる。
天井の小さなひび割れ。
蛍光灯のカバーに付いた、取れかけのシール跡。
カーテン越しに聞こえる、遠くの話し声と足音。
それらが、一つずつ輪郭を持って認識されていく。
不思議だった。
まるで、世界の解像度が一段階上がったような感覚。
体を起こそうとして、私は一度動きを止めた。
――軽い。
驚くほど、体が軽かった。
長時間眠った後の重さも、怪我をした後の鈍さもない。
それどころか。
自分の体が、今まで以上にはっきりと「わかる」。
血管の中を流れる血の感触。
筋肉が、どの方向にどれだけ張っているか。
神経が、どんな経路で情報を伝えているのか。
そんなもの、普通は意識できるはずがない。
なのに私は、それらを“知っている”というより、“感じ取っている”ようだった。
細胞一つ一つが、そこに存在していると主張している。
それらが集まって、私という形を作っているのが、手に取るようにわかる。
私は、ゆっくりと右腕――失われたはずの腕――を持ち上げた。
白いシーツの上で、包帯が巻かれている。
けれど、その下にある感触は、確かに“自分の腕”だった。
恐る恐る、指先に意識を向ける。
動かそうと、思う。
……動く。
指が、確かに動いた。
思わず、息を呑んだ。
包帯の隙間から見える部分は、まだ途中だった。
肘のあたりまで、皮膚も筋肉も再生している。
色は少し薄くて、出来たてのものみたいに不安定だけれど、それでも――
確実に、再生している。
「……ほんとに……」
声が、掠れていた。
自分の声なのに、どこか遠くから聞こえるみたいだった。
私は、無意識のうちに、頭上の感覚に意識を向けていた。
そこにある。
いつもと同じように、私のヘイローが浮かんでいる。
けれど、今はそれが、ただの“輪っか”には見えなかった。
そこから、何かが流れている。
細くて、でも確かな流れ。
私は、直感的に理解していた。
――これを、使えばいい。
どうやって力を込めるのか。
そんな疑問すら、最初から存在しなかった。
まるで、生まれたときから知っていた動作みたいに。
あるいは、ずっと忘れていただけのものを、思い出したみたいに。
私は、静かに息を吸い、吐く。
胸の奥を落ち着かせて、ヘイローに意識を集中させた。
すると。
頭上から、温かい何かが、すっと体の中に流れ込んでくる。
怖くはなかった。
むしろ、ひどく懐かしい感覚だった。
その力を、私は腕へと導く。
包帯の下で、何かが動いた。
骨が、正しい位置を探して組み上がっていく感覚。
筋肉が、繊維を伸ばしながら絡み合っていく感覚。
血管と神経が、迷いなく接続されていく感覚。
それらすべてが、はっきりと“わかる”。
痛みは、ない。
代わりにあるのは、奇妙な充足感だった。
まるで、壊れていた機械が、本来の設計図通りに修復されていくのを眺めているような。
しかも、その設計図が、自分の中にある。
包帯の内側で、再生は加速していった。
みるみるうちに、欠けていた部分が埋まり、形が整っていく。
肘の先、前腕、手首。
指の一本一本まで、正確に。
私は、息をするのも忘れて、その過程を感じ続けていた。
そして。
再生が、終わった。
私は、そっと包帯の上から腕を撫でる。
そこには、確かな感触があった。
冷たさも、温かさも。
布のざらつきも。
自分の皮膚の感触も。
私は、ゆっくりと手を握り、開いた。
違和感は、ない。
――成功した。
その事実が、じわじわと胸に広がっていく。
私は、理解してしまった。
自分の再生能力は、偶然でも、暴走でもなかった。
ヘイローを起点として、自分の体を“再構築”する力。
そして私は、それを――
意識的に、制御できる。
再生能力を制御する術を、私は確かに手に入れたのだ。
病室の静けさの中で、私は自分の腕を見つめ続けていた。
まだ少しだけ、新しい体の感覚に戸惑いながら。
それでも確かに、自分のものになったその力を、静かに噛み締めて。