ミレニアムの秘密の研究室   作:まったり愛好家

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第四十六話 耳なし尾なし 短編あり 

「次は、私からいいかな?」

 

 そう言って、レイが軽く手を上げた。

 さっきまでの軽やかな進行役という雰囲気はそのままだが、目だけは真剣にこちらを見ている。

 

「はい、なんでしょう」

 

 私は頷いて応じる。

 コピー体――サンゴは、相変わらず微動だにせず、視線だけを前に向けたままだ。

 

「この子さ、さっきからちょっと触ってみたりしてるんだよ」

 

 その一言で、私の思考が一瞬止まった。

 

 ……え?

 

 脳内で警報が鳴るより早く、口が動きそうになる。

 

「え……セク、」

 

「ちがうちがうちがう!」

 

 言い切る前に、レイが慌てて両手を振った。

 だが、その必死さとは裏腹に、次の言葉が火に油を注ぐ。

 

「そしたらさ、頭と腰に違和感が――」

 

 そこまで言った瞬間。

 

 ゴン、という鈍い音が部室に響いた。

 

 ミコトの拳が、迷いなくレイの頭頂部に叩き込まれていた。

 

「セクハラだよ」

 

 冷え切った声。

 感情の起伏が少ないはずのミコトの目が、はっきりと“軽蔑”を示している。

 

 ユリもサラも、ほぼ同じ目をしていた。

 空気が一気に凍りつく。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 弁明を! 弁明をさせてほしい!」

 

 レイは慌てて後ろに下がり、二撃目を回避する。

 だが、狼狽え方にまったく反省の色がないのが逆にすごい。

 

「サンゴちゃんもコハクちゃんもさ、すっごく小さいでしょ? それでいて可愛い。もうこれは撫でるしかないと思って、まずサンゴちゃんの頭を――」

 

 言い終わる前に、再び拳が飛んだ。

 

 今度は、容赦なく鳩尾。

 

「ぐぇっ……!」

 

 空気が肺から押し出されるような音とともに、レイがくの字に折れ曲がる。

 

「……ごめん」

 

 ミコトが、こちらを向いて静かに言った。

 

「うちのバカが」

 

 その声には、心底申し訳なさそうな響きがあった。

 ユリとサラも、視線だけで「本当にすみません」と伝えてきている。

 

 私は一瞬だけサンゴの方を見る。

 相変わらず、無表情。

 動揺も、不快感も、何一つ表に出ていない。

 

「いえいえ」

 

 私は小さく首を振った。

 

「私は気にしてませんよ。それに……」

 

 視線をレイに戻す。

 

「レイさんが言った“違和感”については、どのみち話す予定でしたし」

 

「おお……!」

 

 床に膝をつきながら、レイが顔を上げる。

 

「話してもらえるのか。ありがたいね……いやほんと、助かる……」

 

 鳩尾を押さえたまま、よろよろと定位置に戻ってくる。

 その姿は完全に被験者側だった。

 

「私が見たのはね」

 

 レイは一度、深く息を整えてから言った。

 

「サンゴちゃんの頭。そこに……耳を切り落としたような跡があった」

 

 その言葉が落ちた瞬間。

 

 空気の密度が、また一段階変わった。

 

 ユリの背筋が、ぴんと伸びる。

 サラは唇を強く噛みしめ、

 ミコトの目からは、さっきまでの冗談じみた空気が完全に消えていた。

 

 私は、静かに息を吸う。

 

「……レイさんの言う通りです」

 

 そう前置きしてから、サンゴの方へ手を伸ばした。

 

「ちょっと失礼」

 

 そう言って、指先でサンゴの髪を分ける。

 淡い色の髪の奥から、はっきりとした痕が露わになる。

 

 耳があったはずの場所。

 そこに残された、滑らかすぎる断面。

 

「これは、耳を切り落とした跡です」

 

 誰も、言葉を挟まない。

 

「……ですが」

 

 私は、今度は自分の髪を分けた。

 同じ位置。

 同じ形の痕。

 

「サンゴ自身が、耳を切り落としたことはありません」

 

「……なっ……」

 

 ミコトが、思わず声を漏らす。

 狼狽が、隠しきれていない。

 

「元々、私たち双子には耳と尻尾がありました」

 

 淡々と、事実だけを並べる。

 

「数年前、私が実験中に耳と尻尾を失いました」

 

 その時の感覚を、思い出す。

 鋭い痛みと、それ以上に強烈だった“切り離された”という感覚。

 

「そして、その瞬間」

 

 視線を、サンゴに戻す。

 

「なぜか、サンゴの耳と尻尾も、同時になくなったんです」

 

これは本当。

 

私が耳と尻尾を失った時、なぜかカイザー理事の元にいたコピー体も、一人残らず耳と尻尾がなくなったのだという。

 

 遠隔で影響が出たのか。

 構造が同一だからか。

 それとも、もっと別の理由か。

 

 ――今でも、わかっていない。

 

 部室は、完全な沈黙に包まれていた。

 

 機材のファン音だけが、やけに大きく聞こえる。

 

「……一つ、聞いてもいいかな」

 

 沈黙を破ったのは、レイだった。

 

 さっきまでのおちゃらけた様子は影も形もない。

 真っ直ぐで、鋭い視線。

 

「その実験」

 

 ゆっくりと言葉を選ぶように、続ける。

 

「コハクちゃんの耳と尻尾がなくなった、その実験って……なんだい」

 

その表情には、わずかな――しかし確かな怒りが浮かんでいた。

 

私は、レイの問いを正面から受け止めながらも、肩の力を抜くように一度息を吐いた。

張りつめた空気が、部室の中に薄く膜を張っているのがわかる。

誰もが次の言葉を待っていて、誰もがそれを聞くのを少しだけ怖れている。そんな沈黙だった。

 

「私が、神秘について研究している、というのは前回話しましたね?それ関連の実験ですよ」

 

私は、あえて軽い調子を崩さずに、そう切り出した。

重くなりすぎないように。

この話題が持つ本来の重さを、少しでも和らげるために。

 

椅子に座ったまま、背もたれに体を預け、視線を宙に泳がせる。

自分の言葉を、頭の中でなぞりながら、選ぶ。

 

「私は、普通の生徒よりも傷の治りが早いです。そりゃあもう、その気になれば――」

 

そこで一度、間を置いた。

四人の視線が、ぴたりと私に集まるのを感じる。

 

「手足を一瞬で生やすとかも、できます」

 

その瞬間、空気が変わった。

目を見開く音が聞こえた気がするほど、全員の反応はわかりやすかった。

 

ユリは口を半開きにしたまま固まり、ミコトは眉をひそめ、レイは言葉を失ったように瞬きの回数を忘れている。

サラだけは、何かを言おうとして、結局言葉を飲み込んだようだった。

 

「……まあ、最初は私もびっくりしましたけどね」

 

私は苦笑しながら続ける。

 

「その再生能力を試す実験の過程で、耳と尻尾を切り落としたんです」

 

淡々と。

事実だけを並べるように。

 

「そしたらなぜか、生えてこなくなっちゃいまして」

 

言い終えた瞬間、部室の中に、重たい沈黙が落ちた。

笑いで誤魔化せる空気ではないことは、自分でもわかっている。

それでも、私は表情を変えなかった。

 

椅子が擦れる小さな音がした。

サラが立ち上がり、私の方へ歩み寄ってきたのだ。

 

一歩一歩が慎重で、ためらいがにじんでいる。

彼女は私の前で立ち止まり、少しだけ俯いたまま口を開いた。

 

「なんで……そんなに、あっさりと話せるんですか」

 

その声は、ほんのわずかに震えていた。

責める調子ではない。

けれど、理解できないものを前にした戸惑いと、痛みに寄り添おうとする優しさが、同時に混じっている。

 

その光景を見た瞬間、胸の奥に小さな既視感がよぎった。

誰だったか。

――小鳥遊ホシノ。

あの時も、こんな目で私を見ていた。

 

「耳ですよ?尻尾ですよ?」

 

サラは言葉を選びながら続ける。

 

「私たちにはありませんが……それでも、そんなに軽々しく失っていいものじゃないってことくらい、わかります」

 

彼女はぎゅっと拳を握りしめていた。

怒りではない。

納得できない現実に対する、純粋な疑問だ。

 

「なのに、なんで……貴方は、そんなに平気そうで。何も感じていないみたいに話せるんですか」

 

その問いは、まっすぐに私の胸に刺さった。

私は少しだけ目を細めて、すぐに答えた。

 

「耳に関しては、邪魔だったんですよ」

 

若干、食い気味に。

言葉が、勝手に口をついて出た。

 

場が、静まり返る。

意外な答えだったのだろう。

 

「私は昔から、大きな声が苦手でした」

 

私は視線を落とし、床を見つめながら続ける。

 

「周りで大きな声を出されると、頭が痛くなって、体に力が入らなくなって……怖かったんです」

 

記憶の中の音が、耳の奥で蘇る。

怒号、笑い声、割れるような騒音。

それらが一斉に押し寄せてきて、逃げ場がなくなる感覚。

 

「だから、耳がなくなった時……すっきりしたんですよ」

 

自分でも、少し驚くほど穏やかな声だった。

 

「完全に改善されたわけじゃありません。でも、それでも、格段に生きやすくなりました」

 

私は顔を上げて、はっきりと笑ってみせた。

作った笑顔ではない。

本心からのものだ。

 

「尻尾は……まあ、最初は結構落ち込みましたけどね」

 

ほんの一瞬、視線が揺れる。

 

「でも、思ったよりも、そこまでのショックじゃなかった」

 

動きにくさはあった。

バランス感覚が変わって、慣れるまでに時間もかかった。

けれど、それは「失ってはいけないものを失った」という感覚とは、どこか違っていた。

 

「多分、周りに耳や尻尾がない人が大勢いたのが大きいと思います」

 

私は、部室にいる全員を一度だけ見渡す。

 

「腕や足は、みんな持ってます。人間として、必ず必要な部位です」

 

一つ一つ、言葉を置くように。

 

「でも、耳や尻尾は違う。持ってても、持ってなくても……そう大きくは変わらない」

 

それが、私の結論だった。

 

「まあ、強いて言えば……大きな羽を持ってる生徒は、滑空できて便利だなとは思いますけど」

 

少しだけ冗談めかして言うと、張りつめていた空気が、ほんのわずかに緩んだ。

 

サラは、しばらく私の顔を見つめていた。

何かを確かめるように。

そして、小さく息を吐くと、静かに自分の席へと戻っていった。

 

椅子に腰掛けるその背中は、先ほどよりも柔らかく見えた。

少なくとも、私を見る目にあった棘は、確かに消えていた。

 

部室には再び静けさが戻る。

誰もすぐには言葉を発しなかった。

 

ーーーーーー

ホシノ視点 14

 

砂埃をかぶった壁、ひび割れたコンクリート、長い年月に晒されて色を失った体育館の外壁。

銃声も、風の音に溶けてしまう。

乾いた雑草が、ひょろひょろと力なく揺れている。根を張る土すら失いかけているのに、それでも生きることをやめない草だ。

 

私は、コハクちゃんをその場所へ連れてきていた。

 

足元で砂が鳴る。靴底が地面を擦るたび、乾いた音がやけに大きく響いた。

空は高く、雲一つないはずなのに、ここだけ切り取られたみたいに空気が重い。

太陽は確かに昇っている。肌を焼くような光も降り注いでいる。

それなのに、背中を撫でる風は冷たく、体の芯をじわじわと冷やしていった。

 

「……」

 

隣を歩くコハクちゃんは、黙ったままだった。

病院服は少し大きすぎて、肩口が落ちそうになっている。歩くたびに布が擦れて、小さく音を立てる。

ほんの数十分前まで、爆発で原型を留めないほど壊れていた体とは思えないほど、今は静かで、弱々しく見えた。

 

――いや、違う。

 

弱々しく「見える」だけだ。

この子の中には、私の知る誰よりも危ういものが眠っている。

それを私は、嫌というほど知ってしまった。

 

シロコちゃんたちは、ついてこなかった。

何も言わず、ただ視線だけを寄越して、黙って私を送り出した。

 

たぶん、察していたのだと思う。

これは、私とこの子だけで話さなければならないことだと。

 

正直、ありがたかった。

みんなに聞かせる勇気は、今の私にはなかった。

 

契約。

黒服。

神秘。

 

その言葉を口にするだけで、胸の奥が軋む。

私はずっと、それを隠してきた。

アビドスの借金も、責任も、未来も、全部自分一人で背負おうとしてきたのと同じように。

 

――言えば、止められる。

――言えば、怒られる。

――言えば、悲しませる。

 

だから言わなかった。

それが正しいと思っていた。

少なくとも、そう信じないとやっていけなかった。

 

体育館の影に入ったところで、私は立ち止まった。

コハクちゃんも、半歩遅れて足を止める。

 

風が吹く。

砂が舞い、視界が一瞬霞んだ。

 

「ついてきましたけど……」

 

コハクちゃんが、静かに口を開いた。

抑揚のない声。感情を押し殺した、いつもの調子。

 

「話したいことって、なんです?」

 

本当に、形だけ聞いている。

そんな態度だった。

 

私は、すぐには答えられなかった。

言葉を探しているうちに、胸の奥に沈めていたものが、じわじわと浮かび上がってくる。

 

制服の裾が、風に揺れる。

砂漠特有の熱気が、遅れて肌を刺した。

汗なのか、冷や汗なのか、背中がじっとりと濡れていく。

 

「……神秘の研究……」

 

ようやく、絞り出すように声が出た。

自分の声なのに、ひどく遠くに聞こえる。

 

「それってさ……」

 

私は俯いたまま、地面のひび割れを見つめる。

そこに顔が映るわけでもないのに、視線を上げることができなかった。

 

「……あいつと、同じ研究をしてるってことなのかな」

 

喉がひりつく。

苦々しい感情が、胸いっぱいに広がっていく。

 

黒服。

あの男の、底の見えない笑み。

こちらを値踏みするような視線。

「崇高」だの「可能性」だの、耳触りのいい言葉で人を縛る、あのやり口。

 

コハクちゃんは、一瞬だけ瞬きをした。

そして、私から目を逸らすことなく、はっきりと答えた。

 

「あいつ……黒服さんのことを言っているなら、そうです」

 

淡々とした声。

感情の起伏はない。

 

「神秘を研究し、探求し、解明する。そのための研究です」

 

その言葉が、胸に突き刺さった。

 

「……そう」

 

力なく、そう返すのが精一杯だった。

やっぱり、そうだった。

予想していた答えなのに、実際に聞くと、心のどこかが確実に削れていく。

 

私は、ゆっくりと顔を上げた。

視界の端で、コハクちゃんの白い髪が風に揺れている。

 

「それはさ……」

 

声が震えないように、意識して息を整える。

 

「黒服に言われてやってるの?

それとも……君自身の意思?」

 

一番、聞きたくて。

一番、聞くのが怖かった質問。

 

もし「命令された」と言われたら。

もし「仕方なかった」と言われたら。

 

私は、何を思えばいいのかわからなかった。

 

コハクちゃんは、少しだけ考えるように視線を落とした。

そして、すぐに答えた。

 

「私の意思です」

 

迷いはなかった。

言い切る声だった。

 

「元々、個人で神秘の研究をしていました。誰に言われたわけでもなく、自分で始めたことです」

 

胸の奥が、ぎゅっと縮む。

 

「……それで?」

 

私の声は、少しだけ低くなっていた。

 

「ある時、黒服さんから声をかけられました。

『あなたの研究の助けとなりたい』って」

 

やっぱり。

そう思った瞬間、奥歯を強く噛みしめていた。

 

同じだ。

私と、同じだ。

 

甘い言葉。

理解者のふり。

選択肢を与えているようで、実際には逃げ道を塞ぐやり方。

 

「……」

 

風が吹き抜ける。

乾いた音が、二人の間を通り過ぎていった。

 

「……対価は、何?」

 

私は、思わず一歩踏み出していた。

自分でも驚くほど、感情が表に出ていたと思う。

 

「……あいつは、ただでそんなことしないでしょ」

 

視線が合う。

コハクちゃんの瞳は、静かだった。

そこには恐怖も、後悔も、怒りもない。

 

それが、余計に怖かった。

 

この子は、何を差し出しているのか。

何を、奪われているのか。

 

目の奥が熱い。

警戒と焦燥が入り混じり、頭の奥がずきずきと痛む。

 

――お願いだから。

――私と同じ道を、歩いていないで。

 

そんな願いが、喉元までせり上がってきて。

 

私は、コハクちゃんを見つめたまま、言葉を待っていた。

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