ナザリック地下大墳墓――
その中心、重厚な沈黙に包まれた玉座の間には、ただ一人の主が鎮座していた。
それは漆黒のローブをまとい、骨のみの身体を持つ王――
アインズ・ウール・ゴウン。
その骸骨の顔には、喜怒哀楽の表情など存在しない。
しかし、彼が放つ気配は、言葉にせずとも場の空気を支配するに足る。
広大な玉座の間に反響するのは、ただその空洞の眼窩から灯る赤い光の鼓動のような揺らぎのみ。
生者であれば、とてもこの場に居続けることはできないであろう、圧倒的な“死の権威”。
だが、そんな中でも、ただ一人、忠誠を疑わぬ者がいた。
「アインズ様。ご報告がございます。」
その言葉とともに、デミウルゴス――ナザリック第七階層守護者であり、至高の御方への忠誠を誓う悪魔が、静かに膝を折った。
彼の顔には、いつもの知的な微笑みはない。
代わりに浮かぶのは、緊張と期待と、どこか興奮すら混じるような表情。
アインズは小さくうなずいた。声を発せずとも、それは「語れ」という意思表示であると、デミウルゴスには伝わっていた。
「聖王国より情報を得ました。“神”と呼ばれる存在が、百年前から王国中枢に鎮座しているとのことです。」
「……神?」
アインズの口元が、わずかに動く。骨のみの口から漏れる声は、感情が乗っていない。
だが、デミウルゴスにはその一言に込められた含意が伝わっていた。
「はい。百年前、聖王国が亜人勢力に侵略された際、突如出現した者だと記録されています。
彼は――“神”は――その場で複数の天使を召喚し、敵勢力を一瞬にして殲滅。さらに、その戦いで命を落とした約十万人の民を――全て蘇生させたと。」
「……十万人を、蘇生?」
その言葉が意味するもの。
アインズは思考を巡らせながら、胸の奥――いや、既に死したはずの心臓のような何かがざわつくのを感じていた。
(それが事実ならば、この世界の限界をはるかに超えている。蘇生魔法の上限? そもそもMPの消費、術式の持続時間、対象者の保存状態……すべてを無視している。)
(この力……まさか――)
アインズは心の中で息を呑んだ。
(プレイヤー、か。)
アインズは、玉座の上で姿勢を微動だにせず保ったまま、沈黙を貫いていた。
その沈黙は、デミウルゴスにとってただの無言ではない。
“思考の時間”――それは、魔導王にとって最も重要な儀式のようなもの。
そしてそれが終わったとき、短く命じる。
「……続けよ。」
「はっ。」
デミウルゴスは目を伏せたまま言葉を紡ぎ出す。
「その“神”は、聖王国の中央に建立された神殿《天恩の聖域(アレクトリオン)》にて、百年間一度も外へ出ておりません。
彼の存在は、民衆にとってはまさに奇跡そのものであり、国教のように信仰されています。」
アインズは内心で驚嘆していた。
(百年も? 外へ出ずに? それでいて信仰が崩れない……)
それはナザリックでのアインズ自身の在り方とは対照的だ。
彼は外に出て、動き、示し、恐れられることで支配を築いた。
だが、その“神”はただ「そこに居る」だけで国家が成り立っている。
「……神官団は?」
「最高位はケラルト・カストディオ。
“神”との交信を担う唯一の存在であり、彼のみが神と直接対面したとされています。
それ以外の者には、“神臨の間”への立ち入りすら許されていません。」
「接触は、極めて制限されている……と。」
アインズの赤い光が揺らいだ。
「神の姿に関する証言は?」
「ありません。“神の像”と呼ばれるものが神殿内部に存在しているようですが、それが生きた存在か否かすら確定しておりません。」
アインズは骨の指先で、肘掛けをゆっくりと叩いた。
(これだけ厳格な管理。おそらく神官団自身も、“神”が本当に意思を持っているのか確証がないのだろう。)
(だが、それでいて、十万人の蘇生という“奇跡”だけは現実に存在する……。特異なクラス構成か……)
「プレイヤーの可能性は高い。だが、直接確認するのは危険だ。」
アインズの中にあるのは、支配者としての冷徹な判断。
感情ではなく、確率とリスクを天秤にかける思考。
「こちらから動く必要はない。……相手に来させる。」
「王国と帝国の戦争により、多数の死者が出ました。
それを“神の力”で蘇らせる要請を、王国から行わせるというお考えで?」
「……そうだ。ラナーに動かせ。」
「……お見事です、アインズ様。」
デミウルゴスは、誇りと畏敬を込めて、深々と頭を垂れた。
アインズの視線は玉座の間の先――遠く、まだ見ぬ“神”の在処へと向いていた。
玉座の間には、再び静寂が訪れていた。
だがその静けさは、単なる無音ではない。
それはまるで、嵐の直前に世界が息を潜めるような、緊張と予兆を孕んだ静謐だった。
アインズはゆっくりと、肘掛けに組んでいた指を解いた。
その動き一つに、デミウルゴスの背筋がピンと伸びる。
「……よい。アルベドにも共有させろ。ラナーを通じ、聖王国との“間接的な接触”を始める。
あくまでも王国の民からの要請という形でな。」
「畏まりました、アインズ様。」
アインズの言葉に、デミウルゴスの顔が満足げに歪む。
まるで、その指示が“神意”であるかのように。
「ラナーには、民の同情を得る演説を用意させよ。
“戦争で亡くなった者たちに再び会いたい”、
“魔導国と王国の友好の証として、神の力を借りたい”――そのような論調だ。」
「承知いたしました。それにより、あちらからの接触を促すおつもりですね。」
アインズはわずかにうなずいた。
「相手が本当にプレイヤーであれば、こちらが動けば“ゲーム”になる。
だが、向こうから来れば、それは“交渉”になる。」
(ゲームにすれば、ナザリックは傷つく。交渉にすれば、ナザリックは守られる。)
それが支配者としての結論だった。
「下がれ。」
「はい、アインズ様。」
デミウルゴスは深く頭を垂れた後、音もなく退室した。
重厚な扉が閉じられる音だけが、玉座の間に木霊する。
その音が完全に消えた後、アインズはひとりごちた。
「……プレイヤー。まさか、他にもこの世界に残っているとはな。」
その言葉に感情はなかった。
だが、その眼窩の奥に宿る赤い光が、かすかに揺れていた。
(誰だ。どこの誰が、この世界に残り、百年も“神”などという称号を背負っている?)
(なぜ動かない? なぜ、支配しようとしない?)
(それとも……“統治せず、君臨する”という方法こそ、奴の理想なのか?)
アインズの中に浮かぶのは、一つの疑念。
――果たして、その“神”は、同じように孤独を背負った者なのか?
それとも――別の目的をもった、敵か。
「……どちらにせよ、早まるな。情報を、冷静に……。」
そのとき、脳裏にふと浮かんだのは、ギルドの仲間たちの姿だった。
(もしも……あれが、仲間の一人だったなら……)
ほんのわずかに、死者にしては不釣り合いな――温もりのような感情がよぎった。
だがそれも、すぐに消える。
「……すべては、ナザリックのために。」
そう呟いたアインズの声には、覇王としての覚悟がにじんでいた。
そしてその瞳は、まだ見ぬ“神”なる存在へと、静かに、だが確実に向けられていた――。