死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します   作:来巻梓

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死んだ鉄に熱を灯す(1)

 ヴァルム砦の武器庫は、朝でも薄暗かった。

 石階段を降りるたび、冷たい湿気と錆の匂いが濃くなる。

 

 壁一面に立てかけられた槍と剣。

 油の切れた鎧。ひしゃげた盾。

 

 その前で、シュアラは膝をつき、手帳を開いていた。

 

「……錆びていますね」

 

 目の前の槍の穂先は、ところどころ赤茶けている。

 研ぎ直せば使えなくはないが、芯まで腐食しているものも多い。

 

 隣で、重騎士ボルグが黙々と剣を引き抜いていく。

 

「これは駄目だ」

 

 短い言葉とともに、一本の剣が脇の木箱に放り込まれる。

 刃こぼれが深く、鍔にヒビが入っていた。

 

「これも、半分錆。叩き直すより、新しく作った方が早え」

 

 また一本、木箱へ。

 

 木箱の中は、既に「役目を終えた鉄」でいっぱいになりつつあった。

 

(砦の武器保有数……帳簿上と実働可能数の差が、これで一目瞭然ですね)

 

 シュアラは、手帳の端に数字を書き込む。

 

『槍:現物42本/実働23本』

『剣:現物36本/実働18本』

『廃材コンテナ:鉄くず推定○○斤』

 

「文官殿」

 

 ボルグが、短く呼びかけた。

 

「はい?」

 

「なんで、こんなガラクタ数えてる」

 

 彼の目には、本気の疑問だけが浮かんでいる。

 戦場で人を斬れない刃は、ただの荷物だ。

 

「ガラクタではありません」

 

 シュアラはきっぱりと首を振った。

 

「“錆びた鉄”でも、数字に戻せば資産です」

 

「数字、ねえ……」

 

 ボルグは、手にした剣を眺める。

 厚い掌の中で、その重さを確かめるように。

 

「この重さが……数字か」

 

「はい。鉄の重さは、冬の命の重さに変えられます」

 

「ほう?」

 

 階段の上から、別の声がした。

 

「命の重さまで数字にできるなら、ついでに俺の寝不足も計算してくれ」

 

 カイが、湯気の立つマグを片手に降りてきた。

 寝癖混じりの黒髪に、錆の匂いがまとわりつく。

 

「団長、おはようございます」

 

「おう。……で?」

 

 カイは木箱を一瞥し、眉を上げた。

 

「武器庫を墓場みてえにして、何たくらんでんだ、軍師殿」

 

「今度は西です」

 

 シュアラは、武器庫の壁に掛けられた古い地図を指さした。

 ヴァルム砦を中心に、三本の線が伸びている。

 

「南は粉、東は燻製。残る西は――」

 

「アイアンストリーム。鉄の村か」

 

 カイの声色が、少しだけ締まる。

 

「はい。ギルドが採掘権を握っていて、現金は入るのに食料が入ってこない村です」

 

 昨夜、帳簿庫で掘り起こした数字が頭の中に並ぶ。

 

『鉱石売却額:高』

『ギルド商会からの穀物購入額:高(市場の一・五倍)』

『冬ごとの栄養失調者数:右肩上がり』

 

「砦には、“死んだ武器”がこれだけあります」

 

 シュアラは木箱を示した。

 

「アイアンストリームには、“眠っている炉”がある。

 この二つを繋げて、小さな循環を作りたいんです」

 

「ギルドを抜け道で出し抜くわけか」

 

 カイがマグを傾ける。

 

「抜け道ではありません。“誤差”です」

 

 シュアラは言い直した。

 

「ギルドの契約書は『鉱山から出る鉱石と鉄』しか押さえていません。

 砦の所有物である武具を村で溶かすのは、範囲外です」

 

「……また厄介な穴を見つけやがって」

 

 カイが小さく笑う。

 その笑いには、前より少しだけ楽しげな色が混じっていた。

 

「ボルグ、運べるだけ積め。槍も剣も、折れた盾も全部だ」

 

「ああ」

 

 重騎士は短く返事をし、木箱を軽々と持ち上げた。

 

「フィンも連れていく」

 

 カイが付け加える。

 

「ギルドの顔は、あいつの方がよく知ってる」

 

(確かに。彼は、街道の空気と金の匂いに敏い)

 

 シュアラは頷き、手帳を閉じた。

 

 数字は揃った。

 あとは盤面の上で、どう動くかだ。

 

 *

 

 西へ向かう街道は、東や南とは違う冷たさがあった。

 

 木々は少なく、裸になった岩肌が風を滑らせる。

 風は川沿いを駆け抜け、鉄のような匂いを運んでくる。

 

 馬の蹄が、凍った地面を一定のリズムで叩く。

 先頭にカイ、その少し後ろにフィン。

 荷車には、砦から運び出した鉄くずの箱が揺れていた。

 

 シュアラは列の真ん中。

 借り物の馬の背で、鞍にしがみつかない程度に姿勢を保っている。

 

(……落下確率、前回より五分の一ほど減少)

 

 自分の体力とバランスを、勝手に数字に直して慰めた。

 

「軍師殿、落ちそうになったら、ちゃんと悲鳴上げろよ」

 

 振り向きざまに、フィンが軽口を投げてくる。

 

「拾ってやるから」

 

「落ちないように努力します」

 

「努力で落ちなくなるなら、世の中に落馬って言葉はねえんだよなあ」

 

 フィンは肩をすくめ、口元だけで笑う。

 目は前方の稜線と岩陰を、絶えずなぞっていた。

 

「西の村は、ギルドの鎖がきつい」

 

 彼は、少し声を落として続けた。

 

「鉱石の値切り方も、飯の売り方も、帝都の貴族顔負けだ。

 “数字女”が見たら、さぞご立腹だろうな」

 

「“数字女”は、帝都限定の呼び方です」

 

 シュアラは、わずかに眉をひそめる。

 

「ここでは、軍師殿でお願いします」

 

「へいへい、軍師殿ね」

 

 フィンはおどけてみせ、それからちらりと首を傾げた。

 

「ところで軍師殿よ」

 

「何でしょう」

 

「帝都で、何やってた人なんだ?」

 

 カイが前を向いたまま、わずかに耳を動かした。

 聞こえていないふりをしながら、聞いている耳だ。

 

「帳簿見て、数字動かして、偉い連中と喧嘩してたってのは、誰でも想像つくけどよ」

 

「……誰でもではないと思いますが」

 

 シュアラは小さく咳払いをした。

 

「帝都では、財政局に籍を置いていました。

 主に、辺境防衛費と公共事業の配分を担当していました」

 

「へえ。やっぱり帝都の人か」

 

 フィンの視線が、好奇心を少しだけ強める。

 

「なんで、そんなお上の数字扱ってた人間が、ヴァルムなんかに落ちてきた?」

 

 それは、カイが今まで何度か喉まで出して飲み込んだ質問でもある。

 

 前を走る馬の背中が、わずかに固くなった。

 

(……答え方を間違えると、全部が崩れます)

 

 シュアラは、手綱を握り直した。

 

「たぶん、私の“計算”が、帝都には気に入られなかったのでしょう」

 

「計算?」

 

「帝都にとって『効率的』でも、現場にとって『致命的』な数字があると知ったので。

 それを指摘したら、辺境行きが決まりました」

 

「追い出されたってことか?」

 

「“外側から帝国を見る任務”だそうです」

 

 皮肉を込めて父がくれた言葉を、そのまま使う。

 嘘ではない。真実の一部だ。

 

 フィンは、しばらく黙り込み、それから肩をすくめた。

 

「なるほどな。

 帝都にとっちゃ厄介者でも、辺境にはちょうどいい」

 

 前方で、カイの背中が微かに揺れた。

 笑ったのかもしれない。

 

「じゃ、今は?」

 

 フィンは続けた。

 

「今の軍師殿は、帝都のために計算してんのか?

 それとも、ヴァルムのため?」

 

 真正面からの問いだった。

 

(今のところ、そのつもりはありません)

 

 以前、カイに答えたのと同じ言葉が喉の奥までせり上がる。

 だが、それをそのまま口にするには、ここは開けすぎていた。

 

「今は、冬までの三ヶ月契約分だけです」

 

 シュアラは、少しだけ笑ってみせた。

 

「契約期間内の依頼主は、ヴァルム砦なので」

 

 フィンは「やれやれ」といった顔をする。

 

「そういうとこだぞ、軍師殿」

 

「どういうところでしょう」

 

「真面目に答えてるふりして、一番肝心なとこを濁すとこ」

 

 その言葉に、カイの肩がわずかに震えた。

 

「フィン」

 

「なんだ、若」

 

「余計なこと聞きすぎると、契約期間が伸びるぞ」

 

「そいつは勘弁してほしいなあ!」

 

 軽口が飛び交ううちに、前方の景色が変わった。

 

「見えてきました」

 

 谷の向こうに、赤茶けた川と、黒い煙を吐く鍛冶場が見え始めていた。

 

 *

 

 アイアンストリームの空気は、鉄と煤の匂いがした。

 

 谷の底を、一筋の川が流れている。

 石から溶け出した鉄分のせいか、水はどこか濁って見えた。

 

 川沿いに並ぶ石造りの家々。

 黒い煙を上げる鍛冶場。

 山に向かって伸びる鉱山道。

 

 鉄を打つ音が、冬の空気を震わせている。

 

 カン、カン、カン――。

 規則正しいはずの音なのに、どこか焦りが混じっていた。

 

(……人の声が、少ない)

 

 シュアラは馬上から村を見下ろし、静かに観察する。

 

 鉱夫らしき男たちは頬がこけており、腕だけが妙に太い。

 子どもの姿が、極端に少ない。

 

 通りの端、小さな広場で、ひと固まりの人だかりができていた。

 

「若、あそこ」

 

 フィンが顎で示す。

 

 ギルド商会の看板を掲げた店の前で、鉱夫と店の男が言い合っていた。

 

「昨日と同じ袋だろうが!」

 

「昨日とは相場が違うんですよ、親方。ほら、帝都の市価が――」

 

「帝都帝都って、ここは谷底だ!」

 

 鉱夫の怒鳴り声に、周りの者たちが息を詰める。

 

 店先には粉袋が数個並んでいるだけだ。

 それなのに、値札だけがじわじわと吊り上がっていた。

 

(……いい“見本”ですね)

 

 シュアラは馬を降り、カイたちより一歩だけ早く人だかりに近づいた。

 

「失礼します。少しだけ見せてください」

 

 鉱夫と店主の間に、そっと割って入る。

 

「何だ、あんた」

 

 鉱夫が訝しげに眉をひそめた。

 

 店主は、シュアラの外套と肩章を見て、すぐに態度を変える。

 

「これはこれは、砦の方でしたか!

 粉でしたら、特別に――」

 

「値段を教えてください」

 

 シュアラは、粉袋を一つ指さした。

 

「その袋、一つで」

 

「ええと……」

 

 店主が、にやりと笑って指を折る。

 

「銀貨二枚と銅貨三枚ですね。

 こちらの谷では運搬費もかかりますので」

 

「昨日までは、銀貨一枚と銅貨五枚だ」

 

 鉱夫が、怒りを噛み殺すように言う。

 

「同じ袋でな」

 

(……二割増し以上)

 

 シュアラは、懐から小さな革袋を取り出し、銀貨を二枚だけ抜き出した。

 

 店主の前に、ぱちん、と音を立てて置く。

 

「帝都の帳簿では、この村の鉱石売却額はすでに去年の倍です。

 でも、粉袋の値段だけが上がっているのは、おかしいですね」

 

「お、おかしいなどと……」

 

「おかしいです」

 

 きっぱりと言い切る。

 

「『帝都の相場』を持ち出すなら、鉱石の買い取り額も昨日と今日で変わっていないと辻褄が合いません。

 粉だけが上がるのは、『谷底相場』でしょう?」

 

 周囲から、押し殺した笑いが漏れた。

 

「……っ」

 

 店主の顔に、赤い色と青い色が交互に浮かぶ。

 

「粉袋、一ついただきます」

 

 シュアラは、銀貨二枚を店主の手に握らせると、粉袋を持ち上げた。

 

「え、あの、砦のお方? その値段で――」

 

「後で、“谷底相場”について砦に照会を出します。

 帝都ではなく、ヴァルムの帳簿の方に」

 

 さらりと告げて背を向けた。

 

 鉱夫たちの視線が、一斉に彼女に集まる。

 

「……今の、何だ?」

 

 誰かが呟いた。

 

「ただの、『数字の話』です」

 

 シュアラは粉袋を抱えなおした。

 

「さて。砦からの用件は別にあります」

 

 そこへ、ようやくカイとフィン、ボルグが追いついてきた。

 

「騒ぎを起こすなって言ってたのは誰だっけなあ」

 

 フィンが小声で笑う。

 

「騒ぎではありません。買い物です」

 

「買い物で店主の顔色が三色変わるのは、普通騒ぎって言うんだよ、軍師殿」

 

 カイは、そんな二人のやり取りを聞きながら、広場に声を張り上げた。

 

「砦の第七騎士団だ。

 鉱山の親方と、ギルドの代表を呼んでくれ」

 

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