狂詩曲の共鳴   作:e.shock

1 / 3
プロローグ

世界が壊れたのは、一つの爆発ではなく、

何百回もの「間に合わなかった」という積み重ねだった。

 

小さな戦争が連鎖し、崩れた国家が燃料も残さないほど焼け尽き、都市の影は風より先に朽ちていった。

 

核の閃光は地を焼き、連鎖する原子炉の崩壊は、海と空気と土をゆっくり毒した。

生き物たちは、生き延びるために姿を変え、人間ですら、自分の肉体を信じられなくなった。

 

その世界でサイラは、ただ生きるために戦っていた。

理由なんてもう、戦うことの裏に貼り付いた“生活”みたいなものだ。

 

殺すための刃ではない。

生きるための刃。

そう呼ぶほうがしっくりくる。

 

日々、そのみたことのない生物を、旧時代の図鑑には記載されていない生物を狩る日々。

 

だがその日は違った。彼は変異体の群れに追われ、崩れかけた高層ビルの縁で戦っていた。

襲いかかる異形の生物。

放射線に歪んだ皮膚。

夜のような眼。

牙のように尖った関節。

動けば、死ぬ。止まれば、食われる。

 

――そんな単純な二択が、世界のすべてだった。

 

サイラは短剣を握り、荒廃した街の裂け目でその群れと向き合った。

彼の動きには迷いがない。

迷えば死ぬ世界で、迷いは贅沢だから。

 

だがその日だけは、運命がサイラをひそかに横から突いた。

 

背後から伸びた触手じみた異形の腕が、

サイラの脇腹を深く穿ったのだ。

 

熱い痛み。

鉄の匂い。

揺れる視界。

崩れる瓦礫の隙間。

 

サイラの身体はビルの内部、

過去文明の“埋葬層”へと落下した。

 

その深さは、歴史の墓のようだった。

光は届かず、空気は動かず、

壁には古代の機械が蜘蛛の巣のようにへばりついている。

 

サイラは血で濡れた指を伸ばし、

暗闇の底に体を横たえた。

 

息が白い。

死が近い。

ああ、ここが自分の終着点か――

そんな諦めが胸をかすめた、その時だった。

サイラが朦朧とした目を開くと、目の前に“影だけがある場所”があった。

 暗闇の奥から“一つの影”がにじり出た。

足音はない。

呼吸の気配もない。

ただ影だけが、サイラの目の前に落ちてくる

 

そこに、彼女はいた。

 

影が先に現れ、

身体があとから追いつくように、

黒い輪郭がゆっくりと人の形へと結晶していく。

 

その姿は、

“光より影のほうが本体だ”と訴えているようだった。

 

そして、静かで冷たい声が落ちてきた。

 

「……死ぬつもりなら、もう少し静かな場所が良かったのに。ふん、なんだって私の前にね。ほんと君が落ちてこなければ、ここはずっと“影だけの静かな部屋”だったのに」

 

それは、サイラが聞いた中で最も奇妙で、

どこか懐かしい声だった。

 

サイラは痛みに震えながら、問いかける。

 

「……誰だ……お前……ここは」

 

影の女は少しだけ微笑んだ。

 

「そうね、私はノット。あなたたちが失くした文明の“影”みたいなものよ」

 

サイラはそこで気を失った。

 

 

ノットは人間だ。

だが同時に“人間としての形を失った人間”。

 

過去文明で行われた〈脳とAIネットワークの完全接続実験〉その唯一の生存者。

 

激化した戦争で最も多くの人を殺したAIと呼ばれるゴルレア。その正体だ。

 

だが最後には自身ごと巻き込んで爆破を行なった。

肉体は焼け、精神は分解し、最後に残ったの“影としての存在感”だった。

自分で焼いた分だけ自分を焼き、その陰に己を潜めた。

 

今もここより深層の壁にいた証が影として刻まれている。

 

彼女は人の体を持っている。だが、生きているのは影だ。

 

――触れれば冷たい。

――影を踏まれれば痛む。

――記憶は途切れ、AIの残響がノイズのように囁く。

 

こんな自分が、生きていると言えるのか。

彼女にはずっと分からなかった。

 

だがサイラの傷ついた体を見たとき、胸の奥で“かすかな電流”のようなものが走った。

 

「……変ね。あなたを救う理由なんて、どこにもないのに」

 

サイラが眠る横で、ノットの影が揺れた。

 

 

 

サイラが再び目を覚ましたとき、腹の傷には布が巻かれ、冷たい指が彼の体温を測っていた。

 

影の指だ。

だが確かに触れている。

 

「お前……お前が俺を……助けたのか?」

 

ノットは首を傾げ、淡い声で答える。

 

「あなたが死ぬと、この場所の“影”が騒ぐから。

 静かにしておきたかっただけ」

 

だがその手付きは、明らかに優しさを持っていた。

彼女自身は気づいていなかったけれど。

ふと見るとノットの影が彼の影の横に座っていた。

 

影が、影に触れている。それも平坦ではなく、しっかりとした奥行きを持って。

普通ではありえない光景だった。

 

「……何してんだ、お前……」

 

サイラの声にノットは少しだけ驚き、だが淡々と告げた。

 

「あなたの影、弱っているの。影は命の輪郭よ。私の影で、少しだけ補ってあげてる」

 

サイラはその言葉の意味が分からなかった。

だが、“温かさ”だけは分かった。

 

影の温度。

人間の体温とは違う、

静かなもの。

 

サイラが息を吐くと、ノットは言った。

 

「……ねぇサイラ。君は生きたい?」

 

それは問いではなく、この荒廃した世界では禁断の“許し”に近かった。

 

なぜこの影が自分の名前を知っているか?そんな問いも出ないほど、サイラは自分でも驚くほど素直に答えた。

 

「……あぁ、生きたい。」

 

ノットの影がサイラの影と絡み合う。

 

その瞬間、

 

    二人の影はひとつに溶けた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。