ロッチが物心付いた頃から谷の白い壁は閉じられていた。話にしか聞かない隣国への門。
それが今日、開いた。
未明の星空の下、先陣はラツェット家の長兄。
『次はお前がくぐれ、ロッチ』
『俺?』
『一族で一番若く未来あるお前がここをくぐる事に、意味を持たせろ』
学園へ行く前の俺だったら、あんな事を言って貰えただろうか。
――ルカ
分かっちゃいないだろうが、お前のお陰なんだよ!
隣国に入ったのは初めてだけれど住んでいる人間は同じ。肌や髪や目の色も。
当たり前、ラツェット家は元々こちらがルーツ、忌々しい事に。
だから王国の一員でもずっとはみ出し領地扱いで、人間同士も距離を作っていた。そんな奴らの学校へ行くなんて嫌だったんだよ。
――ルカ
ルカに会ってなかったら、今の学園での俺なんかいないんだからな!
そのルカが髪を真っ赤に染めて三階の窓に見えた。建物の外壁を駆け登って助けに行ったのに、あいつ、自分を傷付けた兵士を庇うし、昨日会ったばかりの年寄りに命懸けで庇われてるんだ。
何なんだよ、まったくもう!
いつもは厳つくて、口をきくのもおっかない一番上の兄貴に、蜂蜜トロトロとか言わせてるし、はぁ? と思ってたら
『ラツェット邸の図書室が襲われる』
いきなり何なんだよ、次から次へと!
ロッチは馬に檄を入れ、ラツェット邸へひた走る。
ルカは、ローザリンド殿下に負けず劣らず先を読む力がある。
違う所は、殿下はいきなり降って来る直感だが、ルカは取り入れた知識を総動員して到達する事だ。考え過ぎて外してしまう事も多いから、今一つ自信を持てていない。
(それでいつも一人で背負い込んで、勝手に動いて勝手に窮地に陥ってんだ。そうなる前に頼ってくれよ、空振りでもいいから!)
***
谷の陵にラツェット邸が見えて来た。石の荘厳な砦跡。
――黒い煙! 火!?
ロッチの背中に汗がドッと噴き出した。
本当にルカの予想通りになった。当たって欲しくなかったよ、今度ばかりは!
まだ、まだ諦める時じゃない、あれだけの量の本、すぐに燃えてしまえる物じゃない。
邸に人もいる、消す方に動いてくれる筈。
(いや、リリィは無理しないで。ドン臭いんだから。でもリリィが一番無理をしそうなんだよな、意地っぱりだし、ああ、やめてくれよ、やめてやめて!)
「!!」
邸の煙が止まった!
神様ありがとう!
しかし空に火矢が見える。
発射元、すぐそこじゃん!
ロッチはそちらへ舵を切った。
(邸に
カラマツの木の上の弓兵は、防風林伝いに近付いて来る蹄の音は聞いていた。
だがそちらには、馬だと迂回せねばならぬ水路がある。あと二射三射放ってから逃げても十分間に合うと踏んでいた。
まさか乗り手が、駆ける馬の背に立ち上がって飛び、その勢いのまま向こうの木からウルヴァリンみたいに枝を渡って駆け登って来るなんて思わない。
「だああ――――っっ!」
「ひえっ、うあああ!」
バキバキバキ――! ドスン!
ゴキゴキ
「ぎゃああ」
「ラツェットに弓 弾こうなんざ百万年早いんだよ!」
関節外した弓兵を馬に積んで道に出ると、あちらでも複数のラツェット兵が、同じ灰色法衣の一人を縛り上げている。
ロッチのすぐ上の兄と従兄たちだ。
こちらは矢を射ち返して落としたらしい。
「ロッチこの野郎、俺がタゲってたのに」
「ごめん」
「いやこっちからの矢に対処出来る奴だったから助かったよ」
「敵兵は弓二人? 他には?」
「あっちの情報ではそれだけ」
「久々に『ロッチ飛び』見られたな」
「街行っても衰えてないな」
「当たり前だろ、街は街なりに飛ぶ機会があるんだ」
信者兵士は二人とも、尋問に応じるどころか教義を叫び自害をほのめかすので、さるぐつわを噛ませて更に縛り上げた。
「本当に図書室に奇襲が来るんだもん、びっくりしたぜ」
「え、こっちでも予測した奴がいたの?」
「ああ、リリシア嬢が」
「リリィ!?」
リリィは、『燃やしてしまうのが当たり前な方々なら、ここの図書室にも火をかけに来るような気がします』と言って、一人で、大事な絵本を離れた部屋に運び始めた。
それを見ていた学者、周囲の手隙きの者も、窓辺の本だけでもと、別の部屋へ分散して移動させた。
だから最初に油矢が打ち込まれた時 焼けたのは窓の戸板と空の棚だけで、壁際に用意した水桶と濡れシーツで即座に消火出来た。
「リリィ凄いな」
「俺らは半信半疑だったけどよ。女連中が率先して動いて」
一同と馬を曳いて歩きながら、ロッチは近付いて来たラツェット邸の、図書室の窓を見て
……ギョッとした。
中二階の、戸板が焼けて無防備になった窓の真ん中に、藤色の髪の乙女が両手を広げて仁王立ちしているのだ。
「えっ? リリィ??」
「ああ、聖女呼ばわりの自分が盾になっていれば矢も打ち込まれないだろうと」
「そ、そんな無茶な。じっさい、構わずに射ち込まれてたじゃん。誰も止めなかったの!?」
「止めたさ」
「よく見ろよ、ロッチ」
「??」
近付いてよく見えて来ると……なんかリリィの造形が違う?
髪色も妙に蛍光色?
「ロッチ!」
建物から三人娘が駆けて来た。
「うえ゛っ」
三人とも見事な蛍光紫の髪だ。
「お疲れ! ルカ無事だった?」
「ルカは無事だったけど、今、俺の目が無事じゃない」
「ああ、これね、染め粉」
「曾お婆様が持っていらしたの」
「昔、藤色の髪に憧れて、自分で試行錯誤して調合したらしいわ」
欲しい物は自作するのがラツェットの伝統。
「折角だから皆でクナ族の髪になっちゃいましょって。そしたら万が一敵がリリィを拐いに来ても撹乱出来るでしょ?」
「う、うん……」
ずっと見てると目がチカチカする。本人たちは気にならないのか?
「おぉい、もう大丈夫だって」
エイミが中二階の窓に声を掛けると、窓辺の人物が足を出して飛び降りて来た。
「ロッチ様、ご無事の帰還何よりです」
えっ――!!
「ミック・・さん?」
「はい」
どういう感情か分からない声で、紫のカツラ(染め粉をぶっかけた箒草)を外しながら、見習い騎士の青年は返事をした。カツラだけじゃなく、顔には真っ白な化粧、女性物のドレスまで(背中のボタンが止まらなくてコルセットでギチギチに巻いている)。
「リリシア様がどうしても盾になるって聞かないんです。こうでもするしかないじゃないですか」
「う、うん……ご苦労様…………」
「意外とお化粧ノリが良くて助かったわ」とジヨアナ。
化粧する必要はあったのか?
「叔母様のドレスが入って良かったわね」とニーナ。
窓から上半身を出しているだけなのにスカートまで履く必要あったのか?
しかも
「ミックさん、
「脱毛トリモチで一気に」
「必要ないだろ!」
「だって許せなかったんだもん!」byエイミ。
「あの、ミックさん、なんかすいません……」
「主を守る為なら何事も厭いません、護衛騎士ですから」
というミックの感情は相変わらず何処にあるのかわからない棒読みだった。感情をシャットアウトしているのかもしれない。
「賊は確保したから、もう着替えて下さい」
「はい」
スカートから突き出した筋肉質な脚をギクシャクと動かしながら、十六才の見習い騎士は去って行った。どんな滑稽な姿でも突き抜けると笑いって出て来ない物なんだな。
***
程なく、ユーリに伴われたルカが到着した。
そのまま、皆が集まっている図書室窓下の庭に馬を乗り入れる。
「窓、焦げてる……」
「ああ、でもこっちでもリリィが予測して対策してた。本の被害は無いよ」
「そうか、リリィは相変わらず凄いね」
馬からずり落ちるように下馬したルカは、そのままそこに座り込んだ。
「ルカだって凄いよ、もう無理しなくていいから、中で休め。誰か、ルカを救護室へ」
「私が」
ユーリが薄っぺらい子供を抱え上げた。
「怪我したのか?」
ロッチの兄や従兄たちが寄って来る。
「傷自体は大した物ではありませんが、出血が多かったので貧血です」
「そうか、今回はこいつが大活躍だったな」
「エライ汚名を着せられそうになったのを回避出来たんだ」
「ついでに山賊退治にも行けた」
「早くよくなれよ」
人数分の手が伸びて、子供の髪はワシャワシャと掻き回された。
ルカはされるがままで、ユーリの腕の中で揺れている。
(さすがにもう限界なのだろう。こんな藻屑のような軽い身体で、敵陣で一晩耐えたのだ。一刻も早くベッドに寝かせてやろう)