「ふ――ん、花壇ねぇ」
サロンの窓辺。
イサドラはいつでもマリサの愚痴を親身に聞いては考えて、自分の見解を述べてくれる。
昨日の事を早く相談したくてウズウズしていた所、建物の入り口で彼女と会い、これ幸いと四階へ登って来るまでにぶちまけた。マリサにしたら珍しい行儀の悪さだった。
「ごめんなさい、早くイサドラの意見を聞きたくて」
「いいのよ、マリサの周囲でそんな物質的なトラブルが起こるなんて珍しいもの。
でも、ふうむ…… 割り当てられた花壇が手付かずなのが不満で、他所の誰かがきれいに整えた場所を奪おうって……そういう理屈?」
「だと思うわ。ジョナサンの話だと」
「もしかしたら、そこがマリサの物だと分かる印か何かあった?」
マリサはハッとした。確かに、隅の煉瓦の縁に『マリサ様』と書かれた小さなプレートがあった。
イサドラは嘆息した。
「わざとだわね。そんなアピールをしたって、マリサの場所は奪えないし、自分の心象を悪くするだけなのに……やっている事が愚かすぎて、一周回って怖くなるわ。何か裏で企んでいるんじゃないでしょうね、その娘」
国家の陰を担うフロレイン家らしい見解を、イサドラは述べる。
「企み……」
言われてマリサもちょっと怖くなった。
確かにあの母娘は貴族知識もへったくれも無い庶民だけれど、一番高位の家を狙って突撃して来るあたり、微妙な小賢しさはある。
――トトン
物音に、窓辺の二人は跳ねた。
振り返ると、サロンの大きな円卓の隅で、書記の少年が座って書類の縁を揃えている所だった。
「ル、ルカ?」
「いつ入って来たの?」
「失礼致しました、マリサ様、イサドラ様、ご機嫌麗しゅう」
すがしい錫色の瞳の一年生は立ち上がって礼をした。
「いつ入って来たかというと、小一時間前です」
「……?」
「翻訳に夢中で挨拶するタイミングを逸してしまったのは僕の失態です、申し訳ありません。
しかし僕の存在に気付かずお喋りを続けながら窓辺へ直行したのはお二人で、割と困っておりました。いなかった事にされたくはありませんので」
「…………」
マリサは罰の悪い顔をしたが、イサドラはまたカツカツとヒールを鳴らし詰め寄って、少年の顎に手をやった。
「それで、全部聞いていたの?」
「き、聞いていませんよ、翻訳に専念しておりました」
「そぉお?」
「お、お喋りに夢中でサロンの鍵が開いていた事さえ気に止めなかったのはイサドラ様たちじゃありませんか。僕はここでただ書き物をしていただけです。マリサ様の従姉妹の思惑なんて知りません」
イサドラは眉を吊り上げた。
「従姉妹では無いわよ、公爵が認めていないんだから。その辺りは考えて口にしなくては駄目よ」
「申し訳ありません」
ルカは素直に謝った。
「しかし、生物学的にはマリサ様の血縁です。そこに目を背けてはいけないと思います」
「どういう事?」
マリサが目を見開いて聞いた。
「血には間違いなく遺伝子が乗っているという事です。優秀な貴族の煮絞まった遺伝子」
二人の女性は顔を見合わせた。
頭脳と容姿のベストを掛け合わせてブラッシュアップされたのが高位貴族だ。イサドラもマリサも、生まれながらの違いという物は、周囲を見て理解している。
マリサは、女の子の見事な琥珀の金髪を思い出して胸が重くなった。
「ふうん」
イサドラがまたルカの顎に手を伸ばす。
「それ、自分の事を言ってる?」
ルカも、代々優秀な文官を輩出していた侯爵家の種ではある(家は消滅してしまったが)。
「はい」
少年は臆面もなくシレッと答えた。
「入学するまでは自分と他者の違いが分かりませんでしたが、学習する事に脳が慣れて来ると、『この辺りは血だな』と感じる時はあります。
侯爵は他者に対して厳しかったけれど、自分と同じレベルを他者に求める事の愚に気付けなかったのが失態でした。反面教師にせねばと心に留めております」
イサドラは、慇懃無礼に答える少年の顎から、つまらなさそうに手を離した。
彼が今翻訳している北ヱ国語は文字も文法も特殊で、高等学院で専攻するような言語だ。需要があって狙い目だというだけの理由で、ホイホイ習得出来る物ではない。
「カンタベリィの血を引く十二歳の子供だと思って対峙しなきゃならないって事?」
マリサが神妙に聞く。
「用心に越した事はありません。僕は時々、マリサ様の底力に、背筋を寒くさせられるので」
「あら」
「それともう一つ」
「なぁに?」
「家長が『家と縁の無い他人』だと決定したとて、それは形式だけの話です。
三つ年下とは思えない少年のしたり顔に、マリサはゴクンと唾を飲み込んだ。
***
帰宅の馬車に揺られながら、マリサは思案に沈む。
ルカの言葉なら捨て置けない、あの子の勘は妙に鋭い。
「家の者に共有するべきかしら?」
いや、学校の一年生が言っていたからなんて理由は通らない、笑われてしまう。
それに父も母もちゃんと用心しているだろう。私がわざわざ進言するまでもない。
従業員だって、庭師のジョナサンが脅威に思って兄に訴えるぐらいだ、他の者たちもちゃんと分かっているだろう。
マリサ自身は、身の周りのメイドに軽く注意を促す程度にしておこうと思った。
本日は夕食後、父と長兄と会談の予定をしている。忙しい二人に時間を貰える機会はとても貴重だ。
話の優先順位は、まず、西イ国で計画している貿易会社の取引国に関する相談、次に、来年のアーサーとの結婚披露パーティーの幾つかの変更事項の許可、その後時間が余ったら、ルカへのアプローチの相談を再度してみようと思う。
(時間は半刻しか取って貰えていないし、効率良く話を進めなくては)
兄の好きな紫色のドレスを着付けて貰いながら、マリサは頭の中で何度もシミュレートした。
夕食時に約束の再確認をし、「後で伺います」と挨拶をして、自室に下がる。
ちなみに夕食時は、家族揃って開始するが、個人間の込み入った話はしない。家族全体が共有出来る軽い話題を家長か夫人が振って、全員が一言ずつ返す……そんな感じだ。一人が場を独占するなんてしない。
会話は薄いけれど家族全員がそれぞれの息災を確認出来る夕食風景も、マリサは好きだ。
(これも『あの子』に言わせると、味気ない食事、と言われてしまうのかしら)
予定時刻になり、マリサは資料を手に部屋を出て……
戦慄した。
目の前に、あのピンクの怪獣がいるのだ。
「ギャッ、ギャギャッ」
(どうしてここに? 誰が本邸に入れたの!?)
驚きと恐怖で喉が張り付いて声が出ない。
「ギャーッ、ギャーッ」
怪物はマリサに突進して手を広げて抱き付いて来る。
「ヒッ」
やっと声が出せた。
「だ、誰か、誰か来て、助けて、誰かいないの!?」
そう、廊下にはピンク怪獣一人だった。普段なら召し使いの誰かしらが待機していて無人になんてしない筈なのに?
すぐに廊下を曲がって侍従が来た。部屋からメイドも出て来た。ワンテンポ遅れて警備員も来た。
反応は流石だ。しかしその後がおかしい、動作が止まっている。誰もマリサから異物を引き離してくれない。
マリサはただ壁に追い詰められて、怪獣になるべく触れないように、持っていた資料の束で懸命にブロックしている。
怪獣は、ちっとも美しくない金髪の頭をマリサの胸に押し付けて、両手で衣服を掴んで来る。
気持ちが悪い!
どんな量で使っているのか、香水の匂いがむせ返る。
髪は皮脂にまみれて臭い。
助けて!
「退かせて頂戴、この子を、早く!」
具体的に言われて、やっと従業員は動いた。それでも遠慮がちに、女の子の肩に手を置いてゆるゆるだ。どうして? こんな子供を引き剥がすくらい、大人の力なら訳はない筈なのに?
怪獣はマリサの胸に顔を押し付けて左右になすり始めた。やめてやめて!
マリサはとうとう、自分の腕を使ってそれを剥がして突き飛ばした。
と、あんなに張り付いていた女の子は簡単に剥がれて、逆に反対方向に力を入れたかと思えるくらい遠くまで飛んで、尻餅を付いた。
「ギャッ、ギャギャ、グエ――ン、グエ――ン」
呆然とするマリサ。何で怪獣が涙を流している? 泣きたいのはこっちだ。
自分の胸元を見る。
案の定、ブロックしきれなかった所が、ベットリと湿った染みになっている。折角の兄の好きな紫のドレス。しがみ付かれていた前面の装飾もグシャグシャ。
(着替えたい……)
そんな時間は無い。せめて胸元のシミだけは拭き取りたい。
「タオルを持って来て」
マリサは突っ立って動かないメイドに言った。彼女たちはハッとしたように室内へ駆け込む。
何かおかしい? 普段ならこちらが命令する前に頭を働かせて動いてくれる物なのに。
手に手に白いタオルを持って来たメイドだが、何故か……本当に何故か、尻餅を付いたまま吠えている怪獣の方へ動いた。
嘘でしょう?
「こちら、ここを拭いて頂戴」
マリサはわざわざ自分の胸元を指して指示せねばならなかった。
一階から駆け付けた年嵩のメイド長が、流石に熱い湯で絞ったタオルを持参して、染みの不潔を拭い取ってくれた。歪んだレース等も直して貰い、やっと父の書斎へ入っても大丈夫な身形が整った。
その間、怪獣は吠えっ放しだったが、マリサは約束の時間と相談事の順序で頭が一杯だった。
見ると、警備も召し使いもまだ女の子を連れて行っていない。本当に不思議だ。そして怪獣はまたマリサに飛び付こうと構えている。何故自由にさせて置くの?
「ジョン、パトリック、その子を押さえて置いて頂戴」
警備の二人を名指しで指名した。
「時間が無いのです。また汚される訳に行かないの」
言われて、やっと紺の警備服の二人の男性が、女の子の手首と肩を掴んで固定した。それなら大丈夫だろう。
マリサは廊下の隅へ避けてそこを通り過ぎた。階段の反対側の父の書斎へ向けて歩き出して
「ギョエ――ッ」
甲高い声に悪い予感がして振り返ると、なんと怪獣が警備員の手を放れてまたこちらへ迫って来るではないか。
(何で? どうして二人掛かりで女の子一人押さえておけないの?
でももう被害を受ける訳には行かない。本当に時間が無いのだ。
マリサは持っていた書類の束で、飛び付いて来る怪獣を
相当な怪力を想定して自分の能力一杯の力で振り抜いたが、女の子は簡単に吹っ飛んだ。
(普通の女の子並みだと思うけれど。どうして押さえて置けなかったのだろう?)
「ギィッ! グェエ――ン」
背後にまた泣き声が上げるが、マリサはもう一度も振り向かずに足早にそこを去った。
父の書斎には、ギリギリの時刻で間に合った。
***
「どうしたんだ、マリサ?」
分厚い扉を挟んでも廊下の絶叫が聞こえたのだろう。
書斎にいた父と長兄エドアルドは、席を立って珍しく動揺していた。
父付きの執事が部屋の隅の定位置から動いていないのが、マリサには疑問だった。廊下で異常な音がしたら、主人が立ち上がる前に、彼が動いて様子を見に行く物ではないだろうか。
しかしマリサに与えられた時間に、そんな質問を差し挟む余裕は無かった。
「本日はお時間を取って頂き有り難うございます」
まず挨拶。これは絶対に欠かせない。それでも全体の0.何パーセントかを潰してしまう事が、マリサには惜しかった。怪獣に時間を潰されなければ、家族としての日常会話くらいは出来たのに。
「こちらの資料をお渡しします。西イ国で始める貿易会社に関して、他社実績から新規に取引に加えようと考慮している国ですが」
少しシワになってしまった紙束を差し出す。
「いや待てマリサ。私は廊下の騒ぎはどうしたのだと聞いている」
受け取った書類に一瞥もしてくれず出て来た父の言葉に、スカートの裾を踏まれている気分になった。
「私には分かりません。それで、未取引だった北ヱ国との……」
「マリサ」
「取引を開始する利点は多いと思うのです。北ヱ国に関してお父様お兄様のご指導と、先方有力者への紹介状を賜りたく存じます」
「マリサ、扉を叩きながらお前の名を呼んでいるぞ、……なぜ鍵を掛けたのだ?」
鍵を掛けないと入ってくるからに決まっているではないか。廊下の召し遣いは誰一人怪獣を止める力が無いのだ。従業員の体力増進に何か対策を講じなければならないかもしれない。毎朝の体操など。
取りあえず一番目の用事は喋れた。本当は返事を頂いてやり取りをしたかったのだが、何だか出来そうにない。なので次へ行こう。
「来年度の私の挙式の……」
「だから待て、マリサ」
「列席者の追加があるのです。お義姉様の縁者の方ですので、お兄様に席順の確認を……」
「マリサ、泣いている幼子より自分の挙式が大事なのか?」
長兄の声に、今度こそマリサはキョトンとする。え、これが今話している事に対する返事? え……?
絶句…… また大切な時間の何パーセントかを無言で無駄にしてしまった。仕方なく、予定では無かった文章を差し挟む。
「十二才は幼子ではないと存じます」
ああ時間が勿体ない。
「庶民だから知能の発育が違うのだ、あんなに泣いているじゃないか」
やはりただ時間を無駄にしただけだった。そしてこの長兄も、マリサが一所懸命仕上げて来た書類を手に取ってもくれない。
今度は父が口を開く。
「開けてやりなさい」
ええっ? えええっ??
訳が分からない。
執事はサッと動いて、マリサの後ろへ回って、せっかく閉めて入って来た内鍵をカチャリと開けてしまった。
子供が突入して来る。当然の事だ。
「ギエ――ッ」
さっきよりずっと水分が多そうな汚い顔が扉の隙間を押し開けて、前のめりに駆け込んで来る。
執事は今更ギクリとしている。自分でやった事でしょう?
怪獣は汚い顔をまた擦り付けようと、マリサに突進して来る。扉が開く前に逃げたマリサは、兄の後ろへ隠れた。怪獣は兄は避けて執拗にマリサを狙って来る。
「助けて、助けて、兄様!」
しかし兄は助けてくれない。ただ身を避けて怪獣からマリサへの道を開いてやっている。マリサは更に逃げ回らねばならなかった。
「嫌! 助けて! お父様、助けて!」
兄も父も目を見開いてはいる。この子供がここまでドブに落ちた野良犬並みな事を、知らなかったのだろうか。それにしたって止めて欲しい。触るのが嫌なら執事に命令して欲しい。せめて叱りの言葉を飛ばして欲しい。
兄の周りで追い掛け回す怪獣から逃げながら、何もしてくれない
まさかこれ、私にしか見えないオバケなの?
いや目は追っている、見えてはいるのだ。マリサとの違いは、言葉が分かっているかいないかだけだろう。
怪獣を部屋に入れるのは父が命じた事だ。娘が迷惑を
「マリサ、子供みたいにふざけるのはやめなさい」
――え??
――……えええ……?
言葉だけでなく視界も捻じ曲げているのか、娘の恐怖が伝わらないのか、どちらにしてもマリサの危機は変わらない。そして自分で何とかするしかないと悟った。
自分で自分を守らないと、さっきの何倍もの汚物を擦り付けられてしまう。
父か兄かを怪獣に押し付ける事も過ったが、二人はこの後も予定が詰まっているのだ。衣装を汚させる訳に行かない。かと言って自分が引き受けるような理不尽、当然 嫌だ。
……という思考を一瞬でして、マリサは机にあった書架板(書類や本を広げて斜めに固定しておく分厚い板)を両手で掴んだ。
ベキャッ!!
真正面から、怪獣の顔面に思いきり押し付けた。カウンターになったので結構な衝撃だったと思う。
「ブギャアア!!」
怪獣は悲鳴を上げて仰け反った。父兄も執事もやっと大きな反応をした。でもやはり手は出さない。
それで逃げてくれたらいいのに、怪獣はまだ諦めずに、躾の悪い犬のように粘着して来る。マリサは躊躇なく書架板を振り抜いた。パァンと空気を切り裂く音。
「ギャッ」
怪獣の伸ばした手が叩き落とされる。
バン!
「ギャギャッ」
横っ面がはたかれる。
バキ!
「ギギャッギャッ」
反対からまたはたかれて、やっと怪獣は止まった。
「出ておいき、シッシッ」
更に書架板を振り上げて追い立てるも、怪獣はまだ動かないで何かブツブツ呟いている。
「早く。出て行きなさい、ゲッタウェイ!」
父も兄も黙っている。
怪獣はキィキィ喉を鳴らしながら、ようやく後ずさりしてノロノロと扉の向こうへ消えてくれた。
マリサは扉に鍵を掛け、鼻水やヨダレでドロドロの書架板を、見ないようにしながら執事に突き出した。
「清掃をしなさい、消毒も」
貴方の責任なのだから、という強い口調が含まれている。
執事は、汚い面が自分に押し付けられるのを防ぐ為には受けとるしかなかった。
そしてマリサは父兄に向き直った。
「先程の貿易に関するお返事と、挙式の……」
「マリサ、お前は頭がおかしいのか?」
父がやっと声を出したが、やはりマリサとの会話ではなかった。
「おかしくはありません。私はただ、二日前にお時間を頂く約束をしたお父様とお兄様に、予定通りの内容を相談しているだけです。私には大切な時間だったのですが、お父様たちにはそうではなかったようです」
自分でも驚くほど粛々とした声が出た。
「そんな事は言っていない。直前に小さい子と喧嘩をして騒動を持ち込んだのはお前だろう」
「喧嘩……?」
マリサはまた言葉を迷わせた。
あの怪獣は、いちいち否定しなければならないような紛らわしい内容を喋っていたようだ。聞き取れないというのはそんなに不利な事だったのか。
しかし『あの子供の言葉が分からない』という事実は、説明に時間を要してしまう。この二人は次兄レイモンドのように頭が柔軟ではない。
「あの子供は廊下で何の前置きも無しにいきなり飛び掛かって来たのです。逃げているのにしつこく追い掛けて来て、恐怖でしかありません。使用人もお父様たちも誰も助けてくれなかったのは何故ですか」
「何故って……」
エド兄が心底分からないという風に首を捻った。
「微笑ましく戯れているようにしか見えなかったが」
今度はマリサが信じられない目を見開いた。
あの子供は、そんなに事実をねじ曲げてしまうような言葉を吐いていたのか。言葉だけでそんな事が出来るのか。
怖い、というか気持ちが悪い。言葉を聞き取れないという事がこんなに恐ろしい事だとは思わなかった。
「まあ仲良くやればよいではないか。叔父はクズだが幼子に罪は無い。お前が一番歳が近いのだから」
「・・・・」
今、何と言った? ナ カ ヨ ク?
エド
いや、気が遠くなっている場合ではない。後継である長兄から出た言葉は、邸全体の方向性になってしまう。今すぐにハッキリ拒否しなくては!
「私は」
「お時間でございます」
こんな時だけ仕事をする執事が懐中時計を開いて告げた。
「旦那様もエドアルド様も次のご予定がございます」
もう前置きなどしている暇は無い。マリサは最速で叫んだ。
「私、マリサ・カンタベリィは、あの母娘とは一切接触しません。近寄れば今日のように物理的な拒否をする事を宣言します。あんな事態を招くのが不本意ならば、使用人に命じて遠ざけて下さいませ」
「マリサ、お前は神経質が過ぎる」
どうあっても娘の言葉を受け取ろうとしない父。・・あれ? こんな方だったっけ?
「お嬢様、時間です、ご退出を」
執事に促され、開く扉の側で、マリサは更に早口で頑張って喋った。
「これにて失礼致します。今日出来なかったお話を改めてしたい場合、私はまた約束を取り付けて何日も待ちますか? 扉の前で泣きわめいた方が宜しいですか?」
「退出しなさい」
父は最後まで会話をしてくれなかった。