コハクの過去編描きます。
病院を退院してから、しばらくの間、私はほとんど外に出なかった。
学校にも顔を出さず、最低限の連絡だけを済ませると、残りの時間はすべて――自分の再生能力を調べることに費やした。
頭の中は、それでいっぱいだった。
どこまで再生するのか。
再生はどこから始まり、どんな順序で進むのか。
腕と脚で違いはあるのか。
内臓は? 骨は? 神経は?
そもそも、変わったのは再生能力だけなのか。
疑問は、尽きることがなかった。
私は、実験場所として、使われていない倉庫を借りた。
コンクリートの床。
剥がれかけた壁の塗装。
窓は小さく、昼でも薄暗い。
人の気配はなく、音も反響しない。
誰にも見られず、誰にも邪魔されず、集中できる。
そこに、簡易的な作業台と照明を設置し、医療器具とメモ帳を並べた。
その光景は、どう見ても異様だったと思う。
最初の頃は、ちゃんと局部麻酔を使っていた。
皮膚に注射針を刺し、薬液が広がるのを待つ。
感覚が鈍くなったのを確認してから、メスを入れる。
切開。
観察。
記録。
淡々とした作業だった。
血は出るが、恐怖はなかった。
むしろ、好奇心がそれを上回っていた。
「……やっぱり、皮膚より筋肉のほうが再生が早い」
独り言が、倉庫の中で虚しく響く。
メモ帳に走り書きしながら、私は時間を忘れていった。
来る日も来る日も、同じことの繰り返し。
体を切り、再生を観察し、書き留める。
外から見れば――
いや、考えなくてもわかる。
この光景は、明らかにこの世のものではなかった。
けれど、私にとっては、ただの研究だった。
問題は、麻酔だった。
高い。
思っていた以上に、消耗が激しい。
それに、完全に効くまで時間がかかるし、効き方にもムラがある。
時々、想定よりも痛みが残ることがあった。
私は次第に、麻酔の量を減らしていった。
――慣れればいい。
そう思ったのだ。
痛みは、情報だ。
再生の過程をより正確に知るためには、感覚があった方がいい。
そう、理屈をつけて。
だが、痛みは、そう簡単に慣れるものではなかった。
メスが皮膚を割く瞬間。
筋肉が切断される感触。
骨に当たる、嫌な抵抗。
「づ……あ“あ“……」
思わず声が漏れる。
喉が震え、視界が一瞬白くなる。
歯を食いしばり、息を荒くしながら、それでも手を止めなかった。
今思えば、この頃からだったのだと思う。
私の中で、何かが変わり始めたのは。
痛みや、体を切ることへの恐怖よりも。
それを上回る探究心が、前に出てきていた。
――知りたい。
その気持ちだけが、私を動かしていた。
自分の体だ。
誰にも迷惑はかけていない。
そう言い聞かせながら、倉庫の床を、少しずつ赤く染めていった。
乾いた血の匂いが、空気に染みつく。
拭いても、完全には消えない。
それでも、私は気にしなかった。
そして、ある日。
いつものように実験を終え、メモを整理していたときだった。
ふと、視界の端に違和感を覚えた。
作業台の上。
そこに置いてあったはずのもの。
私は、ゆっくりと顔を上げた。
――腕。
確かに、腕だった。
肘のあたりで切り落とし、観察用に台に乗せておいたもの。
それが、そこにある。
だが。
「……あれ?」
思わず、声が出た。
形が、違う。
ほんの少し。
けれど、確実に。
私は立ち上がり、台に近づいた。
ライトを当て、角度を変えて確認する。
見間違いでは、なかった。
肘で切り落としたはずの腕が――
肩の方向に、伸びている。
骨の輪郭。
筋肉の盛り上がり。
皮膚の張り。
それらが、確かに「増えて」いた。
私は、言葉を失った。
「……まさか」
喉が、ひくりと鳴る。
腕単体で、再生しようとした?
本体から切り離された状態で?
そんなこと、今まで一度も考えたことがなかった。
再生するのは、あくまで“私”だと。
私の体に付随して起こる現象だと。
でも、目の前の現実は、それを否定している。
私は、しばらくその腕を見つめ続けていた。
時間の感覚が、薄れていく。
困惑と、興奮と、得体の知れない恐怖が、胸の奥で混ざり合う。
――これは、見逃せない。
どういう条件で起こるのか。
どこまで再生するのか。
本当に「腕だけ」で完結するのか。
私は、どうにかして、この現象を突き止めようと決めた。
メモ帳を開き、新しいページをめくる。
ペン先が、わずかに震えていた。
それが、恐怖なのか。
それとも、期待なのか。
自分でも、もう、よくわからなかった。
私は、原因を探るために、同じことを何度も繰り返した。
腕の切断を、意図的に繰り返す。
ヘイローからの力――神秘を、腕に込めた状態で切り落とす。
あるいは、逆に、何も込めず、ただの肉体として切り落とす。
条件を変え、手順を揃え、結果を比較する。
それは、もはや「実験」だった。
最初のうちは、痛みを避けるために最低限の麻酔を使った。
だが、次第にそれも省略していった。
再生の量。
再生の速度。
再生が止まる地点。
それらを一つ一つ、丁寧に書き留めていく。
そして、徐々に、だが確実に、ある法則が浮かび上がってきた。
――ヘイローからの力を、神秘を、腕に込めた状態で切り落とすと、再生する量が増える。
それは、偶然ではなかった。
神秘を込めずに切り落とした腕は、肘から先程度までしか再生しない。
だが、神秘を込めれば込めるほど、再生は「上へ」と伸びていく。
肘。
肩。
胸郭の半分。
私は、再生途中のそれを見下ろしながら、静かに呟いた。
「……今の私だと、ここまで、か」
作業台の上には、腕から胴体の半分ほどまで再生した肉塊が横たわっていた。
呼吸はない。
心音もない。
だが、細胞は、確かに生きている。
ここが、限界?
一瞬、そう思った。
けれど、その考えはすぐに打ち消された。
――違う。
神秘が足りないだけだ。
そう結論づけた瞬間、胸の奥に、奇妙な高揚感が生まれた。
ならば、やるべきことは一つしかない。
私は、神秘のコントロールそのものを、鍛え始めた。
ヘイローに意識を集中し、流れを感じ取る。
強くする。
弱くする。
細く、鋭く、密度を上げる。
その感覚は、最初に腕が千切れた、あの日のものに近づいていった。
命の危機。
死の予感。
あのとき、私の中で何かが“外れた”感覚。
――あれを、再現できれば。
そう思った私は、ついに、強硬策を選んだ。
作業台の横で、私は一度、目を閉じる。
麻酔は、使わない。
ヘイローに意識を向け、神秘を、今までで一番強く、腕に流し込む。
腕が、じん、と熱を持つ。
皮膚の内側で、何かが脈打つのがわかる。
「……いける」
自分に言い聞かせるように、そう呟いてから。
私は、迷わず、刃を振るった。
痛い。
想像していた以上の痛みが、一気に押し寄せてきた。
痛い痛い痛い。
視界が、白く弾ける。
耳鳴りがして、床が傾く。
「き゚……うああ……」
喉から、意味をなさない声が漏れた。
膝が崩れ、私はその場に倒れ込む。
呼吸が、うまくできない。
全身が、拒絶反応を起こしている。
それでも。
あのときのような、はっきりとした“死の感覚”は、なかった。
意識は薄れていくが、完全には落ちない。
恐怖はある。
相変わらず、強烈に。
私は、床に伏したまま、必死に顔を上げた。
その瞬間。
切り落とした腕に、明らかな変化が起きているのが見えた。
――早い。
今までとは、比べ物にならない。
皮膚が伸び、筋肉が盛り上がり、骨格が組み上がっていく。
しかも、それは止まらない。
肩。
胸。
腹部。
再生は、迷うことなく進行していった。
「……嘘……」
掠れた声が、床に落ちる。
さらに。
今まで一度も起こらなかった変化が、始まった。
足が、形成され始めたのだ。
大腿骨。
脛骨。
筋繊維が絡み合い、皮膚がそれを覆っていく。
私は、息を呑んだまま、それを見つめ続けた。
そして。
最後に。
頭の再生が、始まった。
まず、頭蓋骨。
滑らかな曲線を描きながら、骨が形を取る。
次に、内部。
脳を包む構造が整い、神経が張り巡らされていく。
眼球が収まり、瞼が閉じる。
皮膚が張り、髪の毛が、ゆっくりと伸びていく。
それは、あまりにも――
静かで、正確だった。
まるで、最初から「完成図」が存在しているかのように。
再生が、終わった。
作業台の上に、静かに横たわるそれを、私は見つめた。
そこにあったのは。
紛れもなく――
私自身だった。
体格。
顔立ち。
髪の癖。
そして、頭上に浮かぶ、同じ形のヘイロー。
完全な、コピー体。
私は、床に座り込んだまま、ただそれを見つめ続けていた。
「……やった。やったぞ……」
声に出した瞬間、全身から一気に力が抜けた。
達成感と、それを上回る疲労が同時に押し寄せてきて、私はその場に崩れ落ちた。
冷たいコンクリートの感触が背中に伝わる。
天井の照明が、にじんで二重に見えた。
人間の完全なコピー体。
それが今、目の前にあるという事実が、まだ現実として頭に定着していなかった。
けれど間違いなく、それは私の人生の中で成し遂げたことの中でも、飛び抜けて大きな出来事だった。
しばらく、そのまま動けずにいた。
呼吸を整え、心臓の鼓動が落ち着くのを待つ。
やがて、私はゆっくりと体を起こした。
視線の先。
作業台の上。
そこに横たわっている「それ」を、改めて観察する。
――私だ。
同じ顔。
同じ肌の色。
同じ骨格、同じ体つき。
髪の生え方、睫毛の長さ、指の形に至るまで、何一つ違いがない。
鏡を見るよりも、むしろ現実感が薄い。
まるで、誰かが私を三次元コピー機にかけて、そのまま出力したみたいだった。
そして。
私は、ある一点に気づいて、息を止めた。
胸板が、上下している。
ゆっくりと。
規則正しく。
一定のリズムで。
「……」
それは、紛れもなく――呼吸だった。
裸の私と同じ姿をした少女が、倉庫の作業台の上で横たわり、静かに息をしている。
白い肌が、わずかに上下するたび、倉庫の空気が揺れるような気がした。
光景は、あまりにも非現実的だった。
どこか、SF映画のワンシーンみたいで。
現実味が、致命的に欠けている。
「……もしかして、これ……生きてる?」
思わず、声が漏れた。
呼吸があるということは。
酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出しているということ。
つまり、肺が機能している。
心臓が動いている。
内臓も、神経も、すべてが稼働している。
――生命だ。
その瞬間、私の脳裏を、一つの言葉が横切った。
人クローン生産禁止条約。
胸の奥が、ひやりと冷える。
「……まずいな」
小さく呟いた声が、倉庫に吸い込まれていく。
正直に言えば。
ここまでうまくいくとは、思っていなかった。
成功すること自体に意識を向けすぎて、その先のことを、何一つ考えていなかったのだ。
これが発覚したらどうなる?
誰かに見つかったら?
そもそも、この存在を、どう扱えばいい?
思考が、一気に追いつかなくなる。
「……とりあえず、意識の確認、かな」
自分に言い聞かせるように、そう呟いた。
私は作業台に近づき、コピー体の肩に手を伸ばす。
触れた感触は、温かい。
私自身と、何も変わらない体温。
軽く揺すってみる。
「……ねえ」
反応は、ない。
肩を、もう少し強く揺すった。
「ねえ、聞こえる?」
それでも、まぶたは閉じたままだ。
今度は、肩を叩く。
ぺし、ぺし、と軽い音が倉庫に響く。
「……うーん」
何も起きない。
私は一度、手を止めて考えた。
このまま裸でいるのは、さすがにまずい。
自分でも何を気にしているのかわからなかったが、直感的にそう思った。
私は、自分が着ていた白衣を脱ぎ、それをコピー体に被せた。
サイズは当然ぴったりで、違和感がない。
それから、再び声をかける。
「……ねえ!」
少し大きな声で呼びかける。
「聞こえてる!?」
倉庫の中で、私の声だけが反響する。
返事は、ない。
「はあ……」
思わず、ため息が漏れた。
「起きないのかな〜……起きてくれよ〜……」
半ば独り言みたいに、そう言った。
その、直後だった。
ガサリ。
布が擦れる、小さな音。
私は、ぴくりと反応して、視線を戻した。
コピー体の指が、わずかに動いている。
次の瞬間。
閉じていた瞼が、ゆっくりと開いた。
「……っ!?」
心臓が、跳ね上がる。
コピー体は、少しぼんやりとした動きで上体を起こした。
白衣が肩からずり落ち、鎖骨が覗く。
その顔が、私を見る。
――私の顔で。
「うわーっ! 起きた!!」
ここ最近で、一番大きな声が出た。
驚きで、思わず後ずさる。
足がもつれて、危うく転びそうになる。
なんで!?
なんで今起きた!?
私が「起きて」って言ったから?
それがトリガーだった?
思考が、完全に追いつかない。
コピー体は、私を見つめたまま、きょとんとした表情を浮かべている。
まるで、自分がどこにいるのか、わかっていないみたいだった。
私は、心臓を押さえながら、必死に呼吸を整える。
「……ちょ、ちょっと待って……」
声が、震えていた。
理解不能な状況。
想定外の事態。
私は、軽いパニックに陥っていた。
目の前には、目を覚ました“私”がいる。
その事実だけが、重く、静かに、倉庫の空気を支配していた。
コハクがプラナリアに成った瞬間やね。