転生陰陽師は平穏に暮らしたい ~神の子と呼ばれたサラリーマン、最強すぎてスローライフ計画が崩壊寸前~   作:パラレル・ゲーマー

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第8話 田舎町の原石と社畜の遠征

「――はい、お疲れ様でしたー」

 

 深夜の東京。最後の怪異を塵へと還し、鈴木太郎(仮)は後輩である日向葵と共に、いつもの黒いセダンへと乗り込んだ。これで今夜のノルマは達成だ。あとは簡単な報告書を端末から送信し、ホテルに戻って眠る(フリをする)だけ。いつもと変わらない、退屈で刺激的な社畜の夜――そのはずだった。

 

 ピロン、と。静かな車内に電子音が二つ同時に響いた。彼と葵の、八咫烏から支給されたスマートフォンが同時に通知を受信したのだ。

 

「ん? なんですかね、こんな時間に」

 

 葵は助手席で慣れた手つきでスマホのロックを解除する。その画面を覗き込んだ彼女の目が、次の瞬間きらりと輝いた。

 

「……辞令? 『明日付けで鈴木一等特務官および日向二等特務官は下記の任地に赴き、特殊事象の調査および対象の査定を……?』」

 

「……出張か」

 

 鈴木も自らの端末に表示された文面を冷静に読み下していた。差出人は上司である烏沢。内容は、初の泊まりがけでの地方出張命令だった。

 

 目的は、T県S郡・水上(みなかみ)町で観測されている微弱な霊的ノイズの調査。そして、その発生源と目される「未登録の因果律改変能力者」の存在を確認し、その素性と能力を査定すること。期間は明日の早朝より二泊三日の予定。

 

「……と、泊まりがけ……!?」

 

 葵が信じられないというように、その単語を反芻した。そして次の瞬間――

 

「やったーーーーー!!」

 

 静かな車内に、彼女の歓喜の叫び声が高らかに響き渡った。

 

「うそ、うそ、マジですか!? 初の地方出張! しかも泊まりがけ! 温泉! 旅館! 名物料理!」

 

 彼女は先ほどまでの仕事の疲れなど微塵も感じさせないハイテンションで、猛烈な勢いでスマートフォンの検索ウィンドウに文字を打ち込み始めた。その目はもはや怪異を探すエージェントのものではなく、週末の旅行プランを練る、ただの若い女の子のそれだった。

 

「見てくださいよ先輩! 水上町、地鶏が有名なんですって! あと“美肌の湯”っていう温泉もあるし、縁結びのパワースポット神社も! うわー、どこから回ります!? ていうか私、荷造りしないと! 新しい服着ていくやつ!」

 

 完全に旅行気分だった。「仕事ついでに観光ができる!」という彼女の、かねてからの願いがついに叶った瞬間である。

 

 そんな浮かれモード全開の後輩を横目に、鈴木もまた静かにその命令を歓迎していた。彼の心は葵のように表立って浮き立つことはない。だが、その奥底で、さざ波のような穏やかな期待が広がっていた。

 

 土御門邸での、息の詰まるような伝統と格式に縛られた生活。そして、この式神ボディでの都心のコンクリートジャングルを駆け回り、淀んだ欲望の残りカスである怪異を狩る無機質な日々。そのどちらでもない場所――緑豊かな山間の静かな田舎町。

 

(……スローライフか)

 

 彼が二度目の人生で、心の底から求めてやまないもの。今回の遠征は、そのほんのささやかな疑似体験になるかもしれない。そんな淡い期待が、彼の胸をかすめた。

 

「先輩、聞いてます? まずは初日のランチに親子丼で決まりですよね!?」

 

「……ああ。そうだな」

 

 彼は短くそう応えた。そのいつもと変わらないぶっきらぼうな返事の中に、ほんの少しだけ普段はない柔らかな響きが混じっていることに、浮かれきった後輩が気づくことはなかった。

 

 翌日早朝。二人は八咫烏が手配した、昨日とは別のより機動性の高いステーションワゴンに乗り込み、目的の町へと向かった。高速道路を降り、山間の道を抜けていく。車窓から見える景色は、灰色だった都会のビル群から、目に鮮やかな深い緑へとその姿を変えていった。

 

「うわー、空気おいしいー!」

 

 窓を全開にした葵が、子供のようにはしゃいでいる。彼女が立てた分刻みの観光プランを聞き流しながら、鈴木は穏やかな気持ちでハンドルを握っていた。数時間後、彼らはようやく目的の町に到着した。そこは、時間が止まったかのような、静かで穏やかな空気が流れる場所だった。清流のせせらぎと鳥のさえずりだけが耳に届く。

 

「よし! じゃあまずは腹ごしらえに……」

 

「いや、先に仕事だ」

 

 早速、名物の地鶏親子丼の店へと向かおうとする葵を、鈴木は冷静に制した。

 

「えー、もうお昼ですよー?」

 

「ノイズの発生源を特定してからだ。話はそれから聞く」

 

「……はーい。先輩、仕事人間なんだからぁ」

 

 葵は不満げに頬を膨らませながらも素直に従った。鈴木は車を路肩に止めると、静かに目を閉じた。**『天理の眼(てんりのまなこ)』**を発動させる。彼の意識が周囲の空間へと広がっていく。大気中に流れる清浄な霊力。その穏やかな流れの中に、確かに異質なものが混じっていた。それは、悪意のある怪異の淀みとは違う。まるで制御されずに漏れ出している、純粋で強大なエネルギーの源泉。

 

(……あった。町の外れか)

 

 彼はノイズの発生源を正確に特定した。車を再び走らせる。町の中心部を抜け、川沿いの細い道を進んだ先。そこに、古びた一軒の木工所が静かに佇んでいた。

 

「ここ……ですかね?」

 

「ああ。間違いない」

 

 二人は観光客を装い、その木工所を訪れた。軒先には「長谷川木工」と年季の入った木の看板が掲げられている。店の前には、様々な大きさの木彫りの熊やフクロウといった民芸品が並べられていた。からん、とドアベルの音が鳴る。店の奥から一人の青年が無言で顔を上げた。歳は二十歳くらいだろうか。作業着は木屑で汚れている。短く刈り込んだ髪に、黙して語らない強い意志を宿した瞳。黙々と手にした鑿(のみ)で木材を彫り進めている。――長谷川 蓮。今回のターゲットだった。

 

「すいません、ちょっと見せてもらっても?」

 

 葵が愛想の良い笑顔で話しかける。蓮はちらりと二人を一瞥したが、何も答えず、再び手元の作業に集中してしまった。典型的な職人気質。そして、都会の人間に対する、かすかな警戒心。

 

(……これは手強そうだな)

 

 鈴木は内心で呟きながら、蓮の作業を、そしてその周囲に並べられた作品を注意深く観察する。蓮の手から生み出される木彫りの作品は、どれもまるで命が宿っているかのような、異様なまでの存在感を放っていた。木の温かみ。動物たちの力強い生命力。それがただの置物とは思えないほどのリアリティをもって見る者に迫ってくる。

 

 そして、鈴木の『天理の眼』は、その秘密を正確に見抜いていた。――蓮は木を「彫って」いるのではない。彼が無意識のうちに自らの身体から発する膨大な霊力を木材へと流し込んでいるのだ。その霊力が、まるで粘土をこねるように木の繊維構造そのものを、彼のイメージ通りに「再構築」していく。彼の使う彫刻刀は、その変形を促すためのスイッチのような役割しか果たしていない。――彼は気づかぬうちに、神の御業にも等しい物質創造の術を行使していたのだ。

 

(……とんでもない『原石』だ。Tier5どころか、育てばTier2クラスにさえ届きうる)

 

 だが当の本人に、その自覚は全くない。彼は自分のこの技術を、亡くなった祖父から受け継いだ「長谷川家秘伝の木彫りの技術」だと、固く信じ込んでいる。

 

「すごいですねー! これ、全部手彫りなんですか?」

 

 葵が何とか会話の糸口を掴もうと、世間話のついでに、それとなくオカルトや超能力の話を振ってみる。

 

「最近、テレビとかでスプーン曲げたりする人いるじゃないですか。ああいうのって信じます?」

 

「……興味ないんで」

 

 蓮は顔も上げずに、短くそう答えただけだった。完全に会話を拒絶している。――これ以上は無駄か。鈴木と葵は顔を見合わせると、仕方なく小さな木彫りのキーホルダーを一つだけ購入し、その場を後にした。

 

 その夜。二人は町で唯一の老舗旅館に宿泊していた。葵は念願の温泉と地鶏料理に舌鼓を打ち、すっかり上機嫌だったが、鈴木の表情は晴れなかった。

 

(……どうやって、あいつに自覚させるか)

 

 蓮の警戒心は想像以上に強い。下手に刺激すれば心を閉ざし、二度と接触できなくなる可能性すらある。彼がそんなことを考えていた、その時だった。懐のスマートフォンが短く振動した。烏沢からの緊急通信だった。

 

『鈴木特務官。目標地点、裏山にある古神社にて強大な怪異反応を感知。Tier3クラス、いやTier2クラス級の可能性あり。即座に現場へ向かい、状況を確認せよ』

 

 鈴木の顔色が変わった。昼間に観測した、蓮から漏れ出す穏やかで純粋な霊力のノイズとは、全く質の違う禍々しく攻撃的なエネルギー。これは蓮の霊力に引き寄せられた、ただの怪異ではない。彼の霊力を「喰らう」ために、この土地で長い間機会を窺っていた、知性ある捕食者の反応だ。

 

 その彼の思考を裏付けるように、突如旅館のすべての電灯が激しく明滅し始めた。そして遠くの山の方から、地鳴りのような獣の咆哮にも似た不気味な音が、夜の静寂を切り裂いて響き渡った。

 

「きゃっ!? な、何ですか今の音!?」

 

「……行くぞ、日向。仕事だ」

 

 鈴木は即座に立ち上がった。

 

 その頃、町の外れにある木工所でも――。蓮は山の異変を肌で感じ取っていた。あれは、じいちゃんが決して入ってはいけないと言っていた神社の奥。彼は何かを確かめるように工具を置くと、一人、夜の闇に包まれた山へとその足を踏み出していた。

 

 神社の境内は、異様な空気に満ちていた。鈴木と葵が鳥居をくぐり、石段を駆け上がった先に見た光景――それは、本殿の前で圧倒的な霊圧の前に為す術もなく立ち尽くす蓮の姿だった。そしてその霊圧の発生源は、本殿の薄暗い祭壇の上にぽつんと鎮座する、一体の美しい市松人形だった。

 

「……何あれ……」

 

 葵が警戒しながら呟いた。その瞬間、人形の首が、ぎぎぎ、と錆びついたブリキのような音を立ててこちらを向いた。愛らしいはずの硝子玉の瞳が二人を――いや、二人のスーツの襟元につけられた目立たない烏のピンを、正確に捉えていた。

 

「……カラスか。鼻の良いことだ。だが邪魔が入ったな。計画が崩れる」

 

 幼い少女のような可憐な声。だがその口調は、何百年も生きたかのような老獪さに満ちていた。

 

「そこの小僧は、我らが長い時をかけて熟成させてきた極上の供物。貴様らのような横取り屋に渡すわけにはいかぬ。――ここは全員、始末するか」

 

 その言葉を合図に、神社の境内そのものが牙を剥いた。地面から無数の木の根が、まるで巨大な蛇のように槍となって突き出す。両脇に立つ石の狛犬が赤い目を光らせ唸り声を上げ、その巨体を揺らす。この土地そのものが、人形の意のままに彼らに襲いかかってきたのだ。

 

「くっ……! 結界張ります!」

 

 葵が即座に、両手の前に霊力による防御結界を展開する。だが、四方八方から殺到する自然の猛威の前には、あまりにもか弱かった。バリン! とガラスが砕けるような音と共に、彼女の結界はいとも容易く打ち砕かれた。

 

「……仕方ない。少し本気を出すか」

 

 鈴木は忌々しげに舌打ちすると、自らの式神ボディに流し込む霊力の制限を一段階解除した。次の瞬間、彼の全身から、今までとは比較にならないほどの蒼白い霊圧が、嵐のように吹き荒れた。

 

「なっ……!?」

 

 そのあまりの力の変貌ぶりに、葵も、そして蓮も目を見開いて硬直する。だが、最も狼狽していたのは、祭壇の上の人形だった。

 

「……なんだその力は……!? 八咫烏のデータベースに、貴様のような男の情報は……!」

 

 鈴木は答えない。ただ静かに右手の指先を人形へと向けた。彼の指先に灯る光は、もはや豆粒のようなものではなかった。凝縮された、小さな太陽。

 

「クソ……! なかなか強いな、こいつ……!」

 

 彼は内心で、敵の実力を改めて評価していた。この土地と完全に同化している。並の術では決定打を与えられない。――ならば。

 

 彼の指先から放たれたのは、もはや単発の光線ではなかった。境内を埋め尽くすすべての悪意を薙ぎ払い、浄化する極光の奔流。人形が操る木の根も、石の獣も、その圧倒的な光の前に抵抗もできず、塵となって消滅していく。

 

「馬鹿な……! ありえん……!」

 

 人形が初めて狼狽の声を上げた。目の前の男が放つ、想定を遥かに超えた力。八咫烏のただの協力者、記憶喪失の素性も知れぬ新人のはず――その中にこれほどの傑物がいるなど、完全に計算外だった。

 

 光の奔流は一直線に本殿へと突き進み、祭壇の上の人形をその中心で捉えた。断末魔の叫びを上げる間もなく、美しい市松人形はその存在の痕跡すら残さず、完全に消し炭となった。――だが。

 

「――見事、見事。だが、それはただの“指先”よ」

 

 人形が消滅したその空間に、嘲るような声だけが響き渡った。

 

「貴様、何者だ……? 八咫烏にこれほどの男がいたとはな……。まあ良い。この『本体』が、貴様の名前と顔、そしてその魂の味をじっくりと覚えてやる。……楽しみにしておれ」

 

 声はそれきり消え失せた。山の気配は、まるで嘘のように静まり返っていた。敵は彼の正体も、この身体が式神であることも知らない。ただ、突如として現れた「規格外に強い謎の男」として、強烈に彼という存在を認識したのだ。

 

 帰りの車内は、重い沈黙に包まれていた。後部座席では、蓮が八咫烏への協力を承諾し、呆然と窓の外を流れる景色を眺めている。自らの力の正体と、それを狙う得体の知れない存在の恐怖。彼の心は、まだ整理がついていなかった。

 

 助手席の葵は、ただ黙り込んでいる。先輩である鈴木の底知れない実力と、敵が残した不気味な言葉。彼女が知っていた、いつもの「仕事人間」の先輩はそこにはいなかった。

 

 そして運転席の鈴木は――新たな「部下」と、新たな「敵」を得たことに、静かな闘志を燃やしていた。敵は自分を、ただの「八咫烏のエージェント」だと誤認している。それは不幸中の幸いか。だが、自分個人に執着し始めた。それは、彼の望む平穏なスローライフが、もはや遥か彼方に霞んでしまったことを意味していた。

 

 東京に戻ったら、烏沢にどう報告したものか。面倒な報告書の作成を思い、彼は小さくため息をついた。――社畜の日常は、これからもまだまだ続いていく。

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