死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します   作:来巻梓

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情け感情は罰のために(2)

 団長室に戻ると同時に、その問いがもう一度飛んできた。

 

 机の上には、昼間の在庫表と第三班の勤務表、それに第三倉庫と門を結んだ簡単な地図が広げられている。ランプの炎が揺れ、紙の影が伸びたり縮んだりしていた。鼻をかすめるのは、紙とインクと、冷めかけの酒の匂いだ。

 

 シュアラは椅子に腰を下ろし、帳簿の束を胸元に引き寄せた。背もたれがぎしりと鳴り、木が抗議するように軋む。

 

「まず、横流しされた分の総量を出します」

 

 彼女はペンを取ると、昼間の在庫調査の結果と倉庫の記録を重ね合わせ、過去数十日の減りをざっと見積もっていく。干し肉の袋、押し麦の袋。日付の隅に赤い点を付け、同じあたりに印が集中している列を拾い上げる。

 

 数字を追ううちに、指先の感覚が少しだけ鈍くなってきた。紙の端で、人差し指の腹を軽く切っていた。じわりとにじむ赤を舌で一度拭い、鉄の味を飲み込む。

 

「……兵五人分の冬の配給、一ヶ月ぶんです」

 

 ペン先が止まり、インクが一箇所で少しだけ滲んだ。

 

 数値を追いかけていた視線を、そのまま別の帳簿へ滑らせる。

 

(兵五人分一ヶ月。兵一人ぶんに換算すれば百五十日分。西の村への配給量と兵一人ぶんの給金を合わせても、妻と子ども一人の三人家族なら、この冬の終わりまでにおよそ三十日ぶん足りなくなる。ラルスの家も、おそらくその〈足りない側〉にいる)

 

「……は?」

 

 カイが椅子から身を乗り出した。

 

「そんなに削れてたのか」

 

 マグカップを持つ手が、僅かに力を込める。その指の白さが、彼の驚きの度合いを代弁している。

 

「正確な値は、もう少し検算が必要ですが、大きくは変わりません」

 

 シュアラは数字の横に、『暫定値』と書き添えた。

 

「一、この分を、彼個人の『負債』として計上します」

 

 本来こうした「冬の穴埋め」を考えるのは、この一帯を治める領主の仕事だ。税を取り立てる帳簿は持っていても、配る側の帳簿を最初から作っていない領主の顔は、彼女の記憶にはひとつも残っていない。

 

 紙の端に新しい欄を描き、文字を書く。

 

『ラルス負債:糧秣(兵一人基準で百五十日分/暫定)』

 

「二、彼を、倉庫補修班と荷運び班、配給列の整理係に回します」

 

「盗人を、倉庫と配給に近づけるのかよ」

 

 カイが露骨に眉をひそめる。

 

 シュアラはペンを指先でくるりと回し、そのまま頷いた。

 

「監視付きで、です。彼は『抜け道』を知っています。その知識を利用して、今度は“抜けられない道”に作り替えさせます」

 

「作り替えさせる?」

 

 カイの目が、少しだけ興味の色を帯びる。

 

「はい。どこが見張りの死角だったか。どの時間が薄かったか。それを全部吐かせて、逆にそこに人を立てる。壁に穴があれば、彼自身に塞がせます」

 

 紙の上で、第三倉庫と西門を線で結びながら説明する。

 

「倉庫の壁の補修は、今やっておかないと、雪が本格的に降ってからでは遅いです。重い石や木材を運ぶための腕としても、彼は使えます」

 

「……罰と、仕事が一緒になってやがるな」

 

「罰だけの仕事は、長続きしません」

 

 シュアラはきっぱりと言った。

 

「三、配給のときの“列整理”と“記録係”を、彼に担当させます」

 

「またかよ」

 

 カイが頭をがしがし掻く。

 

「盗人に配給を仕切らせるのか?」

 

「だからこそです」

 

 シュアラは視線を紙から上げ、団長の目を見た。

 

「誰がどれだけ食べているか。自分が抜いたぶんで、誰の皿が軽くなったか。それを、彼に毎日見せる必要があります」

 

 ラルスが数字を書くたびに、誰かの顔を見る。兵士、炊事係、村人。彼らが冬を越せるかどうかは、今後の彼の働きぶんにも関わる。

 

(それを教育と呼ぶか、罰と呼ぶかは、立場の違いです)

 

 カイが、無造作にマグカップを机へ置いた。底が木の板を叩き、鈍い音がする。

 

「……飯はどうする」

 

「飯?」

 

「負債が五人分一ヶ月あるってんなら、そいつの配給減らせばいいじゃねえか。半分とか三分の一とか」

 

 カイの言葉の裏には、単純な怒りと、わずかな逡巡が混じっていた。

 

「減らします」

 

 シュアラは頷いた。

 

「ただし、“動けるだけの量”は維持します。動けなくなったら、返済できません」

 

「やっぱり甘いな」

 

「甘くありません」

 

 即答してから、彼女は自分の声の硬さに少しだけ気付く。

 

「死なせると、完全な赤字です」

 

 カイが、呆れたように笑い声を漏らした。

 

「お前なあ……。人が死ぬのを『赤字』って言う女、初めて見たぞ」

 

「正確な表現だと思いますが」

 

 シュアラは自分の言葉を内側で一度転がす。感情的な意味ではなく、ただ収支の話として。

 

 それでも、胸の内側が少しだけざわついた。

 

 彼女は懐に手を入れ、封筒の縁を指先でなぞる。

 

 帝都に提出されたはずの、自分の死亡届。ろうを割り、封を切ったあと、再び封じた紙。まだ新しい羊皮紙の感触が、布越しに伝わってくる。

 

「帝都の帳簿では、私はすでに“死人”です」

 

 独り言のように口に出すと、カイが眉をひそめた。

 

「ここでまで死にたがってるようには見えねえがな」

 

「ここでは、逆です」

 

 シュアラは静かに言った。

 

「帝都の帳簿の中では、私は『使用済みの死者』に分類されています。だからこそ、ヴァルム砦では、できる限り“死なせない側”に回りたい」

 

 カイはしばらく黙り、天井の煤の跡をじっと見ていた。やがて、短く息を吐く。

 

「……理解はできる」

 

 ぼそりと呟くように言う。

 

「納得できるかどうかは、正直まだ怪しいがな」

 

「納得していただく必要はありません」

 

 シュアラは首を振る。

 

「ただ、“冬までに何人死なせずに済むか”という数字だけは、共有していただきたい」

 

「お前、本当に変な女だな」

 

 カイは頭を掻きながら笑った。

 

「ラルスの件は、お前の案でいく。ただし、ひとつだけ条件だ」

 

「条件?」

 

「同じことをもう一度やったら、そのときは俺が殴る」

 

 椅子の背にもたれ、目を細める。

 

「どれだけお前が計算しても、二度目は止めるな」

 

 シュアラは少しだけ考え、それから頷いた。

 

「再利用の余地がなくなったら、そのときは処罰に切り替えます」

 

「最初からそう言え」

 

 ぶっきらぼうな言葉。だが、さっき倉庫で見たときよりも、カイの目の濁りは薄くなっているように見えた。主観でしかない変化だが、彼女はそれを観察として胸の中に留める。

 

 紙束をまとめ、手帳を開く。新しいページの上部に、ペン先で文字を刻んだ。

 

『第1ゲーム:砦の胃袋を縫う』

 

 少し間を空けて、その下にもう一行。

 

『サブゲーム:処罰より再利用』

 

「……物騒なタイトルだな」

 

 向かいから、カイの声が落ちてくる。

 

 彼は椅子の背にもたれ、片肘を机に乗せたまま、眠気と疲労の混ざった目でこちらを眺めている。その奥に、薄く笑いが浮かんでいた。

 

「ゲームの名前は、分かりやすくあるべきです」

 

 シュアラは顔を上げずに答えた。

 

「中身はもっと物騒ですよ。人を殴るより酷いことをします」

 

「おい」

 

 カイが眉をひそめる。

 

「殴るより酷ぇって、本人の前で平然と言うな」

 

「事実ですから」

 

 淡々と返すと、カイは短く息を吐いた。

 

「……まあいい。お前の『酷ぇやり方』で、この冬の死人が減るなら、文句はあとでまとめて言う」

 

「まとめて、ですか」

 

「ああ。三ヶ月後にな」

 

 そう言って、カイは椅子から立ち上がった。外套を掴み、肩にひっかける。

 

「ゲルトにも伝えとけ。『殴りかけた兵を止めた分、仕事が増える』ってな」

 

「それは団長が自分で伝えるべき内容では?」

 

「やだね」

 

 ぶっきらぼうに言い捨てて、カイは扉へ向かう。取っ手に手をかけたところで、ふと振り返った。

 

「……ラルスの件」

 

「はい」

 

「あいつが本当に“使える”かどうかは、お前のゲーム次第だ」

 

 カイの声は低いが、その中にわずかな期待の色が混じっていた。

 

「外したら、今度こそ遠慮なく殴る。覚えとけ」

 

「外さないようにします」

 

 シュアラは手帳を閉じた。

 

「団長の拳は、砦の資源ですから」

 

「お前なあ……」

 

 カイは呆れたように笑い、それきり何も言わずに部屋を出ていった。

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