死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します   作:来巻梓

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ギルドの誘惑(2)

 父の書斎。

 帝都の議場。

 王太子の断罪の舞台。

 

 そこからさらに外側――という彼の言葉には、たしかに魅力があった。

 帝国という盤面の外から帝国を眺める、という父の遺言に、ある意味一番近い場所。

 

 ただ、その場所は「人の死」でしか数字を刻まない。

 

「お断りします」

 

 シュアラは、自分の声が驚くほどはっきりしているのを感じた。

 

「私は、“盤面に残す側”にいます」

 

「残した首も、いつかは死にますよ」

 

 ヴァレンは、淡々と言った。

 

「私のところに来れば、その“いつか”のタイミングを自在に弄れます」

 

「弄るために残しているわけではありません」

 

 シュアラは、膝の上で握っていた手をほどいた。

 

「私がやりたいのは、せいぜい一冬ぶん、“ゼロになるはずだった数字”を後ろにずらすことです」

 

「一冬ぶん、か」

 

 ヴァレンの口元が、愉快そうに緩む。

 

「ずいぶん慎ましい野心だ」

 

「慎ましく括っておかないと、全部欲しくなってしまいますから」

 

 父が、「帝国全部を救おうとした結果、帝国全部に首を絞められた男」だったことを思う。

 同じ失敗を繰り返すつもりはない。

 

「それに」

 

 シュアラは、机の上の紙束を自分の方へ引き寄せた。

 

「私には、まだ終わっていないゲームがあります」

 

「ゲーム?」

 

「ええ」

 

 ペン先を紙の端に走らせる。

 

「第一ゲームは、『自分が死んだことにする』でした。第二は、『砦の胃袋を一つにまとめる』。第三は、『矢を撃てない狙撃手に、引き金を選ばせる』。第四は、先日の『脳と牙を束ねた』戦」

 

 ペンの先が、紙の上で止まる。

 

「第五ゲームは――」

 

 シュアラは顔を上げた。

 

「『冬の試験国家』です」

 

 沈黙が、音を持ったように部屋の中に落ちた。

 

 ゲルトが、「はあ?」と喉の奥で言う。

 フィンは口を開きかけて閉じた。

 カイでさえ、一瞬だけ言葉を探している。

 

「国家、だと?」

 

 それでも最初に声を出したのは、カイだった。

 

「冗談なら、笑ってやるが」

 

「冗談ではありません」

 

 シュアラは、紙の上に円を三つ描いた。

 

「ヴァルム砦。東の燻製の村。川沿いの粉挽きの村。鉄を出す谷の村。この三つと一つで、一つの国家ユニットを作ります」

 

「国家ユニット?」

 

「国の最小単位のようなものです」

 

 ペン先が、円と円を線で結んでいく。

 

「粉、肉、鉄、兵、国境線。この五つが揃っているなら、本来は一つの“国”として成立する条件を満たしている。帝都がこのユニットを切り捨てるなら、こちらは『試験国家』として一冬ぶん運用してみる」

 

 ヴァレンの灰色の目が、明らかに色を変えた。

 

 焦点が、完全に紙に合う。

 爬虫類が獲物を見つけたときのような、冷たい光。

 

「……帝国内側の端切れを、帝国外側の試験台にする、と」

 

「言い方は好きにして構いません」

 

 シュアラは、さらりと言った。

 

「帝都の正式な保護から外れるなら、代わりに別の“守り手”を探さなければなりません」

 

 ペン先が、紙の端に名前を書き込む。

 

『相手方候補:ハーツ財務公庫』

 

「借金の肩代わりではなく、通商条約です」

 

 シュアラは、顔を上げた。

 

「あなた方は、このユニットの通商路と物資輸送を請け負う。その代わり、我々は一定割合の粉と肉と鉄を、優先的にあなた方に回す」

 

「……ふむ」

 

 ヴァレンは、金貨を指の間で転がしながら聞いていた。

 

「徴税権ではなく、通商路の権利だけをよこせと。帝国の法の外で」

 

「はい」

 

 シュアラははっきりと頷いた。

 

「兵の指揮権も、村の裁判権も渡しません。あなた方は“商人”としてだけ、このユニットに関与する」

 

 カイの肩から、わずかに力が抜けるのが見えた。

 ゲルトが、頭をかきむしりながら「そんな話、聞いたことねえぞ」とぼやく。

 

 ヴァレンは、静かに笑った。

 

「いいですね」

 

 笑ってはいるが、その目には一切の温度がない。

 

「帝都が捨てようとしている端切れが、自分で自分を『国家』と名乗り、ギルド相手に条約を結ぼうとしている。……オッズが、さらに歪みました」

 

「無謀ですか」

 

「ええ。破綻する可能性は高い」

 

 ヴァレンは、少しだけ顔を傾けた。

 

「だからこそ、賭ける価値がある」

 

 フィンが、溜息とも悪態ともつかない息を吐いた。

 

「やっぱり疫病神だ、こいつ」

 

「ただし」

 

 ヴァレンは、指を一本立てた。

 

「こちらにも条件があります」

 

「聞きましょう」

 

「この『試験国家』条約の有効期限は、この冬いっぱい」

 

 それは想定の範囲内だ。

 シュアラは頷く。

 

「そして、もう一つ」

 

 金貨が、彼の指から姿を消した。

 

 次の瞬間、ヴァレンの手のひらが、静かにテーブルの上に置かれる。

 

「担保です」

 

「担保?」

 

 シュアラは、無意識に懐の手帳を押さえた。

 担保という単語は、帝都の会議室で何度も聞いた。

 土地。税収。鉱山。船。人質。

 

「そう。条約を成り立たせるための、人質」

 

 ヴァレンは、手のひらを返した。

 

「『死人文官シュアラの存命』」

 

 口から空気が抜ける音が、自分にも聞こえた。

 

「……どういう意味ですか」

 

「簡単です」

 

 ヴァレンは、能面のような顔で言った。

 

「この冬のあいだ、この砦と三つの村が『試験国家』として扱われる条件。それは、『あなたが死なないこと』」

 

 カイが、椅子を軋ませて身を乗り出した。

 

「てめえ」

 

「あなた方の安全保障が、あなた一人の心臓の鼓動に紐づく」

 

 ヴァレンの声は、妙にやわらかかった。

 

「あなたが生きているあいだは、我々はこのユニットを『投資対象』として扱う。物資も人も、できるかぎり守る方向で動く」

 

 灰色の目が、じっとこちらを見ている。

 

「逆に、あなたの心臓が止まった瞬間――」

 

 指先が、軽くテーブルを叩いた。

 その音が、脈拍の終わりのように聞こえる。

 

「このユニットはただの『負債の塊』に戻る。帝都の帳簿に従って、切り捨て候補として処理される」

 

 フィンの顔から血の気が引いた。

 ゲルトが、思わず「ふざけんな」と低く唸る。

 

「ふざけてはおりません」

 

 ヴァレンは、彼らの怒りをさらりと受け流した。

 

「私たちは、“生かす方に賭ける”ギルドです。だからこそ、『生かす条件』をはっきりさせておきたい」

 

 その「生かす」という単語に、血の匂いがついている。

 

 シュアラは、喉を鳴らすのをこらえながら言った。

 

「私が死ねば、ここも一緒に死ぬと」

 

「ええ。あなたは、この冬のあいだ、この土地全体の“抵当権”です」

 

 抵当権。

 

 土地に設定するはずの言葉が、自分の胸に貼り付けられる感覚。

 妙な酔いのようなものが、頭の奥からじわりと湧いてくる。

 

「お前、そんな条件……!」

 

 カイが言いかけたとき、シュアラは自分の声で遮っていた。

 

「いいえ」

 

 自分でも驚くほど、すぐに言葉が出た。

 

「条件としては、合理的です」

 

 ヴァレンの目が、面白そうに細くなる。

 

「おや」

 

「この冬、私が死んでいたら、たしかにこのユニットの生存率は急落します」

 

 シュアラは、懐から手帳を取り出した。

 

 矢で裂かれたページを開く。

 『死者ゼロ(暫定→本番へ)』と書かれた行の下に、新しい余白。

 

「すでに、いくつかの判断が私に集中してしまっている。設計者を急に欠けば、砦も村も戸惑うでしょう」

 

 ペン先が、紙の上に触れる。

 

「でしたら、いっそ最初から“担保”として明示した方が、こちらも覚悟が決まります」

 

「覚悟ってレベルの話じゃねえだろ!」

 

 カイの声が、机を震わせた。

 

「お前、自分が何書いてるか分かってんのか」

 

「分かっているつもりです」

 

 シュアラは、目を上げずに答えた。

 

「第四ゲームの決算書にも、同じような行を書きましたから」

 

 父の声が、記憶のどこかで笑った気がした。

 ──感情も、数字にしてしまえば扱いやすいだろう?

 

「……本当にやる気か」

 

 カイの声が、さっきより低くなる。

 

 シュアラはようやく顔を上げた。

 

 カイの森色の目が、怒りと恐怖と心配をごちゃ混ぜにして、こちらを見ている。

 その視線に、胸が少しだけ痛くなった。

 

(私が死ねば、この人はまた“負け戦の将”になる)

 

 そう思うと、ペン先が迷わなくなる。

 

「団長」

 

 シュアラは、まっすぐカイを見た。

 

「第四ゲームの決算でも言いましたが――砦側死者ゼロ、村側死者ゼロは、すでに一度達成しました」

 

 矢で裂かれたページに、新しい行を書き込む。

 

『第五ゲーム:冬の試験国家

 担保:死人文官シュアラの存命』

 

 インクが、裂け目の縁にじわりと染みていく。

 

「今さら、“自分だけ盤面の外にいる”ふりはできません」

 

 手帳を閉じる。

 

 ヴァレンが、小さく手を叩いた。

 拍手にしては音が小さい。だが、その薄さがかえって耳に残る。

 

「すばらしい」

 

 能面の顔に、初めて感情らしきものが浮かんだ。

 それは喜びというより、「退屈の解消」に近い光だ。

 

「では、この冬――あなたの心臓の鼓動と、この土地の生存日数に、賭けさせてもらいましょう」

 

 外では、降り始めた雪が窓を白く曇らせていた。

 

 会議室の中で、自分の心拍だけが、やけに大きく聞こえる。

 一つ打つごとに、試験国家の期限が一日ずつ縮んでいくような気がした。

 

 ヴァレンの指先で、金貨が静かに回る。

 その金属の冷たい光が、この冬じゅう、どこかで盤面を見つめ続けているのだろうと、シュアラは思った。

 

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