転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~ 作:パラレル・ゲーマー
月曜日の定例報告会。
その週の始まりを告げる憂鬱な儀式は、八咫烏(ヤタガラス)本部・鈴木班が拠点とする小さな作戦準備室で、いつも通り気怠い雰囲気の中で行われていた。安っぽいスチール製の長机を囲み、鈴木、葵、蓮の三人が週末に作成した(その実、ほとんど蓮が一人で仕上げた)報告書の最終確認を行っている。部屋に漂うのは、自販機で買ったであろうインスタントコーヒーの、あまり芳ばしくない香りと、週末の疲れを引きずった月曜日特有の淀んだ空気だけだった。
「――んー、こんなもんか。蓮、ご苦労だったな。今日の昼飯は俺が奢ってやる。三百円までなら」
「……ありがとうございます。でも、それだと牛丼も食べられません」
「葵、お前は誤字が多すぎる。提出前に最低三回は読み直せ」
「うっ、すいませーん! だって、細かい字を読んでると眠くなっちゃうんですもん!」
いつもと全く変わらない光景。上司に軽くパワハラを受けながらも雑務をこなす、真面目だが少し気の弱い部下。元気だが、少し抜けている後輩のムードメーカー。そして、それらを最低限のエネルギーでマネジメントする、やる気のない中間管理職。それは前世で鈴木が経験してきた数多の月曜日の風景の、完璧な再現VTRのようだった。
――ただ一つ、決定的な違いを除いては。
その気の抜けた空気を切り裂くように、準備室のドアがノックもなしに静かに開かれた。
「――失礼します」
凛とした、しかし一切の温度を感じさせない声。そこに立っていたのは、寸分の乱れもなく制服を着こなした神楽坂瑠璃だった。彼女は部屋の中にいる三人を一瞥すると、まるで汚れたものでも見るかのような目で室内をぐるりと見渡した。
「……これが八咫烏の作戦室ですか。退魔師協会の待機所に比べると、ずいぶんと……合理的で、殺風景ですこと」
その言葉には、隠しようもない侮蔑の色が滲んでいた。葵の眉が、ぴくりと不快げに動く。
「悪かったな、狭くて汚くて。うちは実力主義なんでな、見栄えに金をかける趣味はねぇんだよ」
鈴木が、顔色一つ変えずに皮肉で返す。
「あら、これは失礼。私はただ感想を述べたまでですわ」
瑠璃は、ふふと唇の端だけで笑うと、鈴木たちの座るテーブルへと音もなく歩み寄ってきた。彼女が現れただけで、部屋の空気は一変した。緩みきっていた現場の空気が、氷水を浴びせられたかのようにぴんと張り詰める。
(……クソ。来たか、一番面倒くさいのが)
鈴木は内心で悪態をついた。あの日、屋上で健太と瑠璃が接触して以来、約一週間。彼女は律儀にも、毎日こうして班の定例会にだけは顔を出すようになっていた。もちろん、それは協調性からではない。自らが潜入・監視している対象『斉藤健太』に関する情報を、鈴木班と共有(という名目で一方的に報告させる)するためだ。
「それで? 何か進展はありましたの? あの哀れな子羊……いえ、特級監視対象『サイコ・キッド』君に」
瑠璃は椅子に座ることもなく、立ったまま、まるで部下に報告を促す女王のように鈴木を見下ろして言った。
「……座れよ。話が長くなる」
鈴木は顎で空いている椅子をしゃくった。瑠璃は少しだけ不満げな顔をしたが、やがて諦めたように、音もなくその椅子へと腰を下ろした。その、ただ座るというだけの所作ですら、まるで茶道の宗家のように洗練され尽くしている。
鈴木はため息を一つつくと、蓮が作成した報告書の一枚をテーブルの上で滑らせた。
「お前が潜入してからの、この一週間の斉藤健太の行動ログだ。葵と俺の『飛燕』からの情報をまとめたもんだ」
瑠璃はその報告書に、まるで汚れたものでも触るかのように指先だけでそれを手に取ると、高速でその内容に目を通し始めた。そこには、健太のここ最近の「狩り」の記録が詳細に記されていた。いつ、どこで、どんな怪異を、どうやって倒したか。そして、その結果、彼の能力がどう変化したか。
「……ふぅん」
数秒後。全ての情報に目を通し終えた瑠璃は、まるで価値のない古紙でも見るかのように、その報告書をテーブルの上へと投げ返した。
「……で? 結論は?」
鈴木が腕を組みながら、まるで彼女の実力を試すかのように問いかけた。
「どうなんだよ、姫様。お前のそのご立派な“目”で見て、あの念動力使いのガキは」
その、あからさまに挑発的な物言いに、瑠璃は少しだけ不機嫌そうに目を細めた。
「――論外ですわ」
彼女の口から放たれた言葉は、あまりにも辛辣で、そして絶対的なものだった。
「えっ!?」
葵が、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「そ、そんな!? 報告書にもあったじゃないですか! 彼、たった一人でTier4の怪異を、しかもほとんど無傷で倒してるんですよ!? 十分すごいやつじゃないですか!」
葵の反論にも、瑠璃は眉一つ動かさなかった。
「すごい? 何をもってそう評価するのかしら。確かに彼の持つ能力……SSR『念動力』のポテンシャルそのものは認めます。ですが、それはあくまで『素材』の話。問題は、それを扱う料理人――彼自身の腕が三流以下だということですわ」
彼女は、まるで出来の悪い生徒を諭す教師のように、一つ一つその欠点を指折り数え始めた。
「まず、出力はそこそこありますが、その応用性が絶望的に低い。ただ“物を飛ばす・潰す・ぶつける”。それだけ。あまりにも芸がなさすぎる。あれでは、ただの遠隔操作できる便利な鉄屑に過ぎませんわ」
「……」
「次に、彼の基礎的な身体能力。これが、お話にならないほど低い。お粗末と言ってもいい。私が見た限り、彼はほとんど全ての戦闘において、その場から一歩も動いていませんでした。それは敵を寄せ付けないほどの圧倒的な力があるからではない。単純に“動けない”のです。咄嗟の回避行動、接近戦への対応。そういった戦闘の基礎が、完全に欠落している」
彼女はそこで一度言葉を切ると、射るような目で鈴木を見つめた。
「結論を申し上げますわ、鈴木特務官。あの斉藤健太は、今この瞬間に私が本気を出せば、間違いなく瞬殺できます。懐に潜り込み、その首を斬り落とすのに、おそらく三秒とかからないでしょう」
その言葉には一切の誇張も、自惚れもなかった。ただ、冷徹な事実だけがそこにはあった。Tier2のエリートとして修羅場を潜り抜けてきた彼女だからこその、絶対的な査定。
「……だから、“論外”だと?」
「ええ。どれだけ攻撃力が高くても、当たらなければ意味がない。どれだけ強力な武器を持っていても、それを使いこなす技術がなければ、ただの重りです。今の彼は、せいぜい多く見積もってもTier4クラス。それ以上でも、それ以下でもありませんわ」
部屋に重い沈黙が落ちた。葵も蓮も、瑠璃のあまりにも的確で反論の余地のない分析に、ぐうの音も出ないでいた。
「……だが」
最初にその沈黙を破ったのは、ずっと黙って話を聞いていた鈴木だった。
「……お前、一つだけ見落としてることがあるぜ」
「何ですって?」
「あいつは、その状態になるまで、たったの一ヶ月しか経ってないってことだ」
鈴木のその一言に、瑠璃の表情が初めてわずかに揺らいだ。
「……才能に目覚めて、まだほんの数週間。師匠もいなければ、仲間もつい最近できたばかり。そんなズブの素人が独学だけで、Tier4の怪異を安定して狩れるレベルにまで自力でたどり着いた。……これを『潜在的な脅威』と言わずして、何と言うんだ?」
その言葉は、まるで父親が息子の出来の悪さを庇うような、奇妙な熱を帯びていた。
「……まあ、それはそうですが……」
瑠璃も、その事実だけは認めざるを得なかった。斉藤健太の「成長速度」は、確かに異常なレベルにある。退魔師協会の英才教育を受けてきたエリートたちと比較しても遜色ない、いや、それ以上かもしれない。
「Tier2の“お前”からすりゃあ、下にいる奴らは全員、等しく雑魚に見えるんだろうがな」
鈴木は、まるで全てを見透かしたようにそう言った。
「まあ、“お前”のそのプライドの高いご意見は否定はしない。確かに今のあいつは、まだひよっこだ。それは事実だろう」
「……分かっていただけたようで、何よりですわ」
「だがな」と鈴木は続ける。「そのひよっこが、いつまでもひよっこのままだとは思うなよ。……案外、お前がその鼻っ柱をへし折られる日も近いかもしれんぜ?」
その挑発的な言葉に、瑠璃の頬がわずかに紅潮した。
「……面白いことをおっしゃいますのね、鈴木特務官」
彼女は、ふふと不敵な笑みを浮かべた。
「その時はその時。せいぜい楽しませていただくとしますわ」
「――ところで」
瑠璃は、ふと何かを試すかのように話題を変えた。彼女は今まで興味などなさそうにしていた鈴木の顔を、じっと値踏みするように見つめながら問いかけた。
「……貴方ほどの方が、その程度の認識ですの? 私には、貴方がその気になれば、あの程度の小僧など取るに足らないことくらい、お見通しですけれど」
(……来たか。面倒くせぇ探りだ)
鈴木は内心で悪態をついた。この女は、まだ諦めていなかったのだ。自分の魂の奥底に眠る「何か」の正体を暴こうとしている。
「さあな。俺は記憶喪失なんでね。自分がどれくらい強いのか、自分でもよく分からんのだよ」
彼は、いつもの決まり文句で白々しく答えた。
「ですが、私の目にはそうは見えません。貴方、本当はもっと……」
「――まあ、本気を出せばな」
鈴木は彼女の言葉を遮るように、あっさりと、そして少しだけ自嘲するようにそう認めた。
「……え?」
予想外の肯定に、瑠璃だけでなく、葵や蓮も驚いたように目を見開いた。
「なんだよ。俺だって、やるときゃやるぜ? ただ、面倒くさいだけだ。平常時から、そんな限界ギリギリのフルパワーで仕事してる奴がいたら、見てるこっちが疲れんだろうが。しんどいんだよ、そういうのは。大体、Tier3もあれば、都内の雑務をこなすには十分すぎるくらいだ」
その、あまりにも社畜的で、そして省エネな理論。それは、常に己の限界を超えようと修行を積んできた瑠璃の価値観とは、全く相容れないものだった。彼女は、開いた口が塞がらないといった顔で、ただ呆然と鈴木を見つめていた。
「……まあ、それはともかく」
鈴木は無理やり話を軌道修正するように、パンと軽く手を叩いた。
「今後の方針を決めようぜ。で、どうするんだ? お前は、あいつをただ『観察』するだけのつもりだったはずだが。お前の今のその顔は、どう見ても『バリバリ鍛えて、自分の思い通りに育ててやろう』って顔にしか見えんが?」
その、あまりにも的確な指摘に、瑠璃ははっとしたように、わずかに顔を赤らめた。
「……っ! そ、それは……!」
「否定はしないんだな」
「……ええ。否定はしませんわ」
数秒後。彼女は、まるで居直ったかのように堂々と胸を張った。
「あれほどの素晴らしい『原石』を目の前にして、磨きたいと思わない術師がどこにいます!? あの未熟者を見ていると、私の指導欲が否応なく掻き立てられてしまうのです!」
その瞳は、もはや冷徹な監視者のものではなかった。最高の才能を見つけ、それを自分の手で最高の作品に仕上げたいと願う、狂信的なまでの「教育者」の熱い光に満ちていた。
「まあ、良いけどよ」
鈴木はやれやれと首を振りながら、最後の釘を刺すことを忘れなかった。
「好きにしろ。だが忘れるなよ。お前の第一任務は、あくまで『監視』だ。勝手な行動で、俺たちの計画を乱すようなことだけは、するんじゃねぇぞ」
「……はい。心得ておりますわ」
瑠璃は、少しだけ不満げに、しかし素直に頷いた。
「よし」
鈴木は立ち上がった。まるで長くて退屈な会議が終わった後の、疲れた係長のように大きく伸びをする。
「じゃあ、報告は終わりだな。……飯にでも行くか」
「「えっ!?」」
その、あまりにも唐突な提案に、葵と蓮の、そして瑠璃の目が点になった。
「飯って……。もうお昼の時間は、とっくに過ぎてますけど……」
「んなこたぁ知ってるよ。夜飯だ、夜飯。焼肉だ」
「や、焼肉!?」
葵の瞳が、一瞬できらきらと輝き始めた。
「烏沢さんがな。また例の店を予約してくれたらしい。お前ら新人二人の歓迎会、まだやってなかったからなってよ。もちろん係長の奢りだ」
「こ、高級焼肉……ですよね!?」
葵が食い気味に尋ねる。その瞳は、もはや獲物を狙う肉食獣のそれだった。
「ああ。もちろん」――と、烏沢の真似をするように、鈴木はクールに頷いてみせた。「――多分な」
「やったー! さすが烏沢係長! 話が分かる!」
「蓮、お前も行くぞ。遠慮はいらん。死ぬほど食え」
「は、はい! ありがとうございます!」
作戦室は一瞬にして戦場から宴会場へと、その空気を変えた。ただ一人、その熱狂の輪から取り残された人物を除いては。
「……あの」
瑠璃が、困惑したような、信じられないというような声で鈴木に問いかけた。
「……今、これから焼肉に行くと……? ……この“私”を含めてですの……?」
「ああ? 当たり前だろ。お前も今日からうちのチームの一員なんだからな。それともなんだ? お姫様は、そういう庶民の食い物は、お口に合わねぇとでも言うのか?」
鈴木のからかうような物言いに、瑠璃はぐっと言葉に詰まった。
「……そ、そんなことは……! 食べます! 食べさせていただきますわ!」
彼女は、まるで決闘でも申し込むかのような、悲壮なまでの覚悟を決めた顔でそう宣言した。彼女の人生において、おそらく「焼肉」という庶民の娯楽は、縁遠い世界の出来事だったのだろう。その、あまりにも世間知らずで、少しだけ可愛いらしい反応に、鈴木は思わず声を殺して笑った。
「よし。じゃあ行くぞ!」
彼は、まるで凱旋将軍のように意気揚々と、部屋の出口へと向かった。
面倒で厄介で、そしてプライドの高い新しい駒。
だが、まあ、たまにはこういうのも悪くないのかもしれない。
鈴木は、ほんの少しだけそう思った。社畜の長い一日は、まだ始まったばかりだった。だが、少なくともその終わりには、極上の肉と騒がしい仲間たちの笑顔が待っている。
それだけで、この面倒な一日を乗り切る理由としては、十分すぎるくらいだった。