令和と昭和、そして映画   作:◆QgkJwfXtqk

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堂々たる砲哮
承前 ―― East Eurasia Conflict(第1次満州事変)


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 1931年に勃発した、現在の東ユーラシア民主主義共和国全域を巻き込んだ大規模紛争。

 事の発端は複数あるが、直接的な原因と呼べるものは中国国内の政争、その余波と言えた。

 中華民国の武力行使を伴った主導権争いで蒋介石に敗れた張作霖が、1928年に無主(中華民国の主権外)の地である満州*1へと逃亡した事が発端であった。

 

 中華民国政府の主導権争いに敗れ、終わったと思われていた張作霖であったが、満州の地で隠棲し余生を全うしようとする事無く、逆にアメリカの支援によって軍の再建を図ったのだ。

 アメリカ政府は、日本政府との取り決め*2で満州に大規模な軍を駐屯させる事は出来なかった為、張作霖の軍勢を満州でのアメリカ人を保護する傭兵としようと考えていたのだ。

 勿論ながらも満州共同開発条約の中で日米両国は、互いの国民の保護を謳ってはいたのだが、自由に動かせる戦力とは言い難いが為の事であった。

 これは、満州に進出していた企業からの要請でもあった。

 このアメリカからの動きに、張作霖は乗った。

 当時50代。

 まだまだ心身共に壮健であった事が、再起への野心へ繋がっていたのだ。

 かくして、再建される事となった張作霖の奉天派の軍勢は中国の諸軍閥の中でも1つ頭の抜け出た戦力を揃えていく事となる。

 アメリカ製の重火器で武装し、アメリカ製や日本製のトラックを大量に装備しているのだ。

 勿論、野砲の類もある。

 戦車すらも、アメリカ陸軍が退役させたM1917戦車であったが3桁近く保有していた。

 それが、中華民国/蒋介石政権を刺激したのだ。

 脅威である、と。

 将来的な南征(報復戦)が来る、と。

 蒋介石政権とて無策では無く、関係の深かったドイツとの協力関係(中独合作)で最新の軍事技術の習得を勧め、又、ドイツの支援を受けて戦車の開発すら行っていた。*3

 かくして蒋介石は、張作霖の排除を目的とした第2次北伐を実施を宣言した。

 それが、後に第1次満州事変(East Eurasia Conflict)と呼ばれる事となったのだ。

 蔣介石は9ヵ国条約が定める中国の領域外である満州への侵攻に際しては、自国防衛の為の予防行動であると宣言していた。

 又、満州の地で中国人が張作霖派の人間から差別的扱いを受けており、この保護の為であるとも宣言していた。

 自国外での自国民保護は、列強が中国で行ってきた(お題目)でもあるので、痛烈なしっぺ返しとも言えた。

 とは言え事変自体は約3ヵ月で終結する事となる。

 満州側の戦力、3軍 ―― 奉天(張作霖)軍と駐満州軍(アメリカ陸軍)、そして関東軍(日本陸軍)の共同と活躍によって中華民国/蔣介石軍は満州の地から叩き出されたのだった。

 

 

 

 

 

――映画 / 堂々たる砲吼

 East Eurasia Conflict(第1次満州事変)終結から30年を記念する形で1961年に日本国内で公開された戦争映画。

 主役とされたのは第1装甲連隊(架空)であった。

 当初は実在する独立装甲第1旅団の戦闘を題材とする予定であったが、作戦行動に於いて軍機(軍事機密)指定が解除されていない部分が関わって居た為、架空の部隊として第1装甲連隊が設定される事となったのだ。

 とは言え独立装甲第1旅団が担っていた役割 ―― 現場での技術と戦技確認は第1装甲連隊と同一であり、又、名前も近い為、軍事に疎い人間は現実であったと事実誤認してしまい、徴兵された際に第1装甲連隊への配属を希望すると言う様な喜劇が多発する事となる。

 又、第1装甲連隊の将兵には人気俳優が多数選ばれていた為、後に第1装甲連隊を題材とした戦争映画はシリーズ化していく事となる。

 尚、余談ではあるが、この人気を見た日本陸軍は、後に国民の歓心を買おうとして機甲師団内に戦闘偵察部隊を新編する際に第1装甲連隊の名前を与える事となる。

 

 舞台となるのが架空の部隊となった事で逆に脚本を作る上での自由度に繋がり、当初は真剣なリアルを追及する予定であったのが、痛快娯楽作品路線となる事となる。

 美形の陸軍将校。

 画面狭しと暴れまわる89式中戦車*4

 将兵よりも多く見える程のトラックの群れ。

 空を舞う91式戦闘機。

 実に贅沢な痛快娯楽戦争映画として完成していた。

 又、ヒロインにはアメリカ出身で満州(東ユーラシア)民主共和国で活躍していた新進気鋭の若手俳優が採用されており、この女優が日本国内で大きな人気を博した為、日本映画界の俳優陣の国際化に繋がる事となる。

 

 

 

 

 

 

*1

 満州と言われる中華民国の北東にある地域は9ヵ国条約(1922' Nine-Power Treaty) ―― 第1次世界大戦終結後の新秩序体制(New ORDER)であるワシントン体制の下で、東アジアの枠組みの基礎として締結された国際条約であり、そこに於いて中国(漢民族主体の国家)に含まれる民族自決の範疇とされた領域から外されていた。

 この締結に向けた協議の際、中華民国代表は強い抵抗を行った。

 既に満州は日本帝國の強い影響下にあり、又、アメリカも積極的に進出をしている現状、中華民国の管理下にあるとはとても言えない地域であったが、将来を見ての抵抗であった。

 中華民国が国力が向上させ、文字通りに中華(世界の中心の座)に復帰した際に回復するべき旧領として残す為であった。

 とは言え、1対8と言う状況で強く抵抗出来るモノでは無かった。

 又、日本帝國が歴史的経緯を纏めた資料を提出した事も大きく影響をしていた。

 理論的な歴史的資料によって、中華民国が自国の領域としようと言うのは、覇権主義であると批判される事となったのだ。

 大勢が決まりつつある中で悲嘆した中華民国代表は、最後の一手として日本帝國代表に対し個別協議の場でアジアの連帯を破壊する行為であると強く批判し泣いて見せたのだが、F情報(日本国からの未来情報)を得ていた日本は一顧だにしない(バカかオメェと一蹴する)のだった。

 結果、一般的中華民国の民と満州(旧清帝国系)人が別系統であると判定される事となったのだった。

 又、この民族自決の範疇から外された領域は、モンゴル、ウイグル、チベットがあった。

 

 尚、不都合な部分を含んでいるとは言え、中華民国にとっても9ヵ国条約が悪い話なだけでは無かった。

 中華の領域(漢人の地)が確定し、この条約下の領域を切り取ろうという行為に対しては関わった9ヵ国が共同で対処する事が決定したのだ。

 これは、世界帝国の座から滑り落ち、そこから浸食され続けた状況が終わる事を意味したからである。

 

 

 

*2

 日本とアメリカが満州に於ける共同開発の取り決めを行ったのは第1次世界大戦のおりの事、イギリスの要請で陸海軍の本格的な欧州への派遣が決定したが故の時であった。

 F情報(未来の歴史情報)の精査を終えていた日本帝國政府は、第1次世界大戦(世界規模のバカ踊り)に積極的に参戦する意義を感じてはいなかった。

 だがイギリス政府から要請、ドイツ船舶の位置特定に対する協力、更には東洋最大の巡洋戦艦姉妹である金剛型巡洋戦艦の欧州への派遣要請を受けた事で、今後の日英同盟維持に関する大事であると判断し、信義の問題であるからと参戦を決断したのだ。

 だが同時に、欧州を主戦場とする戦禍がアジア/太平洋方面に波及しない為の努力をした。

 それがアメリカの更なる中国/ユーラシア大陸東部への関与強化であった。

 日本帝國とアメリカが舳先を並べる事で、戦争を始めてしまったドイツがアジア/太平洋方面でアクティブ化しないようにとの対応であった。

 

 勿論、日本国内に於いては批判の声も上がった。

 日露戦争で血で得た権益をアメリカに譲り渡す売国的行為だと騒ぎ立てる新聞各紙、あるいは弁士の類が発生していた。

 これに対して日本帝國政府は静観する事無く、積極的な広報、事実の拡散を図って対応した。

 日本帝國政府の高官の脳裏には日露戦争の終戦交渉時の混乱が蘇っていたのだ。

 激高しやすい世論を如何に動かすのか、と。

 日本政府から派遣されて来ていたアドバイザーの進言を受ける形で、総理大臣の補佐機関として設立されていた内閣府の隷下に正しい情報の発信と伝達を目的とした政府広報局を設置。

 又、民間の新聞が出す情報に対する管理監督 ―― デマその他の行為に対する検証と、デマと認定された報道に対する罰則の伴った指導(期限付きの発刊停止処分)を行う監督庁として、情報庁が設置される事となった。

 報道の自由は、放言の自由ではない。

 それが日本帝國政府の方針となった。

 新聞各紙、特に反政府色の強い新聞社は批判的に行動したが、それが過度な憶測であってもデマの類でなければ発刊停止処分にならなかった事、或いは、流言飛語に対して積極的に対処した為、情報の正しい伝達の為であると次第に国民側も納得する事となった。

 

 尚、日露戦争で一番に血を流した日本陸軍は、その軍高官に対して日本国の存在とF情報(日本帝國の興亡)が知らされていた為、組織だった反対をする事は無かった。

 勿論、陸軍内部で反対の声を上げる政治色の強い軍人も一部には居たが、その手の人間は日本帝國政府が打ち出していた軍政分離の原則に反する人間であり、軍組織に不適格であるとされ、予備役編入などの厳格な処分が施されていた。

 

 この日本帝國の動きをアメリカ政府は歓迎した。

 ウィリアム・ハワード・タフト大統領の下で第1次世界大戦に対しては不干渉の方針(モンロー主義の堅持)を定めていた為、太平洋の平和に資すると認識していたのだ。

 更に言えば、日本がアメリカを引き込もうとしているのは日本が独占的権益を持っていた満州鉄道とその周辺の開発である為、労せずに新しい中国利権を得られるのだ。

 一石二鳥であった。

 かくして1915年、大隈-タフト/満州共同開発条約が締結されたのだった。

 

 

 

*3

 1920年代当時のドイツ/ワイマール共和国はヴェルサイユ条約の軛の下にあり、独自の戦車開発は勿論、製造と保有すら認められていなかった。

 だが、ドイツ政府もドイツ陸軍も、その軛に隷従する積りは無く軍民共同でトラクターなどの名目で技術を涵養し続けていたのだ。

 だからこそ中国政府からの要請を受けた際に、中国の軍需企業に技術者を派遣する事で具体的開発を行う事が出来たのだ。

 中国政府からふんだんに予算と資材の提供を受けて、短期間でCLT-19(ChinalightTank 1番目9t級)として完成したのだ。

 とは言え高性能とは言い難かったし、中国の工員の質的問題から量産型の性能も良好とは言い難い所があったが、とは言え想定されるM1917戦車との戦闘だけを考えれば必要十分以上の性能を誇っていた。

 蔣介石はCLT-19に対して玄武戦車の名前を与え、大々的に宣伝を行った。

 

 尚、ドイツ語ではなく英語で名称が付けられた理由は、ドイツの関与を隠す為であった。

 

 

 

*4

 89式中戦車は、日本帝國に於いて先端技術開発の旗振り役となっていた国立科学研究所(SCEBAI)が、日本陸軍の要請を受けて開発し、三菱重工業が製造を担った15t級の中戦車であった。

 正式化が皇紀2589(西暦1929)年であった為、89式中戦車チロ(中型2号)と命名された。

 歩兵戦車、歩兵部隊に随伴し火力発揮する事が要求されていた為、主砲は89式18口径57mm戦車砲が採用されている。

 最大速度は40㎞/時。

 正面装甲は最大厚部分で30mm。

 乗員は4名、戦車長、砲手兼装填手、操縦手、通信兼前方機銃手。

 1930年代に開発されていく中戦車、その大型化の嚆矢と見られている戦車。

 

 尚、本映画に登場した89式戦車は、撮影の場ともなった満州(東ユーラシア)民主共和国の陸軍戦車博物館で動態保存されていた実物であった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

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