本編、二章と三章の間のお話です。
時期的には、「ききりの神さま」のあと、学園に戻った秋ぐらい。
卒業まで三か月のマリサが主人公。
***
公爵令嬢マリサ・カンタベリィの朝は美しきルーティンで始まる。
目覚めは身体が覚えている。
晴れだろうが嵐だろうが同じ時刻に目が覚める。
呼び鈴を振るうと間髪入れず身支度メイドが入って来て、本日の目的に沿った装いを仕上げてくれる。
選りすぐりのメイドたちの動きは素早く巧みに重ならず、程なく、生徒皆が振り替える憧れの上級生カンタベリィ嬢が出来上がる。
廊下に出ると男性侍従が待っていて、斜め後方を歩きながら本日の予定を簡潔に通達、朝食室前でスッと消える。
交代して食堂専門の使用人が扉を開く。
朝の陽光がたっぷり入るガラス張りの朝食室には、既に父と長兄次兄が席に付き、食後の茶を飲みながら手紙のチェックをしている。領地を受け持つ長兄が社交シーズン以外に戻って来ているのは珍しい。
三人とも聖堂の彫刻のように彫り深く、カンタベリィの象徴である琥珀の金髪が朝陽にキラキラと瞬く。
(ああ、美しいわ)
マリサは、敬愛する家族が整然と仕事に勤しむ風景が好きなのだ。
邪魔をせぬよう挨拶だけをして、別の丸テーブルで自身の朝食を待つ。少し置いて母と、客人で来ている同派閥婦人が現れ、同じテーブルに着く。こちらの席は少しの会話がある。
カンタベリィ家の朝食は全員揃ってイタダキマスはしない。それぞれの予定がありそれぞれのルーティンがある。長兄は結婚していて、妻子は領地で暮らしている。
父たちの手紙チェックが終わる頃、家令が現れ、カンタベリィ家としての共通の予定、報告事項を読み上げる。
質問は出ない。あくまで家内で共有する為の再確認。己の質問に巻き込み家族の時間を消耗する物ではない。聞きたい事があれば各々の侍従か影に確認すればよい。その為に優秀な人材を配置して貰っている。
しかしこの日は学生である長女が手を挙げた。
「お父様とエドアルドお兄様に時間を頂きとうございます」
家令が予定表を繰る。
「公爵様とエドアルド様の共通の空き時間は明後日の夕食後に半刻ございます」
父が「許可する」と言い、兄も「許可する」と続けた。
「ありがとうございます」とマリサが受けると、家令は筆記具を取り、予定表に新たに書き加える。
マリサは頭の中で、明後日に予定していた同窓生との食事会をキャンセルする算段を練る。
まったく、今 目の前に居る者に話を聞いて貰うのに予約を取り付けて二日待たねばならぬのだが、この家は伝来そういう物なので、誰も表情を動かさない。
(あの『天使みたいな子供』から見たら滑稽かもしれないわね……)
ちょっとだけ意識を滑らせて心中で肩を竦める。
***
マリサは、自身の生まれと責任に、何の不満も持っていない。
逆に、他の場所に生まれていたら、大変だったろうなと思う。
美しい物が好きだ。無駄なく整然と生きるのが好きだ。積み重ねたスキルで世を廻して家や国家の役に立てるのは、とても有意義で楽しい事だ。
人には生まれ持った特性があり、その特性をしっかり生かせる場所に生を受けられた事を、幸運に思っている。
そんなマリサの美しきルーティンを、最近 侵食する物がある。
カンタベリィ家正面玄関、靴裏が映るほど磨き込まれたエントランスで、出廷する父親と長兄を、家族一同で見送る。
家族は在宅する限り必ず、家長の送迎時 玄関に出て並ぶ。当たり前、この国の三大公爵の長なのだ。父親である以前に尊ぶべき存在。
(最近のお兄様、すっかりお父様に負けない貫禄が付いていらっしゃる)
マリサはうっとりと見上げる。
婚姻して領地へ行ってから会う回数が減ったエドアルドだが、見る度に父に似て来る。
当主と後継、並んで立つ事を考慮された衣服は召使いによって色味が調整され、カンタベリィ家の琥珀の金髪によく映えて、上質な絵画のようだ。
(ああ美しい)
心中でほぉっと息を吐く。
「キャッキャッキュ――!」
甲高い音がマリサの美しい世界を引き裂いた。
ドタドタと信じられない足音と共に、開いた玄関からピンクの塊が飛び込んで来て、父と兄に絡み付いた。
「キャキャキャ、キュキュ、キョキョキョ」
それが乱入した途端、美しい調和は一気に壊れた。
新種のニワトリ……? ではなくて、頭の先から足元までピンクのリボンとフリルにまみれた女児だ。
マリサは数度は見掛けた事がある。
先月の半ばから、女親と二人でそこの離れに暮らしている……確か十二歳と聞いたから、女児という歳ではなかった。
マリサには彼女の言葉が分からない。この国の生まれらしいから言葉は同じ筈なのだが。
父や兄には聞き取れているのだろうか。侍従によって女の子が引き剥がされると、何事もなかったかのような無表情で、開いた玄関から階段を降りて行った。馬車に乗り込むまで振り返りもしない。
(ああ、折角綺麗に仕上がっていたプレスが台無しだわ)
マリサがガッカリしながらしわになった袖を眺めて見送っていると、女の子がこちらをじっと見ているのに気が付いた。
「ギャギャ、ギュ――ッ、ギュ――ッ」
「???」
相変わらず謎言葉だが、自分に向かって吠えているのは分かった。尻上がりのねじれた声が何とも醜悪だ。
馬車はもう居ないのだが、見送りの家族はその場で唖然としている。
と、やっと女の子の母親が現れた。
最初に見た時より幾分マシになっているが、与えられた衣服が着こなせておらず、全ての動作が緩慢でノロノロと、ようやく娘の所まで辿り着く。
マリサはこんな動きをする人間を見た事がない。邸の使用人も貴族学園の学生も、毎月慰問に行く孤児院の子供たちでさえ、目的に向かってキビキビ動く。何だったら野生の鳥や動物だって、生きるための最短の動作を美しくこなす。
(何なのだろう、この、一つ一つの動作が大袈裟で遅い、パフォーマンスのような動きは?)
そんな事をホケッと考えていると、女性が娘の肩に手をおいて、マリサを睨んだ。
「子供のやった事じゃないですか」
「???」
「こんなに小さい子供にムキになって、心が狭い」
「……?」
言葉が分かっても内容がやはり分からない。絶句していると、次兄が間に入ってくれた。
「マリサももう出ないと遅刻してしまうよ」
「あ、はい」
まだ余裕の時刻ではあるが。
「本日は私も院の婚約者に用事がある。通学の馬車に便乗させて貰ってよいか」
次兄は、来月には結婚して相手方の家に入り、家長を担う事が決まっている。式までに話し合う事も多いらしい。
そんな予定があるのなら事前に伝えられていた筈だが、後ろの侍従が目を見開いたので、次兄が今いきなり言い出したのだと分かる。
「勿論でございます」
マリサはまだ雑音を発している母娘を背に、さっさと自分用の通学馬車に乗り込んだ。
***
「マリサ、大丈夫か?」
馬車が出発するとすぐ、向かいの席の次兄……レイモンドが、神妙に覗き込んで来た。
「はい?」
私は何か大丈夫でなかったのだろうか?
「あの母娘にも困った物だ。いきなり見送りの場に乱入するなど、あんな風にアピールすればするほど逆効果だというのが分からないのか。大人しく待機しているだけの事が、そんなに難しい事なのだろうか」
あの母娘とはさっきの……マリサが会った事もない叔父(父の全弟)が、市井で作った妻と子だ。先々月、邸の門前へいきなり転がり込んで来た。
叔父は、マリサが乳児の頃に、カンタベリィの家から除籍されている。あの穏やかな祖父が勘当するのだから、よほど目に余ったのだろう。
「お兄様、私、あの子供の言葉が聞き取れないのです」
兄は目を丸くして、それからゆっくり微笑んだ。
「意味も?」
「はい、何かの動物の鳴き声としか。あの、嫌味ではなくて本当に」
「ふむ、そうか」
「信じて下さるのですか」
「ああ、そういう事ってある。それはマリサのスルー
「スルー力……ですか?」
「そうそ、マリサに取って害にしかならない戯れ言は、脳ミソに到達する前に働き者の小人さんがブロックしてくれるんだ。凄い能力だな、さすが我が妹」
「…………」
どうやらあの子供の言葉がおかしいのではなく、自分の方に原因があったようだ。
「レイ兄様、
「はは、すまないすまない、そうか、マリサももう卒業かぁ」
マリサより六つ上、長兄と二つ違いのレイモンドは、いつまでも妹を子供扱いする。
マリサは、気を回してわざわざガス抜きの時間を作ってくれた兄を、感謝の眼差しで見上げた。
父やエド
「お兄様に気遣わせてしまって申し訳けございません」
「なんの。じゃあ、あの娘が喋っていた言葉は聞こえていなかったんだね」
「何と言っていたのです?」
「聞こえていなかったんなら別にいいんじゃない?」
「知っておいた方がよいと思います」
兄は、生真面目すぎる妹に肩を竦めた。
「大した事は言っていないよ。『お姉さまだけ学校へ行ってずるい』とか」
「はあ」
「あとは『お姉さまが睨んだ、怖い』って奴な。あの母親以外……使用人も誰も本気にしていないから大丈夫だよ。
そもそもマリサをお姉さま呼ばわりする事自体、誰も許していない」
庇って貰って照れ臭く、マリサは頬に手を当ててみる。
「私……怖い顔なのかしら」
「顔がコロコロ変わる庶民の中で育っていたら、表情を動かさない上位貴族は怖いかもしれない。でも父とエド兄には媚売ってたぞ」
「そうなの?」
「要するにマリサは、年少の女性だというだけで侮られてターゲットにされているんだ。相手にしても喜ばせるだけだから、さっきみたいに反応しないのが一番だよ」
「はい、分かりました。ありがとう、レイ兄さま」
「早く見つかればいいんだけれどね、行方知れずの不肖叔父」
レイモンドは流れる窓外の景色を見やって、少し遠い目をした。
***
夏の休暇も終わった先月、秋の入り口。
門番から不振な来訪者の報せが入り、
家令が対応して聞き取りした所、みすぼらしい母娘は『公爵の弟の妻子』だと名乗った。
後生大事に抱えて来たカバンに詰められた証拠の品々……親兄弟が叔父の誕生日に与えた一点物の時計や文具、印章指輪、実家からの古い手紙等から、
『またあのクズの尻拭いか……』
普段 感情を動かさない公爵が、家令が二度振り返るような渋言を吐いた(らしい)。
マリサの父(現公爵)の弟は、上の兄姉より年の離れた末っ子で、少々甘やかされて育った。
破天荒で高位貴族らしからぬ振るまいが目立ったと、古くから仕える侍女が教えてくれた。
立派な婚約者がいたのに、王立学園在学中、様々な女性に奔放過ぎて、怒らせて婚約解消された。
成績は低空飛行、「音楽家を目指す」と騒音を撒き散らしたと思ったら「前衛芸術家もいいな」と学園の塀壁を滅茶苦茶にし、しまいには「吟遊詩人になる」と叫んで勝手に退学、地方の男爵家の三女と駆け落ちしてしまった。
十六歳になったばかりのマリサが聞いても、溜め息しか出て来ない経歴だ。
駆け落ち相手の三女は数ヵ月で目が覚めて実家に逃げ帰り、カンタベリィ家は苦労して嫁ぎ先を斡旋してやった。
その時点で祖父は、叔父の籍を抜いて勘当。
以降 音信不通だったのだが、門にいきなり『妻子』が押し掛けて来るとか、段階を飛ばし過ぎている。
女性は地方の小都市で酒場の踊り子をしていて、客の叔父と知り合った。
『最初はヒモみたいだったが、子供が生まれると働いてくれるようになった。学があるから上等な職場に付けたのに、「自由が欲しい」と叫んで居なくなってしまった。
へそくりも持って行かれた上、借金取りが押し掛け、娘が抵当に入れられていた』
女性は、亭主の残した古い手紙を頼りに、必死で王都まで逃げて来たという。
人生経験が十六年しかないマリサでさえも遣い慣れない『クズ』という言葉が口を付いて出た。
(男爵家の三女といい、この女性といい、どうしてそんな男性になびいてしまうのだろう)
幾ら勘当した者の妻子とはいえ、これは放り出す訳には行かない。
差し当たって母娘は公爵家の離れで保護し、身の落ち着け処を探してやっている。信頼出来る寄り子の家へ使用人として斡旋するあたりが妥当だろう。
微妙な存在の娘だが、あのクズの血が流れているだけでマイナス評価、十二歳でニワトリのようなこの有り様なら教育し直す価値も無しと、家に関わらぬ『赤の他人』と、バッサリ切り捨てられた。
厳格な父の整然さが遺憾無く発揮されて、マリサもホッとしている。
しかし、どうもどうやら離れの母娘、今まで見たこともない衣食住を与えられて、何か勘違いを始めたらしく。
今現在、「娘が病弱」(多分ウソ)という理由で滞在を引き伸ばしている。
メイドたちによると、母親の方は公爵の弟夫人、娘はマリサと同等の扱いを求めているらしい。
家族が揃った見送りの場に娘を突入させたのは、我々も家族だというアピールだろうと。
「いやいやいやいや、無理だろ」
学園も近付いて来た馬車の中。
次兄レイモンドが大袈裟に首を振るのを見て、マリサはまた胸を撫で下ろした。
理屈はどうでも、時折「えっ?」という不条理が押し通ってしまうのが貴族家内。偏った情に走って屋根を傾けた家も少なからず知っている。
常に広い視野を持ち貴族の正義を貫くカンタベリィの家は、まともで良かった。
「ただ一つだけ、マリサ」
「はい」
「片方の言質だけで判断をするのは良くないと、私は思う」
「はい」
「叔父ともきちんと話してみたいんだ」
「……はい……」
少し意外だったが、レイ
この兄は自分と違って、幼少時に叔父と交流があったと、侍女が話していた。
(私には知り得ない想い出もあるのかもしれない)
微々たる胸騒ぎを感じながら、マリサは馬車を降り、学園玄関で兄と別れる。
***
「なーにが貴族の正義よ」
秋風心地良いサロン(学園生徒自治会特別執務室)の窓辺。
従姉妹で親友のイサドラ・フロレイン伯爵令嬢が、肩を並べて空を眺めながら、マリサを揶揄った。
「家に逆らって『真実の愛』に走ったマリサがぁ」
「そ、それを言われると……」
初夏の頃。
卒業を控えてマリサは、それまでモヤモヤと抱いていた恋心を、終わらせる決心をした……筈だった。
相手は家の力関係から、一番『有り得ない』とされていた男性。
家に忠実なマリサに出来る事なんて、遠回しにチラチラとほのめかす程度だった。
それで、『彼はきっと気付かなかったんだ』と、自尊心を維持したまま終わらせる事が出来る…………筈だった。
「マリサ、今日から君に来る縁談はすべて断ってくれるかな」
「はい?」
サロン仕事の合間、突然、業務連絡のように言われた。
彼はしっかり気付いてくれていた。そして既に根回しを始めていた。
「こちらの片が付き次第、公爵閣下に挨拶に参じさせて貰う。関連して発生する問題は、八割方手を回している。そう長くは待たせないと思う」
書類から目を上げずに訥々と語る想い人。
夢? 幻? 信じられなかった。
いいの? 貴方のような立派な方が貴族の定石に背いて、本当に?
足が地面からフワフワと浮き上がる。
反して、スンと冷静になる表向きの自分。
「畏まりました。残り二割をお教え下さい。共に闘います」
自分でも内心笑ってしまったが、
「高位貴族トップの貴方たちが何やってんのよ。我が家だって少なからず影響を受けたんだからね。そんなんじゃ、叔父になびいた女性たちを笑えないわよ」
「ごもっともです……」
イサドラとは幼い頃から姉妹のように育ったので、歯に衣を着せない。
そして親同士が兄妹なので、今回の事件も『叔父(末弟)のやらかし』として共有している。
因みに、前王の姉がカンタベリィ公爵家に降嫁して二男二女をもうけ、その長男がマリサの父だ。
長女はフロレイン家に嫁いでイサドラの母、次女は他国へ嫁いで大公婦人、そして不肖の末っ子が問題の叔父。
イサドラの氷壁のような銀の髪は、降嫁した祖母と同じで、王族らしい風格は彼女が一番受け継いでいるとマリサは思う。
マリサが物心ついたあたりから髪を編んで結い上げているのは、母同士が仲良しのイサドラと、並び立たされる機会が多かったからだ。
マリサは母譲りの大人しい栗毛だった。