ミレニアムの秘密の研究室   作:まったり愛好家

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第七十二話 私を心配する人でいっぱい コハク過去編あり

明星ヒマリは、完全に「参ったな」という顔をしていた。

 

ほんの数秒前まで保っていた理知的な余裕は影を潜め、代わりに浮かんでいるのは、計算外の事象を前にした研究者特有の困惑と警戒だ。

車椅子の肘掛けに置かれた指が、わずかに強く握り込まれているのが見て取れる。

 

――多分、だが。

 

こんな事態は、いくら「全知」を冠する明星ヒマリであっても、想定の外だったのだろう。

 

「……強制力のある契約」

 

彼女は、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。

 

「非科学的ですね。少なくとも、私の知っている自然科学の体系には、このような現象は存在しません」

 

視線が鋭くなる。

 

「あなた……この力を、どこで?」

 

もはや、警戒を隠すつもりもないらしい。

探るような目ではなく、測るような目。

危険物を前にした研究者の、それだ。

 

「残念ながらそれは秘密です」

 

明星ヒマリの眉が、わずかに吊り上がる。

 

「私がお答えできるのは、あなたの最初の疑問――『私の連れていた生徒について』だけです。それ以外の質問には、答えません」

 

「……そうですか」

 

明星ヒマリは、短く息を吐いた。

 

「それは困りましたね」

 

口調こそ穏やかだが、内心は穏やかではないのだろう。

車椅子をわずかに回転させ、こちらと正対する。

 

「活動を本格化させてはいませんが、私は現在、特異現象操作部の部長です。未知の得意現象を観測し、解析し、解き明かす。それが、私たちの役割」

 

「目の前で、これほどの現象を見せられておいて、見逃すという選択肢はありません」

 

一瞬、間が落ちる。

 

「第一」

 

明星ヒマリの声が、少しだけ低くなった。

 

「あなたのその力は……一生徒が持っていていいものではありません。危険すぎます」

 

「随分と、保守的ですね」

 

私は、軽く肩をすくめた。

 

「明星ヒマリさんは、もう少し思い切った人だと思っていましたが…この力が、危険だと?」

 

「……ええ」

 

即答だった。

 

「危険です」

 

「まあ、言いたいことは分かります」

 

私は頷いた。

 

「ですが……危険なのは、何も私だけではないでしょう?あなたも、ミレニアムの兵器を動かす権限を持っている。十分、危険じゃないですか」

 

「それは、そうですが」

 

明星ヒマリは、否定しなかった。

 

「私は、私自身のことを知っています」

 

胸に手を当てる。

 

「私は、その権限を乱用しないと分かっている。ですが、私はあなたの人となりを知りません。ゆえに、危険なのです。――少なくとも、現時点では」

 

「私は、過去一度も問題行動なんて起こしていませんよ」

 

少しだけ、声に不満を滲ませる。

 

「善良な生徒です」

 

「表に出ていないだけかもしれません」

 

明星ヒマリは、容赦がない。

 

「それに、正体不明の生徒を連れて歩いている時点で、問題行動です」

 

「……わかりましたよ」

 

私は、長く息を吐いた。

 

「話せばいいんでしょう?」

 

明星ヒマリの視線が、わずかに強まる。

 

私は、観念したように口を開いた。

 

「まず……あなたが一番気になっているであろう点から話しましょう。あの生徒が、何者なのか」

 

明星ヒマリは、身動き一つせず、こちらを見つめている。

 

「あの生徒は」

 

私は、言葉を選ぶ。

 

「私のコピー体です」

 

「……やはり、クローンでは?」

 

即座に返ってきた。

 

「違います」

 

私は、首を横に振る。

 

「あの生徒は、厳密に言えば――人間ではありません」

 

「……どういうことです」

 

明星ヒマリの声が、硬くなる。

 

「彼女は『キヴォトスの生徒』という概念そのものなんです」

 

「……詳しく聞きましょう」

 

促され、私は頷いた。

 

「まず、前提として私には、再生能力があります」

 

「再生能力?」

 

明星ヒマリが確認する。

 

「傷が塞がる、欠損した部位が戻る……そういう類の?」

 

「ええ、想像している通りのものです」

 

「……あり得るのですか?」

 

半信半疑の声。

 

「キヴォトスでは、時々いますよ」

 

私は答えた。

 

「常人を超えた生徒が」

 

「……」

 

明星ヒマリは黙って聞いている。

 

「そして」

 

私は続ける。

 

「私の再生能力は、うまくやれば――切り離した部位にも、再生能力を残すことができる」

 

明星ヒマリの目が、わずかに見開かれた。

 

「……それで…切り離した腕が再生し、それが……あの生徒になった」

 

「その通りです」

 

私は、肯定した。

 

「彼女には、自我がありません」

 

明星ヒマリの表情が、変わる。

 

「指示されなければ、何もしない。はるか昔のロボットのようなものです」

 

淡々と、事実を並べる。

 

「ですが、身体の構造は人間そのもの。ヘイローを持ち、銃弾に強く、身体能力も高い」

 

「……」

 

「人間にあるべき“心”がなく、キヴォトスの生徒特有の性質だけを有している」

 

明星ヒマリが、静かに言葉を継ぐ。

 

「……だから、人間というより」

 

一拍。

 

「『キヴォトスの生徒』という存在、そのものだと」

 

「ええ」

 

私は、短く答えた。

 

その言葉を最後に。

 

明星ヒマリは、黙り込んだ。

 

やがて。

 

明星ヒマリは、ゆっくりと車椅子の向きを変えた。

床に描かれた光のラインをなぞるように、静かな回転。

その動きは、先ほどまでの沈黙が熟考であったことを物語っている。

 

彼女は片手を軽く振り、空中にディスプレイを展開した。

 

「……あなたの、いまの話」

 

明星ヒマリは、画面から目を離さずに口を開いた。

 

「正直に言いましょう。全くの予想外でした」

 

指先が滑る。

 

「まさか、ここまで理外の話を聞かされるとは……思ってもみなかったです」

 

その声には、皮肉でも嫌味でもない、純粋な感想が含まれていた。

 

「契約。再生能力。コピー体。どれも、無視できない。どれも、危険な要素です」

 

画面が一瞬だけ暗転した。

 

「ですが」

 

明星ヒマリは、そこで言葉を切った。

 

「ですが、です」

 

ゆっくりとこちらを見る。

その瞳には、先ほどまでの動揺はない。

代わりにあるのは、状況を受け入れ、整理し、咀嚼し終えた者の余裕だった。

 

「私は、あなたを拘束するつもりはありません。ヴァルキューレに引き渡すこともしない」

 

一瞬、間が落ちる。

 

「……なぜだと思いますか?」

 

「なぜ……」

 

私は、わずかに眉をひそめた。

 

「単に、緊急性のある危険がないからでは?」

 

「それも理由の一つです。ですが……不正解」

 

「?」

 

彼女は、軽く肩をすくめる。

 

「あなたは、少し“見られすぎていない”」

 

「……どういう意味です?」

 

その問いには答えず、明星ヒマリは、唐突に別の質問を投げてきた。

 

「あなた、最後に、家に帰ったのはいつですか?」

 

あまりにも唐突で、場違いな問いだった。

 

「……は?」

 

思わず、間の抜けた声が出る。

 

「最後に家に帰ったのは、いつか、ですって?決まってるじゃないですか。昨日の夕方ですよ」

 

自分でも、即答だった。

 

「昨日の夕方……本当に、そうでしょうか?」

 

明星ヒマリは、やれやれ、とでも言いたげに小さく息を吐いた。

 

彼女の視線が、じっとこちらを捉える。

責めるでもなく、問い詰めるでもない。

ただ、確信を持った目。

 

「……何を言っているんです?」

 

「あなたもう、随分と家に帰っていないでしょう」

 

一拍。

 

「おそらく、年単位で」

 

「はあ⁉︎」

 

思わず声が裏返った。

 

「何を言って――」

 

「私は」

 

明星ヒマリは、私の言葉を遮るように続ける。

 

「あなたを呼び出す少し前、あなたについて念入りに調べました。出身中学。体格。趣味。志向。交友関係」

 

ディぃスプレイに次々と並ぶ、私のプロフィール。

 

「その中で、ひとつ、妙な点があった」

 

彼女は、画面を指でなぞる。

 

「あなたは、学校から“家”に帰っていない」

 

「……」

 

「毎日、アビドスのオフィス街へ向かっている」

 

私は、黙って聞いていた。

 

「私は最初、その方面に自宅があるのだと思いました」

 

画面が切り替わる。

 

「ですが、違った」

 

明星ヒマリは、わずかに目を細める。

 

「防犯カメラをハッキングし、行動を追跡しました。すると、あなたは毎日、決まったビルに入っていく」

 

「そして、翌朝。必ず、同じビルから出てくる」

 

「そのビルは、どの企業のものなのか。所有者は誰か。目的は何か」

 

彼女は、首を横に振った。

 

「――一切、不明」

 

「……」

 

「不自然すぎます」

 

明星ヒマリは、断言する。

 

「あなたは、そこから毎朝、ミレニアムまで一時間以上かけて通学している」

 

「ミレニアムには寮もありますし、引っ越すことだってできたのに、です」

 

「私は、徹底的に調べました」

 

ディスプレイに、企業ロゴが浮かび上がる。

 

「そして、突き止めた」

 

彼女は、静かに告げた。

 

「あのビルの所有者を」

 

一拍。

 

「カイザーPMC。キヴォトスで、問題視されつつあるカイザーグループ。その関連企業のビルです」

 

明星ヒマリは、そこで言葉を止めた。

 

「あなたは、そのビルに、毎日のように出入りしている…何か、理由があるのですね?」

 

問いかけは、責めではなかった。

確認だ。

 

明星ヒマリは、そこで一旦、口を閉じた。

 

ディスプレイの光だけが、淡く瞬いている。

 

私は、正直に言えば、少し驚いていた。

 

――いや。

 

かなり、だ。

 

的外れな結論も含まれてはいる。

だが、それ以上に。

 

(……よく、ここまで調べたな)

 

と、内心で感心していた。

 

カイザーのビルに出入りしている。

それ自体は、事実だ。

 

なぜなら、あそこが――私の「家」なのだから。

 

ただし。

 

私がカイザーと契約を結んでいることは、公にはなっていない。

表に出ていない以上、第三者の目には、私は「怪しい企業に出入りする生徒」にしか見えない。

 

明星ヒマリの推測は、外れている部分もある。

だが。

 

その過程と精度は、紛れもなく――正確だった。

 

しかし――

どうにも、変だった。

 

私は、明星ヒマリの前に座りながら、胸の奥に小さな違和感を覚えていた。

それは、今しがた語られた事実の重さとは別の、もっと曖昧で、言葉にしにくい感覚だった。

 

(……おかしい)

 

冷静に考えれば、状況はかなりまずい。

私は正体不明の能力を持ち、怪しい企業のビルに日常的に出入りしている生徒。

特異現象捜査部の部長にとっては、見過ごせない存在であるはずだ。

 

それなのに。

 

明星ヒマリから向けられている視線には、糾弾や疑念よりも、どこか別の色が混じっている。

 

――心配。

 

そんな言葉が、脳裏に浮かんでしまう程度には。

 

私は、思わず口を開いていた。

 

「……なんか、さっきと空気が違いますよね?」

 

自分でも、少し遠慮がちな言い方になったのがわかる。

 

「さっきまでは、もっとこう……問い詰められてるというか、尋問みたいな空気だったじゃないですか。でも今は……」

 

言葉を探しながら、明星ヒマリの表情をうかがう。

 

「なんで急に、気遣うみたいな……心配してるみたいな感じに?」

 

明星ヒマリは、すぐには答えなかった。

車椅子に深く腰を預け、わずかに顎に手を当てる。

 

「……そうですね」

 

ややあって、彼女は静かに言った。

 

「どう説明すればいいのか迷いますが……簡単に言えば、本当に心配になったからです」

 

「……はあ?」

 

思わず、間の抜けた声が出る。

 

「心配? 私が?」

 

自分でも驚くほど、素っ頓狂な響きだった。

 

「なんでですか? 私、確かに危ない目にはよく遭いますけど、怪我は再生能力ですぐ治りますし、健康状態も問題ない。お金だって……まあ、困ってはいません」

 

言いながら、少しだけ言葉を選んだ。

 

「それなのに、心配される理由が、正直わからないんですが」

 

明星ヒマリは、私の言葉を遮らずに聞き終えると、軽く息を吐いた。

 

「では、こちらを見てください」

 

彼女が操作すると、ディスプレイに一通の文書が映し出された。

電子化された手紙。差出人の名前を見た瞬間、私は小さく目を細めた。

 

「……アビドス?」

 

「ええ」

 

明星ヒマリは、淡々と続ける。

 

「アビドス高校から、ミレニアムサイエンススクール宛に届いた手紙です。差出人は、黒見セリカさん」

 

画面が拡大され、本文の要点が強調表示される。

 

「要約すると、こうです。

――真田利コハクという生徒が詐欺に遭っている可能性がある。

――誰かの言いなりになり、危険な仕事を無理やりさせられているように見える。

――このまま放置していい状況ではない。

どうにかできないだろうか、という内容ですね」

 

「……黒見セリカ、か」

 

私は、小さく呟いた。

 

そんなこと言っていたな。

『私たちがなんとかしてみせる』とか。

まさか、ミレニアムにまで手紙を出すとは思っていなかったが。

 

「……本気だったんだな」

 

明星ヒマリは、私の呟きを聞き逃さなかった。

 

「その様子を見る限り、手紙の内容は事実なのでしょう?」

 

視線が、真っ直ぐに向けられる。

 

「詐欺に遭っている。誰かの言いなりになっている。そういう部分も含めて」

 

私は、一瞬だけ言葉に詰まった。

 

「あー……」

 

曖昧に声を漏らし、視線を逸らす。

 

「言いなり、という表現には多少語弊がありますが……まあ、大方は合ってますね」

 

自分で言っていて、情けなくなる。

 

「やっぱり、そうですか」

 

明星ヒマリは、納得したように頷いた。

 

その仕草には、非難も嘲笑もなかった。

あるのは、状況を受け止めた者の静かな理解だけだった。

 

(……まずいな)

 

内心で、そう思う。

 

アビドスの生徒たちに知られる程度なら、まだよかった。

弱小校だし、発言力も限られている。

多少騒がれても、揉み消しようはある。

 

だが。

 

明星ヒマリに知られたのは、話が違う。

 

彼女は、調べる。

徹底的に。

理屈とデータで、真実に辿り着くタイプだ。

 

(このまま深入りされたら……)

 

私は、頭の中で最悪のケースを反芻する。

 

カイザーPMCとの契約。

それ自体は、まだいい。

企業との専属契約という形なら、ギリギリ“グレー”で済む。

 

カイザー理事。

カイザーPMC社長。

カイザーウェポンズ社長。

 

この辺りまでなら、表向きは合法の範疇だ。

 

問題は――

 

(ゲマトリアだ)

 

そこに辿り着かれたら、完全にアウト。

黒服さんだけなら、まだ“黒に近いグレー”で済む可能性はある。

だが。

 

ゴルコンダ。

デカルコマニー。

マエストロ。

 

あの連中は、弁解の余地なく真っ黒だ。

 

私は、知らず知らずのうちに拳を握りしめていた。

爪が掌に食い込む感触で、ようやく自分が緊張していることに気づく。

 

(……どうする)

 

この場をどう誤魔化すか。

どこまで話し、どこから伏せるか。

 

頭の中で、思考が高速で回り続ける。

同じ結論を、何度もなぞる。

 

――これ以上、踏み込ませてはいけない。

 

明星ヒマリは、そんな私の沈黙を急かすことなく、静かにこちらを見ていた。

その視線は、相変わらず不思議なほど穏やかで、

まるで「答え」を待っているというより、「様子」を見守っているようだった。

 

それが、余計に――厄介だった。

 

 

 

コハク過去編 24

 

朝食を終えると、黒服さんは身支度を始めた。

 

コーヒーカップを流しに置き、袖口を整え、上着を羽織る。その動作の一つ一つに無駄がなく、長年染みついた習慣なのだと一目でわかる。

 

「今日は外での仕事が立て込んでいましてね」

 

玄関先で靴を履きながら、黒服さんはそう言った。

 

「夕方以降には戻れると思います。何かあれば、連絡を」

 

「わかりました」

 

私はそう答え、その背中を見送った。

 

玄関のドアが閉まる音が、思ったよりも大きく響いた。

 

――静かだ。

 

当たり前のことなのに、改めてそう感じる。

 

この家に残ったのは、私とコピー体の二人だけ。

 

「……さて」

 

私は小さく息を吐いた。

 

やるべきことは、頭の中にいくつも浮かんでいる。

 

コピー体に質問をする。

 

コピー体の様子が、明らかにおかしい。

 

最初に会ったとき、あいつは感情の欠片も見せなかった。

 

淡々と、無機質に、指示されたことだけを実行する存在。

 

それが昨日の夜から少しずつ、しかし確実に変わり始めている。

 

思い出す。

 

布団に入る前、私が「寝る」と言ったとき。

 

「おやすみなさい、本体」

 

――あれは、私が指示した言葉じゃない。

 

そして今朝。

 

私は、そばにいろとも見張れとも言っていない。

 

それなのにコピー体はベッドの横にいて、私の目覚めを待っていた。

 

挨拶まで、した。

 

それは、プログラムされた反応なのか?

 

それとも――

 

「……確かめるしかないよね」

 

私はそう呟き、コピー体のいる部屋へ向かった。

 

そこは、私が使っている寝室。

 

コピー体は、朝と同じ場所――ベッドの横の椅子に座ったまま、微動だにしていなかった。

 

「……」

 

私はベッドに腰を下ろし、向かい合う位置になる。

 

近くで見ると、やはりよく似ている。

 

顔立ち、骨格、髪の流れ。

 

鏡を見ているようだ。

 

だが、決定的に違う。

 

目だ。

 

私の目には、感情の揺らぎや、思考の影が浮かぶ。

 

だが、コピー体の目は――静かすぎる。

 

澄んでいるのに、底が見えない。

 

「……」

 

一瞬、言葉に詰まった。

 

単刀直入に聞くと決めていたのに、実際に向かい合うと、妙な緊張が走る。

 

それでも、私は覚悟を決めた。

 

「君は……心を持っているの?」

 

空気がほんのわずかに張り詰めた。

 

コピー体は即答しなかった。

 

数秒。――いや、

数秒あったように、私には感じられた。

 

「心、という言葉が、人間のような心理現象を指すのであれば」

 

コピー体は淡々と続ける。

 

「私は、それを持っていることになります」

 

「……」

 

「……まじか……」

 

思わず間の抜けた声が漏れた。

 

予想はしていた。していた、はずだった。

 

それでも、はっきりとそう言われると頭が追いつかない。

 

「心が……あるの?」

 

私はもう一度聞き返す。

 

「最初に会ったとき、君は、自我も自己もないって言ってたよね?」

 

コピー体は視線を逸らさず、答える。

 

「最初の時点では、私は生まれて間もなく知識はありましたが、経験は一切ありませんでした。自己認識はあっても、自我と呼べるものは形成されていなかったのです」

 

「……」

 

私はあの時の光景を思い出す。

 

確かに、

あれは「道具」だった。

 

「じゃあ、なんで今は違うの?」

 

私がそう問うと、コピー体は一拍置いてから答えた。

 

「あなたのヘイローに、神秘の逆側面――恐怖が、大量に流れ込んだからです」

 

その言葉に、胸の奥がひくりと動く。

 

「あの時の……」

 

「はい」

 

「その影響で、私の性質は変化しました」

 

「変化……」

 

私はその言葉を反芻する。

 

「具体的には?」

 

コピー体はほんのわずかに首を傾けた。

 

考えている、ようにも見える。

 

「本体――あなたを助けたい、という方向性に限定して」

 

「感情に類似したものが、形成されました」

 

「……」

 

助けたい。

 

その言葉が、

予想以上に重くのしかかる。

 

「私を……助けたい?」

 

「はい」

 

「それって……」

 

私は、

あの瞬間を思い出す。

 

恐怖に呑まれたとき。

 

「私が、助けてって……思ったことと、関係してる?」

 

「おそらくは」

 

コピー体は、

迷いなく答えた。

 

「あなたの強い希求が、神秘と恐怖を媒介に、私へと影響を及ぼした可能性が高いです」

 

「……そうか……」

 

私は額に手を当てる。

 

どう考えても理屈が追いつかない。

 

「私の神秘って、再生能力だよ?身体が壊れても、元に戻るだけ。人に感情を与えるとか、そんなことできるはずない。しようと思ったことも、ないし……」

 

コピー体は静かに聞いていた。

 

「これは、推測になりますが」

 

そう前置きしてコピー体は続ける。

 

「あなた自身を、生徒たらしめている枠」

 

「その枠が、壊れ始めているのではないでしょうか?」

 

「……」

 

私は思わず顔を上げた。

 

「……どういうこと?」

 

その言葉を口にした瞬間、

部屋の空気が、

一段階、重くなった気がした。

 

コピー体は、一瞬だけ目を閉じた。

それは、考えるための動作というより、内部で何かを整理するための挙動のように見えた。

 

そして、目を開いたまま、淡々と話し始める。

 

「名もなき神々に、生徒という型を嵌め込んだもの。それが、キヴォトスの生徒です」

 

声は無機質で、感情の起伏は感じられない。

けれど、言葉そのものは妙に重かった。

 

「人間らしさや、青春、未熟さ、若さ。それらによって神を形どり、人間に近づける。神を理解し、共存するための枠組みです」

 

私は、昨日の出来事を思い出していた。

コピー体が語った“神”という言葉と、あのとき感じた圧迫感が、頭の中で重なっていく。

 

「しかしあなたは、多量の恐怖によって、その型が形を保てなくなっている可能性があります」

 

コピー体は、わずかに間を置いて続けた。

 

「元となった力が、漏れ出しているのではないか。そう考えています」

 

「……神の力、か」

 

私は、小さく呟いた。

昨日、確かに同じようなことを聞いた気がする。

 

「確かに、筋は通ってる気がするな……」

 

頭では理解できる。

理屈としては、納得もできてしまう。

 

けれど。

 

「正直、実感はないんだよね」

 

私は肩をすくめた。

 

「信じてないわけじゃない。でも、どうにも現実味がなくて」

 

コピー体は何も言わず、私の言葉を待っていた。

その無言が、逆にこちらの思考を急かす。

 

私は一度、大きく息を吸ってから吐いた。

 

「まあ、理由とか原因は一旦いいや。多分、今の私には理解できない」

 

そう区切ってから、私は話題を変える。

 

「心があるって前提で聞くけどさ」

 

コピー体と向かい合い、視線を合わせる。

 

「君は、私のことをどう思ってる?」

 

「というか、この状況をどう思ってる?」

 

言葉にすると、胸の奥が少し重くなった。

 

「私は、君に心がないと思ってたから、色々なことをしてきた」

 

「実験も、観察も、勝手に連れ回したのも……」

 

「でも、心があるって分かった今、それは違う気がしてる」

 

私は、正直に続ける。

 

「嫌なら嫌って言っていい。拒否するなら、それに従う」

 

「だから、率直に答えてほしい」

 

不安と期待が、同時に胸に広がる。

私は、コピー体の返答を待った。

 

コピー体は、ほんの一瞬だけ考えるような素振りを見せたが、ほとんど間を置かずに答えた。

 

「あなたが望むままに」

 

短い言葉。

しかし、そこには迷いがなかった。

 

「あなたが実験を望むなら、私は従います。拒否してほしいのであれば、それに従います」

 

「私は、あなたの一部です。あなたの望まないことはしません」

 

その様子は、どこか忠誠を誓う存在のようだった。

表情は薄く、声も平坦なのに、言葉の意志だけがはっきりと伝わってくる。

 

「……そうか」

 

私は、少し間を置いてから頷いた。

 

自由意思は、あるのだろうか。

あるとしても、それは私を中心に組み立てられたものに見える。

 

心が芽生えている。

けれど、その心は、依然として私に向いている。

 

それが、不思議で、そして――

少し、怖かった。

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