ボール至上主義への反逆 ― 捕獲を拒んだ青年は、世界に新たな組織を築く 作:ハラカナ
お待たせしてしまってすみません。
その分、今回はしっかり書き込みしたつもりです。
評価――その言葉の重みに、アリウスは自然と背筋を伸ばした。
カトレアの瞳は、宝石のような輝きではない。
もっと深い。
沈んだ湖の底に、静かに光を湛えるような、そんな目だった。
「リラ。あなたが連れてきたって聞いた時は……正直、疑っていたの」
彼女の視線が、アリウスの胸元から足先まで、一度ゆっくりとなぞる。
嫌悪ではない。
ただ――“確かめようとする眼差し”だった。
リラが一歩前へ出る。
「それでも会ってくれたのは、嬉しいよ。カトレア。……今回だけは、僕の願いも聞いてほしかった」
「ええ。アナタが言うなら、無視するわけにはいかないもの」
そのやり取りだけで、アリウスは二人の距離感を悟った。
“リラは特別扱いされている”。
フロンティアブレーンの名だけではない。
カトレアにとって、リラは――“同じ痛みを知る相手”なのだ。
イズミが静かに背後に控えている。
その仕草は、場を乱さないための丁寧な立ち振る舞いで、自然と空気に溶けていた。
アリウスは軽く息を吐き、カトレアを真正面から見据えた。
「会ってくれて、ありがとう」
「いいえ。まだ礼を言うのは早いと思うわ。……まずは、“噂”について、アタクシの前で整理してくれる?」
彼女の声は柔らかいが、揺るぎない芯がある。
リラとは違うタイプの“強さ”だ。
アリウスは頷き、ゆっくり言葉を重ねた。
「俺は……ポケモンの声を聞ける。心が伝わってくるんだ。ただ、それを望んだことはない。それでも――助けを求める声があるなら、無視はできない」
カトレアの瞳が、少しだけ細くなった。
「それが“本当”なら……素敵な力だと思うわ。けれど同時に――危うくもある」
イズミが小さく息を呑む。
だが、それは誤解や敵意ではなく――“率直な評価”としての言葉だった。
「心が聞こえるということは、時に、心に飲まれるということよ。特に……弱った声ほど、人を引きずるものだから」
「……わかってる。だからこそ、俺は“止まらない”と決めたんだ」
アリウスの答えを聞いた瞬間、カトレアの表情がほんの少しだけ揺れた。
誤魔化しのない返しだったからだ。
彼女は数歩だけアリウスへ近づき、まるで匂いを確かめるようにその気配を見つめた。
「たしかに――濁ってないわね。……アナタの心」
リラが目を細める。
「それ、どういう意味?」
「そのままの意味よ。アタクシを含め、エスパー使いが時々やること。心の輪郭を見るだけ。覗いてはいないわ。……そこまで踏み込むのは礼儀じゃないもの」
アリウスは初めて知るような顔をした。
心の輪郭を……“感じてる”?
しかし、続くカトレアの言葉はもっと鋭くなる。
「でも――心が澄んでいるからといって、信用するには足りないの」
「……どういうことだ?」
「アタクシはね、人の“本心”よりも、“選択”を見るの」
選択――。
その一言で、アリウスは彼女が何を見極めようとしているのかを悟った。
俺の“覚悟”を知りたいんだ。
リラが静かに口を開いた。
「カトレア。……彼は、僕が保証する。危険性があるなら、僕が止める」
「ええ。リラがそう言うなら、たしかに信用性は上がるわ」
そこで一度、カトレアは肩に手を添えた。
深呼吸をし、意図的に声を軽くする。
「でもね。アタクシには“別の理由”でも……会いたかったの」
アリウスが目を上げる。
「……別の理由?」
「そう。アタクシの“城”にも、さっきから揺れが届いているの。……とても、弱くて……けれど、確かにアナタと同じ方向の揺れ」
揺れ――アリウスが降り立った直後から感じた“声の揺らぎ”だ。
「それって……もりのようかんの方角?」
「いいえ。もっと近いわ。……このバトルキャッスルの中」
リラとイズミが同時に息を呑む。
「城の中に……?」
「ええ。アタクシ自身は無視してきたけれど……最近は無視できないほど強くなってきたの」
そこで彼女はアリウスを見据える。
「アナタに会ったのは――“この揺れがアナタと関係している”と、どこかで確信していたからよ」
その言葉は疑いではなく、だからこそ確かめたいという純粋な意志に満ちていた。
アリウスは一度だけ息を吸い込み、胸の奥に意識を向ける。
寒気に似た感覚が、建物の奥からじわりと滲んでくる。
言葉ではない。
感情だけが、輪郭を持たないまま流れ込んでくる。
忘れられたまま、置き去りにされたもの。
怯えと孤独が絡まり合った、弱い存在の気配。
アリウスは確信した。
ここにいる。しかも、遠くない。
「……たしかに、何かがいる。弱いけど、すぐ近くだ。……呼ばれてる」
カトレアはゆっくりと頷いた。
「アナタにだけ感じるんでしょ? だったら――案内してあげる。……城の奥へ」
その表情には怯えではなく、覚悟が宿っていた。
「アタクシは逃げないわ。……アナタが逃げない限り」
アリウスは小さく笑った。
「逃げない。……俺も、止まらない」
気配が動く。
静かな空気が、ゆっくりと“城の奥”へと流れていく。
――これは勧誘ではない。
――評価の続き。
そして、“揺れ”の正体へ触れるための、最初の一歩だった。
◇
廊下に一歩踏み出した瞬間、空気の密度が変わった。
静かすぎる。
声を発すれば砕けてしまいそうな、薄い緊張が張りつめている。
カトレアは歩幅を乱さず、先頭を進んだ。
その背に揺れる金色の髪だけが、唯一この空気に色をつけているようだった。
「……アナタ、さっきのなんだけど、どんなふうに感じたの?」
歩きながら、カトレアが問う。
「弱い。迷ってる。……でも、助けを求めてる感じがした」
「迷い、ね……」
カトレアの表情がわずかに陰る。
リラが後ろから口を開いた。
「カトレア、君はそれを“何だと思ってる”?」
「正直……まだ分からないわ。でも、ひとつだけ確かに言える」
カトレアは足を止め、ゆっくりこちらを振り返った。
「この揺れは、アタクシ自身とは無関係じゃない」
その言葉に、アリウスの胸がわずかに熱を帯びる。
やはり、彼女自身の力が深く関わっているのだと確信する。
イズミも静かに息を吸い込んだ。
「超能力……それが不安定になれば、揺れも強くなる。そういうことですね?」
「ええ。でもね、これは単なる暴走じゃないの」
カトレアは右手の指先を少しだけ持ち上げ、空気に触れさせるように揺らした。
廊下の照明がわずかに“歪む”。
「……呼ばれているのよ。……どこかから」
その言葉に重なるように、空気がひび割れる。
耳ではなく、胸の奥を直接撫でられるような感覚だった。
閉ざされた場所。
静けさを求めながら、同時に恐れている気配。
誰にも触れられず、ただ存在を薄め続けてきたもの。
それは助けを求める声というより、押し殺された願いが、限界まで擦り切れた末に残った“揺れ”だった。
幼く、脆い。
だが、確かにそこにある。
「カトレア。この奥に……部屋があるのか?」
「ええ。城の中でも、ほとんど誰も来ない場所。昔、アタクシが……」
言いかけて、彼女は言葉を噛みしめた。
「……“閉じこもっていた頃”の部屋よ」
リラが一瞬だけ目を細める。
アリウスにも、カトレアの背中がわずかにこわばったのが分かった。
その先に、“揺れの源”があるのだと直感する。
足音が深く響く。
城の奥へ行くほど、空気は冷たく、重くなっていった。
カトレアがポツリとこぼす。
「昔のアタクシは、今より能力を抑えられなくて……よく泣いていたわ。誰にも見せなかったけれど。誰にも見せられなかった」
その声は、気品をまとった少女ではなく、“力に怯えていたひとりの子供”のものだった。
「その頃から、この部屋には……“何か”がいたの」
「何かって……ポケモン?」
「違うわ。……でも、ポケモンの声でも、人の声でもない。ただ、誰かが泣いているような……そんな揺れ」
アリウスは胸に広がる感覚を確かめる。
それは、ポケモンの声とは明確に違う。
意志はある。
けれど、形になりきれていない。
感情だけが溶け出し、空間に滲んでいるような感覚だった。
孤独。
寒さ。
そして、ひとりであることへの恐怖。
それらが絡まり合い、言葉になる前の段階で留まっている。
まるで、記憶だけが残され、感情の持ち主を失ったかのような――そんな、心の残響。
もしかすると、記憶の影のような存在なのかもしれない。
イズミが深刻な声で言った。
「それは……カトレア様の“心の分身”のようなものでは?」
「……否定はできないわ」
カトレアは苦笑に似た薄い表情を浮かべた。
「普通の子どもなら、泣いて終わりで済んだのかもしれない。でも、エスパー使いの子どもは……泣くと世界が揺れるのよ」
アリウスは息を呑んだ。
だからこそ、この揺れはずっと残り続けてきたのだと理解する。
そして、カトレアが言う。
「アタクシがずっと無視してきた揺れ。でも最近になって、急に強くなった。……まるで」
「まるで?」
「……アナタを待っていたみたいに」
アリウスはその言葉に戸惑いを隠せなかった。
この揺れが、自分に反応している――そう告げられたように感じる。
「俺を……?」
「ええ。揺れの方向が、アナタと出会ってから変わったの。正確に言うと……“揺れがアナタに反応した”」
リラが小さく肩を上げる。
「やっぱり……アリウスの力は、心と近すぎるんだよ」
「近いから――触れ合う。……そんなところかもしれないわね」
カトレアが再び歩き出す。
冷えた空気に、彼女の腕がわずかに震えた。
アリウスは歩きながら、胸の奥で問いを重ねる。
この揺れは、本当に誰のものなのか。
カトレア自身の過去なのか。
それとも、別の何かが――長い時間をここで過ごしてきたのか。
その瞬間だった。
空気が、不自然に沈んだ。
耳に届く音ではない。
だが、胸の奥に直接触れてくる感覚があった。
気づいてほしいという焦りと、もう遅いのではないかという諦めが、絡まり合って流れ込んでくる。
アリウスの足が止まる。
カトレアも、同じ瞬間に振り返った。
「……今、何か……感じた?」
「ああ。さっきより、ずっと近い」
カトレアの瞳に緊張が宿る。
「この先よ。開かずの間……アタクシも何年も入っていない」
扉は重厚で、古い木材に金属の装飾が施されていた。
触れなくても分かる。
この扉の向こうに、“揺れの中心”がある。
リラが静かに言う。
「開けよう、カトレア」
だがカトレアは動かなかった。
わずかに指先が震えている。
「……怖いの」
それは小さな声だった。
「昔のアタクシが泣いていた部屋。あの頃の弱さが、まだ中に残っている気がして……。でも――」
カトレアは深く息を吸い、アリウスを見据える。
「アナタが来たから……開けるわ」
その言葉には、“覚悟”と“依存”と“希望”が、複雑に絡んでいた。
アリウスは小さく頷く。
「一緒に行くよ」
カトレアがゆっくりと扉に手を伸ばし――押し開いた。
冷気が、すっと廊下へ流れ出す。
灯りの届かない闇が、奥深くまで沈んでいる。
その闇の向こうから、アリウスは強い感情の揺らぎを感じ取った。
問いかけるような不安。
拒まれることを恐れながら、それでも誰かを求める気配。
泣いているわけではない。
怒っているわけでもない。
ただ、長い時間、ひとりで待ち続けてきた――そんな感触だった。
カトレアが、小さく呟く。
「……お願い。アタクシの代わりに……向き合って」
その声は、気丈な仮面の奥に隠してきた本音だった。
アリウスは一歩、闇の中へ踏み込む。
届くかどうかは分からない。
それでも、背を向ける気はなかった。
◇
闇の中は、驚くほど冷えていた。
廊下とはまるで別の場所に足を踏み入れたかのように、空気の質が違う。
音が吸われる。
声を出せば、どこかへ消えてしまいそうな静けさだった。
アリウスは一歩、前に出る。
これは“聞こえる”という感覚とは違う。
輪郭は曖昧で、形も定まらない。
それでも、胸の奥がじわりと疼いた。
ポケモンの声を受け取る時とは、明らかに異なる感覚だ。
冷たさ。
孤立。
誰にも触れられなかった時間の重み。
それらが、感情の残り香のように空間へ滲み出している。
言葉になる前で止まり続けた心の痕跡が、ここに留まっているようなものだった。
アリウスは息を整え、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「……ここに残ってるのは、誰かの“想い”だ。生きてる人の心そのものじゃない。……でも、無視できない」
背後で、カトレアが小さく息を呑んだ。
「……分かるの?」
「完全には分からない。ただ……強い力に引き寄せられて、歪んだまま残ってる感じがする」
アリウスの視線が、闇の奥へ向かう。
そこには、はっきりとした意志はない。
ポケモンの声のように、明確な意思表示もない。
それでも、確かに存在している。
恐怖と孤独が絡まり合い、消えきれずに残されたもの。
その揺れに、アリウスの胸が締め付けられる。
カトレアが、震える声で言った。
「……それは、アタクシの力よ。昔……抑えきれなかった頃の」
彼女は唇を噛みしめる。
強さを誇る者ではなく、かつて力に怯えていた少女の顔だった。
「泣くたびに、城の中が揺れた。誰にも見せなかったけれど……この部屋だけは、覚えてる」
アリウスは頷いた。
「力が強すぎたんだ。だから……置き去りにされた“揺れ”が、ここに残った」
アリウスは、そっと手を伸ばしかけ――そこで、一度だけ動きを止めた。
胸の奥に、わずかな躊躇が生まれる。
これは、人の心ではない。
だが、人の心から生まれた“歪み”だ。
それでも、触れれば壊れてしまいそうな脆さが伝わってくる。
踏み込んでいいのか、分からない。
この揺れは、助けを求めている。
同時に――ここに留まりたいと、必死に抵抗している。
闇の奥で、空気がざわめいた。
拒むように、壁のような圧が生まれる。
近づかれることを恐れながら、置いていかれることにも耐えられない。
そんな矛盾した感情が、絡みつくように伝わってきた。
アリウスは小さく息を吸う。
そして、今度こそ手を伸ばした。
「大丈夫だ」
言い聞かせるようではなく、
静かに、そこに置くように言葉を落とす。
「……もう、ここに閉じ込められる必要はない」
揺れが、一瞬だけ強く跳ねた。
それは拒絶というより、最後の抵抗だった。
その時、カトレアが震える声で呟く。
「……行って。……その子を、置いていかないで」
その言葉が、鍵だった。
張り詰めていた空気が、ふっと緩む。
冷たさが薄れ、重く沈んでいた気配が、霧のようにほどけていく。
カトレアの肩から、目に見えて力が抜けた。
「……消えた」
「うん。消えたっていうより……溶けた、かな」
それ以上、声は残っていなかった。
しばらくの沈黙のあと、カトレアが小さく笑う。
「……アナタ、噂以上ね」
「それは褒め言葉として受け取っておくよ」
アリウスが答えた、その瞬間だった。
イズミのポケットで、電子音が鳴った。
彼女が携帯を取り出し、画面を見る。
「……アオギリ様からです」
通話を繋いだ瞬間、荒い息混じりの声が飛び込んできた。
『イズミ! 聞こえるか!ロトムが……急に動いた!』
「ロトム……?」
『テンガン山へ向かった!何かを察したようだ。状況が……まずいっ!』
イズミの表情が硬くなる。
その声を横で聞いていたアリウスの胸に、嫌な予感が走った。
「……世界が、動き始めてる」
電話の向こうで、アオギリが続ける。
『急げ! 間に合わなければ……取り返しがつかなくなるっ!』
通話が切れた。
重たい沈黙。
アリウスは、迷わなかった。
「行こう」
カトレアが、彼を見上げる。
「……アタクシは?」
「まだ、ここにいて。でも――必ず迎えに来る」
彼女は一瞬、唇を噛み、それから静かに頷いた。
「信じるわ。……アリウス」
アリウスたちは背を向け、走り出した。
揺れは、もう城の中だけのものじゃない。
世界そのものが、軋み始めている。
――テンガン山。
そこに、次の“歪み”が待っている。
ここから物語が大きく動き出しますので、引き続き頑張ります。