救護騎士団の受付の奥――
人の気配が、ひとつ増えた。
雑音の少ない建物の中では、わずかな変化でもよくわかる。
重さのある足音。
それでいて無駄のない、一定のリズム。
私は、スマホから視線を上げた。
奥の通路から、少し大きめの人影が現れる。
背は高く、体格も良い。肩幅が広く、制服の上からでも鍛えられているのがわかる。
水色の、さらりとした髪。
その色と同じ、少し大きめの羽が背に揺れている。
――蒼森ミネだ。
実物を目にするのはこれが初めてだが、噂に違わぬ存在感だった。
歩いているだけなのに、周囲の空気が自然と引き締まる。
彼女はまず、受付付近に立っている鷲見セリナを見つけた。
一瞬、視線が柔らぐ。
その後、隣に立つ私へと目を向ける。
視線が合った瞬間、私は無意識に背筋を伸ばしていた。
「あなたが――」
蒼森ミネは、歩みを止め、私の正面に立った。
思ったよりも近い距離。見上げる形になる。
「セリナさんの身体を調べたい、と言っている方で間違いありませんか?」
声音は穏やかだ。
だが、その奥にある警戒心は隠されていない。
敵対的ではない。
しかし、信用もしていない。
救護騎士団団長として、当然の態度だろう。
「はい」
私は一歩前に出て、姿勢を正した。
「真田利コハクと申します」
そう名乗り、深くはないがはっきりと頭を下げる。
蒼森ミネは、その様子をじっと観察していた。
視線は鋭いが、威圧するためのものではない。
相手を測るための視線だ。
顔を上げた瞬間、改めて思う。
――近くで見ると、やはり重厚感がある。
身長は、170センチに届きそうだ。
それ以上に、体つきがいい。無駄な肉がなく、全体が引き締まっている。
救護騎士団団長という肩書きだけでなく、
「前線に立つ人間」の身体をしている。
正面から戦えば、間違いなくボコボコにされる。
そんな確信が、自然と湧いてくる。
「……」
数秒、沈黙。
その沈黙を破ったのは、蒼森ミネのほうだった。
「なるほど」
少しだけ口角を上げ、私を見下ろす。
「なんというか……想像していたより、ちっちゃくて可愛らしい方ですね」
予想外の言葉だった。
「もっとこう……怪しい研究者然とした、大人の方を想像しておりましたから」
悪意は感じられない。
むしろ、率直な感想なのだろう。
「……ちっちゃくて、可愛い」
私は一瞬、言葉を反芻した。
「褒められてるのかどうか、微妙な塩梅ですね……なんだか複雑です」
正直な感想をそのまま口にする。
蒼森ミネは、少し驚いたように目を瞬かせたあと、
ふっと柔らかく笑った。
「もちろん、褒めていますよ」
その笑顔は、さっきまでの警戒を思わせないほど穏やかだった。
しかし――
「えーっと」
蒼森ミネは、軽く咳払いをする。
空気が、切り替わった。
笑みは消え、表情は一転して真剣なものになる。
公私の区別がはっきりしているタイプなのだろう。
「今回、私が同行する理由については、すでにセリナさんから聞いていると思いますが」
言葉を区切り、私をまっすぐに見る。
「今一度、確認させてください」
視線が、より鋭くなる。
「あなたが、セリナさんの身体を調べる目的は――何ですか?」
単刀直入な問い。
トリニティの中でも一目置かれる存在。
曖昧な説明や、誤魔化しは通じない。
私は、余計な前置きを省くことにした。
「端的に言えば、私が行っている研究のためです」
落ち着いた声で、はっきりと答える。
「私は、神秘をテーマに研究を行っています」
蒼森ミネは、黙って聞いている。
途中で遮ることはしない。
「キヴォトスの生徒たち特有の現象――ヘイローや、身体構造、耐久性、回復特性など」
言葉を選びながら、続ける。
「それらを総合的に調べる中で、鷲見セリナさんの神秘が、他の生徒とは少し違う特性を持っている可能性があると判断しました」
鷲見セリナが、わずかに緊張した様子でこちらを見る。
私は気にせず、話を続けた。
「その検証のために、私から直接声をかけました。
測定内容と目的を説明した上で、その場で了承をいただきました」
淡々と。
余計な感情を交えず、事実だけを並べる。
「その結果、今日の昼過ぎに測定を行う、という流れになっています」
説明を終え、私は口を閉じた。
蒼森ミネは、すぐには何も言わなかった。
顎に手を当てることもなく、腕を組むこともない。
ただ、じっと私を見ている。
視線は鋭いが、敵意はない。
考え込んでいる、という表情だ。
救護騎士団団長として。
そして、鷲見セリナの上司として。
彼女は今、私の言葉を一つひとつ咀嚼している。
――この場で、結論は出ないだろう。
私はそう思いながら、静かに次の言葉を待った。
「……改めて聞いても、正直なところすべてが理解できたとは言い難いですが」
蒼森ミネは、ゆっくりと息を吐きながらそう言った。
その視線は、私の顔から逸れることなく、しかし先ほどまでの鋭さは幾分か和らいでいる。
「要するに――セリナさんの身体、正確には“神秘”に興味があり、研究目的で調べたい。
そういう認識で、間違いはないのですね」
言葉を選びながら、慎重に確認してくる。
「はい」
私は、即座に頷いた。
「邪な感情や、よからぬ企みがあるわけではありません。
あくまで研究の一環としてです」
一切の誇張も、装飾もなく。
ただ事実だけを伝える。
蒼森ミネは、数秒間沈黙した。
視線を外し、少しだけ考え込むように顎を引く。
周囲では、受付の奥から救護騎士団員が行き来し、書類の束が擦れる音や、遠くで開閉する扉の音が聞こえていた。
「……わかりました」
やがて、彼女は顔を上げた。
「現場を見ない限り、完全に納得したとは言えません。
ですが」
一歩、私のほうへと踏み出す。
「私が同行するという条件付きで、許可を出します」
はっきりとした口調だった。
逃げ道を残さない、団長としての決断。
「ありがとうございます」
私は、自然と背筋を正し、軽く頭を下げた。
そのまま顔を上げ、今度は鷲見セリナのほうを見る。
「鷲見セリナさん。
蒼森団長の同行という条件で、問題ありませんか?」
セリナは一瞬だけ視線を泳がせたあと、すぐに小さく頷いた。
「はい。構いません」
声は控えめだが、意志ははっきりしている。
「わかりました」
私は一つ息を整え、言った。
「それでは、検証のほうを始めていきましょう」
そう告げると、私は先に歩き出した。
救護騎士団の建物の出口へと向かう。
背後で、二人の足音が重なる。
蒼森ミネの落ち着いた足取りと、セリナの少し控えめな歩調。
建物を出ると、昼下がりの光が一気に視界に流れ込んできた。
トリニティの敷地内は、相変わらず整えられていて、石畳も植え込みも、どこか品がある。
「……検証、とは言っても」
歩きながら、セリナが少しだけ声を張った。
「具体的には、何をするんですか?」
不安と好奇心が混じった声だった。
「そうですね」
私は歩調を落とさず、考えながら答える。
「まずは質問からです。
それだけで分かることも、意外と多いので」
「質問……」
「それで十分な情報が得られれば、そこで終わりにするかもしれません」
セリナは、ほっとしたような、少し拍子抜けしたような表情を浮かべる。
「もし、それでも分からなければ」
私は続けた。
「身体能力の簡単な測定。
あとは射撃能力の確認、運に関する簡易テスト、共感覚テストなどですね」
「共感覚……?」
「視覚と聴覚が結びついているか、とか。
色を音として感じるか、匂いを形として捉えるか、そういった類のものです」
「へぇ……」
セリナは、素直に感心したような声を漏らした。
「質問って、どんな内容なんですか?」
「それは……」
私は少しだけ間を置いた。
「歩きながら話すのもなんですし、着いてからにしましょう。
もう少しですから」
「もう少し……」
セリナが周囲を見回す。
「……あ、ここですか?」
彼女の視線の先にあったのは、
トリニティの敷地内にある、落ち着いた雰囲気のカフェだった。
淡い色合いの外壁。
大きな窓からは、柔らかな光が店内に差し込んでいるのが見える。
「カフェ……ですね」
蒼森ミネが、小さく呟いた。
「ええ」
私は頷いた。
「話をするには、ちょうどいいかと思いまして。
それに――」
二人を見る。
「お昼ご飯は、もう食べられましたか?」
「いえ」
蒼森ミネが首を横に振った。
「救護騎士団は、だいたい一時過ぎにまとめて休憩が入るので。
私たちは、二人ともまだです」
なるほど、と心の中で頷く。
時間的にも、都合がいい。
私はすでに昼食を済ませているが、
甘いものならいくらでも入る。別腹だ。
「では、軽く何か頼みましょう」
そう言って、私はカフェの扉を開けた。
店内は静かで、昼時にしては人も少ない。
木製のテーブルと椅子が整然と並び、落ち着いた空気が漂っている。
私たちは、窓際の席を選んで腰を下ろした。
それぞれがメニューに目を落とし、簡単に注文を済ませる。
店員が去っていくのを見届けてから、私はバッグの中に手を入れた。
「さて、と」
そう言いながら、事前に用意していたメモを取り出す。
紙の端は少し折れていて、何度も見返した跡がある。
「注文が来る前に、少し済ませておきましょう」
私はメモをテーブルの上に置き、セリナのほうを見る。
「今から、鷲見セリナさんにいくつか質問をします。
それに、答えてください」
セリナは背筋を伸ばし、小さく頷いた。
「質問数は少し多いですが、気にしないでください」
私は続ける。
「答えたくないと思ったものは、無理に答えなくて構いません。
その場合は、黙っていただいても大丈夫です」
「……わかりました」
セリナは、少し緊張した面持ちでそう答えた。
カフェの中に、静かな時間が流れる。
注文した飲み物が運ばれてくるまでの、わずかな空白。
私はメモに視線を落とし、最初の質問に指をかけた。
コハク過去編 15
その後、わたしは研究所のさらに奥――先ほどまでの実験室とは打って変わって、生活感のある別の部屋へと移動することになった。
移動と言っても、わたしはほとんど自力で歩いていない。
黒服さん本人が姿を現し、半ば無言のまま、わたしをそっと促すように導いた。床に散乱した瓦礫を避けるためか、あるいはわたしの足取りがあまりに覚束なかったからか、彼は必要以上にゆっくりと歩いた。
実験室を出る直前、わたしは一度だけ振り返った。
破壊され尽くした空間。焦げた金属、砕けた機械、折れ曲がったアーム。
あれを「自分がやった」と言われても、まだどこか現実として飲み込めていない。
無言のまま、二人でエレベーターに乗る。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
下降する振動の中で、わたしは自分の体を見下ろす。
服は裂け、焦げ、血と油と煤が混じったような汚れが染みついている。
袖口はもはや布と呼べる状態ではなく、ところどころ肌が露出していた。
「……ひどい格好ですね」
エレベーターが止まり、扉が開く。
そこは、先ほどまでの研究区画とは明らかに雰囲気が違っていた。
白を基調とした通路。
壁には余計な装飾はなく、清掃が行き届いている。
空気も、金属や火薬の匂いは一切なく、どこか病院に近い無機質さがあった。
「こちらです」
案内された部屋は、簡素だが十分に広い個室だった。
中央にはベッドが一つ。
壁際にはロッカーと簡易的な洗面台、そして医療用と思しき機器が整然と並んでいる。
「ここで着替えてください」
黒服さんはロッカーを開け、中から折り畳まれた衣服を取り出した。
それは、見慣れた制服でも、戦闘用の装備でもない。
動きやすさを重視した、シンプルな服だった。
柔らかそうな長袖のシャツと、伸縮性のあるパンツ。
サイズは、驚くほどぴったりだった。
「……用意周到ですね」
わたしがそう言うと、黒服さんはごく自然に答えた。
「実験で服が使い物にならなくなる可能性は、最初から想定していましたから」
だが、その言葉の端々には、「当然の準備をしただけだ」という自信が滲んでいた。
なんだか、初対面の時よりも接しやすくなった気がする。
なぜだろうか。あんなことがあったのにも関わらず、私の中で黒服さんへの警戒はもうすでにほとんどなくなっていた。
「では、わたしは外で待っています。着替えが終わったら呼んでください」
そう言い残し、黒服さんは部屋を出ていった。
扉が閉まり、静寂が戻る。
わたしは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
ようやく、一人になったという実感が、じわじわと湧いてくる。
服を脱ぐ。
布が肌から離れるたびに、ぴり、と小さな痛みが走る。
体が、服を巻き込んで再生している。
だが、それは想像していたよりもずっと軽い。
鏡の前に立ち、自分の体を見つめる。
傷は――ほとんど残っていなかった。
小さな擦過傷のような跡がいくつかある程度で、致命的な損傷や深い裂傷は見当たらない。
「……ほんとに、全部……」
再生している。
あれほどの戦闘を行った後だというのに。
今まで、あれほどの規模になるまでの戦闘などしたことがない。
私は覚えてはいないが、黒服さんの話し方によるとおそらく相当な欠損と再生を繰り返していたはずだ。
新しい服に袖を通し、ゆっくりと体を動かす。
引っかかりも、痛みもない。
関節は滑らかに動き、筋肉も違和感なく応答する。
――それなのに。
胸の奥に、説明できない「何か」が残っている。
痛みではない。
疲労とも違う。
もっと、曖昧で、掴みどころのない感覚。
例えるなら、ずっと低い音が鳴り続けているような。
あるいは、自分の体が、自分のものではない時間が確かに存在した、という事実そのものが、違和感として残っているような。
コンコン、と控えめなノックが響いた。
「……どうぞ」
扉が開き、黒服さんが入ってくる。
着替え終わったわたしを一瞥すると、特に驚く様子もなく頷いた。
「問題なさそうですね」
「……一応は」
わたしは、そう答えた。
その後、わたしはベッドに座らされ、改めて身体検査を受けることになった。
全身スキャン。
血液検査。
神秘反応の測定。
神経伝達のチェック。
黒服さんは、端末を操作しながら、淡々と数値を確認していく。
その動きは、先ほどの実験時と何一つ変わらない。
「……どうですか?」
しばらくして、わたしは尋ねた。
「異常は、見つかりましたか」
「現時点では、特に」
黒服さんは、即答した。
「身体構造、神秘反応、細胞活動、いずれも通常範囲内です。先ほどの暴走状態を示す痕跡は、どこにも残っていません」
「……そう、ですか」
安堵するべきなのか、それとも不安になるべきなのか、わからない。
「なんだか、自分の体に違和感があるんです。一時的に勝手に動かされていたからなのか、恐怖による変化なのかはわかりまっせんけど」
自分の胸に手を当てる。
黒服さんは、少しだけ考えるように視線を落とした。
「主観的な感覚については、現段階では解析できません」
冷静な声だった。
「あなた自身の認識と記憶の問題である可能性もありますし、神秘の一時的な状態変化による残響かもしれません」
「……つまり」
「原因不明、ということです」
わたしは、小さく息を吐いた。
予想していた答えではあったが、実際に言われると、胸の奥が少し重くなる。
「ただし」
黒服さんは、続ける。
「今すぐ危険がある兆候は見られません。少なくとも、あなたの体は、正常に機能しています」
「……わかりました」
わたしは、ゆっくりと頷いた。
体は正常。
数値も正常。
見た目にも異常はない。
それでも――
あの時間、確かに「わたしではない何か」が、わたしの体を動かしていたという事実だけが、消えずに残っている。
それが何なのか。
それが、今もどこかに潜んでいるのか。
その答えは、まだ、どこにもなかった。
部屋の静けさの中で、わたしはただ、自分の手を見つめ続けていた。
ーーー
その後、私と黒服さんは並んで、ビルのエレベーターに乗っていた。
重厚な金属製の扉が、低い音を立てて閉まる。
エレベーターは、わずかな振動とともに下降を始めた。
ただ、機械が規則正しく動く低い駆動音だけが、狭い空間に満ちていた。
研究室は大破。
ロボットはほぼ全壊。
そして、私自身も、肉体的にも精神的にも、これ以上の実験に耐えられる状態ではなかった。
それが、今回の実験の終わりを告げる理由だった。
「……本当に、すみませんでした」
沈黙に耐えきれず、私は再び口を開いた。
「研究室も、ロボットも……私が、全部……」
何度目になるかわからない謝罪だった。
言葉にするたび、胸の奥がきゅっと縮む。
だが、黒服さんは、少しも苛立った様子を見せず、むしろ穏やかに微笑んだ。
「気にする必要はありませんよ」
その声は、いつも通り落ち着いていて、感情の起伏が読み取りづらい。
「先ほども言いましたが、非常に貴重なデータが取れました。設備やロボットは、あくまで消耗品です」
彼は、何でもないことのように続ける。
「それに、私の財力は、あの程度の損失で揺らぐほど脆弱ではありません。安心してください」
まるで、壊れたコーヒーカップの話でもするかのような口調だった。
私は、それを聞いて、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
それが、本心からの言葉なのか。
それとも、私を気遣っての便宜上の言葉なのか。
正直、私には判断がつかなかった。
けれど――
少なくとも、その言葉のおかげで、胸に溜まっていた重たいものが、ほんのわずかに軽くなった気がした。
エレベーターは、静かに減速し、やがて停止する。
「到着しました」
機械音声が告げる。
扉が開き、ビルのエントランスフロアが姿を現した。
高い天井。
磨き上げられた床。
ガラス張りの外壁から差し込む、柔らかな光。
だが――
「……おかしいですね」
エントランスに一歩踏み出しかけた黒服さんが、ふと立ち止まった。
その声には、わずかな違和感が混じっていた。
「どうしました?」
私が尋ねると、黒服さんは正面――ビルの巨大な正面扉を見つめたまま、答える。
「扉が……曲がっています」
言われて、私もそちらに視線を向けた。
確かに、違和感があった。
本来、完全に平坦であるはずの分厚い合金製の扉が、わずかに――だが、はっきりと分かるほど――内側に歪んでいる。
まるで、外からとてつもない力で叩きつけられたかのような曲がり方だった。
「この扉は、通常の兵器では歪みません。ミサイル直撃にも耐える設計です」
黒服さんは、低く呟く。
「……何かの襲撃でもあったのでしょうか?」
その言葉に、私の背筋に、ひやりとしたものが走った。
「え……? でも、ここは……」
言葉を続けようとした私を制するように、黒服さんは静かに手を上げた。
「コハクさん、少し待っていてください」
そう言って、彼は懐からタブレット端末を取り出した。
「ドアの外側に、何かがいないかを確認します」
黒服さんは、素早く画面を操作する。
監視カメラ、赤外線センサー、動体検知――複数の映像と数値が、タブレット上に次々と表示されていく。
私は、その横で、ただ息を潜めて待つしかなかった。
数秒。
あるいは、数十秒。
その間に、黒服さんの表情が、わずかに変わった。
いつも冷静で、どこか余裕を感じさせるその顔に、はっきりとした「驚愕」が浮かんだのだ。
「……これは」
その声は、ほんの少しだけ低く、硬かった。
「どうしました?」
私が恐る恐る問いかけると、黒服さんは無言でタブレットをこちらに向けた。
「見てください」
画面に映っていたものを見た瞬間、私の呼吸が止まった。
そこにいたのは――
私だった。
正確には、私のコピー体。
服は、ほとんど原型を留めていなかった。
裂け、剥げ落ち、ところどころ焦げている。
露出した肌には、無数の傷と、乾きかけた血液がべったりと付着していた。
髪も、耳も、尻尾の毛も。
本来の色を失い、血で濡れたような、暗い赤に染まっている。
その姿は、まるで――
戦場を這いずり回ってきた獣のようだった。
「……これって……」
喉が、ひくりと鳴る。
「おそらく」
黒服さんは、画面から目を離さずに言った。
「あなたが、私の家で待機させていたコピー体でしょう」
「……」
言葉が出なかった。
「恐らくですが、あなたが実験中に発した『助けて』という強い指令が、遠隔で伝わったのでしょう」
淡々とした分析口調。
だが、その内容は、あまりにも衝撃的だった。
「元からそういう性質があったのか、それとも、恐怖による異常状態で発現したのか……」
黒服さんは、少し楽しそうですらある声音で続ける。
「どちらにせよ、これは予想外ですね。非常に興味深い」
私は、ただ画面を見つめ続けていた。
コピー体は、正面扉の外に立っている。
いや、正確には――立っているというより、扉に張り付くように、こちらを見ている。
視線が、合ったような気がした。
「……あれが、扉を……?」
私がそう呟くと、黒服さんは軽く頷いた。
「おそらく。扉の歪み具合から見て、かなりの力で叩かれています」
そして、彼はためらいなく、正面扉の操作パネルに手を伸ばした。
「では、確認しましょうか」
「え……開けるんですか?」
「ええ」
黒服さんは、あくまで落ち着いた様子で答える。
「ここで閉じこもっていても、事態は変わりませんから」
操作音が鳴り、重厚なロックが解除される。
だが、扉はすぐには開かなかった。
歪んだ扉が、壁に引っかかっている。
「……少し、力が要りそうですね」
黒服さんがボタンを押し続けると、
ズズズズズ……。
金属が擦れる、不快な音がエントランスに響いた。
壁と扉がこすれ合い、火花が散る。
ゆっくりと、だが確実に、扉は開いていく。
隙間から、外の光が差し込む。
そして――
扉の向こうに、血に染まったコピー体の姿が、はっきりと現れた。
私は、息を呑み、その場に立ち尽くしていた。