きよらかな王子さま   作:西風 そら

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きよらかではない公爵令嬢・Ⅵ

 

 

 

 ルカが物干し場へ戻ると、メムとステラさんが、洗い直したシーツを絞り機にかけている最中だった。

(二つのローラーで挟んでハンドルを回すタイプで、殿下考案ロッチ作)

 

「ルカ、ご苦労様」

「事務所では何て? 警備員はいつ来てくれるの?」

 

「うん、ステラさん、穴堀り用のスコップって何処かな?」

「へ? 警備員は?」

 

「その子、殺して埋めちゃってって」

「は?」

 

 目を丸くする二人の横を通り過ぎて、ルカは、柱に縛り付けられた女の子に近付いてしゃがみ、囁くような、でもハッキリとした声で言った。

 

「ここは自治が認められている学園敷地内。要するに外の常識も法律も通用しない。エドアルド様は君を殺して埋めて来いってさ」

 目を見開く女の子の耳元に、更に口を近付ける。

「その為にここへ連れて来たって。まぁ貴族に取って君も僕も同じ、どうでもいい犬っころって事。分かる?」

 

 女の子は猿ぐつわの下でウーウー唸った。あたしは違うとでも言っているのだろう。

 

「違わない違わない、お――んなじ。ねぇ、中途半端な血縁ってアドバンテージなんかじゃない、むしろ逃れられない呪い。お綺麗でいたい貴族家にとって、切り落としたいオデキみたいなモノ。

 ごめんね、君には何の恨みも無いけれど、カンタベリィ家の意向らしい」

 

 ルカの声は抑揚の無い平坦で、事務室から借りて来た模擬刀をスッと目の前に突き出した。鞘の中身は訓練用のなまくらだが、素人の彼女には分からない。

 女の子は猿ぐつわの上の血走った目を見開いて、嘘よ! と出ない声で喚いている。

 

「嘘じゃないよ。行方不明を偽装する為に学園に連れて来たんだ。エドアルド様にはアリバイが有り、君の希望で来て勝手に居なくなったんだから、母親にも言い訳が立つよね」

 ルカはヒトカケラの温度も無い氷のような声になる。

「あのね…… 君ら、貴族なんかに幻想抱いちゃいけなかったの…… お屋敷はきらびやかだけれど、中は魔境。働いてる人たちだって傀儡(くぐつ)。

 お父さんを思い出してごらん。耳障りの良い言葉だけ撒き散らしていざとなったら君らを盾にして逃げちゃった。それ、別に珍しくない、貴族の普通。

 その男を育てたカンタベリィ家……あ――あ、何で存在を知らせちゃったのかなぁ、隠れていれば生きられたのに」

 

 ピンクの女の子は肩と足を懸命に跳ねさせた。

 しかしステラさんの強力(ごうりき)で縛られた縄はビクともしない。

 

「ごめんねぇ……」

 ルカの一切情を交えない声が、鞘を抜く音と重なる。

 女の子の恐怖を帯びた目が見開く。

 

「あ、あのっ!」

 

 メムが声を出した。

 

「あなっ、……穴掘って、落としてから、始末した方がっ、……後片付けとか、楽かな……って!」

 

 一瞬期待に満ちた女の子の表情が、絶望で青黒くなった。

 

 それを受けたステラさんが、

「そうだね、その方が助かる。あ、あっちの林の奥に昔のゴミ穴があるよ。ちょっと見に行くかい?」

 と、わざとらしくルカの肩を押して奥の林へ向けた。ルカも刀を鞘に戻して無言で一緒に歩いて行く。

 

 二人が見えなくなってから、メムは素早く女の子に駆け寄って、結び目に手を掛けた。

「お逃げ、今しかない」

 

 女の子は涙目で見上げる。

 

「お願いだから声を出さないでね。ここで声を上げても、表の人には本当に全然聞こえないから。ルカたちに気付かれたら私まで巻き添えになる。そしたら今度こそ逃げられなくなるよ」

 

 女の子は何回も頷き、猿ぐつわを解かれても静かにしていた。

 ただ、硬い結び目と格闘しているメムに向かって、クゥクゥクゥと小声で話し掛けている。

 

「ごめんね、あたしには貴女の言っている言葉が分からない。でもさっきと違う感じね、お礼? どういたしまして。

 さぁ解けた。立って。早く。ルカはやるって言ったら躊躇なくやるよ」

 

 女の子はクゥ……と呟いて、よろけながら立ち上がった。

 

「そっちの柵沿いに行けば従業員の通用口がある。入るのは厳しいけど出る分には緩いから……あっ、これ」

 メムは干してあった自分の作業着を、女の子の頭からスッポリ被せた。目立つピンク色を覆い隠せる。

「あと、髪も隠した方がいいよ。さあ行って」

 

 女の子は、その辺の汚れ布巾を頭に巻き付けヨロヨロと走り出した。

 柵の所で振り向いてメムに向かって一度だけお辞儀をし、灌木の向こうへサッと消えた。

 

 

 駆け去る足音が消えて……

「メムってば天使!」と婚約者に抱き付くルカと、

「あたしの咄嗟のアドリブ力も評価して欲しいもんだね」と腕組みするステラさんがいた。

 

 二人は勿論、しげみに隠れて見ていたし、メムはメムで、ルカの思惑を正確に読み取っていた。

「別に難しい事じゃ無かったよ。いつものあたしのままに行動すれば良かったんでしょ?」

 もう一度甘えるように抱き着いて来る少年の肩に腕を伸ばし、メムは、背中の傷痕に触らないようにそっと抱き返した。

 昔の虐待痕を知っているのはメムの他にも何人かいるが、塞がっている筈のその傷が、ふとした拍子にジクジクと再燃する事を、同じような傷を持つ彼女だけが知っている。

 

 

 ***

 

 

 もう二人、建物の陰から見ていた者たちが居た。

 

「ルカの演技力は相変わらず凄まじいわね。最初は聞く耳も持たない者でも、どんどん引き込まれて終いには信じさせられている。その内、王立劇団からスカウトが来るんじゃないかしら」

 

 そっと立ち去りながら、賛辞の言葉を溢すのはマリサ。

 カンタベリィの長女。

 

「よ、よく平然としているな。私は今、色んな感情がわやくちゃだぞ」

 

 隣で複雑な表情のレイモンド。

 カンタベリィの次男。

 

『貴族なんかに幻想抱いちゃいけなかったんだよ、お屋敷はきらびやかだけれど、中は魔境、従業員は傀儡、お父さんは簡単に君たちを捨てるしそれが普通・・・・』

 

 ルカの台詞のひとつひとつは、カンタベリィの二人にグサグサと刺さった。

 

「私はサロンで鍛えられているから、ルカの毒舌には免疫が出来ているのかもしれません」

「客観的に見るとああいう事なのか、カンタベリィの騒動は……」

「真摯に受け止められるレイ兄様は、潔くご立派だと思います」

 

 

 この日の昼休み、マリサは、院(学園と同じ敷地に建っている高等教育機関)に立ち寄った際、兄のレイモンドと行き合っていた。

 マリサの用事先の民法学者の研究室が、レイ兄の婚約者の勤め先なのだ。

 

 家のゴタゴタに巻き込まれたくないレイ兄は、最近特に入り浸っていたらしい。

 婚約者は侯爵家の嫡女で、レイモンドを婿に迎える予定なので、打ち合わせておく事が幾らでもあったのも幸いだった。

 

 優秀な学者の卵である彼女は、マリサともとても仲が良い。

 折角だからと三人でお茶をしていた所に、回って来た警備の者から、エドアルドの連れて来た子供が迷子になった話を聞いたのだ。

 

「案の定ね」

「うわ、家に居なくて良かった」

「あらあら、まあまあ」

 

 それでも二人は、ソファにふんぞり返るだけのエドアルドと違って、自分たちの足で学内を巡った。

 そして目撃情報を辿って、裏の物干場に行き着いたのだった。

 

「思いっきり立ち入り不可の柵があったのだが?」

「あの娘、閉められている扉があったら突破するのがアイデンティティみたいだから」

「う、うむ……」

 

 そして、建物の陰から見聞きしたのが、縛られたピンク娘と、ルカ他二名の大芝居。

 

 

 レイモンドが、虚ろな目で隣のマリサに話し掛ける。

「あの男の子だろ? マリサがカンタベリィに取り込みたいって、熱心に推していた学生」

 

「そうです」

 狭い従業員通路を前後に並んで歩きながら、マリサは答える。

 

「あんなのを家に入れるつもりだったのか」

「あんなの……」

「いやすまない。しかし言動が危なかし過ぎるぞ、彼は」

「あの子は相手を見て言葉を選べますよ。以前、院の廊下で会った時は、礼儀を弁えた普通の学生だったでしょう?」

「ああ。しかしそれにしても……」

 

「カンタベリィに必要だと思いませんか?」

 

 レイモンドは歩きながら振り返り、妹のアンバーの瞳をマジマジと見つめた。家族の中でこの子だけが母親と同じ髪と瞳をしていたが、彼にとって、兄弟を平等に扱ってくれた母の色は特別だったし、それを引き継いだ妹を羨ましく思っていた。

 

「お前も私も出て行く身なのに、ここでそんな話をしているのも可笑(おか)しな物だ」

「そういえばそうですね」

「出て行くのに、引き取っておいて取り残しては、あの子が可哀想だろう。苗と違って、鉢に入れて簡単に連れて行ける物でもないのに」

「……あ……」

「お前、本当に考え方がカンタベリィ中心だな」

「イサドラにも指摘されました。改めねばと、反省しております」

「まったく、カンタベリィを好き過ぎるんだ、我が妹は」

「そう……なのでしょうか」

 

 マリサは自分の利己的な部分を自覚して、しゅんとなった。

(ルカに線を引かれるのは当然だわ……)

 

「でも確かに彼の台詞、頷ける部分が多くあるんだよな……」

「兄様……?」

「『貴族家なんか魔境』か……」

 

 レイモンドはまた少し遠い目をした。

 

 

   ***

 

 

 

 

「何で僕に報告してくれなかったんだ!!」

 

 久方振りに顔を見せたダミアンが吠えている。

 冬前の、光喉(ひかりのど)けきサロンの放課後。

 本日は月例議会で、メンバー九名勢揃い。

 

「だってダミアン先輩、今抱えている論文でいっぱいいっぱいじゃないですか」

 翻訳作業を邪魔されてぶっきらぼうなルカ。

 

「口から出た言葉が特定の人間にだけ獣の鳴き声に聞こえるなんて、まごう事なき超常現象じゃないか。僕がそういう研究に生涯を捧げている事は知っているだろう!?」

 

「あんな物を研究して発表されても困ります」

 窓辺で眉をひそめるマリサ。

「そうよねぇ」

 同調するイサドラ。

 

「でも、ルカのフィアンセにも同じ現象が起きたなんてびっくりだわ」

 

 ルカは複雑な表情で、書類から顔を上げてそちらへ会釈する。

 彼にも、メムとマリサの共通点なんて皆目分からない。

 

「もう謎は謎のままよ。私が帰宅した時には、離れはもぬけの空だったもの」

 

 あの日ピンクの女の子は、学校から飛び出した後、最初に目に付いた店でドレスを売って現金を作り、辻馬車をつかまえて邸に戻って、母親を連れ出し速攻逃走したらしい。

 

「だからもっと沢山のサンプルを取って、研究し尽くしたかった!!」

 悔しさのあまりテーブルをガシガシかじり始めるダミアン。

 椅子を引いて距離を取るルカ。

 

 議長席のアーサーの隣で引き継ぎ作業中のジークが、チラリと口を挟む。

「公爵邸の警護は何やってたんだよ」

「お恥ずかしい限りです」

「離れの貴重品なんかは無事だったのか?」

 

「本当に慌てて逃げたみたいで、日用品が少し失くなっていた程度だって。大切な物は、レイ兄(あに)が命じて下げさせていたから」

「ふむ、危機管理出来る家人が居たのはラッキーだったな。決定権のある者がゴーを出してくれないと、召し使いだけではどうしようもないケースもあるからな」

 

 持ち出された備品は、リングトレーとキャンディポット、カーテンのタッセルにティースプーン等、手の届く範囲の光り物だけ……本当に慌てていたようだ。

 

「そんなに手のひらを返したように急に逃げるなら、最初から来なければ良かったのにな」

 ジークや皆が呑気にそう言うのは、ルカが裏庭でピンク娘を恐怖のドン底に突き落とした台詞を知らないからだ。

 ルカは『ちょっと説得した』程度にしか言わなかったし、マリサは、あの場に隠れて聞いていたこと自体、無かった事にしたいと思っている。

 

「サンプルが欲しい、サンプル……」と呻くダミアンに、イサドラは思い付いたようにフッと囁いた。

 

「意外と、もっと居たかもしれないわよ、マリサと同じように獣の声に聞こえていた者」

「そうなのかしら?」

「だから皆、よく分かっていない顔で頓珍漢な動きをしていたのじゃない?」

「ああ……」

「皆が聞き取れているみたいなのに、自分だけが理解出来ないなんて、マリサんちみたいに周囲の同僚みんな完璧って雰囲気だと、なかなか言い出せないのかもね」

「……うん……」

 

 マリサは神妙に頷いた。自分は確かに出て行く者だが、出て行く前にやっておかねばならない事はある、と思った。

(さしあたって皆の体力増進?)

 だってマリサはやっぱりカンタベリィが好きなのだ。

 あそこで育った事に感謝している。

 

「今度サンプルを取りに行かせて下さい!」

 とダミアンが叫び、いい加減ジークに羽交い締めにされた。

 

 

 離れた所で一年生三人組が本日の議題を整頓しながら聞き耳を立てている。

 

「逃げると決めた後の行動に無駄がないのは凄ぇ」

 頭の後ろで指を組むロッチ。

 

「わたしに会いたいと言っていたのだろう? 会ってあげても良かったのに」

 真面目なお顔の殿下。

 

「ええっ、ダメですよ、そんな奴の考える事なんて、どうせ色仕掛けとかロクでもないですよ」

「ロッチ、決め付けは良くない。例(たと)え色仕掛けだったとしても、会って某(なにがし)かが変われば逃亡せずとも済んだかもしれぬのだ」

「殿下はお優しいなあ」

 

「頭の回る人でも、少しの選択違えで幸せは逃げてしまう物なのですね」

 リリィがしんみり言って、室内の者一様に頷いた。

 

 そう、公爵家も殿下も学校も、穏やかに差し伸べようとする手はあったのだ。

 その手を引っ張り返して砂を掛けるような真似をするから、離されてしまう。

 素直にそっと、一時(いっとき)掴まらせて貰うだけで良かったのに。

 

 サロンの一同は、そんな風に締めてその件を終わらせた。

 

 

 ちなみにあの日、学園事務室で缶詰めにされていたエドアルドは、レイモンドが交替に来てやっと解放された。

 帰宅後、母娘逃亡を聞かされたが、「そうか」程度の反応で、遅れた仕事の巻き返しに専念していた。

 

 公爵は、「元々慰謝料を払ってやらねばならなかったのだから」と、母娘の盗難に目を瞑り、やはり何事も無かった風に、日々の生業に戻った。

 

 だけれどその陰で公爵が、行方不明とされている末弟としっかり連絡を取り話を煮詰めていた事を、リーダー席に座るアーサーは、自身の情報網から知っていた。

 あの娘は出産可能年齢を過ぎるまでカンタベリィに監視される。本人がどんなに頑張っても、結婚出産は制限される。まさしく『隠れていれば良かったのに……』という末路。仕方がない。

 

(カンタベリィを出る二人の子供には知らせないのだろうが……)

 

 イサドラは知っていそうだよなぁとアーサーが視線をやると、丁度目が合って、銀の瞳を細めて小さく微笑まれた。

(怖いなぁ、フロレイン……)

 まぁ、自分には出来ないマリサのガス抜きをやってくれているのだから、彼女には感謝しかない。

 

 アーサーが静かに立ち上がって開会を宣言し、サロンの定例議会が始まる。

 

 

   

 

 

 

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