ミレニアムの秘密の研究室   作:まったり愛好家

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第四十二話 コハク過去編 3

私は一度、大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。

肺の奥まで空気を送り込み、心拍数を落ち着かせる。

混乱したままでは、何一つ正確に判断できない。

 

――まずは現状把握。

 

そう自分に言い聞かせて、目の前の光景を改めて整理する。

 

倉庫の中央。

簡易的に設えた作業台の上に、女の子が座っている。

 

裸で。

そして――私と、まったく同じ姿で。

 

照明に照らされた肌は、私が毎朝鏡で見るそれと寸分違わない。

肩のラインも、鎖骨の浮き方も、太ももの筋肉の付き方も、全部だ。

 

だが、決定的に違うところがあった。

 

目。

 

その瞳には、光がない。

焦点は合っているはずなのに、そこには意思が感じられない。

まるで、何も映していないガラス玉みたいだ。

 

――ああ。

 

胸の奥が、わずかに痛んだ。

 

「……目、抜いたときの私みたいだ」

 

思わず、独り言のように呟く。

感情が希薄になり、世界との距離が極端に遠くなっていた、あの頃の目。

 

彼女は、確かに動いている。

先ほど、自分の力で上体を起こし、私の方を向いた。

筋肉も、関節も、正常に機能している。

 

それなのに、人間らしさが、決定的に欠けている。

 

私は、足元の血痕を踏まないように一歩だけ近づき、慎重に声をかけた。

 

「あ……えっと……初めまして……」

 

喉が、少し乾いていた。

 

返事は、ない。

 

少女はただ、私を見つめている。

瞬きの回数すら、妙に一定だった。

 

「……えっと……そうだな……」

 

頭の中で、言葉を探す。

研究者としての私と、人間としての私が、互いに邪魔をしていた。

 

「……なんで、起き上がったの……?」

 

気づいたら、そんな質問を投げていた。

論理も順序も、完全に無視した、反射的な問いだった。

 

一拍。

 

二拍。

 

少女の唇が、わずかに動いた。

 

「起きろと言われたからです」

 

その声は、平坦だった。

抑揚も、感情の揺れも、ほとんどない。

それなのに、はっきりと耳に届く、人間の声。

 

「うわあっ!?」

 

完全に油断していた私は、思わず大きな声を上げた。

反射的に二、三歩後ずさり、距離を取る。

 

心臓が、ばくばくと音を立てる。

 

「い、いきなり喋らないでよ……!」

 

自分でも何を言っているのかわからなかったが、とにかく驚いた。

 

少女は、私の反応に対して、何の変化も見せない。

ただ、そこに立っている。

 

私は、落ち着け、落ち着け、と心の中で繰り返しながら、再び問いかけた。

 

「……言われたから起きたって……それって……」

 

言葉を選ぶ。

 

「……なんで、従ったの……?」

 

もしも、そこに意思があるなら。

判断があるなら。

 

この問いに、何かしらの感情が混じった答えが返ってくるはずだ。

 

だが。

 

「……」

 

沈黙。

 

少女は、私を見つめたまま、何も言わない。

まるで、返答を検索している途中で止まった機械みたいだ。

 

「……えっと……」

 

私は、少し困って、別のアプローチを試みる。

 

「……じゃあさ……作業台から、降りてみて」

 

命令ともお願いともつかない、曖昧な言い方。

 

一瞬の間。

 

次の瞬間、少女は動いた。

 

滑らかだった。

人形のように、無駄のない動作で、作業台から降りる。

足音はほとんどしない。

 

そして、私の正面に立ち、背筋を伸ばした。

 

直立不動。

 

その拍子に、肩にかかっていた白衣が、するりと落ちた。

床に落ちる布の音が、妙に大きく響く。

 

「あ……」

 

私は、思わず視線を逸らした。

 

「……白衣、落ちちゃった……」

 

気まずさを誤魔化すように、倉庫の隅に置いてあった予備の白衣を手に取る。

 

「えっと……何か、着る……?」

 

裸のままでいるのは、嫌だろう。

そう思ったのは、私自身が人間だからだ。

 

少女は、私を見下ろしも見上げもしない、水平な視線のまま答えた。

 

「そうさせたいなら、そう命令してください」

 

機械的な声。

だが、どこか奇妙なことに、発音は完璧で、滑舌も良い。

 

「……命令……」

 

私は、その言葉を反芻した。

 

「……命令に、従うんだ……」

 

自分で言って、背筋が少し寒くなる。

 

「……えっと……」

 

ここまで来たら、逃げても仕方がない。

私は、危険性は低いと判断し、もう一歩踏み込むことにした。

 

「……君は……誰なのかな……?」

 

声は、できるだけ穏やかに。

 

少女は、一拍置いて、淡々と答える。

 

「私は、コハク様のコピーです。それ以上でも、以下でもありません」

 

あまりにも、即答だった。

 

どこかで聞いたような、漫画やアニメのキャラクターが言いそうなセリフ。

現実感が、また一つ削がれる。

 

「……私のコピー……」

 

私は、腕を組み、少し考える。

 

「……それは……まあ、そうなんだろうけど……」

 

言葉を選びながら、正直な感想を口にする。

 

「……なんていうか……人間らしくないっていうか……」

 

少女は、黙って聞いている。

 

「……私のコピーっていうより……感情のないロボットみたいで……」

 

言ってから、少し後悔した。

相手がどう受け取るか、わからない。

 

だが、少女の表情は、まったく変わらない。

 

私は、考え込むように顎に手を当て、別の質問を投げた。

 

「……君は……生物なのかな……?」

 

少女は、迷いなく答える。

 

「はい。人族人科ホモ・サピエンスです」

 

あまりにも教科書的な返答に、思わず苦笑が漏れた。

 

「……えーっと……」

 

私は、頭を掻く。

 

「……じゃあ……君は……私に対して……」

 

言葉を探す。

 

「……何か……思うところとかは……ある……?」

 

期待していたわけではない。

ただ、確認したかった。

 

少女は、少しだけ間を置いて、答えた。

 

「私には、自我や自己がありません。故に、思いもありません」

 

きっぱりと。

断言だった。

 

「あ……そう……」

 

その一言しか、出てこなかった。

 

倉庫の中に、沈黙が落ちる。

機械音も、外の風の音も、何もない。

 

私は、目の前に立つ“私のコピー”を見つめながら、言葉を失っていた。

 

とりあえず――本当に、とりあえず、という言葉が一番しっくりきた――私は白衣を着せた。

 

床に落ちていたそれを拾い上げ、ぱたぱたと埃を払ってから、コピー体の肩にそっと掛ける。

彼女は抵抗も戸惑いも見せず、言われるがままに腕を通した。布が肌に触れる音だけが、やけに大きく倉庫に響いた。

 

「……じっとしててね」

 

言葉に反応はない。

けれど、命令として認識されたのか、彼女は微動だにせず立っている。

 

私はそのまま、慎重に距離を詰めた。

 

照明の下で改めて見ると、白衣を纏ったその姿は、鏡の中の自分とほとんど変わらなかった。

違いがあるとすれば、立ち方だ。

私なら無意識に体重を片足に預けるところを、彼女は左右均等に、寸分の狂いもなく立っている。

 

「……じゃあ、ちょっと触るよ」

 

言い訳めいた一言を呟いてから、私は彼女の手を取った。

 

冷たくはない。

体温は、私と同じくらいだ。

 

指を一本一本開いて、指紋を確かめる。

親指、人差し指、中指――渦の形、分岐の位置、細かな隆線の流れ。

すべてが、私のものと一致していた。

 

「……本当に、同じ……」

 

呟きながら、次は顔に手を伸ばす。

目の形、まつ毛の生え方、二重の幅。

耳の裏にある小さな傷跡まで、完全に再現されている。

 

耳を引っ張っても、眉を指で持ち上げても、彼女はただ指示を待つ物体のように、黙っている。

 

私は、次第に言葉を失っていった。

 

細胞レベルで同一。

その表現が誇張でないことを、これでもかというほど突きつけられる。

 

血液検査の結果も、DNA解析も、すでに何度も確認した。

それでもなお、目の前に立つ“私”を前にすると、頭が追いつかない。

 

「……あなた、本当に……」

 

言葉が続かない。

 

その後も私は、できる限りの観察と検査を行った。

反射、筋力、関節の可動域、呼吸のリズム、心拍数。

どれも正常で、どれも私と同じ。

 

違いは、たった一つだった。

 

この子は、自分からは何もしない。

 

命令されなければ、立ち上がらない。

視線を動かさない。

呼吸と瞬き以外の、いかなる行動も起こさない。

 

「……じゃあ、右手を上げて」

 

そう言えば、正確な角度で右手を上げる。

 

「次は、三歩下がって」

 

命令通り、一定の歩幅で下がる。

 

「……止まって」

 

即座に止まる。

 

迷いがない。

疑問がない。

そこには、意志というものが介在していなかった。

 

「……どんな命令でも……?」

 

半ば独り言のように呟くと、彼女は淡々と答える。

 

「命令であれば、実行します」

 

その一言が、胸に重くのしかかった。

 

私は、椅子に腰を下ろし、額に手を当てた。

いくら調べても、実感が湧かない。

理解しているはずなのに、現実感が追いつかない。

 

それと同時に――

この発見が、どれほど重大なものかも、ようやく輪郭を持ち始めていた。

 

人間の完全なコピー。

しかも、意識を持たない、命令に従うだけの存在。

 

条約。倫理。法律。

頭の中に、そういった言葉が次々と浮かんでは消える。

 

「……誰にも、言えないな……」

 

ぽつりと呟いた言葉は、倉庫の壁に吸い込まれていった。

 

これを外に出せば、確実に問題になる。

研究成果として発表することもできない。

称賛も、評価も、ありえない。

 

だからだろうか。

胸の奥にあるはずの達成感は、驚くほど薄かった。

 

代わりに、重たい問いだけが残る。

 

――この子を、どうする?

 

その考えが、私の思考の大半を占領し始めていた。

 

コピー体は、私が話しかけていない間、倉庫の隅で静かに立っていた。

どこを見るでもなく、焦点の合わない視線を前方に向けて。

 

それはまるで、人形のようで。

それでいて、どこか、猫がぼんやりと空を眺めている時にも似ていて。

 

「……」

 

気づけば、私はその姿をじっと見つめていた。

 

可愛らしい、と思ってしまった自分に、少し驚く。

感情も自我もないのに。

それでも、同じ形をした存在が、無防備にそこにいるというだけで、妙な親近感が湧いてくる。

 

「……外には、出さない方がいいよね……」

 

誰に向けたわけでもない言葉。

 

私は、決めた。

少なくとも今は、この倉庫から出さない。

他人の目に触れさせない。

 

そうと決まれば、行動は早かった。

 

家に戻り、布団と着替えを抱えて再び倉庫に戻る。

倉庫の一角を片付け、簡易的な生活スペースを作った。

 

床に敷いた布団。

小さな棚。

着替えを置く箱。

 

「……よし」

 

満足とは言えないが、最低限は整った。

 

「さあ、ここにきて」

 

声をかけると、コピー体は素直に歩み寄り、布団の上に座る。

 

私は、自分の服を手渡し、着せた。

袖に腕を通させ、前を閉じる。

 

「……やっぱり」

 

思わず、笑みが漏れる。

 

「服を着ると、一気に私っぽくなるねえ」

 

返事はない。

けれど、それでも、そこに“誰か”がいるという感覚は、確かにあった。

 

ペットを迎えた時のような、奇妙な感情。

責任と、不安と、ほんの少しの愛着。

 

「私は今日はもう帰るから」

 

そう言いながら、私は昼ごはんを取り出し、布団の横に置いた。

 

「明日、私が来るまで、この倉庫から出ないでね。お腹が空いたら、これ食べて」

 

命令として成立しているのか、確認するように、彼女の顔を見る。

表情は変わらない。

 

「了解しました」

 

短い返答。

 

それでいい。

 

私は、倉庫の扉に手をかけ、振り返った。

 

白衣を着た“私”が、布団の上に座っている。

その光景を、目に焼き付ける。

 

「……なんか……すごいことになったな……」

 

小さく呟いてから、倉庫を出る。

 

外に出て、深呼吸を一つ。

自分の耳と尻尾についた血を、ハンカチで丁寧に拭い、匂い消しのスプレーを吹きかける。

 

血の匂いが、少しずつ薄れていく。

 

私は、何事もなかったかのような顔を作って、倉庫を後にした。




この頃のコハクはまだ12歳…

12歳がこれやってるとお思うと絵面がすごいな
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