両肩、両肘、両手のひら――
六箇所同時噴出。
義肢内部の流路を駆け抜ける血液が、一斉に燃料へと変換される感覚がした。
瞬間、世界が遠のく。
「――っ!」
声にならない息が喉を抜け、視界が白く弾けた。
身体が、吹き飛ばされる。
かなりの血液を消費しているのだろう。頭の奥がじんと痺れ、軽い酸欠が全身を包む。
肺が空気を欲しているのに、思うように吸えない。
それでも噴射は止まらない。
トリニティの敷地を、猛スピードでかっ飛ぶ。
舗装された通路、芝生、植え込み、校舎の影――それらが、視界の端で線になって流れていく。
さながら、ミサイルだ。
風切り音が、遅れて耳に届く。
身体の外側を削るような圧力に、制服がばたつき、スカートがはためいた。
視界の端で、蒼森ミネが「してやられた」とでも言いたげな表情を浮かべているのが見えた。
その隣で、羽川ハスミが、完全に状況を理解しきれず唖然としている。
――悪いね。
心の中で、羽川ハスミに向かってだけ呟く。
だが、私は一刻も早く撤退しなければならない。
蒼森ミネに捕まったら、何をされるかわかったものではない。
「救護」という名のもとに、どこへ連れていかれるかも、どんな手段を取られるかも想像がつく。
それだけではない。
羽川ハスミも、秩序組織の人間だ。
今は私を庇う側に立ってくれているが、状況次第では簡単に立場が変わる。
私が怪しいと判断されれば、蒼森ミネと羽川ハスミ、二人を相手にする羽目になる。
それだけは、絶対に避けなければならない。
だから――
撤退は、必須。
私はそんなことを考えながら、十数秒にも満たない空中旅行を終えた。
視界の先に、地面が迫る。
――受け身。
そう思った瞬間、脳内で冷静な判断が下された。
無理だ。
スピードが、早すぎる。
この速度で下手に手を出せば、義肢に過剰な負担がかかる。
最悪、機構そのものが歪む。
ならば――。
私は、身体を捻り、背中を下に向けた。
次の瞬間。
鈍く、重い衝撃。
「――っ、ぐ……!」
地面に、叩きつけられた。
背中から着地したことで、衝撃は容赦なく骨へと伝わる。
一瞬、呼吸が完全に止まった。
背骨。
肋骨。
逝ったな、これは。
だが、義肢は無事だ。
その感触だけは、確かに残っている。
「……っは……」
遅れて、肺が空気を求めて痙攣する。
喉の奥が焼けるように痛い。
「……手足が再生できないって……なかなか不便だな……」
思わず、そんな独り言が漏れた。
再生能力があるとはいえ、万能ではない。
骨や内臓の損傷は、時間がかかる。
それでも――。
義肢の性能は、十分すぎるほどだ。
再生できない分を補って、なお余りある。
問題は、自分の感覚だ。
再生できる前提で無茶をしてしまいそうになる。
それが、一番怖い。
私は、地面に仰向けになったまま、しばらく動かず、耳を澄ませた。
遠くで、何かが動く気配はない。
……来ていない。
蒼森ミネは、追ってきていないようだ。
おおよそ、五百メートルほど吹っ飛んだ計算になる。
この距離なら、すぐに追いつけるわけでもない。
「……よし」
胸をなで下ろすように、小さく息を吐いた。
私は、ゆっくりと上体を起こした。
「さて、と……帰るか」
腰を持ち上げながら、呟く。
行きがけに見えたカレーパンは、結局買えなかった。
少し残念ではあるが――逃げ切れただけで、よしとしよう。
私は、アンツィオを担ぎ直し、義肢の動作を確かめながら、駅の方角へと足を向けた。
ーーーーー
駅構内に入ると、空気が変わる。
人の気配が濃くなり、先ほどまでの緊張感が、少しずつ薄れていく。
自動販売機。
売店。
改札前の人だまり。
「……何か、買って帰るか……」
軽い痛みをこらえながら、そんなことを考えていると、端末が震えた。
メールだ。
差出人は――クロノススクール。
「……ああ」
画面を見た瞬間、思い出す。
少し前に、カイザー理事に頼んでいた件。
剣先ツルギと、戦いたい。
だから、クロノスに圧力をかけて、企画を作ってくれ、と。
正直、半分は冗談のつもりだった。
だが、理事は本気で動いたらしい。
件名を読む。
『剣先ツルギへの宣戦布告の件について』
……なるほど。
私は、改札横のベンチに腰を下ろし、メールを開いた。
『匿名からの情報ですが、
真田利コハク様が、トリニティの正義実現委員会の治安維持力、
およびそのトップである剣先ツルギの戦闘能力に疑義を感じたため、
正義実現委員会が治安維持組織として足りえるかを確認したい。
ゆえに剣先ツルギに決闘を申し込む――
といった情報が届いております。』
ほう、と内心で頷く。
『本件が事実かどうか。
また、事実であった場合、クロノスの取材に応じていただけるかどうか。
確認のため、ご連絡差し上げました。
もしもよろしければ、下記の電話番号までご連絡ください。』
読み終えて、私は小さく笑った。
「……そういう理由付けか」
カイザー理事、なかなかに抜け目がない。
この理由なら、動きやすい。
実際、キヴォトスにおいて、完璧な治安維持組織など存在しない。
不良は多い。
問題は尽きない。
三大校ともなれば、自治区の広さは桁違いだ。
あちこちで事件が起き、すべてを把握することなど不可能に近い。
正義実現委員会も、きっと日々山のようなクレームを受けているだろう。
もっとパトロールしろ。
人員を増やせ。
現場を知らない声ばかりが、上から降ってくる。
そんな中で、
「本当に治安維持組織として機能しているのか確認したい」
と言い出す輩がいても、何ら不思議ではない。
私は、内心で理事に感謝しつつ、メールに記載された電話番号をタップした。
呼び出し音が、耳元で鳴り始める。
『はい、こちらクロノススクール企画部門です。どう言ったご用件でしょうか?』
耳元で響いたのは、少し掠れた、気だるげな声だった。
明るくもなく、かといって不機嫌というほどでもない。ただ、確実に“疲れている”声。
――まあ、無理もない。
クロノススクールは名目上は「学校」だが、実態はほとんどテレビ局だ。
取材、編集、企画、編成、放送。
生徒とは名ばかりで、日々原稿と映像と締め切りに追われる生活を送っていると聞く。
私はスマートフォンを耳に当てたまま、改札横のベンチに浅く腰掛け、背もたれに体重を預けた。
「真田利コハクというものです。クロノスからメールが届きまして、その返事に電話をかけました」
なるべく淡々と、事務的に名乗る。
相手に余計な警戒心を持たせないためだ。
『真田利コハク様ですね、少々お持ちください』
短く、要点だけを告げる声。
次の瞬間、通話は保留に切り替わり、軽快な電子音のメロディが耳を満たした。
……保留音、意外とポップだな。
頭の片隅でそんなことを考えながら、私は視線を駅構内に巡らせた。
人の流れ。
自動改札を抜ける生徒たち。
売店の前で立ち止まり、パンを選ぶ制服姿。
胸の奥で、蒼森ミネと対峙していた時の緊張がわずかにほどけるのを感じた。
やがて、保留音が途切れる。
『お電話代わりました。取材班のものです。こちらが送ったメールの返答ということで』
先ほどよりも、少しだけ声色が明るい。
仕事の匂いを嗅ぎつけた声だ。
「はい。剣先ツルギに決闘を申し込むという情報ですが、事実です。正真正銘、私が言いました」
一拍も置かず、はっきりと言い切る。
曖昧さは不要だ。
電話口の向こうで、一瞬、息を呑む気配がした。
『おお! ほんとですか!』
弾んだ声。
さっきまでの事務的なトーンの人とは違って、やけに活発な声だ。
『それで⁉︎ わざわざお電話くださったということは、取材の方も⁉︎』
期待が隠しきれていない。
私は思わず、口元を緩めた。
「OKです。私としても、クロノスに広めてもらった方が世間に知らしめることができるので、ありがたいです」
椅子の背に預けていた体を、わずかに起こす。
声に、ほんの少しだけ余裕を混ぜる。
『なるほどなるほど……!』
相手は何かをメモしているのだろう。
カリカリと、紙を走る音が微かに聞こえた。
『そういうことならば、我々クロノススクールが全力を以て報道させてもらいますとも!』
言葉に、力がこもる。
“全力”という単語を、彼らがどういう意味で使うかは、よく知っている。
『取材の方は、コハクさんの方で予定を決められますが、どうしましょうか?』
私は少しだけ考える素振りを見せた。
と言っても、答えは最初から決まっている。
「できるだけ早い方がいいので……明日はどうでしょうか?」
一瞬の沈黙。
そのあと、即座に返事が返ってきた。
『わかりました。明日ですね。』
即断即決。
さすがクロノスだ。
『では、明日は一日中空けておきますので、クロノスの取材班室までお越しください』
「わかりました。ありがとうございます。では」
それ以上、余計な言葉は交わさない。
用件は済んだ。
私は通話終了ボタンを押し、スマートフォンを膝の上に置いた。
――やった。
胸の奥で、小さく拳を握る。
これでもう、実質的に剣先ツルギと戦闘ができることは確定した。
クロノスという大っぴらなメディアに取り上げられて、
「治安維持力に疑問があるから決闘しろ」
などと言われて、正義実現委員会が黙って無視できるはずがない。
必ず、何らかの形で応じてくる。
治安維持力が心許ないのは事実だ。
決闘の申し込み自体は、犯罪でもなんでもない。
大義名分があるとまでは言わない。
だが、“起こり得る状況”を意図的に作り出すことには成功した。
これでいい。
これで、剣先ツルギの戦闘データと身体データが取れる。
私よりは弱い。
だが、再生能力を持った生徒。
その再生の速度、限界、条件。
ダメージの通り方。
それらを把握できれば――
私自身の、この異常な神秘にも、何らかの説明がつくかもしれない。
改札を抜け、ホームへ向かう。
電車に乗り込み、空いた席に腰を下ろすと、車内の揺れが心地よく感じられた。
帰りの電車内での私は、いつもより浮かれていた。
無意識のうちに、足先が小さく揺れている。
口元が緩んでいるのが、自分でもわかる。
それくらいの成果は、確実に得たのだ。
やがて、車窓の景色が変わり始める。
建物の密度が下がり、空が広くなる。
アビドスに近づいてからは、ちゃんとバスに乗った。
コハク過去編 18
コピー体の体についた血液をすべて洗い流し終えた私は、タオルで水気を拭き取り、用意してあった服を一つひとつ着せていった。
ボタンを留め、袖を通し、ずれないように襟元を整える。
「……終わったよ。立てる?」
「はい」
短い返事とともに、コピー体は静かに立ち上がった。
濡れていた毛並みはまだ完全には乾いていないが、白い色はすっかり取り戻している。
さっきまで、あれほど赤黒く汚れていたとは思えないほどだ。
リビングに移動すると、照明は控えめで、窓の外はもう夜の色をしている。
黒服さんの部屋からは、微かに機械音が漏れていた。どうやら本当に仕事中らしい。
私はコピー体をテーブルの向こう側に座らせ、自分も正面に腰を下ろした。
距離は机一枚分。向かい合う形。
「……さっき言ってたやつ」
沈黙を破ったのは私だった。
「神秘の操作。あれ、ちゃんと教えて。順序立てて、丁寧に」
言葉を選びながら、慎重に口にする。
コピー体は一度だけ瞬きをし、こくりと頷いた。
「はい。わかりました」
その声音は、感情の起伏を感じさせない、一定のトーン。
「まず、前提からお話しします」
そう前置きして、コピー体は語り始めた。
「神秘というものは、再生能力のみに使われている力ではありません。
生徒の耐久力、銃弾に対する防御力、身体能力の向上、生命維持機構の補助。
また、一部の個体が持つ固有能力――コハク様や私の再生力のようなものも、神秘の一形態です」
淡々とした説明。
「それらすべてを総称して、神秘と呼びます」
「……ほうほう」
相槌を打ちながら、私は腕を組んだ。
理屈としては、理解できなくもない。
キヴォトスという場所そのものが、そういう“理屈外”の存在なのだから。
「そして、人間――正確には、生徒という存在は、体内に内包できる神秘の総量があらかじめ決まっています」
コピー体は、自分の胸に軽く手を当てる。
「その総量が増減することは、基本的にありません」
「……つまり、ポイント制みたいなものか」
私の言葉に、コピー体はわずかに首を傾げた。
「そうですね。そのポイントを、各パラメーターに振り直すことができます」
「そんなアニメや漫画みたいな…」
「耐久力や生命維持に割り当てられている神秘を一時的に減らし、
その分を、別の要素――攻撃力や再生力、身体能力などに再配分することが可能です」
私は思わず、椅子の背にもたれた。
「……本気で言ってる?」
口から出た声は、想像以上に低かった。
「はい。私の中にある情報を、そのままお伝えしています」
「……」
否定材料は、ない。
さっき、目の前で“それ”をやってのけた存在がいる。
「……お前は、今言ったパラメーターを、自分で管理できるってわけか」
「はい」
「……はあ〜……」
深く息を吐く。
頭が痛くなりそうだ。
「なんでできる? どうやって知った?」
問い詰めるような口調になったのを、自覚していた。
けれど、止められない。
コピー体は少し考える素振りを見せてから、答えた。
「私が作られた時点で、すでに記憶してありました」
「……は?」
思考が一瞬、止まる。
「どういうこと? なんで私が知らないことを、知った状態で生まれてくるんだよ。おかしいだろ」
言葉が荒くなる。
自分の中に、焦りのようなものがあるのを感じた。
「推測になりますが」
コピー体は、静かに言葉を選ぶ。
「私は、『キヴォトスの生徒』という概念そのものに近い存在なのではないでしょうか」
「……は?」
二度目だ。
「コハク様から作られた私は、人間としての情報をほとんど持っていません。
ですが、キヴォトスにおける生徒としての情報――神秘、ヘイロー、身体構造――それらは最初から内包されていました」
淡々とした説明が、逆に不気味だった。
「キヴォトスでしか観測されない特異事象、神秘。
それによって誕生した私は、神秘を宿す存在としての純度が高い。
その結果、神秘の扱いに長けているのではないかと考えられます」
「……存在の、純度ね」
私は小さく呟いた。
確かに、コピー体は人間じゃない。
でも、ロボットでもない。
生物とも、人工物とも言い切れない。
「……キヴォトスの生徒っていう、種族みたいなものなのかもな」
そう言うと、コピー体は否定も肯定もしなかった。
「だから、ヘイローとの結びつきが異常に強い、と」
そこまで口にして、私は言葉を切った。
頭の奥で、嫌な予感が膨らんでいく。
いつもなら、歓喜していただろう。
神秘のパラメーター管理。
こんな新情報、研究者冥利に尽きる。
――なのに。
それを上回る、厄介な匂いがする。
「キヴォトスの生徒そのもの、か……」
もし、それが本当に正しいとしたら。
キヴォトスとは何なのか。
自然科学では説明できない、特異現象の集合体。
理そのものに干渉する力。
神秘。
「……やめだ」
私は首を振った。
「今は考えない。考えたら、きっと戻ってこれなくなる」
コピー体は、何も言わずに私を見ている。
探求の先に何があろうと、進むのは変わらないけど。まずは現実的な話から済まそう。
私は、机の上に肘をついた。
一度深呼吸をする。
「神秘のパラメーター。それをどう使えるか、どう制御するか」
視線を上げ、コピー体を見る。
「……そこから、教えてもらおう」
私は、思考を切り替え、神秘のパラメーターという概念そのものについて、静かに考え始めた。