凛と起つ〜祠を壊した少女と長髪無精ヒゲ退魔師オジさん〜 作:卯月幾哉
〝ガイナカニゴ〟――この地方の言葉で、「大きい」という意味の言葉と、「沢蟹」という意味の言葉を組み合わせたものだ。
かつて怪異を
〝ガイナカニゴ〟は、新たに現れた小さな
しかし怪異にとって意外なことに、凛を追い詰める作業は容易には行かなかった。この新たな獲物はやたらとすばしっこく、巨蟹に動きを捉えさせなかったのだ。
徐々に苛立ちを
†
――体が軽い。
凛は巨大蟹の猛攻を紙一重で
口からボタボタと赤い泡を振り
(ここまで来れば、一安心かな)
凛は巨蟹の攻撃を誘いながらひらひらと舞うように動き、
(――ハサミの大きさが違う)
凛は巨蟹を間近で観察してみて、初めてその事実に気づいた。巨蟹の両の大ハサミの内、左の方が右よりも若干長く大きい。また、なぜか右のハサミの方がやや動きが鈍いようだった。それに気づいた凛は、意識的に巨蟹の右手側に回り込むように動いた。
右、左、右、……。巨蟹の攻撃は決まったパターンをなぞっているかのようだった。そのどれもが凛にとっては必殺の威力を持っていたが、機敏に動く彼女を捉えることはできなかった。
とはいえ、凛の体力は決して
(……でも、これからどうしたら――)
巨蟹の単調な攻撃を躱しながら、凛の思考がふと脇道に
そのときだった。
「あっ!?」
凛はぬかるみに足を取られ、横倒しに転んだ。それはただのぬかるみではなかった。巨蟹が先ほどから撒き散らしていた粘着質な赤泡だ。
(――しまった!!)
凛は自身の油断と失策を直観的に理解した。
巨蟹――〝ガイナカニゴ〟は、二つの罠を張っていた。一つは地面に撒いた赤い泡、もう一つは右のハサミの動きを本来よりも鈍く見せかけたことだ。後者の
倒れた凛の命を刈るべく、〝ガイナカニゴ〟はこれまでで最も俊敏な動きを見せる。
凛は赤泡にくっついた靴を脱ぎ捨て、斜め後方に全力で跳んだ。
〝ガイナカニゴ〟の右の大ハサミが、凛の目と鼻の先を通り過ぎる。そのハサミが軌道を変えたとき、凛は空中で身動きが取れない状態にあった。
〝ガイナカニゴ〟が外側に振り払った右の大ハサミに体を強打された凛は、水平方向に吹き飛び、数メートル先にあった立木に背中を強打した。
「――がはっ……!」
衝撃で肺の空気を吐き出した凛は、危うく意識を失いかけた。
〝ガイナカニゴ〟がわざわざ獲物の回復を待つ道理はない。立木の根本で身を起こした凛の目に映ったものは、間近に迫った巨蟹が左の大ハサミを振り上げた姿だった。
(――おじいちゃん、おばあちゃん。ごめんなさい……)
死を覚悟した凛の
ふと、彼女の視界が大きな影に
(――えっ……?)
ジャキィンッ
何かが無理やり断ち切られるような硬質な音が響いた。直後、人間の腕らしきモノが林の薄闇の中にくるくると舞い上がった。
「あー……、やっぱ無理だったか」
凛の視界に割って入った大きな人影から、気の抜けるような低音の声が響いた。聞き覚えのあるその声は、ほんの少し前に凛たちを
巨蟹に向かって譲悟が突き出した右腕は、肘から先が失われていた。