ミレニアムの秘密の研究室   作:まったり愛好家

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第七十三話 みんなが私を助けようと  コハク過去編あり

「――仮に」

 

沈黙を破るように、私は声を出した。

自分でもわかるほど、空気が張りつめている。

 

「仮に、ですよ」

 

念を押すように前置きしてから、続ける。

 

「仮に私が、カイザーの言いなりになっているとして……あなたは、何をするつもりなんです?」

 

私は顔を伏せたまま、言葉を紡いだ。

別に後ろめたさがあるわけではない。罪悪感でもない。

 

ただ――

視線を上げてしまったら、表情のどこかから、余計なものを読み取られそうな気がした。

それが、無性に怖かった。

 

明星ヒマリは、即答だった。

 

「何をするか、ですか。決まっていますよ」

 

その声は、淡々としていて、迷いがなかった。

 

「クローンにせよ、なんにせよ。あなたがさせられている、おかしな研究をやめさせる。そして、あなたを普通の学生に戻す。それだけです」

 

私は、俯いたまま、彼女の声を聞いていた。

 

顔が見えない。

だから、どういう表情でそれを言っているのかはわからない。

 

もしかしたら、安心させるために微笑んでいるのかもしれない。

あるいは、決意を固めた研究者の、硬い表情かもしれない。

 

けれど、どちらにせよ――

この人の目には、私は「哀れな被害者」として映っているのだろう。

 

そう思うと、不思議と胸が軽くなる。

 

カイザーに騙され、利用され、言いなりになっている少女。

そういう認識は、必ずしも悪いものではない。

 

実験の責任を、すべてカイザーに押し付けることもできる。

何より、立派な隠れ蓑になる。

 

……ただし。

 

だからといって、明星ヒマリに助けを求めるのは、違う。

 

カイザーとは、あくまで協力関係だ。

私は利用されているが、同時に、利用してもいる。

一方的な被害者面をして、迷惑をかけるつもりはなかった。

 

小鳥遊ホシノのように、

ある程度の真実を話してもいい相手なら、話は別だったかもしれない。

 

だが――

明星ヒマリは、そういう相手ではない。

 

「……何か、詳しく話せない事情でも?」

 

私が黙ったままでいると、明星ヒマリが、ゆっくりと距離を詰めてきた。

 

車椅子の駆動音は、ほとんど聞こえない。

手で操作している様子もなく、まるで床の上を滑ってくるようだ。

一瞬、浮いているのではないかと錯覚するほど自然な動きだった。

 

「黒見さんからの手紙にも、ある程度のことは書かれていました。頑なに事情を話そうとしない、と」

 

気づけば、彼女はすぐ目の前にいた。

顔を上げれば、ぶつかりそうな距離。

 

私は、心臓の鼓動がやけに大きく聞こえるのを感じた。

 

「弱みを握られているのか、脅されているのか……理由はあるのでしょう。でも、話してみてはくれませんか?」

 

声が、柔らかい。

 

「私はこれでも、キヴォトス一のハッカーです。大抵のことは、なんとかなりますよ」

 

その声音は、小さな子供を安心させる時のそれだった。

心配と好意が、隠そうともせずに滲み出ている。

 

初めて会った時の小鳥遊ホシノを、思い出す。

「大丈夫だよ」と、根拠もなく信じさせるような、あの声音。

 

――頼ってもいい。

――話してもいい。

 

そう諭されている気がして、

黙っていること自体が、少しずつ罪のように感じられてくる。

 

(……どうする)

 

一瞬、本気で迷った。

いっそのこと、完全な被害者という設定で押し通すか。

 

少し考えて――

私は、その選択を取ることにした。

 

「……あなたが、どれだけ私に寄り添おうと」

 

俯いたまま、私は口を開いた。

声が、わずかに震えるのを自覚しながら。

 

「どれだけ頼りがいがあろうと、私は頼りません。話しません」

 

一度、言葉を切る。

 

「これは、私の問題です。他人を巻き込んでまで、解決することじゃない。だから……放っておいてください」

 

ここまで言えば、十分だろう。

これでも引き下がらないなら、それはもう善意ではなく、おせっかいだ。

 

……もっとも、初対面同然の相手にここまで踏み込んでくる時点で、十分おせっかいではあるのだが。

 

「……そう、ですか」

 

明星ヒマリは、静かにそう言うと、少しだけ後ろへ下がった。

 

私は、最後まで顔を上げなかった。

彼女の表情は、結局わからないままだ。

 

けれど――

どうやら、引き下がってくれたようだった。

 

(助かった)

 

最悪の手段――

この場からの逃走を選ばずに済みそうだ。

 

私は踵を返し、出口へ向かう。

 

「もう、用件は済みましたよね。では、失礼します」

 

急ぎ足だ。明星ヒマリの気が変わらないうちに失礼させてもらう。

 

ドアノブに手をかけると、鍵はいつの間にか外されていた。

私はそのまま扉を開け、振り返らないようにして部屋を出る。

 

閉まる直前、

明星ヒマリが、何か言いかけたような気配があった。

だが、結局その声が聞こえることはなかった。

 

そのまま、エレベーターに乗り込んで1階を押す。

 

エレベーターの扉がゆっくりとしまり、音も立てずに下降を始めた。

 

その瞬間、先ほどまで纏っていた緊張の糸が、一気に解けたような感覚になる。

 

どっと疲れがおそってくるような、一つの難関をきりぬけたような妙な達成感があった。

 

「はあ〜どうにかなって良かった…」

 

ミレニアムタワーの中を降りながら、私は大きく息を吐いた。

 

――危なかった。

 

ここまで追い詰められたのは、正直初めてだ。

まさか、カイザーとの関係にまで踏み込まれるとは思っていなかった。

 

あれだけ言えば、さすがにもう深追いはしないだろう。

……そう信じたい。そうであるはずだ。

 

だが、不安は残る。

アビドスの連中のように、何か行動を起こされる可能性もゼロではない。

 

私を呼び出してまで質問をする人なのだ。可能性は十分にある。

 

「……帰ったら、報告だけしておくか」

 

黒服さんに。

ゲマトリアにまで辿り着くとは思えないが、念のためだ。

 

―――

 

その後、私はクロノススクールへ向かった。

 

今日の本命は、こちらである。

 

ミレニアムからはさほど遠くにはなく、電車を使えばすぐについた。

 

周りにはさまざまな企業ビルが立ち並び、太陽光をこれでもかと反射してくる。

 

その中に違和感なく鎮座するクロノススクールは、学校というより、巨大な企業の本社ビルに近かった。

 

高層の校舎が立ち並び、運動場やプールといったものは見当たらない。

 

「……本当に、学校なのかこれ」

 

正面入口をくぐりながら、そんな感想が浮かぶ。

 

入り口に先には、なんと受付があった。

 

学校に受付⁉︎しかも立っているのは生徒だ。

 

取材や書類仕事ならまだしも、高校生活の中に受付業が組み込まれている学校なんて聞いたことがない。

 

不思議ではあるが、これも何か訳あってのものなのだろう。

 

私は、驚きながらも受付を済ませ、指定された場所へ向かう。

 

こうやって歩いてみても、どこぞの企業ビルにしか見えない。

 

ガラス越しには、生徒たちが書類や写真とにらめっこしていたり、パソコンで何かを作っていたり。勉強をしていると言った雰囲気ではなく、仕事場を感じさせる。

 

廊下を進むと、扉の横にプレートがかかっていた。

 

――取材班室。

 

いくつか部屋はあったが、明かりがついているのは一つだけ。

おそらく、ここだろう。

 

扉をノックし、反応がないのを確認してから、そっと開ける。

 

質素な部屋ではあるものの、嫌な単調さはない。

 

中には、生徒が一人いた。

 

スポーティーな服装で、取材班というより運動部のようにも見える。

机に向かい、ノートにペンを走らせていて、こちらに気づく様子はない。

 

手の動きが、異様に速い。

覇気すら感じる集中力だった。

 

「……」

 

声をかけるべきか、一瞬迷ったが、流石にみているだけはまずいだろう。

 

「あのー、すいません」

 

「……」

 

無反応。

 

「すいません、聞こえてますか?」

 

「……」

 

……本気で気づいていない?

 

「すいません!」

 

「ひゃい⁉」

 

今度は、しっかり届いたらしい。

変な声を上げて、勢いよくこちらを振り向いた。

 

髪が揺れ、眼鏡にかかる。

 

「今日、取材班室に来るよう言われた、真田利コハクです」

 

私は、軽く会釈した。

 

「あっ……!真田利コハクさんですね!す、すいません!」

 

慌てて立ち上がる。

 

「別の企画の締め切りが迫ってまして……ああ、どうぞ、こちらに座ってください」

 

椅子を引いてくれるのを確認し、

私はそのまま、促されるままに腰掛けた。

 

 向かいの椅子に腰を下ろすと、ほどなくして取材担当の生徒が小さく咳払いをした。

 

「ええっと。私が、今回あなたの取材を担当させていただくものです。学年は二年。本企画の企画長です」

 

 わかりやすい自己紹介だ。肩書き、学年、役職。無駄がない。

 ならば、こちらも同じように。

 

「真田利コハクです。今回の企画の取材を受けに来ました。学年は一年。ミレニアム所属です」

 

 簡潔に名乗り、軽く一礼する。

 

「では早速。取材の方をはじめさせていただきます」

 

 彼女は鞄から手帳とペンを取り出した。髪を耳にかけ、椅子をわずかに前へと引く。机越しに距離が縮まる。取材者としての姿勢だ。

 

「そうですね。まずは簡単な質問から参りましょう。今回、トリニティの正義実現委員会の治安維持能力に疑問を持ったと言うことですが、具体的にはどういったもので?」

 

 確かに、そこがわからなければ話にならない。

 

「まず初めに、私の言うトリニティの治安とは、何も表面上の治安のみと言うわけではありません」

 

 彼女の眉が、わずかに動いた。

 

「どう言うことです?」

 

「トリニティは、キヴォトスでもトップクラスのマンモス校。自治区の大きさや生徒の多さから、治安維持組織での治安維持が難しいのは当たり前です。何も、出来もしないことをやれと訴えたいわけじゃないんです」

 

 批判ではなく、分析だという形を取る。

 

「では、コハクさんがいう治安とは、何に対しての物なのですか?」

 

「トリニティの、富裕層の生徒の治安です」

 

「富裕層?話が見えてきませんが……」

 

 首をかしげる仕草。

 

「トリニティは、いってしまえばお嬢様学院。財閥や貴族のご令嬢がわんさか通っています。しかし、どうにもこの層の生徒たちが問題でして。学校内外での問題行動が後を絶たないのです」

 

「それは……あまり聞かない話ですね? そりゃあ確かに、いくら貴族階級といえども問題児はいるんでしょうが、問題を起こしている話なんてそう頻繁には入ってきませんよ?」

 

「それはまあそうでしょう。実際、問題視している生徒は多くありません」

 

「? 問題視している生徒は多くない……含みのある言い方ですが」

 

「私は、たびたびトリニティの敷地内に入ることがありましたが、そのほぼ全てで、いじめを見ました」

 

 彼女のペンが止まる。

 

「いじめ? 暴力沙汰や重犯罪などではなくいじめですか?」

 

「まあ、聞いただけなら拍子抜けするんでしょうが……実態は結構ひどいものでして」

 

 視線を逸らし、少し間を置く。

 

「聞きましょう」

 

「まず、いじめの母数が多いのはもちろんなんですが、発覚していないいじめはほとんどないと思います」

 

「発覚していないいじめがほとんどない? どう言うことですか? いじめが発覚しているなら、正義実現委員会やティーパーティーが対処するのでは?」

 

「それが、なされているのは一部だけなのです」

 

「はい?」

 

 素直な困惑。

 私は落ち着いて続ける。

 

「一部の、いわゆる一般生徒同士のいじめは早急に対処されているようなのですが、貴族階級の生徒の対処はほとんど……」

 

 言葉を濁す。

 

「それは……トリニティに通っている貴族階級の生徒というのは相当に階級が高く、一般階級の生徒は強く出れないということなのですかね」

 

「おそらく。加えて、正義実現委員会のような武力集団に入る貴族階級の生徒は少ないこともあって、余計に対処が難しくなっているものと思います」

 

 そこまで言って、私は小さく息を整えた。

 

 彼女はゆっくりとペンを走らせる。紙の上を滑る音が、静かな室内に響く。

 

「……なるほど。構造的な問題、ということですね」

 

「ええ」

 

 短く頷く。

 

問題の複雑さを理解してきたのか、相手の生徒の顔色はわずかに陰ってきていた。

 

 

コハク過去編

 

私は、いったんコピー体への質問を切り上げた。

 

これ以上、向かい合って言葉を交わすのが、どうにも怖かったのだ。

 

「……少し、考える」

 

そうだけ告げて、私は部屋を出た。

コピー体は引き止めもしない。ただ静かに「了解しました」とだけ返した。その声が、やけに素直で、やけに静かで、それが余計に胸をざわつかせた。

 

リビングに戻る。

 

朝の光はさっきと変わらず差し込んでいるのに、空気の質が違って感じられる。

ソファに腰を下ろし、背もたれに体重を預ける。

 

なんというか――

 

あれ以上、コピー体と会話を続けるのが怖かった。

 

昨日までならよかったのだ。

 

心を感じさせない、純粋なクローンのような振る舞い。

指示に従い、淡々と応答し、機能として存在しているだけの存在。

 

行動原理も理解できた。

「私の一部」という定義も、ただの構造の説明として受け取れた。

 

そこに、感情はなかった。

 

だから、割り切れた。

 

しかし。

 

心がある、となると話は違う。

 

心がある。

にもかかわらず、相変わらず私に従順。

 

笑わない。

怒らない。

表情はほとんど変わらない。

 

それでも、私を気遣い、信頼し、忠誠を示す。

 

あれは、何だ。

 

私は、両手で顔を覆った。

 

気味が悪い。

 

今までに見たこともない。

 

人間でもない。

機械でもない。

ただの生物とも違う。

 

恐怖。

 

まさしく、それだった。

 

あれが、私に流し込まれた恐怖によって性質を変えたからなのか。

それとも、不可思議であることそのものが恐怖なのか。

 

分からない。

 

いや、おそらく両方だ。

 

恐怖とは不可思議であり、不可思議とは恐怖。

 

言っていたではないか。

コピー体自身が。

 

神秘とは、恐怖に意味を持たせたもの。

 

私たち生徒とは、神秘が形を持ったもの。

 

では――

 

あれは、なんだ?

 

私は、ゆっくりと顔を上げる。

 

生徒、の枠組みなのだろうか?

 

いいや。

 

違う。

 

あれは、生徒という型を、少しはみ出している。

 

あれは、神秘だ。

 

剥き出しの、意味づけられきっていない何か。

 

そう思った瞬間、胸の奥に、別の感情が生まれる。

 

――崇高。

 

私が求めてきたもの。

 

理解の外にあり、しかし確かに存在する何か。

 

あれは、私の求める『崇高』に、最も近いのではないか。

 

その考えが浮かんだ瞬間、ぞわりと背筋が震えた。

 

同時に、別の疑問が浮かぶ。

 

あれは……あの生物は、本当に存在してもいいものなのか?

 

明らかに、この世の枠組みを飛び越えている。

 

人間でもなく、ただの生徒でもなく、完全な神でもない。

 

その中間にある、歪な存在。

 

危険だ、と本能が告げる。

 

あれは、壊すべきなのではないか。

 

排除すべきなのではないか。

 

そんな考えが、自然に浮かんでくる自分に、私は一瞬息を呑んだ。

 

「……破壊、か」

 

小さく呟く。

 

だが、もしそうだとすれば。

 

あれが、私の研究の果てにあるものだとしたら。

 

破壊するという選択は、自分の研究そのものを否定することになる。

 

自分が追い求めてきたものを、

自分の手で消すということになる。

 

それでも。

 

それでも、私はあれを破壊しようと思ってしまう。

 

怖いからだ。

 

存在していること自体が、怖い。

 

できるのかは、分からない。

 

あれは、私と同じ再生能力を持っている。

 

傷つけても、戻るかもしれない。

 

そもそも――

 

大人しく破壊されるかも分からない。

 

私に忠誠を示しているようだが、

命の危機となれば、話は別かもしれない。

 

そこまで考えて、私は立ち上がった。

 

思考だけでは、答えは出ない。

 

憶測を重ねるほど、頭の中が濁っていく。

 

私は、静かな廊下を歩き、

コピー体のいる部屋の前で立ち止まった。

 

扉の向こうに、あれがいる。

 

一度、深く息を吸う。

 

そして、ドアノブに手をかけた。

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