死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します   作:来巻梓

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死んだ鉄に熱を灯す(2)

 ギルド支部の建物は、他の家より少しだけ立派だった。

 石壁にはよく磨かれた紋章。扉の金具にも無駄な装飾が多い。

 

 応接室のテーブルを挟んで、向かって右にカイとシュアラ、フィン。

 左に鉱山側の親方と、ギルド支部の代理人が座っている。

 

 代理人は、上等な布の上着をきっちり着込み、細い指で杯を弄んでいた。

 

「砦の皆様が、こんな辺鄙なところへ」

 

 柔らかい声で笑う。

 

「何かご入用で? 鉄でしたら、正式な手続きで――」

 

「鉄を買いに来たわけじゃねえ」

 

 カイが言葉を切る。

 

「砦の武器の修繕を頼みに来た」

 

「修繕……?」

 

 代理人の眉がわずかに動いた。

 

「ええ」

 

 シュアラは、一歩前のめりになる。

 

「砦には、廃棄予定の武具が多くあります。

 本来なら帝都の工房に送るべきですが、冬の山道は危険です」

 

「それはまた、ごもっとも」

 

 代理人は笑みを崩さない。

 

「そこで、アイアンストリームの鍛冶場にお願いしたいのです」

 

 シュアラは、持参した羊皮紙を広げた。

 

「折れた剣、刃の欠けた槍、割れた盾。

 これらをまとめて鉄として溶かし、棒鉄と釘、簡単な部品に加工していただく」

 

「ふむ……」

 

 代理人の視線が、羊皮紙からシュアラへと滑る。

 

「ギルドを通さずに、という意味ですか?」

 

「いえ。鉱山の鉄の話はしていません」

 

 シュアラは、別の羊皮紙を取り出した。

 

「これは、鉱山とギルドの契約書写しです。

 『鉱山から産出される鉱石および精錬鉄は、ギルドを通してのみ売買すること』――」

 

 その一文に指を置く。

 

「砦所有の武具の処理については、一言も書かれていません」

 

「しかし、実務上はですね」

 

「実務上の慣例は、別の紙で示されているのでしょうか」

 

 代理人が一瞬、言葉を飲み込んだ。

 

 鉱山の親方が、その隙を逃さず口を挟む。

 

「砦のもんが鉄持ってきて、うちの炉で溶かす。それのどこがいけねえ」

 

「親方。慣例というのはですね――」

 

「慣例慣例って、お前らの飯の種だろうが!」

 

 親方の怒鳴り声に、応接室の空気が一気に熱を帯びた。

 

 シュアラは、机の下でこっそり足を組み替える。

 場の温度は上がった。ここから、どこに落とすか。

 

「ギルドの皆さんは、帝都や他の土地でも多くの取引を抱えているはずです」

 

 シュアラは、代理人に向き直った。

 

「その中で、この谷の小さな修繕仕事一つに、どれほど目を配れるでしょうか」

 

「……それは」

 

「砦と村の間で、小さな器を一つ増やすだけです。

 大きな壺――ギルド様の器だけでは、こぼれる水もありますから」

 

 ミルストーンの村で言った比喩を、ここでも使う。

 

「砦から見れば、この村は『鉄の口』です。

 南は粉の口、東は魚と燻製の口。

 三つの口が塞がれば、砦も一緒に窒息します」

 

「……難しい話だな」

 

 親方が頭を掻いた。

 

「要するに、うちが鉄を出して、粉をもらう。そういうこったろ」

 

「そうです」

 

 フィンが笑って引き取る。

 

「難しいところは全部軍師殿の頭の中でやってもらって、俺らは“鉄出して粉もらう”だけだ」

 

「最初からそう言え! そっちのが分かりやすい!」

 

 親方が肩を揺らして笑う。

 代理人も、わずかに口角を上げた。

 

「なるほど。

 砦と村の間で、修繕と食料の物々交換を行うわけですね」

 

「はい。ギルド商会からの穀物を買わなくなるわけではありません」

 

 シュアラは、そこをはっきりさせる。

 

「ただ、『ギルドだけに頼らない口』を一つ増やす。

 そうしないと、この村は冬ごとに痩せていく一方です」

 

 代理人は、しばらく黙って彼女を見つめていた。

 

「帝都の方ですか?」

 

「いいえ。私はもう、帝都の帳簿からは消えていますので」

 

 さらりと返すと、彼の目が一瞬だけ鋭く光った。

 

「……興味深い」

 

 低く呟いてから、代理人は肩をすくめる。

 

「契約上、明確な違反点は見当たりません。

 ただし――」

 

「ただし?」

 

「こうした動きが“慣例”になるかどうかは、これから次第です」

 

 それは、「ギルドとして様子を見る」という意味だ。

 

「構いません」

 

 シュアラは頷いた。

 

「慣例は、数字と結果で積み上げていきますので」

 

 カイが、そこで口を挟んだ。

 

「要するに、こうだ」

 

 彼は、テーブルに置かれた木箱の蓋を軽く叩く。

 

「この鉄くずは、『砦の問題』ってことにしといてくれ」

 

「砦の……?」

 

「砦が勝手にガラクタ抱えてきて、ここで溶かしてるだけだ。

 何かあれば、『あの負け戦の将がまた余計なことしてる』って言っときゃいい」

 

 自分で自分を揶揄する言い方に、親方が吹き出した。

 

「そりゃ、言い訳に便利だ」

 

「便利すぎるくらいだな」

 

 フィンも肩を揺らす。

 

「帝都から見りゃ、どうせこの谷の数字なんざ端っこだ。

 なら、その端っこでちょっと遊んでも、すぐにはバレねえよ」

 

「遊んではいません」

 

 シュアラは、小さく訂正した。

 

「試験運用です」

 

 *

 

 鍛冶場の中は、熱かった。

 

 外の冷気を忘れそうになるほどの熱が、炉から溢れている。

 鉄を打つ音が、間近でさらに大きく響いた。

 

 カン、カン、カン――。

 

 砦から持ち込んだ折れた剣三本が、炉の傍らに積まれている。

 

「ほらよ、貸せ」

 

 鍛冶師が、一本をひったくるように掴み、炉の中へ滑り込ませた。

 

 赤く、やがて白く。

 錆びていた刃が、熱で柔らかくなっていく。

 

「近寄りすぎるなよ、軍師殿」

 

 フィンが、炉の縁に近づこうとしたシュアラの肩を引いた。

 

「スカート、燃えるぞ」

 

「スカートではありません。これは――」

 

「そこじゃねえ」

 

 鍛冶師が短く怒鳴る。

 

「目だ。

 慣れてねえ奴が近くで見てると、熱にやられる」

 

「あ……」

 

 熱気で頬が火照っていることに、ようやく気づいた。

 

 ほんの少し、足がふらついた瞬間、背中に固い感触があった。

 

「ほら」

 

 カイが、無造作に腕を伸ばし、彼女の肩を支えていた。

 

「数字が溶ける前に、文官が溶けるぞ」

 

「……申し訳ありません」

 

 シュアラは一歩下がり、体勢を整えた。

 

 カイの手はすぐに離れたが、熱とは別の熱が首筋に残る。

 

「興味あるなら、ここから見てろ」

 

 カイが、炉から少し離れた位置を顎で示す。

 

「全部見なくていい。

 鉄が赤くなって、叩かれて、形が変わるとこだけで十分だ」

 

「はい」

 

 シュアラは、示された場所に立った。

 

 鍛冶師が、炉から剣を引き出す。

 真っ赤になった金属を、床の台に乗せる。

 

「いくぞ!」

 

 重いハンマーが振り下ろされる。

 

 ガン、と空気ごと叩きつけるような音。

 折れ目が押しつぶされ、一本の棒になっていく。

 

 何度も何度も。

 火花が弾け、そのたびに鉄の形が変わった。

 

「ほらよ」

 

 鍛冶師が、まだ熱の残る棒鉄をボルグに渡す。

 

 ボルグは、掌の上でその重さとしなりを確かめた。

 

「……悪くねえ」

 

 短い評価に、鍛冶師が鼻を鳴らす。

 

「当たり前だ。

 うちをどこの田舎鍛冶だと思ってやがる」

 

「田舎鍛冶だろうが」

 

 フィンが茶々を入れる。

 

「帝都の工房より手が早えなら、それで十分だ」

 

 シュアラは、棒鉄の長さと太さを目測で測り、手帳に書き込んだ。

 

『試験一号:砦廃棄剣3本→棒鉄1本(推定○斤)』

 

(炉の温度と鉄の質でロスは変わる。けれど――)

 

 完璧な数字ではなくてもいい。

 今は、「動き出した」という事実の方が重要だ。

 

 鍛冶場の外から、子どもの声が聞こえた。

 

「お父!」

 

 振り向くと、小柄な少年が、鍛冶師に駆け寄っていた。

 

「なんだ」

 

「砦のおじさんたち、泊まってくんだろ?

 母ちゃんが、鍋を大きいのに替えろって」

 

「……そうか」

 

 鍛冶師の顔が、わずかに緩む。

 

「じゃあ今日は、鉄だけじゃなくて飯も叩けるな」

 

「鉄は叩くもんで、飯は叩くもんじゃねえよ」

 

 少年のあっけらかんとした返しに、周りから笑いが漏れた。

 

 シュアラは、その親子を見つめながら、胸の中で数字を一つだけ書き換える。

 

(アイアンストリーム――子どもの人数、思っていたより少ない)

 

 それでも、この村にも「守るべきもの」がある。

 ならば、盤面に組み込む価値は十分だ。

 

 *

 

 その夜。

 砦一行は、川沿いの小さな宿を借りて泊まることになった。

 

 屋根裏部屋を改造したような狭い部屋。

 低い天井には、煤が薄く張りついている。

 

 粗末な机の上に、シュアラの手帳と羊皮紙が広がっていた。

 

『砦・西の村 修繕記録』

『入:砦廃棄武具(重量/品目)』

『出:棒鉄・釘・部品(重量/用途)』

『対価:粉袋(枚数/送り先)』

 

 東と南の線も、同じ紙の上に引き直していく。

 

(東――燻製と魚。

 南――粉と村の帳簿。

 西――鉄と修繕。)

 

 中央の砦から伸びた線が、少しずつ太くなっていく。

 

 扉が、こん、と軽く叩かれた。

 

「入ってます」

 

「知ってる」

 

 カイが、片手に皿を持って入ってきた。

 皿の上には、宿の女将が用意したらしい煮込みが乗っている。

 

「飯、残してただろ」

 

 机の上に皿を置く。

 

「数字と喧嘩してるときは、口が止まるタイプだな、お前」

 

「喧嘩ではありません。交渉です」

 

「どっちでもいい」

 

 カイは、部屋の隅の椅子に腰を下ろした。

 珍しく、すぐには出て行こうとしない。

 

「……何か、ご用でしょうか」

 

「用がなきゃ来ちゃいけねえのか」

 

「いえ、そんなことは」

 

 シュアラは慌てて首を振った。

 

 カイの視線が、机の上の紙に落ちる。

 

「また増えたな」

 

 そこには、三つの村と砦を結ぶ図が描かれていた。

 東、南、西。それぞれに小さな矢印が並んでいる。

 

「帝都の帳簿の奴らが見たら、卒倒するぞ」

 

「帝都の帳簿からは、私はもう――」

 

「消えてる、か」

 

 カイが言葉を継いだ。

 

「さっき、ギルドのやつにも言ってただろ」

 

 シュアラは、手を止める。

 

「聞いていたのですか」

 

「耳はついてる」

 

 カイは、机の隅に肘をついた。

 

「お前、本当に“消えてる”のか。帝都から」

 

「……少なくとも、帝都の公式な書類上では」

 

 死亡届の封筒の重さが、懐で少し増した気がした。

 

「辺境送りの文官なんて、いくらでもいる」

 

 カイは続ける。

 

「でも、お前の書き方は、そういう連中のそれとは違う」

 

「書き方、ですか」

 

「ああ。数字の並べ方と、線の引き方だ」

 

 彼の視線が、紙の上をなぞる。

 

「帝都の会計官の書類と似てる。

 俺が負けたとき、山ほど見せられたあの紙束と同じ匂いがする」

 

 赤い谷の敗戦。

 その後に押し付けられた報告書と査問の山。

 

「帝都の奴らはな」

 

 カイは低く笑った。

 

「俺たちを数字で裁くとき、こういう線を引いてた。

 『ここを切り捨てれば、全体が保たれる』って線だ」

 

 シュアラの指先に力が入る。

 

「お前は、似た線を引いてるようで、何かが違う」

 

 カイが、紙の上に指を置いた。

 砦とアイアンストリームの間に引かれた線の上だ。

 

「帝都の連中は、ここに『切り捨て線』を引いた。

 お前は、『つなぎ直す線』を引いてる」

 

 彼の指が、東と南の線も軽く叩く。

 

「だから、気になる」

 

 あっさりとした言い方だった。

 

「帝都の会計官みてえな顔してるのに、やってることは全然違う」

 

「顔は関係ありません」

 

「うるせえ。顔も関係ある」

 

 カイは、まっすぐ彼女を見た。

 

「“数字女”だの“軍師殿”だの、好きな名前で呼ばせてるがな。

 お前が何を怖がって、何をまだ捨ててねえのかくらいは、知っときてえ」

 

 胸の奥が、一瞬だけきしんだ。

 

(……まだ、捨てていないもの)

 

 父の声。

 燃え落ちる馬車。

 帝都の舞踏会の光。

 王太子の「愛のない数字女」という断罪。

 

 それらを一つにまとめる言葉を、シュアラはまだ持っていない。

 

「今は、冬を越すことだけを考えています」

 

 それが、絞り出せる精一杯の答えだった。

 

「冬が終わったら、考えます。

 何を捨てて、何を――持ち出すか」

 

 カイは、それ以上追及しなかった。

 

「そうか」

 

 彼は椅子から立ち上がり、皿を指差した。

 

「冷める前に食えよ」

 

「はい」

 

 扉に手をかけたところで、ふと振り返る。

 

「それと、一つだけ」

 

「はい?」

 

「帝都じゃ何て呼ばれてたかは知らねえが」

 

 カイは、わずかに口元を緩めた。

 

「俺は、今のところ“軍師殿”の方が気に入ってる」

 

 そう言って、部屋を出て行った。

 

 扉が閉まる音がしたあと、シュアラはしばらく、その場に立ち尽くしていた。

 

(……軍師殿)

 

 胸の奥で、その言葉が静かに重なる。

 

 帝都で与えられたどの肩書きとも違う。

 辺境の砦で、勝手に生まれた名前。

 

 手帳の余白に、小さく書き込みたくなる衝動を、ぎりぎりで抑えた。

 

(東に煙。南に粉。西に鉄)

 

 三つの村から立ち上る気配が、紙の上の線と重なって見える。

 

 炉の煙。灰色の空。

 遠くで、鉄を打つ音がまだ続いていた。

 

(天秤は、まだ沈んだままです)

 

 けれど。

 

(手を伸ばせる場所が、少しずつ増えている)

 

 皿から立ち上る湯気が、屋根裏の低い天井でゆらゆらと揺れた。

 その向こうに、冬の空の影が薄く見えていた。

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