転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~   作:パラレル・ゲーマー

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第70話 灰色の放課後と、概念の教室

 その日の訓練は、いつもより少し早く終わった。

 というのも、週末に控えた学校行事(模試だ)のために、田中や鈴木(同級生)、そして詩織が早めに帰宅しなければならなかったからだ。

 残されたのは、暇を持て余した最強の社畜・鈴木太郎と、強くなることへの渇望に燃える少年・斉藤健太の二人だけ。

 

 二人は『鳥籠』を出て、地上にある寂れた公園のベンチに座っていた。

 時刻は夜の八時を回っている。

 街灯の薄暗い明かりが、二人の影を長く伸ばしていた。

 足元には、先ほど自販機で買った缶コーヒー(鈴木は微糖、健太はカフェオレ)が置かれている。

 

「……ふぅ」

 

 鈴木が紫煙を吐き出すように、深く息をついた。

 夜風が心地よい。

 地下の閉塞感から解放された安堵感が、疲れた体に染み渡る。

 

「……聞いたぞ、健太」

 

 鈴木が夜空を見上げたまま、口を開いた。

 

「先週の土曜、『鳥籠』で『玄翁(げんのう)』の爺さんにボコられたらしいじゃねーか」

 

「……耳が早いですね」

 

 健太は苦笑いしながら、缶カフェオレを一口飲んだ。

 甘さが脳に染みる。

 

「まあ災難だったな。

 あの爺さん、普段は温厚だが、スイッチが入ると手加減を知らねぇからな」

 

「いえ……。災難だなんて、とんでもないです」

 

 健太は首を横に振った。

 その目には悔しさよりも、何か大きなものを得た充実感が宿っていた。

 

「いい勉強になりました。……本当に」

 

「そうかい」

 

 鈴木は横目で健太を見た。

 腐っていない。

 恐怖に委縮してもいない。

 良い傾向だ。

 

「まあ負けて当然だ。

 あの爺さん……玄翁翁(げんのうのおきな)はな、八咫烏(ヤタガラス)の登録データ上じゃTier2扱いになってるが……」

 

 鈴木は声を潜めた。

 

「全盛期の実力、そして『本気』を出した時の出力は、間違いなくTier1だ」

 

「……Tier1……!?」

 

 健太が息を呑む。

 Tier1。

 国家戦略級。

 一個の軍隊に匹敵する災害クラス。

 そんな化け物と自分は模擬戦をしていたのか。

 

「ああ。

 今は隠居してゲートボール三昧だがな。

 昔は『重力の悪魔』なんて呼ばれて、海外の組織からも恐れられていた伝説の術師だ。

 そんな相手に手加減されてたとはいえ、五体満足で帰ってこれただけマシだと思え。

 ボコられるのは当たり前だ」

 

「……なるほど。道理で桁が違うわけだ……」

 

 健太は納得したように頷いた。

 あの時感じた底の知れない深淵のようなプレッシャー。

 あれはTier1の片鱗だったのだ。

 

「でも、本当に勉強になりましたよ」

 

 健太は自分の手を見つめ、握りしめた。

 

「あの爺さんの技……。

 『鉄球の質量操作』に、『空気弾(エア・バレット)』。

 強かったです。底が知れないほどに」

 

「そうだなぁ。

 質量操作と空気砲は、念動力使いならパクり得な技術(スキル)だからな」

 

 鈴木は空になった缶を、指先一つ動かさずにふわりと浮かせ、ゴミ箱へとシュートした。

 カラン、という小気味良い音。

 

「……『空気弾(エア・バレット)』の原理は、なんとなく分かるんです」

 

 健太は身振り手振りを交えて、説明し始めた。

 

「周囲の空気を念動力で一点に集めて、圧縮して、爆発的に解放する。

 要は空気鉄砲の超強力版ですよね?

 圧縮率を高めれば高めるほど威力が出るし、空気だから弾切れもない。

 ……これは練習すれば、俺にもできそうな気がします」

 

「ああ、お前の出力なら問題ないだろうな。

 コツは『漏らさない』ことだ。

 圧縮した空気が霧散しないよう、念動力の膜でしっかりと密閉するイメージを持て」

 

「はい。やってみます」

 

 健太は頷いた。

 だが、彼の顔にはまだ疑問の色が残っていた。

 

「問題は……『質量操作』の方なんです。

 こっちが理屈はともかく、感覚としてさっぱりで……」

 

 彼は眉をひそめた。

 

「見た目はただのソフトボールくらいの鉄球なのに、ぶつかった時の衝撃がダンプカーみたいでした。

 爺さんは『術式で質量をプラスしてある』って言ってましたけど……。

 物を動かすだけの念動力で、どうやって物の『重さ』を変えるんですか?

 物理的にあり得なくないですか?」

 

「……ハハッ。

 物理的にあり得ないことをするのが、俺たち能力者(術師)だろうが」

 

 鈴木は笑った。

 そして地面に落ちていた小石を一つ拾い上げた。

 

「あー……。

 俺は『見れば大体分かる(解析できる)』から、感覚で説明しちまうかもしれんが……。

 よく聞けよ」

 

 鈴木は小石を掌の上で転がした。

 

「念動力(サイコキネシス)ってのは、いわば『見えない手』なわけだ。

 これは分かるな?」

 

「はい。精神的な腕を伸ばして、物を掴んでる感覚です」

 

「その『精神的な腕』……つまり精神エネルギーそのものには、本来質量はない。

 だがこの世界には『E=mc2』って式があるように、エネルギーと質量は等価交換が可能だ。

 ……まあ厳密な物理学の話をすると長くなるから、省くが」

 

 鈴木は小石を指で弾いた。

 

「要するにだ。

 お前の放出する膨大な精神エネルギーを、対象物(この場合は鉄球)の内部に無理やり押し込んで、凝縮させるんだ」

 

「……エネルギーを押し込む?」

 

「そう。

 見えない『念』を、物質の原子の隙間にギチギチに詰め込むイメージだ。

 そうすると、その物質は『情報的』に重くなる。

 物理的な質量が増えるわけじゃねぇが、この世界(因果律)に対して『私は重い存在である』という定義を上書きするわけだ」

 

 鈴木は小石を握りしめた。

 

「それを俺たちは、『仮想質量(バーチャル・マス)』と呼んでいる。

 精神エネルギーを、見えない重りに変換して、鉄球に付与するわけだ」

 

「……なるほど……!

 実際に重くなってるんじゃなくて、念動力が『重さ』という概念になって乗っかってるのか……!」

 

 健太の目に理解の光が宿る。

 

「そうだ。

 だからあの鉄球は、ただ飛んでくるだけじゃねぇ。

 『1トンの重り』が高速で突っ込んでくるのと同じ運動エネルギーを持つことになる。

 そりゃあ、お前の急造バリアじゃ防げんわな」

 

「……納得しました。道理で重いわけだ……」

 

「ただし」

 

 鈴木は釘を刺した。

 

「あの爺さんほどの質量(1トン)を同時に6個も付与して制御するのは、脳への負荷がデカイからな。

 並の術師なら脳の血管が切れて死ぬぞ。

 まずは1個だ。

 パチンコ玉くらいのサイズに、数キロ分の重さを乗せる練習から始めろ。

 欲張るなよ」

 

「……はい。肝に銘じます」

 

 健太は真剣な顔で頷いた。

 精神エネルギーを仮想質量に変換する。

 そのイメージトレーニングを、すでに脳内で始めているようだった。

 

「……精神エネルギーを仮想質量に変換か……。

 なんか、すごい技術ですね」

 

「ふん。

 だがこの技術の真骨頂は、『重くする』ことだけじゃねぇぞ」

 

 鈴木はニヤリと笑った。

 

「……逆もまた然りだ」

 

「逆……?」

 

「そうだ。

 プラスの質量を付与できるなら、当然『マイナスの質量』を付与することも出来る」

 

「マイナス……!?」

 

 健太が目を見開く。

 

「例えばだ。

 敵が巨大な岩を投げつけてきたとする。

 あるいは、ビルが崩れて瓦礫の下敷きになりそうになったとする。

 普通なら念動力で押し返すか、バリアで防ぐかだ。

 だが相手の質量が大きすぎれば、押し潰される」

 

 鈴木は手を開いたり閉じたりした。

 

「だが、その迫りくる大質量攻撃に対して、瞬時に『マイナスの仮想質量』を付与したらどうなる?」

 

「……あ!」

 

「そうだ。

 対象の重量が計算上『軽く』なる。

 あるいはゼロに近づく。

 10トンの岩が発泡スチロールみたいに軽くなれば……。

 デコピン一つで弾き返せるようになる」

 

「……すげぇ……!

 ダメージ軽減どころか、無力化できるってことか……!」

 

 健太は興奮で身を乗り出した。

 それは防御力の低い彼にとって、革命的な技術だった。

 

「へー……。なるほど……。

 科学みたいですね。物理法則を精神力で書き換えるなんて」

 

「難しいか?」

 

「難しいです。でも……面白いです」

 

「そうだな」

 

 鈴木は満足げに頷いた。

 

「術者(能力者)ってのはな、ただ力を持ってるだけじゃダメなんだ。

 自分の能力の本質を知り、世界の理(ルール)を知り、

 その上で『どう解釈するか』で強さが決まる。

 知れば知るほど、その能力への解釈も深くなり、できることが増えていく」

 

 彼は自分の頭を指差した。

 

「だから勉強が大事なんだよ。

 物理学、数学、心理学、宗教学……。

 あらゆる知識が、能力を拡張するヒントになる。

 脳筋じゃ生きてけねぇぞ、この世界は」

 

「……耳が痛いです」

 

 健太は苦笑いした。

 学校の勉強なんて役に立たないと思っていたが、こんなところで繋がってくるとは。

 

「まあ、その点、念動力(テレキネシス)は恵まれてるよ」

 

 鈴木は言った。

 

「『動かす』『干渉する』という事象そのものがシンプルだからな。

 物理法則をそのまま当てはめやすいし、応用が効きやすい。

 他の術式みたいに、能力の解釈を無理やりこじつけて新しい技を増やす必要がないからな」

 

「……解釈をこじつける?

 どういうことですか?」

 

 健太が不思議そうに尋ねる。

 

「ああ。例えば……そうだな。

 お前の仲間の桜井詩織。

 彼女の『治癒能力』を例に挙げようか」

 

「詩織の?

 治癒って、怪我を治すだけじゃないんですか?」

 

「普通はな。

 だが『治す』という現象を、どう解釈するかで、それは凶悪な武器にもなる」

 

 鈴木の声が一段低くなった。

 夜の公園の空気が、少しだけ冷たくなったような気がした。

 

「例えば『癒やす』というイメージを反転させる。

 『細胞を活性化させて傷を塞ぐ』のが治癒なら、

 そのベクトルを逆にすれば……

 『細胞を過剰に活性化させて自壊させる(癌化させる)』ことも理論上は可能だ」

 

「……なっ……」

 

 健太の顔色が青ざめる。

 癒やしの力が、死の力に変わる。

 

「あるいは『敵の過去の傷を再生させる』という解釈もできる」

 

 鈴木は淡々と続けた。

 

「人間、生きてりゃ誰でも怪我や病気の一つや二つはしてるもんだ。

 完治したはずの古傷。

 子供の頃の骨折、盲腸の手術痕、あるいは精神的なトラウマ。

 それらを『まだ治っていない状態』へと、時間を巻き戻すように因果を歪める」

 

「……そんなことが……」

 

「さらにエグいのは『今まで自分が治癒してきた傷のイメージ』を、敵の身体に精神ダメージとして与える技だ」

 

「……!」

 

「詩織はこれまで、多くの怪我人を治してきただろう?

 切り傷、打撲、火傷……。

 彼女はその『痛み』の記憶を、無意識にストックしている。

 その膨大な『痛みのアーカイブ』を、対象の脳内に直接流し込むんだ。

 肉体的な外傷は一切ない。

 だが相手は、全身を切り刻まれ、焼かれ、骨を砕かれるような『幻痛』に襲われて発狂する」

 

 鈴木は震える健太の目を見て言った。

 

「……どうだ?

 『治癒能力』が、ただの回復魔法に見えるか?」

 

「……いえ。……恐ろしいです」

 

 健太は正直に答えた。

 あの優しい詩織が、そんな恐ろしい力を持っていたとは。

 いや、持っているのは「力」ではない。

 「可能性」だ。

 それをどう使うかは、術者の心と、そして「解釈」次第なのだ。

 

「術式ってのはな、応用と解釈次第で、どうにでも化けるんだよ。

 『火を出す能力』だって、ただ燃やすだけじゃなく、

 『酸素を奪う』『上昇気流を起こして飛ぶ』『熱探知を誤魔化す』……いくらでも使い道はある」

 

 鈴木は立ち上がった。

 

「要は頭を使えってことだ。

 与えられたスペックに満足するな。

 『こうなったらどうなる?』『これとこれを組み合わせたら?』

 常に問い続けろ。想像しろ。

 ……それが俺たち『弱者』が、Tier1の化け物どもと渡り合うための唯一の手段だ」

 

「……はい!」

 

 健太も立ち上がり、深く頭を下げた。

 

「なるほど……。奥が深いですね、能力の世界は」

 

「ああ、深すぎて溺れそうになるくらいだぞ」

 

 鈴木は空を見上げた。

 東京の空は明るすぎて星は見えないが、その向こうには無限の宇宙が広がっている。

 能力の深淵もまた、同じように底が見えない。

 

「……ま、今日のとこはこんなもんだ。

 あんまり詰め込みすぎると、パンクするからな」

 

 鈴木は背伸びをした。

 

「帰るぞ。明日も学校だろ?」

 

「はい。……あの、鈴木さん」

 

「ん?」

 

「俺……もっと勉強します。

 物理も、数学も……あと想像力も」

 

 健太の目は、かつてないほど澄んでいた。

 ただ力を振り回していた頃の彼とは違う。

 知性という武器を手に入れようとする、求道者の目だった。

 

「……おう。期待してるぜ」

 

 鈴木はひらりと手を振り、歩き出した。

 

 その背中を見送りながら、健太は自分の掌を見つめた。

 見えない手。精神の力。

 それを重くする。軽くする。

 空気の弾丸を作る。

 

(……やれる。俺なら、もっとやれるはずだ)

 

 夜の公園に、少年の決意が静かに溶けていった。

 

 灰色の日常から始まった物語は、今、知識と知恵という色彩を帯びて、より深く、より鮮やかに輝き始めていた。

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