ミレニアムの秘密の研究室   作:まったり愛好家

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ホシノ特別編です。

ホシノ視点がちょうど二十話ということで、一旦ホシノ視点をここで終わりにしたいと思います。

また、本編でのホシノ出番があればその都度ホシノ視点を復活できればなと思っています。


第五十二話 震えて泣いて、それでも明日はなんでもない日 

ホシノ視点 20

 

夕方。

 

校舎の窓から差し込む光は、もう白ではなく、くすんだ橙色に変わっていた。長い影が床を斜めに横切り、誰もいない教室を静かに切り分けている。さっきまで人の気配で満ちていたはずの空間が、嘘みたいに広く、寒々しく感じられた。

 

シロコちゃんたちは、もう帰った。

 

私は「少し休んでから帰るね」と、できるだけ軽い調子で言って、この部屋に残った。

誰も疑わなかった。

それが、余計に胸に刺さる。

 

椅子に深く腰を下ろし、背もたれに体重を預ける。制服の布越しに感じる硬さが、妙に現実的で、逃げ場がないことを突きつけてくる。

 

体が、とてつもなく重い。

 

まるで重力が、この教室だけ少し強くなったみたいだ。指一本動かすのにも、いちいち「よいしょ」と心の中で声をかけなければならない。呼吸をするたび、胸の奥に溜まった澱が上下する。

 

わかっている。

なぜ、こんなことになっているのかは。

 

これは疲労なんかじゃない。

怪我でもない。

 

私の――罪の意識だ。

 

目を閉じると、思考が一気に溢れ出す。

止めようとしても、蓋を押さえつける力がもう残っていない。

 

自分のための人助け。

 

自分のために手を差し伸べて、

自分のために誰かを救った気になって、

自分のために「いいことをした」と納得する。

 

それで、相手から感謝されて。

必要とされて。

役に立った自分に、こっそり酔って。

 

……気持ち悪い。

 

喉の奥から、吐き捨てるように言葉が漏れる。

 

気持ち悪い。

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 

何が『助けになりたい』だ。

 

何が『心配だよ』だ。

 

心の中で、自分自身に怒鳴りつける。

 

それは誰のために言ってたんだ?

 

相手のため?

違う。

 

自分のためだろ。

 

助けたいんじゃない。

人を助ける自分が欲しかったんだろ。

 

心配してるんじゃない。

「助けられる存在」を探してただけだろ。

 

相手が弱っていることを確認して、

そこに自分の居場所を見つけて、

「ほら、私がいないとダメでしょ?」って、安心したかっただけ。

 

最低だ。

 

アビドスだって、そうだ。

 

返せもしない借金を前にして、

「まあまあ、頑張ればなんとかなるよ〜」なんて笑って。

 

根拠なんて、どこにもないのに。

 

それで、みんなを巻き込んで。

 

みんなの時間を。

みんなの青春を。

アビドスの借金という、どうしようもない重りに縛り付けて。

 

胸の奥が、ずきりと痛む。

 

もし――

もし、私が。

 

三年前に、この学校を諦めていれば。

 

その考えが、するりと頭をもたげる。

 

もし、私が「もう無理だ」って言って。

「ここまでだ」って線を引いて。

アビドスを、手放していれば。

 

今頃みんなは、

普通の学校で、

普通の友達と、

普通に笑って、

普通に悩んで。

 

当たり前の青春を、謳歌していたかもしれない。

 

……ダメだ。

 

その発想は、ダメだ。

 

私は、ぎゅっと目を閉じる。

 

それは、みんなの努力を否定することになる。

 

みんなは、自分の意思で、アビドスのために頑張っている。

誰に強制されたわけでもない。

私に脅されたわけでもない。

 

それを「私のせいだった」なんて言うのは、

みんなの選択を、覚悟を、踏みにじることだ。

 

わかっている。

頭では、ちゃんと理解している。

 

……それでも。

 

嫌になる。

 

私は、ゆっくりと顔を上げ、何もない空間を見つめる。

 

みんなは、綺麗な人間だ。

 

シロコちゃんは、少し変わった発想をするけど、誰よりも仲間思いで、一生懸命で。

不器用なくせに、いつも一番前に立とうとする。

 

ノノミちゃんは、優しくて、柔らかくて。

私が昼寝していても、文句ひとつ言わず、そっと見守ってくれる。

 

セリカちゃんは、負けず嫌いで、口が悪くて、でも。

誰かのために、本気で怒れる強さを持っている。

 

アヤネちゃんは、しっかり者で、気が利いて。

私たちが道を踏み外しそうになると、ちゃんと叱って、正しい方向へ戻してくれる。

 

……そんな子たちだ。

 

そんな、真っ直ぐで、眩しい子たちに。

 

私が、先輩面して、

偉そうに、

わかった風な顔で、

隣に立っていること自体が。

 

どうしようもなく、気持ち悪い。

 

私なんかが、関わっていい存在じゃない。

 

私の大事な後輩たちに、

私みたいな人間が、影を落としていいわけがない。

 

――私が、関わらない方がいい。

 

そんなことまで、思ってしまう。

 

その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥がひどく冷えた。

自分で自分を遠ざけようとしているのが、はっきりとわかる。

 

椅子に座ったまま、私は動けずにいた。

 

夕暮れの光は、少しずつ薄れていく。

教室の隅に溜まる影が、静かに広がっていく。

 

その中で、私はただ、自分の存在が溶けて消えてしまえばいいと、ぼんやり思っていた。

 

でも、ここで私が何を思っていようと、明日はやってくる。

世界は、私の心情なんて一切考慮せず、当たり前の顔で朝日を差し出してくる。

 

私は、みんなの前から消えられない。

 

消えてはいけない。

 

それは使命感でも、美談でもない。ただの事実だ。

私がいなくなれば、いろいろなものが崩れる。それだけの話。

 

これは、私が始めた物語だ。

借金返済という、出口の見えない、滑稽な物語。

 

途中で投げ出す資格なんて、最初から私にはない。

 

だから、また明日からも、私は“頼れる先輩”の皮を被る。

だらしなくて、気の抜けた笑顔で、ほんわかとした小鳥遊ホシノを演じ続ける。

 

つらくても。

胸の奥に罪悪感が積もって、息が詰まりそうになっても。

それが、私の役目だから。

 

「……う……あぁ……」

 

喉の奥から、情けない声が漏れた。

 

耐えきれなかった。

感情が、堰を切ったように溢れ出す。

 

涙が、ぽたぽたと床に落ちる。

止め方がわからない。止める理由も、もう見つからない。

 

みんなを騙しているという罪悪感。

何も打ち明けられない孤独。

解決の糸口すら見えない現実。

そして――これが、明日も、明後日も、ずっと続いていくという確信。

 

それら全部が、一度に押し寄せてきて、心を押し潰した。

 

「私だって……私だって頑張った……!」

 

誰に向けるでもなく、声を荒らげる。

 

「寝る間も惜しんで……借金の返済も……パトロールも……一日も欠かさなかった……!」

 

息が乱れ、言葉が途切れ途切れになる。

 

「……なのに……なんで……なんでこんなことに……」

 

答えは、どこにもない。

問いを投げた瞬間に、空気に溶けて消えていく。

 

私はもう、“強い先輩”を保てなくなっていた。

それを維持するだけの心の筋力が、完全に擦り切れていた。

 

誰かに頼れたら。

誰かに弱音を吐けたら。

 

そんなことを考えるだけで、笑えてくる。

そんなの、夢物語だ。

 

現実は、いつだって非情で、正直だ。

逃げ場を与えてくれない。

 

私は、ひとしきり泣いたあと、ふらふらと立ち上がった。

足元がおぼつかない。視界が歪む。

 

そして、倉庫へ向かった。

 

ひんやりとした空気。

薄暗い室内。

積まれたまま、使われることのなかった危険な物。

 

私は、それらを、自分の前に並べた。

 

数だけを見れば、圧倒的だった。

過去に見たどんな光景よりも、重く、決定的な量。

 

これだけあれば――

そんな考えが、自然と浮かぶ。

 

……終われる。

 

胸の奥が、妙に静かだった。

恐怖も、躊躇も、感情が一周して、何も感じなくなっていた。

 

私は、虚ろな目で、それを見下ろす。

指先が、わずかに震える。

 

そのときだった。

 

静寂を破る、小さな振動音。

ポケットの中で、スマホが震えた。

 

視界の端で、それを捉える。

反射的に、目を向けてしまった。

 

――セリカちゃん。

 

画面に表示された名前が、やけに現実的で、胸に突き刺さる。

 

私は、ゆっくりとメッセージを開いた。

 

『ホシノ先輩、今日疲れてそうだったね。

あんなことがあったんだから仕方ないよ。

明日、みんなの分のスイーツを買って持っていくから、

みんなで食べて気を治そう。

また明日ね』

 

短い文章。

特別な言葉なんて、ひとつもない。

 

それなのに。

 

私は、その文字を何度もなぞるように読んで、

そして、ゆっくりと、手を離した。

 

「……私は……私は、何を……」

 

力が抜けて、膝が震える。

その場に座り込みそうになるのを、なんとか堪える。

 

「死ん……死のうとして……!」

 

声が裏返る。

 

「それで……それで、なんの解決になるっていうんだよ……!」

 

怒りが、自分自身に向かって噴き出した。

 

「私一人で逃げるのか……!?

ふざけるな……ふざけるなよ……!」

 

歯を食いしばる。

 

「今まで……みんなを引っ張ってきたお前が……!

ここで逃げていいわけないだろうが……!」

 

私は、自分を殴った。

鈍い衝撃。

口の中に、鉄の味が広がる。

 

それでも、少しだけ、現実に戻れた気がした。

 

私は、ひとつひとつ、静かにそれらを片付けた。

逃げ道を、自分で潰すように。

 

明日から、また日常が始まる。

 

みんなと笑って。

みんなと悩んで。

みんなと過ごす、いつもの日々。

 

それは、どうしようもなく重くて、

どうしようもなく苦しくて。

 

それでも、私が生き続けなければならない現実だった。

 

ーーー

 

家についた。

 

鍵を回す音が、やけに大きく響いた。

人気のない部屋に足を踏み入れた瞬間、外で張り詰めていた何かが、ぶつりと切れた気がした。

 

靴を脱ぐのも億劫で、そのまま廊下を進む。

制服のまま、ベッドに向かって身体を投げ出した。

 

布団が、柔らかく受け止めてくれる。

顔に触れるシーツの感触が、ひどく優しくて、胸の奥がきゅっと縮んだ。

 

――このまま、眠ってしまいたい。

 

意識を手放して、今日という一日をなかったことにしてしまいたい。

目を覚ましたら、全部が夢だった、なんてことにならないだろうか。

 

そんな甘えた考えが、喉元までせり上がる。

 

けれど。

 

「……だめだ」

 

私は、布団に沈みかけた身体を、無理やり起こした。

ここで眠ってしまったら、きっと、何か大事なものまで一緒に手放してしまう気がした。

 

制服の上着を脱ぎ、ハンガーにかける。

いつもなら、何も考えずにやっている動作なのに、今日は一つ一つがやけに重い。

 

シャツのボタンを外しながら、風呂に入ろうと立ち上がろうとした、そのときだった。

 

ベッドの横。

小さな机の上に、違和感があった。

 

「……?」

 

見覚えのない、黒い封筒。

 

部屋の中で、そこだけ色が抜け落ちたように異質だった。

艶のない黒。装飾もない。

ただ、封筒の表面には――黒髪に、稲妻のような白い亀裂が走る、不気味な模様。

 

宛名も、住所も、郵便番号も書かれていない。

封も、されていなかった。

 

嫌な予感が、背筋を這い上がる。

 

私は、しばらくその封筒を見つめてから、そっと手を伸ばした。

指先が、微かに震えているのがわかる。

 

封筒は、やけに軽かった。

 

中から出てきたのは、二枚の紙。

 

一枚は、折られていない紙――手紙だろう。

もう一枚は、きっちりと半分に折られていて、表からは何が書かれているのかわからない。

 

胸の奥が、嫌な音を立てた。

 

私は、まず手紙の方を取った。

理由なんてない。ただ、もう一枚を見るのが、無性に怖かった。

 

紙を広げ、視線を落とす。

 

 

小鳥遊ホシノ様

 

お久しぶりです。ついこの間、私の部屋をあなたが破壊して出ていったとき以来ですね。

 

あの時は驚きましたが、今回はそんなことを伝えるために手紙をよこしたのではありません。

 

あなた、今日真田利コハクさんに契約について聞いたでしょう?

 

それで怖気付いて私との契約をしぶられては困りますから、私からアドバイスです。

 

真田利コハクのことは忘れなさい。あなたにとっても彼女にとっても、それが最善でしょう。

 

彼女も、そう言ったはずです。

 

今後とも、あなたのご活躍をますます期待しています。

 

黒服

 

 

読み終えた瞬間、胃の中がひっくり返るような感覚に襲われた。

 

「……っ」

 

喉の奥が熱くなり、視界が歪む。

私は慌てて口を押さえ、トイレへ駆け込んだ。

 

吐いた。

胃液ばかりで、何も出てこないのに、身体が勝手にえづく。

 

黒服。

あの男からの手紙。

 

今日の出来事を、すべて知っている。

コハクちゃんと、私が何を話したのか。

どこまで踏み込もうとしたのか。

 

――忘れろ。

 

まるで、命令のように。

 

口をゆすぎ、鏡を見る。

顔色は最悪で、目の下に濃い影が落ちていた。

 

「……くそ……」

 

ふらつく足で部屋に戻る。

机の上には、もう一枚の紙が残っている。

 

それが、やけに存在感を放っていた。

 

一枚目が手紙だとすれば、二枚目は何だ。

なぜ、折られている。

 

わかっている。

直感が、これ以上ないほど強く警鐘を鳴らしていた。

 

見なければいい。

そう思うのに、手は止まらない。

 

私は、ゆっくりと、その紙を開いた。

 

――そこに写っていたのは。

 

血まみれで、片腕のない、コハクちゃんの姿。

 

一瞬、理解が追いつかなかった。

脳が、現実を拒絶した。

 

次の瞬間、頭の奥が、白くなった。

 

「……は……?」

 

写真の中の彼女は、見覚えのある服を着ていた。

でも、腕がない。

血で濡れた床。歪んだ構図。

 

作り物だ、と思いたかった。

けれど、そんな都合のいい嘘をつけるほど、私は鈍くなかった。

 

「……っ……!」

 

今まで感じたことのない種類の怒りが、身体の底から噴き上がってきた。

 

視界が赤く染まる。

心臓が、耳元でうるさいほどに鳴る。

 

私は、反射的にショットガンに手を伸ばしていた。

 

「殺す……」

 

家を飛び出そうと、ドアに向かう。

今すぐにでも、あの男のところへ行って、引き金を引きたい。

 

でも。

 

ドアノブにかけた手が、止まった。

 

今、衝動のまま動いたところで、何が変わる。

状況は、きっと、最悪の方向へ転がるだけだ。

 

コハクちゃんを、さらに危険に晒すだけだ。

 

私は、荒い呼吸を必死で抑え、深く息を吸った。

吐いて、吸って。

何度も繰り返す。

 

ショットガンを、そっと床に置く。

 

膝が震え、ベッドに座り込んだ。

 

頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。

怒りも、恐怖も、後悔も、全部が絡まり合って、ほどけない。

 

でも、一つだけ、はっきりしたことがあった。

 

黒服は、コハクちゃんを「脅し」に使った。

忘れさせるために。

私を、従わせるために。

 

その時点で、もう答えは出ていた。

 

私は、写真を握りしめた。

 

偽善でもいい。

拒まれてもいい。

私が間違っていると言われてもいい。

 

たとえ――そのせいで、私が死ぬことになったとしても。

 

私は、決意した。

 

コハクちゃんだけは、助ける。

 

何を犠牲にしても。

 




ホシノ…なんていい子なんだ!

勝手に一人で抱え込んで。

頼れる先輩じゃなくてもみんなは受け入れてくれるのに、それを信じれなくて。

そうやって自分で自分の逃げ道塞いで、勝手に落ちていくのがすっごく好き!

そんでもって、この状態のまま今後もしばらく日常を過ごすのがとっても滑稽!

こんな状態のホシノが、コハクがツルギと戦ったって知ったらどんな行動に出るんだろうか?

気になる!なんならホシノのために、コハクには負けてもらおうかとさえ思ってしまうね。

そんで持って、ホシノが二人の決闘所に突入していくんだ。素晴らしい。

まさに愉悦だよ愉悦。こんなに美しいものが他にあるかな?いや、ない。

ってことで、長々と書きましたが、みなさんホシノ視点の愛読ありがとうございました。

次回からは、本編だけかもしれませんし、何かをくっつけて書くかもしれません。

引き続き、ご愛読の方よろしくお願いします。
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