楽しかった、テンション上がった。
喉がバカみたいに痛い。
私は、食べ終わった食器を一つずつ重ね、慣性固定の箱へと戻していった。
陶器が触れ合う乾いた音が、部室の静けさの中で妙に大きく響く。さっきまで充満していた料理の匂いは、もうほとんど残っていない。代わりに、満腹後特有の、少し緩んだ空気が漂っていた。
横に目をやると、サンゴも同じように食器を片付けている。
動作に一切の無駄がない。
皿の汚れ具合を確認し、重ねる順番を迷うことなく決め、箱の中に収めていく。私は「昼飯を食べさせて」としか頼んでいないはずなのに、彼女の中では“食事”という行為は、どうやら準備から後片付けまでを含めた一連の工程として定義されているらしい。
「……律儀だね。片付けまでしてくれるなんて」
思わずそう呟くと、サンゴは一瞬だけこちらを見た。
「食事とは、摂取と整理までを含めた行為だと認識しています」
淡々とした返答。
感情の揺らぎは一切ない。
それが彼女の“正常”なのだと、頭では理解している。それでも、どこか胸の奥がむず痒くなるような感覚が残る。
一方で、ミコトはまだレイに唐揚げを食べさせていた。
レイは半分寝かけたような状態で口を開け、ミコトが差し出した唐揚げをもぐもぐと咀嚼している。
「……サラさんはどうしますか? 起こします?」
私は、視線をそちらに向けたままレイに問いかけた。
「サラは……まあ、起こさなくていいんじゃない?」
レイは、眠そうな目を細めながら答える。
「見てると、久しぶりに本当に熟睡してる感じだしさ」
確かに、サラは机に突っ伏したまま微動だにしていない。
呼吸は穏やかで、肩が規則正しく上下している。
起こす理由は、特にない。
「わかりました」
私は短く返し、その判断に従った。
サンゴがすべての皿を箱に戻し終えたのを確認してから、私は彼女に向き直る。
「サンゴ、自分のご飯、食べて」
「了解しました」
サンゴは即座に返事をし、自分の席に座る。
ハンバーグ定食の蓋を開け、箸を取る。
そして、何の躊躇もなく食事を開始した。
何度見ても、不思議な光景だ。
姿勢は正しい。
箸の持ち方も適切。
ご飯、ハンバーグ、付け合わせ、スープを順に取り、いわゆる“三角食べ”を忠実に実行している。
それなのに、そこには決定的に欠けているものがある。
香りを楽しむ様子もない。
一口目に対する期待もない。
味に対する評価も、感嘆も、落胆も存在しない。
彼女にとって食事は、栄養を取り入れるための作業でしかないのだろう。
“美味しい”という概念が、そもそも定義されていないかのようだ。
私は、無意識のうちに彼女の横顔を観察していた。
咀嚼の回数は一定。
嚥下のタイミングもほぼ同じ。
スープを飲む量も、毎回ほとんど変わらない。
完璧すぎて、逆に人間味がない。
ものを食べることが好きな私にとって、それは何度見ても慣れない光景だった。
食事は、感情と結びつくものだ。
嬉しい日も、疲れた日も、怒っている日も、味の感じ方は微妙に変わる。
それが生きている証だと、私は思っている。
──だからこそ、彼女に“心”を植え付けたいのかもしれない。
ふと、そんな考えが頭をよぎった。
ーーー
しばらくして、サラを除く全員が食べ終わった。
レイはようやく自力で姿勢を保てるようになり、ユリも椅子に深く座り直して息を整えている。
私は、慣性固定の箱を部室の隅に置いた。
「今日はもう、これで解散にします」
そう告げると、レイが力なく手を振った。
「賛成……今日はもう、何も考えたくない……」
ミコトも頷いている。
私は、サンゴと視線を合わせ、軽く顎を引いた。
それを合図に、二人で部室を後にする。
廊下に出ると、昼休みの喧騒はすでに落ち着き始めていた。
食事を終えた生徒たちが、次の授業へ向かう準備をしている。
遠くから、チャイムの予告音が微かに聞こえた。
「今日はこのまま帰るから、ついてきて」
私は、歩きながらサンゴに告げる。
「了解しました」
彼女の返答は、相変わらず簡潔だ。
校舎を出ると、外の空気は少しだけ冷えていた。
午前中の熱気が引き、風が肌を撫でる。
私は一度立ち止まり、空を見上げた。
明日。
鷲見セリナと、救護騎士団。
一週間前に取り付けた約束が、いよいよ明日に迫っている。
彼女の持つ、異常とも言える神秘量。その根源を調べさせてもらう。
アスナの直感は、未来視に近い領域にまで達していた。
それ以上の神秘量を持つセリナには、どんな特性が隠されているのか。
期待と警戒が、同時に胸の中に広がる。
帰路につきながら、私は頭の中で明日の段取りを反復した。
考えるべきことは多い。
家に戻ると、私はすぐに作業に取り掛かった。
机の上に資料を広げ、端末を起動し、チェックリストを一つずつ潰していく。
夜が更けても、私は手を止めなかった。
疲労は感じているはずなのに、思考は冴えている。
──明日に備えなければならない。
それだけが、今の私を動かしていた。
翌日、私は朝早くにトリニティ自治区へと足を踏み入れていた。
まだ太陽は高くなく、空気には夜の名残がわずかに漂っている。石畳の道を踏みしめるたび、靴底から伝わってくる感触がやけに鮮明だった。トリニティの朝は、いつ来ても独特だと思う。
ミレニアムのように、深夜でも研究棟や工房の明かりが落ちることはなく、人工的な白光が空を染めることもない。
ゲヘナのように、朝から怒号と銃声が入り混じり、何かしらが爆発している気配もない。
ただ、静かだ。
建物の影から伸びる朝の影は長く、風が吹くたびに街路樹の葉が擦れ合って、かすかな音を立てる。その音すら、この場所ではよく響く。人影もまばらで、通学途中と思しき生徒がぽつりぽつりと歩いているだけだ。
平和。
それ以上でも、それ以下でもない。
けれど、その平和さが、ほんの少しだけ胸に引っかかる。
静かすぎるがゆえの、取り残されたような感覚。そんなものを覚えるのは、きっと私がミレニアムに慣れてしまったからなのだろう。
私は手首を持ち上げ、時計を確認した。
針は、午前八時を少し回ったところを指している。
「……だいぶ早く来たな」
誰に聞かせるでもなく、独り言を零す。
鷲見セリナとの待ち合わせは昼過ぎだ。
救護騎士団の施設で会う約束になっているが、今から向かっても早すぎる。さすがに、向こうにも迷惑だろう。
だが、だからといって無駄な時間ではない。
今日、ここに早く来たのには理由がある。
それは──銃を買うためだ。
私は歩きながら、自然とそのことを考えていた。
高校に入ってから、まだ一週間ほどしか経っていない。
それでも、その短い時間の中で、私ははっきりと自覚したことがある。
私は、そんなに強くない。
確かに、私は身体能力が高い。
常人離れした運動性能と、致命傷すら無視できる再生能力を持っている。正面から殴り合えば、大抵の相手には勝ててきた。
だが、それはあくまで“初見殺し”と“ゴリ押し”の産物だ。
相手が私の特性を理解し、距離を保ち、冷静に対処してきた場合──その時、私はどこまで通用するのか。
答えは、もう出ている。
C&C。
もし、次に本気でぶつかることがあれば、四人とも、一対一で勝つのはまず不可能だろう。
距離を取られ、遮蔽物を使われ、弾幕を張られれば、私は近づくことすらできない。再生能力があるとはいえ、体力は有限だ。撃たれ続ければ、いずれ動けなくなる。
それでは、だめだ。
私は歩みを止め、街路の一角で立ち止まった。
視線の先には、荘厳な教会建築が並んでいる。朝日に照らされた白い壁が、やけに神々しく見えた。
今までの戦い方は、限界に来ている。
それを認めなければならない。
問題は、どう変えるかだ。
私は銃の腕が、壊滅的に悪い。
それは自覚している。
照準を合わせるのが苦手で、反動の制御も上手くない。
だからこそ、今までは大口径のハンドガンを使ってきた。
当たれば、それで十分な威力がある。
細かい狙いをつける必要もなく、近距離で叩き込めばいい。
だが、そのスタイルは、すでに見透かされている。
「……じゃあ、どうするか」
私は、心の中でそう問いかけた。
考えた末に出た答えは、単純だった。
距離を取られても問題ない武器を持てばいい。
つまり──スナイパーライフルだ。
小さく息を吐く。
アサルトライフルですら、まともに弾を当てられない私が、スナイパーなど扱えるのか。普通に考えれば、無謀もいいところだ。
だが、それでも問題はない。
当たるまで撃てばいいのだから。
当たるまで、というか、障害物ごと打ち抜けばいい。打ちまくればいつしか当たるだろう。
今まで、それができなかった理由は単純だ。
私が使ってきたトリプルアクションサンダーは、一発装填式。撃てる弾は一発きりで、外せば次の装填まで隙が生まれる。
しかも、私は普通の学生なので金銭的に、大口径の銃弾をばかすか撃てるほど金銭的に余裕はない。
装弾数は、問題ない。大抵のスナイパーは、少なくとも六発くらいは装填できる。
問題は、お金の方だが…その答えも、すでに用意してある。
黒服さんだ。
思い出すのは、少し前のやり取り。
──『私のコピー体を、もっと自由に使わせてほしい』
彼は、そう言っていた。
カイザー理事のように、好きな時に、好きな数だけ、私のコピー体を使いたいのだと。
今までは断ってきた。
私にとって、あまりにもメリットが薄かったからだ。
だが、今回は違う。
私は、追加の契約を結んだ。
『黒服さんは、私のコピー体を、好きな時、好きな数だけ作らせる権利を得る。その代わり、私の武装に必要な資金を全面的に支援する』
条件は、それだけだ。
黒服さんは、神秘の研究をより深く、より自由に行える。
私は、武装の予算を一切気にせず、戦えるようになる。
双方にとって、明確な利益がある。
悪くない契約だ。
いや、正直に言えば、かなりいい。
私は歩きながら、拳を軽く握った。
これで、私はもう“金がないから”という理由で選択肢を狭める必要はない。
武器も、装備も、戦い方も。
すべて、自分に必要なものを選べる。
そのために、私はこの街に来た。
トリニティの静かな朝の中で、私はそう確信していた。
ーーー
コハク過去編 9
「しかし、その前に」
黒服さんは、中央の拘束装置から静かに離れ、私のほうへ歩み寄ってきた。
金属床を踏む足音は低く、規則正しく、やけに落ち着いている。その一歩一歩が、この空間の主導権を完全に握っていることを示しているようだった。
「あなたの体を、詳細に調べなくてはいけません」
私は自然と背筋を伸ばした。
「そうしないと、恐怖の付与前と付与後の差異が正確に比較できませんからね」
たしかに、と私は即座に納得する。
この実験は“変化”を観測するものだ。ならば、変化前の基準値が必要なのは当然だった。
「わかりました。何をすればいいですか?」
自分でも驚くほど、即答だった。
今日会ったばかりの、どう考えても危険人物な黒服の男に「体を調べる」と言われているというのに、疑念も躊躇も、私の思考にはほとんど浮かんでいない。
今の私は、それほどまでに高揚していた。
(……神秘のデータが取れる。しかも、あの装置とこの設備で)
冷静に考えれば異常だ。
十二歳の少女が、自分の身を実験台として差し出すことに、ここまで前向きでいられるのは。
あとから振り返れば、きっとこう思うのだろう。
先に“恐怖を流し込む装置”を見せたのは、黒服さんなりの心理誘導だったのではないか、と。
だが、この時の私は、そんなことに思い至る余裕すらなかった。
「では、こちらに来てください。まずは身体能力からです」
黒服さんはそう言って、研究室の中央から少し外れた区画へ私を案内した。
床には分厚いマットが敷かれ、その周囲には見慣れない計測装置がいくつも配置されている。
拘束装置のあるエリアとは違い、ここはどこか体育館や測定室に近い雰囲気があった。
「ここで、基本データを取ります」
私は指示されるまま、靴を脱ぎ、マットの中央に立つ。
最初は、身長と体重、座高。
床からせり上がるように伸びた計測アームが、私の頭頂に軽く触れ、次いで足元のパネルがわずかに振動した。
『身長:135.0cm
体重:30.0kg
座高:72.0cm』
無機質な電子音とともに、モニターに数値が表示される。
「……あれ?」
私は思わず首を傾げた。
「体重、軽くなってる…」
「そうですね。数週間前の記録では、31.2kgでした」
黒服さんは、即座に別のデータを参照しながら答える。
は?え?数週間前の私の体重知ってるんですか?
いや…まあそりょそうか、初対面時に私の体重言おうとしてたし。
「最近、ちょっと頑張りすぎたかもですね……」
次は、体組成。
装置の上に立つと、微弱な電流が流れ、体の内部情報が一瞬で読み取られていく。
『体脂肪率:11%
筋肉量:38%
骨量:2.5kg』
「……おお」
思わず、声が漏れた。
体脂肪率11%。
数字だけ見れば、完全に痩せすぎだ。
「これは、一般的な基準からするとかなり低いですね」
「ですよね……」
「ですが、筋肉量は非常に多い。年齢、性別を考慮すると異常値です」
筋肉量38%。
数字を見て、私は無意識に自分の腕や脚を眺めた。見た目はそこまでゴツくないのに、内部は完全に別物らしい。
「骨量も、この年齢帯としては高いですね。成長段階を考えると、非常に頑丈です」
「……へえ」
正直、骨量についてはよく分からない。
だが、褒められていることだけは理解できた。
続いて、筋力測定。
最初は握力。
装置を握った瞬間、センサーが赤く点灯する。
「最大出力で、どうぞ」
言われるまま、私は思いきり握り込んだ。
『握力:80kg』
「…………は?」
一瞬、思考が停止した。
「……え?」
私は表示された数値を、二度見、三度見する。
「80キロ……?」
黒服さんも、わずかに目を細めた。
「……これは、想定以上ですね」
「いやいやいや、おかしいでしょ!? 80キロって!」
自分でツッコミを入れてしまう。
「いくらキヴォトスの生徒でも、これはちょっと……」
次は脚伸展筋力。
脚を装置に固定され、全力で蹴り出す。
『脚伸展力:105kg』
「ちょっと待って!?」
さらに背筋力。
『背筋力:130kg』
「いやいやいやいや!!」
思わず、装置から降りて声を上げた。
「なんですかこれ!? 私、フィジカルモンスターじゃないですか!?」
黒服さんは、冷静にメモを取りながら言う。
「数値的には、完全にそうですね」
「そんな冷静に言わないでくださいよ!」
握力80キロ、脚105キロ、背筋130キロ。
どれも、普通の人間はおろか、鍛えた大人でも簡単には出せない数字だ。
「……これ、特訓の成果ですか? それとも……神秘?」
「両方でしょう」
黒服さんは、即答した。
「あなたの場合、神秘が肉体に与える影響が、非常に強く出ているようです」
その後も測定は続いた。
垂直跳び。
立ち幅跳び。
シャトルラン。
短距離スプリント。
どの種目でも、モニターに表示される数値は、私の予想を軽々と超えていく。
「……これ、本当に私ですか?」
測定が一通り終わった頃には、私は軽く息を切らしながら、床に腰を下ろしていた。
息は上がっているのに、体はまだ余力を残している感覚がある。
疲労よりも、奇妙な充実感のほうが強い。
「これらの数値は、キヴォトスの生徒の中でも、かなり上位です」
黒服さんはそう言って、データをまとめる。
「しかも、まだ成長途中。伸び代も含めると……非常に興味深い」
私は、自分の手を見つめた。
細く、小さく、どこから見ても普通の少女の手。
それなのに、この手は80キロの力を叩き出す。
(……なんで、こんなに……)
自分の身体能力に感心する気持ちと同時に、強い疑問が胸に湧いてくる。
なぜ、私はここまで強いのか。
なぜ、神秘はここまで肉体に作用しているのか。
その答えを知りたい――
その欲求が、私の中で、静かに、しかし確実に膨らんでいった。
最近ね、スルメの天ぷらというものに出会いました。
凄まじかったです。旨み、塩味、食感の全てが快楽中枢を刺激するためにできているように感じました。
初めてファミチキを食べた時の感動を超える、あたらしい世界の幕開けのような気分になりました。
きっと私が二十歳になったらスルメの天ぷらで酒を飲むのだろうな。