ボール至上主義への反逆 ― 捕獲を拒んだ青年は、世界に新たな組織を築く   作:ハラカナ

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集う歪み、走る意志

 イズミの端末が鳴る、少し前。

 アオギリたちは、もりのようかんの前に足を止めていた。

 そこは、昼間であっても光を拒む建物だった。

 森の奥に沈むその洋館は、外壁の白ささえくすみ、窓という窓が内側から塞がれているように見える。

 風が吹いても、葉擦れの音だけが周囲を巡り、建物そのものは微動だにしなかった。

 アオギリは、無意識に肩を回した。

 空気が、妙に重い。

 羽織っていた濃色の上着は、ホウエンで着ていたものとは違う。

 目立たない色合いで、元アクア団を連想させる意匠もすべて外してある。

 隣を見ると、ウシオやフヨウも同様だった。

 いつもの装飾はなく、動きやすさだけを残した簡素な服装だ。

 それでも――空気は誤魔化せない。

 湿った冷気が皮膚にまとわりつき、深く息を吸うほど肺の奥に沈んでいく。

 ただ古いだけではない。

 ここには、長い時間“人が踏み込まなかった理由”が残っている。

 

「……嫌な場所だな」

 

 低く吐き捨てるように言い、扉に手をかける。

 初めて訪れる場所だというのに、理屈ではない拒絶感がある。

 扉は、軋む音を立てて開いた。

 内部は暗い。

 外光はほとんど届かず、奥行きだけが不自然に広がっている。

 ウシオが小さく舌打ちし、腰のポーチから小型ライトを取り出した。

 白い光が床を照らし、埃がゆっくりと舞い上がる。

 

「昼間だってのに……冗談きついっすよ」

 

 冗談めかした声だったが、足取りは慎重だ。

 フヨウは何も言わず、視線だけで周囲をなぞっていた。

 床板が、三人の重みを受けて小さく鳴る。

 だが、それ以外の音がない。

 静かすぎる。

 フヨウが、ふと足を止めた。

 

「……いる」

 

 その一言で、空気が張りつめる。

 アオギリはすぐに振り返り、彼女の様子を見る。

 フヨウの視線は一点を見ているわけではない。

 壁でも、天井でもない。

 建物そのものを包む何かを、感覚で捉えているようだった。

 

「ゴースたち……この洋館に集まってる。でも、様子がおかしい」

「おかしい?」

「落ち着きがない。……それに、二階から強い揺れを感じる」

 

 その言葉に、アオギリの眉がわずかに動いた。

 揺れ。

 アリウスが口にしていた感覚と、同じ種類のものだ。

 

「二階か。……行くぞ」

 

 短く告げ、階段へ向かう。

 手すりに触れた瞬間、指先にひやりとした感触が走った。

 二階へ上がるにつれ、空気はさらに冷たくなる。

 洋館全体が、静かに息を詰めているようだった。

 廊下に出た瞬間、フヨウが小さく息を呑む。

 

「……ここ」

 

 彼女が指し示したのは、廊下の突き当たり一個前にある一室だった。

 他の部屋と違い、扉の隙間から微かに光が漏れている。

 ウシオが首を傾げる。

 

「電気……ついてるっすか?」

「いや……違う」

 

 アオギリは低く答え、扉の前に立つ。

 取っ手に触れた瞬間、胸の奥に引っかかるものがあった。

 この部屋だけ、明らかに異質だ。

 建物の中にありながら、別の場所と繋がっているような感覚がある。

 扉を開く。

 中は、一台のテレビが置かれていた。

 電源は入っていない。

 画面は黒く、だが完全な闇ではない。

 内部で、何かが動いているような気配だけがあった。

 フヨウが、ゆっくりと一歩踏み出す。

 

「……このテレビ……」

 

 言葉の途中で、彼女の表情が変わった。

 驚きでも恐怖でもない。

 理解に近い、静かな確信。

 

「中に……いる」

 

 その瞬間だった。

 テレビの画面が、ぱっと明るくなる。

 砂嵐のようなノイズが走り、部屋の空気が一気に揺れた。

 ウシオが反射的に身構える。

 

「な、なんだこれ……!」

 

 だが、次の瞬間。

 画面の奥で、何かがはっきりと形を成した。

 電気の塊のような存在。

 歪んだ輪郭。

 それは、落ち着きのない動き。

 だがそこには、はっきりとした焦りがあった。

 フヨウの胸が、強く脈打つ。

 これはゴースではない。

 けれど、間違いなくゴーストタイプ。

 

「……ロトム」

 

 その名を口にした瞬間、テレビの光が強く瞬いた。

 アオギリは息を吸い、低く問いかける。

 

「お前……何をそんなに急いでる?」

 

 答えは言葉では返ってこなかった。

 だが、空気が震える。

 焦燥、警告、そして強い決意。

 次の瞬間、テレビの画面が激しく明滅し、ロトムの気配が一気に引き絞られた。

 

「……おい!」

 

 制止の声を置き去りに、電気の気配は部屋を突き抜ける。

 窓も扉も関係なく、一直線に外へ。

 フヨウが、はっと顔を上げた。

 

「……東? 山の方……」

 

 アオギリの脳裏に、即座に浮かんだ名があった。

 テンガン山。

 胸の奥で、嫌な予感が形になる。

 これは偶然じゃない。

 ロトムは、何かを察した。

 

「……チッ」

 

 アオギリは踵を返し、携帯を取り出した。

 

「イズミ! 聞こえるか!」

 

 走り出しながら、言葉を叩きつける。

 

「ロトムが動いた。テンガン山へ向かった。……時間がねぇ!」

 

 洋館の外へ飛び出した瞬間、風が一段と冷たくなった。

 空は、まだ青い。

 だが――どこか、色が狂い始めている。

 

 世界が、確実に動き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンガン山の頂は、すでに限界だった。

 空は赤く染まり、雲は渦を巻き、風向きさえ定まらない。

 山肌を走る亀裂の一つ一つが、まるで世界そのものの悲鳴のように見えた。

 ジュピターは地面に膝をつき、息を荒げている。

 サターンもマーズも、ポケモンを戻したまま動けずにいた。

 彼らは、押し切られていた。

 だが、それは一方的な蹂躙ではない。

 サトシたちの攻防が、確実に幹部たちの呼吸を乱していた。

 狙いを外させ、陣形を崩し、動きを鈍らせる。

 一瞬一瞬の積み重ねが、確実に戦況を傾けていく。

 

「くっ……!」

 

 マーズが歯噛みする。

 視線の先では、サトシのピカチュウとヒカリのポッチャマ、タケシのグレッグルが、各々最後まで食らいつくように場を駆け回っている。

 

「ちっ、ガキどもが……!」

 

 そして――その“作られた隙”を、見逃す者はいなかった。

 シンオウチャンピオン、シロナ。

 ガブリアスが踏み込み、すでに揺らいでいた戦線を、決定的に断ち切る。

 ジュピターが膝をついたのは、その直後だった。

 サターンも、マーズも、それ以上立て直す余地を失っていた。

 

「……なるほどね」

 

 マーズが、苦々しく吐き捨てる。

 

「チャンピオンが“一人で勝った”って顔じゃない」

 

 サターンが低く応じる。

 

「……ああ。あの子たちに流れを持っていかれた」

 

 シロナは答えない。

 ガブリアスを背に、彼女の視線はただ一人へ向けられていた。

 アカギ。

 彼は戦場から一歩距離を置いた場所に立ち、空を見上げている。

 仲間の敗北にも、敵の存在にも、まるで興味がないかのようだった。

 次の瞬間――空間が、裂けた。

 赤黒い光が奔流となって流れ出し、宙に浮かぶ鎖が音もなく蠢く。

 あかいくさり。

 それは誰かの手に握られているわけではない。

 意思を持つかのように、二つの“存在”を探し、絡みつくために動いていた。

 

「……来る」

 

 アカギが、淡々と呟く。

 時を司る存在――ディアルガが、咆哮とともに姿を現す。

 続いて、空間そのものを引き裂き、パルキアが顕現した。

 二体の伝説のポケモンに、あかいくさりが絡みつく。

 縛るのではない。

 “支配する”ために、包み込む。

 

「やめなさい、アカギ!」

 

 シロナが叫ぶ。

 

「そんなことをすれば、世界が――!」

「だからだ」

 

 アカギは振り返らない。

 

「壊れている世界など、最初から不要だ」

 

 ディアルガとパルキアが、苦悶の声を上げる。

 時と空間が歪み、山全体が悲鳴を上げた。

 

「ピカチュウ、行くぞ!」

 

 サトシが叫ぶ。

 肩に乗っていたピカチュウが飛び出し、全身に電撃を走らせる。

 

「ピカァ!」

 

 雷が放たれる。

 だが、歪んだ空間に触れた瞬間、音もなく消えた。

 

「そんな……!」

 

 ヒカリが息を呑む。

 

「攻撃が、届かない……!」

 

 その時だった。

 ヒカリが、胸元を押さえる。

 

「……今の、なに?」

 

 理由は分からない。

 けれど、感情がざわついた。

 サトシも、同時に顔を上げる。

 

「……なんだ? 今の、変な感じ……」

 

 胸が高鳴る。

 戦闘とは違う、もっと根源的な揺れ。

 タケシは目を閉じ、深く息を吸った。

 

「……これは……」

 

 三人の反応を見て、シロナがはっとする。

 

「……まさか!」

 

 彼女は、空気の変化を“理解”した。

 

「湖の三体……」

 

 知識の神、ユクシー。

 感情の神、エムリット。

 意志の神、アグノム。

 

「彼らが……動き始めている」

 

 山を包む歪みの中に、確かに――別の“調和の気配”が混じっていた。

 それは、破壊に抗うための揺れ。

 だが同時に――この異変に気づき、必死に山へ向かう者たちがいる。

 そのことを、ここにいる誰も、まだ知らない。

 テンガン山は、臨界点を越えつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もりのようかんを飛び出したあとも、ロトムの速度は落ちなかった。

 森を抜け、空を裂き、ただ一直線に高度を上げていく。

 急がなければならない。

 理由は、感情ではなく――もっと根源的な違和感だった。

 あのテレビ。

 中に留まっていた時間。

 人が近づいた時だけ、外へ出られるように組まれていた“仕組み”。

 イタズラ好きなロトムでさえ、分からなかったもの。

 けどそれは、閉じ込めるためのものではなかった。

 むしろ――逃がすための余地だった。

 久しぶりに外の世界を感じた瞬間、ロトムは悟ってしまった。

 かつて知っていた気配と、今のそれが、決定的に違うことを。

 

 感情が、薄い。

 温度が、ない。

 

 そこにあったのは、昔の彼ではなかった。

 このままではいけない。

 誰かが、止めなければならない。

 ロトムは進路を変えることなく、さらに加速した。

 テンガン山。

 その名を意識した瞬間から、空気の質が変わっている。

 雲は不自然に引き延ばされ、色を失い、赤黒い筋を引いて流れていた。

 風は上昇気流とも下降気流ともつかず、一定の法則を持たない。

 時間そのものが、山へ向かって引き寄せられているようだった。

 ロトムは歯噛みするように速度を上げる。

 間に合わないかもしれない。

 だが、行かないという選択肢は存在しなかった。

 あの場所で起きていることは、単なる暴走ではない。

 世界の構造そのものを巻き込む歪みだ。

 

 ロトムは知っていた。

 

 なぜなら、それに近いものを、ずっと昔に見ていたからだ。

 まだ、お互いが子どもだった頃。

 静かで、冷たい瞳をした人と共に、星を見上げていた夜。

 

 彼は言った。

 世界は感情でできている、と。

 だから壊れるのだ、と。

 

 ロトムは当時、その言葉の意味を理解していなかった。

 だが今なら感じれる。

 感情を切り離そうとする意志こそが、最も強い感情なのだと。

 テンガン山から発せられる歪みは、あまりにも明確だった。

 秩序を否定し、世界を再構築しようとする力。

 しかも、それが「個」の意志で行われている。

 

 危険すぎる。

 

 ロトムは、山の中腹に近づいたところで、一瞬だけ動きを鈍らせた。

 視界が、歪む。

 空と地面の境界が曖昧になり、距離感が狂う。

 時間が、引き延ばされている。

 このまま突っ込めば、自分は無事でいられないかもしれない。

 だが、止まる理由はなかった。

 あの人が、ここまで来ている可能性がある。

 あるいは、もう間に合わないかもしれない。

 それでも、ロトムは進んだ。

 山の周囲には、逃げ惑うポケモンたちの気配が渦を巻いていた。

 理由も分からぬまま、本能だけで危険を察知している。

 ロトムはそれを横目に見ながら、歪みの中心を探る。

 中心は一つではない。

 複数の力が、強引に束ねられている。

 

 時間。

 空間。

 それらを縛るための媒介。

 あかいくさり。

 

 その存在を察知した瞬間、ロトムの動きが一瞬だけ乱れた。

 記憶が、強制的に引きずり出される。

 

 冷たい研究室。

 無機質な言葉。

 感情を不要と切り捨てる声。

 

 そして、それでも確かに存在していた、微かな優しさ。

 

 巻き込ませないために、距離を取った。

 危険から遠ざけるために、テレビの中に誘導した。

 

 だが今、その選択が、別の形で歪みを生んでいる。

 

 ロトムは唇を噛むような感覚を覚えた。

 間違っていたのか。

 それとも、避けられなかったのか。

 考えている暇はない。

 テンガン山の上空で、空が完全に裂け始めていた。

 赤黒い光が、稲妻のように走る。

 山頂付近から、異様な圧が波となって広がる。

 

 ディアルガ。

 パルキア。

 

 その名を思い浮かべた瞬間、世界が悲鳴を上げた。

 まだ完全には力を解放していない。

 だが、呼び出しには成功している。

 ロトムは速度を限界まで引き上げる。

 背後で、別の気配が迫っているのを感じた。

 追ってきている者たち。

 

 アオギリ。

 フヨウ。

 ウシオ。

 

 彼らが来るのは、分かっていた。

 止めるつもりなどなかった。

 

 だが――間に合ってほしい。

 

 自分一人では、もうどうにもならない。

 山頂に近づくにつれ、空間がきしみ、視界が断続的に途切れる。

 一歩進むごとに、世界の形が書き換えられていく。

 

 それでも、ロトムは進む。

 

 これは逃避ではない。

 償いでもない。

 ただ――終わらせなければならない。

 あの人が、新しい世界を作ろうとするなら、その前に、今の世界にいるこの声を、聞かせなければならない。

 ロトムは、赤く染まる空の下で、山頂を睨んだ。

 もうすぐだ。

 ここから先は、引き返せない。

 だがそれでいい。

 世界が歪むなら、歪みの中心に立つしかない。

 

 ロトムは、最後に一度だけ、遠くを思い出す。

 

 静かな洋館。

 閉じられたテレビ。

 人の温度。

 そして――これから来る者たち。

 

 間に合え。

 

 その願いだけを胸に、ロトムは歪む空へと飛び込んだ。

 

 

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