ラストの曲が終わった。
この拍手も歓声も、もう2度と向けられることはない。
他のメンバーが笑って「ありがとう」と叫ぶ中、
私だけが小さく唇を噛んでいた。
私はマイクを胸に抱きしめたまま、声を出せなかった。
「……終わっちゃった」
そんな私をメンバーの皆は、痛ましそうに見ていた。
ステージのライトがひとつ、またひとつと落ちていき、お客さんもひとり、またひとりと会場を出ていく。
だんだん見える床の面積が広くなっていく中、会場の壁際にいる男の人が目に入る。
ライブ中は見つけられなかったけど、あの人も私たちを応援してくれていたんだろうか。
客席は薄暗いけど、まるでそこだけ闇を集めたみたいだった。
葬式帰りの喪服みたいに真っ黒なスーツを着た、無表情の男の人。
応援というより観察しているような、冷たい眼差し。
私はまるで責められているような気持ちになって少し目線を外したら、次の瞬間にはいなくなっていた。
もしかして、マネージャー君の知り合いの人だったのかな……
ぼーっとしていると、メンバーの1人に声をかけられる。
「春ちゃん」
それに応えてメンバーの元に向かう。これから、お別れ会があるんだ。
解散ライブで最後の輝きを放つ彼女たちはやはり魅力的だった。
盛り上がらなかったお別れ会の片付けをしながら、運営能力の無さを痛感した僕は事務所を売却し芸能界から足を洗う決断をする。
事務所はあるプロデューサーが買い取ってくれたし、社員の皆や備品、権利関係も滞りなく引き継がれた。
メンバーの子たちにはそれぞれこれからどうするのか聞いてみたけど、進学や就職等普通の生活に戻ろうとしている子もいれば、まだ身の振り方を考えている子もいた。
お別れ会をした事務所の一室の窓から、それぞれの家路へ消えていくメンバーの背中が雑踏に消えていく。
僕とアイドル達と小夢さんの夢を詰め込んだ小さな事務所。
灯火はもうすぐ消え、誰もが夢を叶えられず傷を負っただけだった。
それでも僕は楽しかったし、メンバーの皆も楽しかっただろうと思うのは、傲慢なんだろうな……
違う場所で、違う時間で、違うマネージャーなら叶えられたかもしれない彼女たちの夢を、叶えられなかったのだから。
傷を負ってこれからを生きていくことが僕への罰だとするなら、甘んじて受け入れよう。
最後に残った感傷にひたりながら、僕は事務所の電灯を消した。
ラストライブから数週間後。私は駅前のカフェでコンビニのバイト募集チラシを何度も見返していた。
1日3時間以上
勤務日は応相談
心がまったく動かない。
ただ、何もしていない自分に焦っていた。
「未経験でも大丈夫かな〜……でもずっとニートのままは流石にだめだよね……はあ」
ため息をついて、気が進まないままに応募の電話をかけようとスマホの電話アプリを開いたり閉じたりしていると、ふと影ができて、誰かがテーブルの横に立った気配がした。
ちらりと目を向けたら、いつか見たような気がする真っ黒なスーツの男の人が私を見ていた。
整った顔立ちだけど、白髪に細長い目と、眉間の小さな黒子が印象的で、どこか胡散臭い。
「青天国 春さんですね?」
ただ、真っ黒なスーツを着ているのに、なぜかこの時の私にはこの人が輝いているように見えていた。
「……えっ、ええ?
ど、どこかでお会いしました?」
久しぶりに話した家族以外の男の人に緊張して吃りながら声を出す。
私たちが活動中にファンだったというわけではなさそうな雰囲気と、ステージの価値という言葉に少しひっかかりながら尋ねる。
「失礼します」
男の人は答えずに、勝手に対面の席に座り出した。
椅子を引くわずかな音がやけによく聞こえて、周囲の空気が一瞬にして静まったみたいだった。
「えーっと……?」
「お時間はとらせません。立ち話より効率的ですので」
男の人は淡々と、当然のように続ける。
「私は天知真一といいます。
才能を導くという……ふわふわしたことを生業にしている者です。
春さんに、"良い話"を持ってきました」
そう言って、白くて長い指で名刺を差し出してくる。
私も名前を聞いたことがある大手芸能事務所のプロデューサーさんらしい。
よく見ると腕時計がキラキラしてて、私は詳しくないけどたぶん高級時計なのかな。
それに気圧されながら反射的に名刺を受け取ってしまったが、どうして私の名前を知っているんだろう。
ライブの時に見にきてくれていたんだろうか。
色々と疑問が浮かんで積もっていく中、男の人……天知さんの言葉のひとつに、捨てきれない夢が、怠惰で無気力な日々を抜け出したいという希望が揺れ動く。
「良い話……?」
「私は春さんの"夢の終わり"を見ていました。
解散ライブ、あのステージを客席の一番後ろで」
"解散ライブ"
その単語を聞いて、胸がちくりと痛んだ。
その痛みに蓋をして、表情に出ないように口元を引き締める。
「……見てたんですか」
「はい。
春さんの"夢の終わり"は本当に良いステージでした。
しかしあなたの才能は、あなたの価値は、あの程度ではないはずです。
私がマネージャー業を行いますので、再挑戦してみませんか?」
胸がざわつく。一番最初に所属していたグループで、『春に追いつけない』と涙を流していたメンバーのこと。次のグループでは実力を抑えて、周りに合わせていたけどそれもうっすら気づかれていたこと。あまり経営に余裕がある事務所ではなかったから、ライブの回数は少なかったこと。
誰も傷つけたくないって自分に嘘をついていたけど、本当は自分が傷つきたくないだけだったから、ぶつかりあうことを恐れていたこと。
「……私のアイドル道は、あの日終わったんです。
色々と、考えが甘かったんだ」
「私は利益と可能性を追い求めています。
あなたの輝きは、金になる。
かつては設備、人員、そして金。足りないものがあったと思いますが、私はそれを全て満たすことができます。
私のマネージメントなら、あなたを誰よりも輝くアイドルにすることができます。
──もう一度、夢を始めましょうか」
どくん。諦めたはずの、夢が胸に芽吹いた。
私の価値とか、お金になるとか言われると悔しいけど、世界中の人達にアイドルを大好きになってもらいたい。そのための、誰よりも輝く道標になりたい。
普段なら、目の前の怪しい男の人──天知さんの説明なんて信じなかったかもしれない。
でもなぜかこの人なら、何をしてでもその未来へ導いてくれそうな気がした。
正直心の中はもう、頷いてしまいたくてうずうずしているけれど、単純な子供みたいで恥ずかしいし、少し冷静にならないといけない。
少し口を開いたそのとき、店員さんが声をかける。
「ご注文、お決まりですか?」
「ホットコーヒーをお願いします。角砂糖は3つお願いします」
「かしこまりました、お待ちください」
注文を承って席を離れて行く店員を見届けた天知は春へ視線を戻すと、ぱちりと瞬いた春と目があった。
「三つ、ですか?」
「ええ、効率よく脳を働かせるために必要ですから」
思わずといった様子で問いかけた春に忽然と返す天知を見て、春がぽやっと納得しているとカップが運ばれてきた。
天知は角砂糖をひとつ、ふたつ、みっつと迷いなく落としていく。
「……甘いの、好きなんですか?」
「いえ。あくまで疲労回復に甘味が合理的なだけです」
そう言いながらティースプーンでコーヒーをかきまぜる天知だが、口元が少し嬉しそうに動いたのを春は見逃さなかった。
ずっと無表情だったけど、その時は少しだけ気の緩みを感じられて親近感がわいた。
「話を戻しますが」
「はっ! はい」
「春さんに再挑戦する意思があれば。
私はあなたを誰よりも輝かせ、そして多大な利益を生ませてみせます。
アルバイトの募集チラシを眺めて迷うことなどなくなりますよ」
「……少し考えさせてください」
出しっぱなしにしていたバイト募集のチラシを隠すようにしまいながら苦し紛れに繰り出すと、天知さんは表情を変えないままなるほどと呟いた。
というかこれはいわゆるスカウトというやつだよね。
まさか私がされるなんて……今までオーディションを受けたことしかなかったから、新鮮な気持ちだ。
「わかりました。では、よいお返事をお待ちしていますよ」
そう言うと、すっと立ち上がりカフェの出入り口へ向かった。いつのまにか天知さんのカップは空になっていた。
去り際に伝票を持ち去られて、流れるように支払いを盗まれてしまった。
「あっ……」
手を伸ばした時にはすでに店を出ており、私がカフェに入った時にはなかった大きな黒塗りの高級車に乗り込んで見えなくなっていく。
「……もう一度、夢を」
もらった名刺を見つめながら、ぽつりと呟いた。
カフェを出た天知が数歩歩くと、通りに黒塗りの車が停まっている。
後部座席のドアが自動で開き、側に立つ運転手が軽く頭を下げる。
「お疲れさまです、天知様」
天知は軽く頷いて乗り込むとドアが閉まるり、街の喧騒が一瞬で遠ざかる。
車内は静かで、外の音がまるで別世界のようだった。
制限速度ジャストで疾走する高級車の後部座席で、天知は窓から外を眺めていた。
「もう答えは出ているのが丸わかりでしたね、本当に私の推しは、アイドルになるために生きているような女だ。
──益々、欲しい」
先ほどまでの無表情ではなく、薄く笑みを浮かべると彼はスマートフォンを取り出し、関係各所へ矢継ぎ早に電話をかけて指示を出す。
衣装、楽曲、設備、事務、ボイス、ダンス、ケバブ、メイク、グッズ、その他スタッフ等多岐に渡るが事前に話を通していたのかスムーズに手配していく。
「三日後までに、会場候補を三つ。
小規模でも構いません。
照明設備と配信環境を優先してください。
それから、青天国春さんの過去の出演映像をすべて集めてください」
後部座席のスピーカーから、スタッフの返答が返る。
『承知しました。
……あの方はお気に召されましたか?』
「ええ。
磨き上げられていない原石。私が最適な環境を整えます」
窓の外の景色に光が流れていくたび、天知の横顔に柔らかい影が落ちる。
その瞳の奥では、すでに次の舞台を見据えていた。
部屋の明かりをつけたまま、春はベッドの端に腰を下ろしていた。
カフェでの会話が、何度も頭の中をめぐる。
『──もう一度、夢を始めましょうか』
天知真一は怪しくて冷たい印象だったが、言葉には不思議と温度があった。
彼の瞳には“計算の奥にある誠実”があった。
「……本当に、ずるい人」
小さく呟いて、スマホを手に取るが、連絡先を開いたまま指が止まる。
画面の光が、潤んだ瞳と頬へ伝う雫の跡をうっすら照らす。
春は息を吸って、ゆっくり吐いた。迷いを一度に吐き出すように。
「……やっぱりまだアイドル、続けたい」
画面をタップし、送信ボタンを押す。
「お話、受けたいです」色々とメッセージを送る際のマナーに準じているけど、要約すればただそれだけのメッセージ。
けれど、春の胸の中では何かが確かに動き出していた。
数日後、都内のオフィス街にある高層ビルの一室。
大きな窓からは曇り空が見えていた。
入室を促された春がドアを開けると、天知は既にテーブルに資料を並べていた。
「来てくださってありがとうございます。
春さん、お待ちしていました」
相変わらず姿勢が良く、落ち着いた声で言う。
春は意を決したように顔をあげ、口を開く。
「……あれから考えました。
やっぱり、私……またステージに立ちたいです」
天知は頷き、微かに目元を和らげる。だが、それ以上の感情を見せることはない。
「では、正式に契約といたしましょう。
こちらの書類をご確認ください。金銭面、活動方針、今後の計画をすべて明記しています」
契約書を見た春はペンを手に取り、名前を書く。
ペン先が紙を滑る音が、妙に静かに響いた。
一瞬だけ視線が合う。
春の目には不安と希望、天知の目には静かな確信。
「これで、始まりですね。
春さんが本気で輝く限り、私は投資を惜しみません」
春は小さく笑う。
その笑顔を見て、天知はふと視線を外した。
窓の外の曇天の向こう、かすかに陽が差している。
「……春、ですからね。
あなたによく似合う季節に始められました」
「ふふっ……そうですね。
これから……よろしくお願いします! マネージャー!」
春が手を差し出すと頭1つ分半は高い位置にある天知の目が瞬くが、心得たように握手を交わす。
天知の白く細長い指で春の手はほとんど見えなくなっているが、それを気にせず春はぎゅっと力をこめた。