死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します   作:来巻梓

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ミルストーンの粉と欲(2)

 ほどなくして、小屋の前に数人の村人が集まった。煤けた外套、ひび割れた手、痩せた頬。

 どこにでもある「貧しい村の顔」だが、シュアラには、数字の裏側に並んでいた名前として見えていた。

 

「……すまねえ……」

 

「子どもが熱出して……粉が足りなくて……」

 

 弱い声だが、そこには生活の切迫がにじんでいる。

 

(生活の苦しさ、個人の善意、独占、帳簿の改ざん……積み重なった結果が、これ)

 

 帝都の帳簿で見てきた「不正」とは、少し質が違う。

 ここには、自分の腹と子どもの腹を秤にかけた末に、はみ出した数字が混ざっていた。

 

「返せとは言いません。返すのは“村”です。来年の収穫で処理します」

 

 シュアラがそう言うと、村人たちは驚いたように顔を見合わせた。

 

「そんな仕組みが……」

 

「できます。我々が証人になります」

 

 シュアラは粉袋を押しながら続けた。

 

「今日から、粉袋の重さを毎朝測り、押印します。記録は、砦で帳簿を扱っている兵に教えます。勝手に動かせば――」

 

「動かせば?」

 

 ブライスが肩をすくめる。視線の端で、ラルスの顔つきが過った。

 彼のように「抜け道を知っている人間」がいる以上、ここでも同じ穴が開きかねない。

 

 シュアラは、意図的に少し間を置いてから答えた。

 

「……わかっていますよね?」

 

 後ろでカイが腕を組み、淡々と頷く。ゲルトも、無言で壺の破片をつま先で弾いた。

 

 粉袋の山の前で、ブライスは大きく息を吐いた。

 

「……あんた、清いな」

 

「清くはありません。計算しているだけです」

 

「計算、ねえ。俺には、清く見えるがな」

 

 その言い方には、少しだけ棘があった。

 シュアラは、その棘の形を完全には掴めなかった。

 

(清廉さだけでは動かない人間……父がいつも嘆いていた相手ですね)

 

 帝都の貴族や商人とは違う。ここにいるのは、自分の腹と村の腹を同じ鍋で煮詰める男だ。

 鍋から多めに掬っても、鍋ごと焦がす気はない――そういう種類の欲。

 

「村長」

 

 代わりに口を開いたのはカイだった。

 

「お前が今までやってきたことも、全部ひっくり返す気はねえ」

 

「は……?」

 

「困ってるやつを助けたのは事実だろ。やり方がまずかっただけだ」

 

 カイは雪を靴で軽く蹴った。粉雪が散り、白い地面に靴跡がひとつ増える。

 

「これからは、砦と“村”の貸し借りも、今の話と同じだ。俺たちは粉を貸す。お前らは春に収穫で返す。ただし、返せなかったときに首を締めるのは“村全体”だ。お前の家の棚じゃねえ」

 

「……それで、砦は得をするのか?」

 

「するさ」

 

 カイは腕を組んだ。

 

「『モノが消える村』よりも、『ちゃんと返そうとする村』の方が守り甲斐がある。信頼できるしな」

 

 その言い方は、どこか戦場の「盾と槍」の話に似ていた。

役に立つ盾なら手入れをし、穴が開いた盾なら捨てる。

 ただし、今のカイは「穴を塞いで使い続ける」方を選んでいる。

 ブライスは、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……分かった。やれるところまでやってみる」

 

「できなかったら言え」

 

 ゲルトが横から口を挟む。

 

「今さら『狸』が素に戻ったところで、誰も驚かねえ。そのときゃ、若と軍師殿がまた壺を割りに来るだけだ」

 

「割られる壺が残ってればな……」

 

 ブライスの嘆きに、村人たちの間から笑いが漏れた。

 

 外へ出ると、風車はさっきよりわずかに力強く回っていた。ギィ、ゴン……と低く響くが、弱り切った音ではない。

 作業を終えた村人たちが、小屋の前で分厚い手袋を揉みながら息を吐いている。

 

 ブライスはその輪から少し離れた場所で、帳簿を抱えて所在なげに立っていた。

 

「……あんた、本当にやる気か」

 

 彼はぽつりと訊ねた。

 

「何をでしょう」

 

「“村の帳簿”ってやつだよ。今まで俺が自分の懐でやってきた貸し借りを、わざわざ表に出して……」

 

「名前が出た方が、誤魔化しづらくなります」

 

 シュアラは率直に告げる。

 

「その代わり、あなただけが火消し役をする必要はなくなります。村全体の責任になりますから」

 

 ブライスはしばらく黙り、分厚い指で帳簿の角を何度も撫でた。

 

「……あんた、やっぱり清いよ」

 

「清くありません。損得を計算しているだけです」

 

 同じやりとりを繰り返すと、ブライスは困ったように笑った。

 

 砦への帰り道。風車は背後で回り続けている。雪雲を切り裂くように、ゆっくりと。

 

 手綱を握りながら、カイが呆れたように言った。

 

「お前、村全体をでっけえ帳簿だと思ってねえか?」

 

「はい。数字に置き換えれば、動かせる部分が分かります」

 

「……数字の女だな」

 

「“数字女”は王宮での呼ばれ方です。好きではありません」

 

 むっとして返すと、カイは少しだけ視線を逸らした。雪を踏む馬の蹄音が、会話の合間を埋める。

 

「じゃあ……軍師殿でいい」

 

 何気なく放たれたその言葉が、胸の奥に落ちた。

 それは白湯のようにじんわりと広がり、冷たい朝の空気を押し返していく。

 

(清廉さだけでは、人は動かない)

(でも、だからといって、全部を濁らせる必要もない)

 

 ブライスの帳簿を思い出す。

 汚れた数字と、どうしようもない生活の匂い。

 そのどちらも切り捨てずに扱うやり方を、少しだけ掴めた気がした。

 

(東の村に煙。南の村に帳簿。天秤は……ほんの少し動いた)

 

 風車の羽根が雪雲を切り裂き、回り続ける。

 冬は近い。

 だがその羽根は、もはや沈んでいなかった。

 

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