明星ヒマリは、完全に「参ったな」という顔をしていた。
ほんの数秒前まで保っていた理知的な余裕は影を潜め、代わりに浮かんでいるのは、計算外の事象を前にした研究者特有の困惑と警戒だ。
車椅子の肘掛けに置かれた指が、わずかに強く握り込まれているのが見て取れる。
――多分、だが。
こんな事態は、いくら「全知」を冠する明星ヒマリであっても、想定の外だったのだろう。
「……強制力のある契約」
彼女は、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「非科学的ですね。少なくとも、私の知っている自然科学の体系には、このような現象は存在しません」
視線が鋭くなる。
「あなた……この力を、どこで?」
もはや、警戒を隠すつもりもないらしい。
探るような目ではなく、測るような目。
危険物を前にした研究者の、それだ。
「残念ながらそれは秘密です」
明星ヒマリの眉が、わずかに吊り上がる。
「私がお答えできるのは、あなたの最初の疑問――『私の連れていた生徒について』だけです。それ以外の質問には、答えません」
「……そうですか」
明星ヒマリは、短く息を吐いた。
「それは困りましたね」
口調こそ穏やかだが、内心は穏やかではないのだろう。
車椅子をわずかに回転させ、こちらと正対する。
「活動を本格化させてはいませんが、私は現在、特異現象操作部の部長です。未知の得意現象を観測し、解析し、解き明かす。それが、私たちの役割」
「目の前で、これほどの現象を見せられておいて、見逃すという選択肢はありません」
一瞬、間が落ちる。
「第一」
明星ヒマリの声が、少しだけ低くなった。
「あなたのその力は……一生徒が持っていていいものではありません。危険すぎます」
「随分と、保守的ですね」
私は、軽く肩をすくめた。
「明星ヒマリさんは、もう少し思い切った人だと思っていましたが…この力が、危険だと?」
「……ええ」
即答だった。
「危険です」
「まあ、言いたいことは分かります」
私は頷いた。
「ですが……危険なのは、何も私だけではないでしょう?あなたも、ミレニアムの兵器を動かす権限を持っている。十分、危険じゃないですか」
「それは、そうですが」
明星ヒマリは、否定しなかった。
「私は、私自身のことを知っています」
胸に手を当てる。
「私は、その権限を乱用しないと分かっている。ですが、私はあなたの人となりを知りません。ゆえに、危険なのです。――少なくとも、現時点では」
「私は、過去一度も問題行動なんて起こしていませんよ」
少しだけ、声に不満を滲ませる。
「善良な生徒です」
「表に出ていないだけかもしれません」
明星ヒマリは、容赦がない。
「それに、正体不明の生徒を連れて歩いている時点で、問題行動です」
「……わかりましたよ」
私は、長く息を吐いた。
「話せばいいんでしょう?」
明星ヒマリの視線が、わずかに強まる。
私は、観念したように口を開いた。
「まず……あなたが一番気になっているであろう点から話しましょう。あの生徒が、何者なのか」
明星ヒマリは、身動き一つせず、こちらを見つめている。
「あの生徒は」
私は、言葉を選ぶ。
「私のコピー体です」
「……やはり、クローンでは?」
即座に返ってきた。
「違います」
私は、首を横に振る。
「あの生徒は、厳密に言えば――人間ではありません」
「……どういうことです」
明星ヒマリの声が、硬くなる。
「彼女は『キヴォトスの生徒』という概念そのものなんです」
「……詳しく聞きましょう」
促され、私は頷いた。
「まず、前提として私には、再生能力があります」
「再生能力?」
明星ヒマリが確認する。
「傷が塞がる、欠損した部位が戻る……そういう類の?」
「ええ、想像している通りのものです」
「……あり得るのですか?」
半信半疑の声。
「キヴォトスでは、時々いますよ」
私は答えた。
「常人を超えた生徒が」
「……」
明星ヒマリは黙って聞いている。
「そして」
私は続ける。
「私の再生能力は、うまくやれば――切り離した部位にも、再生能力を残すことができる」
明星ヒマリの目が、わずかに見開かれた。
「……それで…切り離した腕が再生し、それが……あの生徒になった」
「その通りです」
私は、肯定した。
「彼女には、自我がありません」
明星ヒマリの表情が、変わる。
「指示されなければ、何もしない。はるか昔のロボットのようなものです」
淡々と、事実を並べる。
「ですが、身体の構造は人間そのもの。ヘイローを持ち、銃弾に強く、身体能力も高い」
「……」
「人間にあるべき“心”がなく、キヴォトスの生徒特有の性質だけを有している」
明星ヒマリが、静かに言葉を継ぐ。
「……だから、人間というより」
一拍。
「『キヴォトスの生徒』という存在、そのものだと」
「ええ」
私は、短く答えた。
その言葉を最後に。
明星ヒマリは、黙り込んだ。
やがて。
明星ヒマリは、ゆっくりと車椅子の向きを変えた。
床に描かれた光のラインをなぞるように、静かな回転。
その動きは、先ほどまでの沈黙が熟考であったことを物語っている。
彼女は片手を軽く振り、空中にディスプレイを展開した。
「……あなたの、いまの話」
明星ヒマリは、画面から目を離さずに口を開いた。
「正直に言いましょう。全くの予想外でした」
指先が滑る。
「まさか、ここまで理外の話を聞かされるとは……思ってもみなかったです」
その声には、皮肉でも嫌味でもない、純粋な感想が含まれていた。
「契約。再生能力。コピー体。どれも、無視できない。どれも、危険な要素です」
画面が一瞬だけ暗転した。
「ですが」
明星ヒマリは、そこで言葉を切った。
「ですが、です」
ゆっくりとこちらを見る。
その瞳には、先ほどまでの動揺はない。
代わりにあるのは、状況を受け入れ、整理し、咀嚼し終えた者の余裕だった。
「私は、あなたを拘束するつもりはありません。ヴァルキューレに引き渡すこともしない」
一瞬、間が落ちる。
「……なぜだと思いますか?」
「なぜ……」
私は、わずかに眉をひそめた。
「単に、緊急性のある危険がないからでは?」
「それも理由の一つです。ですが……不正解」
「?」
彼女は、軽く肩をすくめる。
「あなたは、少し“見られすぎていない”」
「……どういう意味です?」
その問いには答えず、明星ヒマリは、唐突に別の質問を投げてきた。
「あなた、最後に、家に帰ったのはいつですか?」
あまりにも唐突で、場違いな問いだった。
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出る。
「最後に家に帰ったのは、いつか、ですって?決まってるじゃないですか。昨日の夕方ですよ」
自分でも、即答だった。
「昨日の夕方……本当に、そうでしょうか?」
明星ヒマリは、やれやれ、とでも言いたげに小さく息を吐いた。
彼女の視線が、じっとこちらを捉える。
責めるでもなく、問い詰めるでもない。
ただ、確信を持った目。
「……何を言っているんです?」
「あなたもう、随分と家に帰っていないでしょう」
一拍。
「おそらく、年単位で」
「はあ⁉︎」
思わず声が裏返った。
「何を言って――」
「私は」
明星ヒマリは、私の言葉を遮るように続ける。
「あなたを呼び出す少し前、あなたについて念入りに調べました。出身中学。体格。趣味。志向。交友関係」
ディぃスプレイに次々と並ぶ、私のプロフィール。
「その中で、ひとつ、妙な点があった」
彼女は、画面を指でなぞる。
「あなたは、学校から“家”に帰っていない」
「……」
「毎日、アビドスのオフィス街へ向かっている」
私は、黙って聞いていた。
「私は最初、その方面に自宅があるのだと思いました」
画面が切り替わる。
「ですが、違った」
明星ヒマリは、わずかに目を細める。
「防犯カメラをハッキングし、行動を追跡しました。すると、あなたは毎日、決まったビルに入っていく」
「そして、翌朝。必ず、同じビルから出てくる」
「そのビルは、どの企業のものなのか。所有者は誰か。目的は何か」
彼女は、首を横に振った。
「――一切、不明」
「……」
「不自然すぎます」
明星ヒマリは、断言する。
「あなたは、そこから毎朝、ミレニアムまで一時間以上かけて通学している」
「ミレニアムには寮もありますし、引っ越すことだってできたのに、です」
「私は、徹底的に調べました」
ディスプレイに、企業ロゴが浮かび上がる。
「そして、突き止めた」
彼女は、静かに告げた。
「あのビルの所有者を」
一拍。
「カイザーPMC。キヴォトスで、問題視されつつあるカイザーグループ。その関連企業のビルです」
明星ヒマリは、そこで言葉を止めた。
「あなたは、そのビルに、毎日のように出入りしている…何か、理由があるのですね?」
問いかけは、責めではなかった。
確認だ。
明星ヒマリは、そこで一旦、口を閉じた。
ディスプレイの光だけが、淡く瞬いている。
私は、正直に言えば、少し驚いていた。
――いや。
かなり、だ。
的外れな結論も含まれてはいる。
だが、それ以上に。
(……よく、ここまで調べたな)
と、内心で感心していた。
カイザーのビルに出入りしている。
それ自体は、事実だ。
なぜなら、あそこが――私の「家」なのだから。
ただし。
私がカイザーと契約を結んでいることは、公にはなっていない。
表に出ていない以上、第三者の目には、私は「怪しい企業に出入りする生徒」にしか見えない。
明星ヒマリの推測は、外れている部分もある。
だが。
その過程と精度は、紛れもなく――正確だった。
しかし――
どうにも、変だった。
私は、明星ヒマリの前に座りながら、胸の奥に小さな違和感を覚えていた。
それは、今しがた語られた事実の重さとは別の、もっと曖昧で、言葉にしにくい感覚だった。
(……おかしい)
冷静に考えれば、状況はかなりまずい。
私は正体不明の能力を持ち、怪しい企業のビルに日常的に出入りしている生徒。
特異現象捜査部の部長にとっては、見過ごせない存在であるはずだ。
それなのに。
明星ヒマリから向けられている視線には、糾弾や疑念よりも、どこか別の色が混じっている。
――心配。
そんな言葉が、脳裏に浮かんでしまう程度には。
私は、思わず口を開いていた。
「……なんか、さっきと空気が違いますよね?」
自分でも、少し遠慮がちな言い方になったのがわかる。
「さっきまでは、もっとこう……問い詰められてるというか、尋問みたいな空気だったじゃないですか。でも今は……」
言葉を探しながら、明星ヒマリの表情をうかがう。
「なんで急に、気遣うみたいな……心配してるみたいな感じに?」
明星ヒマリは、すぐには答えなかった。
車椅子に深く腰を預け、わずかに顎に手を当てる。
「……そうですね」
ややあって、彼女は静かに言った。
「どう説明すればいいのか迷いますが……簡単に言えば、本当に心配になったからです」
「……はあ?」
思わず、間の抜けた声が出る。
「心配? 私が?」
自分でも驚くほど、素っ頓狂な響きだった。
「なんでですか? 私、確かに危ない目にはよく遭いますけど、怪我は再生能力ですぐ治りますし、健康状態も問題ない。お金だって……まあ、困ってはいません」
言いながら、少しだけ言葉を選んだ。
「それなのに、心配される理由が、正直わからないんですが」
明星ヒマリは、私の言葉を遮らずに聞き終えると、軽く息を吐いた。
「では、こちらを見てください」
彼女が操作すると、ディスプレイに一通の文書が映し出された。
電子化された手紙。差出人の名前を見た瞬間、私は小さく目を細めた。
「……アビドス?」
「ええ」
明星ヒマリは、淡々と続ける。
「アビドス高校から、ミレニアムサイエンススクール宛に届いた手紙です。差出人は、黒見セリカさん」
画面が拡大され、本文の要点が強調表示される。
「要約すると、こうです。
――真田利コハクという生徒が詐欺に遭っている可能性がある。
――誰かの言いなりになり、危険な仕事を無理やりさせられているように見える。
――このまま放置していい状況ではない。
どうにかできないだろうか、という内容ですね」
「……黒見セリカ、か」
私は、小さく呟いた。
そんなこと言っていたな。
『私たちがなんとかしてみせる』とか。
まさか、ミレニアムにまで手紙を出すとは思っていなかったが。
「……本気だったんだな」
明星ヒマリは、私の呟きを聞き逃さなかった。
「その様子を見る限り、手紙の内容は事実なのでしょう?」
視線が、真っ直ぐに向けられる。
「詐欺に遭っている。誰かの言いなりになっている。そういう部分も含めて」
私は、一瞬だけ言葉に詰まった。
「あー……」
曖昧に声を漏らし、視線を逸らす。
「言いなり、という表現には多少語弊がありますが……まあ、大方は合ってますね」
自分で言っていて、情けなくなる。
「やっぱり、そうですか」
明星ヒマリは、納得したように頷いた。
その仕草には、非難も嘲笑もなかった。
あるのは、状況を受け止めた者の静かな理解だけだった。
(……まずいな)
内心で、そう思う。
アビドスの生徒たちに知られる程度なら、まだよかった。
弱小校だし、発言力も限られている。
多少騒がれても、揉み消しようはある。
だが。
明星ヒマリに知られたのは、話が違う。
彼女は、調べる。
徹底的に。
理屈とデータで、真実に辿り着くタイプだ。
(このまま深入りされたら……)
私は、頭の中で最悪のケースを反芻する。
カイザーPMCとの契約。
それ自体は、まだいい。
企業との専属契約という形なら、ギリギリ“グレー”で済む。
カイザー理事。
カイザーPMC社長。
カイザーウェポンズ社長。
この辺りまでなら、表向きは合法の範疇だ。
問題は――
(ゲマトリアだ)
そこに辿り着かれたら、完全にアウト。
黒服さんだけなら、まだ“黒に近いグレー”で済む可能性はある。
だが。
ゴルコンダ。
デカルコマニー。
マエストロ。
あの連中は、弁解の余地なく真っ黒だ。
私は、知らず知らずのうちに拳を握りしめていた。
爪が掌に食い込む感触で、ようやく自分が緊張していることに気づく。
(……どうする)
この場をどう誤魔化すか。
どこまで話し、どこから伏せるか。
頭の中で、思考が高速で回り続ける。
同じ結論を、何度もなぞる。
――これ以上、踏み込ませてはいけない。
明星ヒマリは、そんな私の沈黙を急かすことなく、静かにこちらを見ていた。
その視線は、相変わらず不思議なほど穏やかで、
まるで「答え」を待っているというより、「様子」を見守っているようだった。
それが、余計に――厄介だった。
コハク過去編 24
朝食を終えると、黒服さんは身支度を始めた。
コーヒーカップを流しに置き、袖口を整え、上着を羽織る。その動作の一つ一つに無駄がなく、長年染みついた習慣なのだと一目でわかる。
「今日は外での仕事が立て込んでいましてね」
玄関先で靴を履きながら、黒服さんはそう言った。
「夕方以降には戻れると思います。何かあれば、連絡を」
「わかりました」
私はそう答え、その背中を見送った。
玄関のドアが閉まる音が、思ったよりも大きく響いた。
――静かだ。
当たり前のことなのに、改めてそう感じる。
この家に残ったのは、私とコピー体の二人だけ。
「……さて」
私は小さく息を吐いた。
やるべきことは、頭の中にいくつも浮かんでいる。
コピー体に質問をする。
コピー体の様子が、明らかにおかしい。
最初に会ったとき、あいつは感情の欠片も見せなかった。
淡々と、無機質に、指示されたことだけを実行する存在。
それが昨日の夜から少しずつ、しかし確実に変わり始めている。
思い出す。
布団に入る前、私が「寝る」と言ったとき。
「おやすみなさい、本体」
――あれは、私が指示した言葉じゃない。
そして今朝。
私は、そばにいろとも見張れとも言っていない。
それなのにコピー体はベッドの横にいて、私の目覚めを待っていた。
挨拶まで、した。
それは、プログラムされた反応なのか?
それとも――
「……確かめるしかないよね」
私はそう呟き、コピー体のいる部屋へ向かった。
そこは、私が使っている寝室。
コピー体は、朝と同じ場所――ベッドの横の椅子に座ったまま、微動だにしていなかった。
「……」
私はベッドに腰を下ろし、向かい合う位置になる。
近くで見ると、やはりよく似ている。
顔立ち、骨格、髪の流れ。
鏡を見ているようだ。
だが、決定的に違う。
目だ。
私の目には、感情の揺らぎや、思考の影が浮かぶ。
だが、コピー体の目は――静かすぎる。
澄んでいるのに、底が見えない。
「……」
一瞬、言葉に詰まった。
単刀直入に聞くと決めていたのに、実際に向かい合うと、妙な緊張が走る。
それでも、私は覚悟を決めた。
「君は……心を持っているの?」
空気がほんのわずかに張り詰めた。
コピー体は即答しなかった。
数秒。――いや、
数秒あったように、私には感じられた。
「心、という言葉が、人間のような心理現象を指すのであれば」
コピー体は淡々と続ける。
「私は、それを持っていることになります」
「……」
「……まじか……」
思わず間の抜けた声が漏れた。
予想はしていた。していた、はずだった。
それでも、はっきりとそう言われると頭が追いつかない。
「心が……あるの?」
私はもう一度聞き返す。
「最初に会ったとき、君は、自我も自己もないって言ってたよね?」
コピー体は視線を逸らさず、答える。
「最初の時点では、私は生まれて間もなく知識はありましたが、経験は一切ありませんでした。自己認識はあっても、自我と呼べるものは形成されていなかったのです」
「……」
私はあの時の光景を思い出す。
確かに、
あれは「道具」だった。
「じゃあ、なんで今は違うの?」
私がそう問うと、コピー体は一拍置いてから答えた。
「あなたのヘイローに、神秘の逆側面――恐怖が、大量に流れ込んだからです」
その言葉に、胸の奥がひくりと動く。
「あの時の……」
「はい」
「その影響で、私の性質は変化しました」
「変化……」
私はその言葉を反芻する。
「具体的には?」
コピー体はほんのわずかに首を傾けた。
考えている、ようにも見える。
「本体――あなたを助けたい、という方向性に限定して」
「感情に類似したものが、形成されました」
「……」
助けたい。
その言葉が、
予想以上に重くのしかかる。
「私を……助けたい?」
「はい」
「それって……」
私は、
あの瞬間を思い出す。
恐怖に呑まれたとき。
「私が、助けてって……思ったことと、関係してる?」
「おそらくは」
コピー体は、
迷いなく答えた。
「あなたの強い希求が、神秘と恐怖を媒介に、私へと影響を及ぼした可能性が高いです」
「……そうか……」
私は額に手を当てる。
どう考えても理屈が追いつかない。
「私の神秘って、再生能力だよ?身体が壊れても、元に戻るだけ。人に感情を与えるとか、そんなことできるはずない。しようと思ったことも、ないし……」
コピー体は静かに聞いていた。
「これは、推測になりますが」
そう前置きしてコピー体は続ける。
「あなた自身を、生徒たらしめている枠」
「その枠が、壊れ始めているのではないでしょうか?」
「……」
私は思わず顔を上げた。
「……どういうこと?」
その言葉を口にした瞬間、
部屋の空気が、
一段階、重くなった気がした。
コピー体は、一瞬だけ目を閉じた。
それは、考えるための動作というより、内部で何かを整理するための挙動のように見えた。
そして、目を開いたまま、淡々と話し始める。
「名もなき神々に、生徒という型を嵌め込んだもの。それが、キヴォトスの生徒です」
声は無機質で、感情の起伏は感じられない。
けれど、言葉そのものは妙に重かった。
「人間らしさや、青春、未熟さ、若さ。それらによって神を形どり、人間に近づける。神を理解し、共存するための枠組みです」
私は、昨日の出来事を思い出していた。
コピー体が語った“神”という言葉と、あのとき感じた圧迫感が、頭の中で重なっていく。
「しかしあなたは、多量の恐怖によって、その型が形を保てなくなっている可能性があります」
コピー体は、わずかに間を置いて続けた。
「元となった力が、漏れ出しているのではないか。そう考えています」
「……神の力、か」
私は、小さく呟いた。
昨日、確かに同じようなことを聞いた気がする。
「確かに、筋は通ってる気がするな……」
頭では理解できる。
理屈としては、納得もできてしまう。
けれど。
「正直、実感はないんだよね」
私は肩をすくめた。
「信じてないわけじゃない。でも、どうにも現実味がなくて」
コピー体は何も言わず、私の言葉を待っていた。
その無言が、逆にこちらの思考を急かす。
私は一度、大きく息を吸ってから吐いた。
「まあ、理由とか原因は一旦いいや。多分、今の私には理解できない」
そう区切ってから、私は話題を変える。
「心があるって前提で聞くけどさ」
コピー体と向かい合い、視線を合わせる。
「君は、私のことをどう思ってる?」
「というか、この状況をどう思ってる?」
言葉にすると、胸の奥が少し重くなった。
「私は、君に心がないと思ってたから、色々なことをしてきた」
「実験も、観察も、勝手に連れ回したのも……」
「でも、心があるって分かった今、それは違う気がしてる」
私は、正直に続ける。
「嫌なら嫌って言っていい。拒否するなら、それに従う」
「だから、率直に答えてほしい」
不安と期待が、同時に胸に広がる。
私は、コピー体の返答を待った。
コピー体は、ほんの一瞬だけ考えるような素振りを見せたが、ほとんど間を置かずに答えた。
「あなたが望むままに」
短い言葉。
しかし、そこには迷いがなかった。
「あなたが実験を望むなら、私は従います。拒否してほしいのであれば、それに従います」
「私は、あなたの一部です。あなたの望まないことはしません」
その様子は、どこか忠誠を誓う存在のようだった。
表情は薄く、声も平坦なのに、言葉の意志だけがはっきりと伝わってくる。
「……そうか」
私は、少し間を置いてから頷いた。
自由意思は、あるのだろうか。
あるとしても、それは私を中心に組み立てられたものに見える。
心が芽生えている。
けれど、その心は、依然として私に向いている。
それが、不思議で、そして――
少し、怖かった。