さて、と。
私はクロノススクールの玄関前で一度立ち止まり、大きく息を吐く。ガラス張りの高層ビルを振り返ることもなくそのまま歩き出した。
ミレニアムに戻るか?
まだ十時を少し回ったくらいだった。
昼には早い。授業*1がある時間帯ではあるが、今日に限って言えば急ぎの予定は何も入っていない。
研究室も、設備の搬入はまだ先だ。
何かをしたくても、そもそも環境が整っていない。
「……となると」
自然と一つの顔ぶれが頭に浮かぶ。
ゲーム開発部。
明星ヒマリとの一件もあって、今日は朝から考え事ばかりしていた。
気疲れというのは、自覚した瞬間にどっと押し寄せるものらしい。
「可愛らしい三人組に癒やされねば、やっていけん」
思わず苦笑が漏れた。
ゲームの話をして、馬鹿みたいな企画を聞かされて、それに適当に相槌を打つ。
……いや。
「やめておこうか」
あの子たちは、多分いい子だ。
多少はっちゃけていて、勢いで無茶をすることはあるように見えた*2。
けれど、自分たちの限界は理解している。
だからこそ、できる範囲で誰かを助けようとするかも。
「それが一番厄介なんだよな……」
私は演技が得意だ。
神秘が絡まなければ、ごく普通の生徒を装うくらい難しくない。
実際、今までそうやって過ごしてきた。
だが善人というのは、妙なところで勘が鋭い。
嘘を見抜くというより、違和感を拾う。
疲れていること。無理をしていること。
そういうものを、本人が隠しているつもりでも案外見抜いてしまう。
ゲーム開発部の面々がそこまで鋭いかはわからない。
それでも、今日ばかりは会わない方がいい気がした。
「疲れ切ってる時は、素直に休むのも一つか……」
そう呟きながら、目的地を決めないまま歩き続ける。
ミレニアムへ戻るか。
それとも適当に時間を潰すか。
考えながら歩いていると、不意に。
「あ……生きてる」
そんな、妙に間の抜けた声が聞こえた。
「……?」
思わず足を止め、声のした方へ視線を向ける。
道路脇に立っていたのは、一人の生徒だった。
見覚えがあるヘルメット。そしてどこかで聞いた声。
確か…
アビドス襲撃の際に行動を共にした不良の一人だ。
あの集団の中では珍しく、話が通じる人間だった。
妙に頭の回転が速く、他の連中とは少し雰囲気が違っていたから覚えている。
今日も相変わらず、ヘルメットを被ったままだった。
「お前は……」
そこまで言って、言葉が止まる。
――『生きてる』。
その一言だけで、いくつもの考えが頭を巡った。
私が死んだかもしれないと思っていた。
それ自体は理解できる。
あの状況なら、そう思われても不思議ではない。
問題はそこじゃあない。
私はあの時、最後まで顔を隠していたし声も変えていた。
素顔を見せた記憶はない。
「何故、私を私だと?」
自然と声が低くなる。
警戒。
無意識に相手との距離を測っていた。
どんな考えを持っているのか、まだ何もわからない。
問いかけられたヘルメットの生徒は、困ったように頭を掻いた。
「なんでって言われてもなぁ……説明が難しい」
肩をすくめる。
「なんとなく、だよ」
「なんとなく?」
「強いて言うなら、既視感かな」
「既視感、か……」
私は小さく復唱する。
「そこまで深い仲でもないだろう。私たちは」
率直な感想だった。
互いに何度も話した仲でもない。
特別な交流があったわけでもない。
私からすれば、数多くいる不良の一人に過ぎなかった。
すると相手は苦笑しながら、小さく頷く。
「あー……まあ、あんたからすればそうかも」
その言い方に、少しだけ引っ掛かりを覚える。
含みがある。
「……どういう意味だ?」
「いやさ」
ヘルメット越しに笑ったような気配がした。
「あんたにとっては、なんでもない一不良だったかもしれない。でも、私からすれば違う」
一拍置いて、静かに続ける。
「あんたは重要人物だった」
「探し回ってたくらいにな」
「私を……探していた?」
思わず聞き返す。
心当たりはない。
ここ最近、予想外の出来事には慣れ始めていた。
明星ヒマリ。
アビドス。
クロノス。
どれも十分予想外だった。
だが、今回ばかりは本当に何も思い当たる節がない。
「なぜ?」
ヘルメットの奥から聞こえてきた声は、どこか照れくさそうで、それでいて真っ直ぐだった。
「……あんたにな、救われた」
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
救われた。
誰が。
こいつが、私に?
ヘルメットの生徒は、私の反応を見ても気にした様子はなく、小さく肩をすくめた。
「ゴミみたいな溜まり場でさ。身を寄せ合って、傷を舐め合って、日銭を稼いで暮らしてるような私を……あんたは正面から見た」
一度言葉を切る。
何かを思い返しているのか、少しだけ視線を下げた。
「色眼鏡なしにさ。ただ、それだけだったんだけどな」
ゆっくりと顔を上げる。
「嬉しかったんだ」
私は眉をひそめた。
「そんな……アニメや漫画に出てくるスラムのガキみたいな理由で」
あまりにも単純だ。
あまりにも些細だ。
それだけで人を探し回る理由になるとは思えない。
しかし、ヘルメットの生徒は迷うことなく頷いた。
「そうだな、まさにそれだ」
本気で言っている。
冗談でも誇張でもない。
自分でそんな理由だと理解していながら、それでもなお私を探していたのか。
しばらく黙って相手を見つめてから、小さく息を吐く。
「……私に会って、礼でも言いたかったのか?」
「そうだ」
一切の迷いもない。
「私がお前を煙たがることは考えなかったのか」
ここまで一方的な感情を向けられる覚えは、本当にない。
「考えたさ」
相手は苦笑しながら頷いた。
「でも、私は私本位で生きるって決めたんだ」
「私本位、か」
「ああ」
ヘルメット越しに、小さく笑う気配がした。
「もう他人の顔色ばっかり窺って生きるのはやめようって」
その言葉を聞いて、私は思わず口元を緩める。
「吹っ切れたか」
「あんたのおかげだ」
少しだけ照れくさそうに頭を掻く。
「ありがとうな」
「……そうか」
それだけ返すのが精一杯だった。
うまく言葉が出てこない。
私は結構、想定外に弱い。
戦闘でも研究でもなく、人間関係に関してだけは。
こういう真っ直ぐな感情を向けられると、どう返せばいいのかわからなくなる。
ただ、一つだけわかったことがある。
こいつは、とりあえず敵ではない。
礼か。
アビドスの連中にも礼を言われた。
だが、不思議なことに、こいつに礼を言われても何か込み上げてくるものはなかった。*3
ただ、「そういうものか」と受け止めるだけだった。
「礼は聞いた」
私は軽く肩をすくめる。
「用は済んだだろう」
「それはそうなんだけどさ」
相手は少し言い淀み、頭を掻いた。
「なぁ、もう一個だけいいか」
「なんだ」
「あんた……なんで生きてる?」
その一言で、私はすべてを察した。
こいつ。
自爆の痕跡を見たのか。
だからこそ、あれほどまでに「生きている」という事実へ執着していた。
「あんたのさ、自爆したらしい跡を見たんだ」
少しだけ拳を握る。
「確かに、私らのアジトであんたの強さは見た。でも、それにしたって、あの爆発の跡はさ……」
一度、言葉を飲み込んだ。
「死ぬって思うだろ、普通」
静かな声だった。
「というか、最初は本気で死んだと思ってた」
「なのに、探し回ってたのか」
「ああ」
迷いなく頷く。
「生きてるって言われたからな」
「誰に」
「小鳥遊ホシノに」
その名前を聞いて、思わずため息が漏れた。
「お前……よく無事で生きてるな」
「ん?」
「私の認識では、小鳥遊ホシノは学校に襲撃を仕掛けた生徒は問答無用で潰すものだと思っていたが」
ヘルメットの生徒は苦笑する。
「いろいろあったんだよ」
頭を掻きながら続ける。
「いろいろ」
「……あらかた予想はつくな」
私は呆れたように息を吐く。
「私が死んだと思って、殴り込みでもしたか」
相手はぴたりと動きを止めた。
「……すげぇな、あんた」
数秒沈黙したあと、小さく笑う。
「あたりだ」
「はぁ……」
額に手を当てる。
「お前な」
呆れ半分、本音半分で言う。
「些細なきっかけで私に感情を抱きすぎだ」
「私にとっちゃ大事件なんだよ」
即答だった。
その返答に、私はもう何も言い返せなかった。
「……まあいい」
話を切り替えるように息を吐く。
「曖昧だが答えようか」
相手は身を乗り出す。
「不死身だ、私は」
沈黙。
数秒の静寂が流れたあと、ヘルメットの生徒は呆れたように肩を落とした。
「答えになってねぇじゃん」
「いや」
私は首を横に振る。
「これが答えだ」
相手の目を見る。
「信じるか否かに関わらずな」
ヘルメットの生徒はしばらく私を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……そうかよ」
不服そうに顔を逸らす。
当然だ。
信じてもらうつもりで話したわけではない。
信じられないことを承知の上で答えた。
それでいい。
「今度こそ用は済んだだろう」
私は踵を返す。
「私はもう行く」
歩き出す前に、一度だけ振り返った。
「お前も、もう私を探し回るなよ」
ヘルメットの生徒は、その言葉をしばらく黙って聞いていた。
やがて、小さく頷く。
「そうだな」
どこか吹っ切れたような声だった。
「うん。わかった」
一度深く息を吸い、静かに笑う。
「私の中で、いろいろ整理はついたし、もう探さない」
少し間を置いてから、付け加える。
「じゃあな。名前は、お互い知らないままの方がいいだろうから聞かないよ」
私は小さく頷いた。
「それでいい」
短く答える。
「じゃあな」
それだけ言い残し、私は再び歩き出した。
善人だと思われる必要もなく気を使う必要もない相手にのみ敬語を外すから現状こいつくらいしかこの口調のコハクとの会話を書けない。
ちなみにこの生徒の名前は「アンバ」に決まりました。理由は、この生徒が現状一番素のコハクとして接する小もなおができるから。
アンバ→アンバー→琥珀→コハクっていう安直な繋がり。