【 ルカと殿下 】
学園放課後、院の廊下。
「おや、珍しい所で会うね、ルカ」
「ごきげんよう、殿下」
「どこへ用事だった?」
「主治医のボワイエ先生と会っていました」
「ああ、あの黒髪の女医殿か。最近の調子はどうだ」
「とても良いです」
「それは良かった。ところでこの階にはボワイエ家関係の研究室もあったのか?」
「いえ、そこの民法学の部屋へ本日別件で訪問されていて、ついでに検診をしておこうと呼ばれました」
「なるほど」
「殿下」
「なんだい? ルカ」
「ありがとうございます」
「ん?」
「法案を制作されていると聞きました。議会に提出する事を目指されていると」
「え、ああ、『庶子に関する法律改訂案』の事か」
「はい」
「あ、あれは、ルカの為というだけではないぞ。考える切っ掛けにはなったが」
「はい、それはもう」
「まだ制作していると言えるほど立派な物ではない。アーサーに指導を仰いでいる段階で……」
「はい」
「ダメ出しばかり貰っている。権利だけ盛って負担の出処を抜かしているから穴だらけだとか」
「アーサー様、容赦ないですものね」
「ビシビシ言ってくれるのは助かるが……法は苦手だ、橋の設計の方がどれだけ楽か」
「物理の法則と同じにお考えになれば?」
「む?」
「力が釣り合わないと崩壊するでしょう?」
「なるほど、そうか、……ふむぅ……」
「殿下」
「ん」
「ありがとうございます」
「…………」
「では僕はこれにて」
「あ、ルカ」
「はい」
「そ、その他にも提出したい政策案は山盛りあるのだ。なのにわたしはまだまだ未熟で、だから……」
「はい」
「アドバイスを貰えないだろうか。アーサーに提出する前に一読して」
「…………」
「忙しいのは承知しているが」
「僕も法政学は不得手なので、同じ学生として共に学んで行く
「ああ、勿論、ルカ、それで良い」
木漏れ日の入る明るい廊下を、二人は少しの儀礼会話の後、礼を取って左右に別れた。
【 ルカとレイモンド 】
「あ、君は」
「ご機嫌麗しゅう、レイモンド・カンタベリィ卿」
「ご、ごきげんよう、ルカ・ハサウ…… ?? えっと、ルカ、くん」
「近代民法研究室ですか? 今、王太子殿下が訪問なさっていますよ」
「そうか、なら、少し時間を置いた方が良いな」
「…………」
「…………」
「あの、やっぱり貴族の方からしたら、家名が無いと呼びにくいですか?」
「えっ、そんな事は……いや、そうだな、割とある。まぁ君のせいでは無いがな」
「バリバリ僕のせいですよ。ハサウェイ家の商会の密輸の証拠を正妻のクローゼットから盗み出して匿名で公安支所へ放り込んだの、僕だし」
「……!!」
「遅かれ早かれ暴かれた犯罪かもしれませんが、タイミングを選べればあそこまで延焼しなかった可能性もありますし」
「…………」
「マリサ様、まだ僕を取り込みたがっています?」
「……最近は考え直しているようだ」
「なら良かったです。もし再燃しそうになったら、今の話を持ち出して阻止して下さい。カンタベリィ閣下に言っちゃって構いませんから」
「…………」
「…………」
「何で今その話を私にする?」
「レイモンド様が、カンタベリィの中で一番許容範囲が広いと思ったからです」
「マリサよりもか?」
「はい」
「それは光栄だな」
「失礼をお許し頂けるなら」
「許そう」
「甘くていらっしゃると」
「……!!」
「あのピンクの女の子、去り際に、僕の婚約者に、とっても気になる台詞を言ったんです」
「…………」
「僕の婚約者、マリサ様と同じに防御力が高くて、言葉が聞き取れなかったみたいだけれど」
「…………」
「茂みの中に潜んでいた僕には聞こえちゃったんですよ」
それは、建物の陰から見ていたレイモンドにも聞こえていた。
『あたしは王子様にお願いしに来たの!』
「あの母娘が公爵家に突撃したのって、ほぼほぼレイモンド様のせいじゃないですか?」
レイモンドは苦虫を噛み潰した顔で、少年の
【 庭師とレイモンド 】
カンタベリィ邸、本庭、バラ園の垣根の中。
「レイモンド様」
茂みに隠れて外からの視界の遮られるいつもの場所。
庭師のジョナサンが、この家の次男レイモンドに、いつもの封書を手渡す。
「これきりにして頂けないでしょうか。ワシは母のように肝が座っておりませんので」
「そうだな……」
レイモンドは元気のない様子で、受け取った封書を開いて中身を読み、折り畳んで溜め息を付いた。
「次の手紙に、もう文通は終いにしようと書いて最後にするよ。もともとターシャが亡くなった時点で止めるべきだったんだ」
「母の所業を黙認下さったレイモンド様には感謝しております」
老庭師は、母ターシャの丹精した庭を、いとおしげに見渡した。
年がら年中反抗期で家中の鼻つまみ者だった公爵家の末息子は、でも庭で働くターシャにだけは、心を開いていた。
幼い頃から庭に出ては彼女を探し、乳母より懐いて追い掛け回して、家族や友人に言えない悩みも打ち明けていた。
『優秀な兄と比較される毎日』『
……レイモンドは幼少期、まだ十代だった叔父とよく庭で遊んで貰ったが、周囲の噂と裏腹に、寂しく儚げな人だったと記憶している。
大きくなってからターシャに彼の苦しみを聞かされると、おおいに納得した。共感出来る事だらけだったから。
叔父が勘当されてからもターシャは彼と連絡を取っていた。「坊っちゃんは気管支が弱いから」と、薬草を育て調合してはマメに送っていたという。
返信は偽名でターシャ宛に来たので、邸の者は気付かなかった。
仕える家への背信とも言えるが、彼女には彼女の強い信念があったのだと思う。
『学生時代、フーテンの振りをしていても寄って来てくれる女の子はいて、ちょっと有頂天になっていた。でも“僕は将来公爵家から出されるよ”って言うと、みんな綺麗に離れて行く。それだけならいいけれど、僕に騙されたって言いふらすんだ、みんな』
『男爵令嬢のあの娘だけはそのままの僕が好きだと言ってくれた。でもただの世間知らずなだけだった。
普通に部屋を借りて普通に働いての庶民の生活が、あの娘は耐えられないって。そんで毎日のように“公爵に謝りに行け”って泣いて迫るようになった。
だから解放してあげたのに、実家に帰ったら僕がいかに横暴だったかとか無いこと無いこと言い散らかして』
女性たちは叔父を悪者にする事によって、自分を気の毒な被害者に仕立て上げていた。
レイモンドは、ターシャにあんな話やそんな話を知らされて、すっかり女性不信になった。一時期は言い寄って来る女性の声が皆ノイズに聞こえてどうにかなってしまいそうだったが、今の婚約者に出会って救われた。婚約者は友人に心療内科医がいたので、レイモンドの心傷を理解して寄り添ってくれたのだ。
ターシャにしたら、叔父に一人くらい理解してくれる家族を作ってあげたかったのかもしれないが、女性恐怖症の暗い思春期を送る羽目になった自分をどうしてくれると、ちょっと恨んだ。
そんな時期、ターシャの手紙に自分の手紙も同封して貰うようになった。
お互い署名無しのやり取りだったが、学生時代の煩悩や将来の不安を乗りきれたのは、叔父という相談相手がいたからだと思う。
二年前ターシャが亡くなってからも、ジョナサンが手紙の仲介を引き受けてくれていた。
『今度は生まれを一切言わないで、普通に出会った女性と普通に恋愛して家庭を持って、子供も生まれて可愛くて、やっと幸せを掴めたと思ったのに、
“私はともかくこの娘は公爵家のお姫様になれるのよ”って、そんな訳ないじゃないか。彼女も結局他の女性と同じだったのかよ、……十三年も一緒だったのに……』
なんて悩みの手紙が来ていたと思ったら、まさかの妻子突撃。
そして本日受け取った手紙が……
『勤務先の商会の長期出張から帰って来たら、妻と娘が置き手紙ひとつで家出しちゃってんだけど。
そっち大丈夫? 押し掛けて迷惑かけてない?』
(叔父上…… 結局彼女も、貴方を悪者にして自分が被害者に成り代わる、その辺の女性と同じだったようですよ。どんだけ女性を見る目が無いんですか)
そんな風に呆れるレイモンドだが、原因を作ったのは自分だったのだ。
前回の文通で書いてしまった、婚約者の勤める研究室で小耳に挟んだ話。
世間話のつもりでついうっかり……
『王太子殿下は大した子供で、もう『庶子に対する権利の改善』なんて難しそうな法案を作ろうとなさっているよ』と。
母娘は、出張中の夫に来たその手紙を勝手に開けて、勘違いしてしまった。
王子様に頼めば、キャシーのような娘でも身分を得られる法律を作って貰える……と。
娘が逃げる直前にメムに放った台詞。
『お父さんが無責任に逃げちゃったって言ったけど、それだけは違うの。借金だの何だのは母さんの作り話。お父さんはちゃんとした優しい人だよ。
あたしはお父さんの知り合い? から来た手紙を見て、王子様に、“あたしみたいな子供も『ショシにかんするホウアン』に入れて”ってお願いに来たの』
・・・・
――再び院の廊下――
(それだけで、署名無しの手紙の主が私だと、一瞬で繋ぎ合わせて推理したのか、このルカという少年は!?)
「手紙にはマリサ様の、公爵令嬢らしからぬ恋愛奮闘記や、中庭の小芝居(*)の件まで書いてあったそうですね。結果、マリサ様だけが舐められて踏み台扱いされる羽目になった。
お陰でマリサ様がどれだけ悩まされて、僕がどれだけイサドラ様に絡まれたと思ってんです。
幸いマリサ様の防御力が高くてあの
僕は知りませんからね、ご自身で受け止めて下さいよ」
「……」
「そもそも脇が甘いです口が緩いです、公爵家嫡出子のくせに」
木漏れ日の廊下で錫色の瞳の少年に
【 窓辺の二人 】
「勘当した時に断種しちゃえばよかったのに」
「イサドラったら過激」
「ほんっと優しいわよね、カンタベリィの伯父様は」
「私は、お陰でちょっとした不思議体験が出来たし、アーサーは面白がってくれたし、色んな物の見方も変わったし、プラスではあったわ」
「マリサってば前向き!」
「ふふ」
「最近、ルカの方を見ていないわね」
「え、そうかしら」
「もっとアーサーばっかり見つめてあげなさいよ」
「もお!」
【 兄と弟 】
「すまなかった、兄貴」
「…………」
「申し訳ございませんでした、カンタベリィ公爵閣下」
「最初のでいい」
「すまなかった、兄貴」
「言い直さなくていい」
「あいつら、ちゃんと納得させるから」
「放り出さぬのか」
「まさか、責任持つよ、大事な大事な妻と娘だぞ」
「そうか、お前も少しは昔よりまともになったな」
「俺は昔からまともだよ。相手が勝手に離れて行くだけだ」
「…………」
「それより俺の娘どう? 可愛いだろ、羨ましいだろ」
「特に羨ましくはない」
「マリサちゃんの方が可愛いって?」
「お前は幾つだ、その喋り方を何とかしろ」
「こんな物だよ、庶民って」
「そうだな、マリサとお前の娘の間にも大きな隔たりがあったようだ」
「相容れる訳ないじゃん、闘う相手が違うのに」
「庶民も闘うのか」
「そりゃもう、何処へ行ったって生きるための闘いってあるよ、兄貴」
「知った風に」
「ふふ」
「なんだ」
「会話出来てるなぁ、って」
「……」
「子供の頃は兄貴との会話なんて、一生成立しないと思ってた」
「お前は相手の言葉を聞かなかったからな」
「聞きたくても〇〇〇〇に邪魔されてたのかも」
「ん? 何と言った?」
「いや、うん、んー―、まぁ俺、もう十二の子の親だし」
「ふん、吟遊詩人はどうした?」
「あ、趣味で作ってる詩はあるよ、聞く?」
「いらん」
夕暮れの公園で二人の大人は、立ち話のように少し喋り、左右に別れてそれぞれの日常へ戻って行った。
***
【 ロッチとリリィ 】
――カンタベリィ家の庭園にて――
「二人がうちのお庭に興味を持ってくれるなんて嬉しいわ。ゆっくり見て行ってね」
「ありがとうございます、マリサ様」
「ありがとうございまっす!」
「私は少し外すけれど、半刻ほどで戻って来るわ。そしたら一緒にお茶しましょうね」
・・・・
・・・・
「緊張するよぉ、公爵邸の本庭なんて……、あれ? リリィ、何処行った?」
・・・・
「おーい、リリィ―、リリィ……あ、居た」
・・・・
「何やってんの、こんな所にしゃがんで。……その花が気になるの?」
・・・・
「ねぇ! リリィってば!」
「……はっ!」
「リリィ?」
「ごめん、ロッチ、……なぁに?」
「……」
・・・・
・・・・
――帰りの馬車にて――
「リリィ、何で急に、マリサ様んちの庭を見たいなんて言いだしたの?」
「え、普通に、どんな植物があるのかなぁとか」
「ふぅん?」
「き、きれいだったよね、丁寧に手入れがされてて」
「うん、まぁね」
「…………」
「ねぇリリィ、もしかして、リリィには謎が解けてるんじゃないの?」
「謎?」
「言葉がケモノの声に聞こえる謎」
「……ロッチはそこが気になるの?」
「なるよ、リリィはならないの?」
「謎、なんてモノじゃない、考え方を切り替えたら、スッと納得できると思うんだけれど」
「だから何なの? 教えて、お願い」
「笑わない?」
「うん、祖父ちゃんに誓って」
「『聞こえにイタズラする小人さん』が実在するって仮定してみて?」
「・・ンへっ!?」
「それで、小人さんの気持ちになって考えてみるの」
「ぇぇ……?」
「小人さんはお庭の植物が大好きで、植物を大切にしてくれる子も大好き……ここまでオッケー?」
「うん、はい、了解」
「その大好きな子が傷付きそうな言葉、騙されそうな言葉、聞こえたら可哀そうだなって思う言葉ぜんぶ、別の動物の声に変えてあげる不思議の力があるの」
「フシギノチカラ……」
「笑う?」
「うぅん、笑わない、笑わない! で、でも、聞こえないと困っちゃう場合もあるよね?」
「そりゃ、小人さんの常識は人間の常識と違うもの」
「…………」
「勿論、誰にでも通用する魔法じゃなくて、小人さんと波長の合う人だけで」
「あ、じゃあ、メムは? 公爵家の庭なんか入った事ないだろ?」
「メムさんじゃなくて、そのピンクの女の子に小人さんが付いて行ったんじゃないかな?」
「ふむぅ、根っこを踏み潰すようなイジワルな子だから、企みを邪魔してやろうって?」
「う――ん、私の予想は違うくて……」
「うん」
「嘘をやめて貰いたくて、穢れた言葉をやめて貰いたくて、これ以上罪を重ねて欲しくなくて…… 言葉を通じなくしたんじゃないかな」
「だ、だって、コビトサンからしたら、植物を粗末にする悪い子だろ? 放っときゃいいじゃん」
「その子のお父さんのコトが大好きだったんじゃないかな、小人さん」
「…………」
「な――んてね、全部、私がそう思うだけの、妄想よ」
「いや……」
さっき庭に咲く花の表面を一心に目で追っていたフィアンセに、それ以上その話を続けるのが怖くなって、ロッチは話題をお茶会で出たタルトの事に切り変えた。
~ きよらかではない公爵令嬢・完了~