夢の始まり
スタジオビルの会議室。
ガラス張りの窓から午後の光が差し込み、テーブルの中央に資料が整然と並んでいる。
先に到着していた春が、少し落ち着かない様子で席に座っており、ペットボトルの水を何度も口に運んでいる。
しばらくして、最初から開いているドアにノックする音が聞こえてくると春は顔を上げた。
ワンピースに真っ白なカーディガン姿の小柄な女の子が入ってきた。
「あ、えっと……ここで合ってますか~?
グループメンバーとの、打ち合わせ……」
「うん、たぶん。私も呼ばれて……」
「よかったぁ~! あたし、琴森愛莉ですっ。
春ちゃんって言うんですよね?
やーっ! 可愛い~!」
柔らかい笑顔と一緒に、距離が一気に縮まる。
春は少し驚きながらも、笑ってうなずく。
「ありがとう……私は青天国 春だよ。よろしくね」
二人が談笑していると、次に入ってきたのはピンクのインナーカラーとパープルのメッシュが入った金髪をくくったポニーテールを揺らす女の子。
「遅れてすみません。篁 響季と申します」
声は低く落ち着いていて、どこか品がある。
派手でロックな見た目に反して口調は丁寧で、真面目な雰囲気がする。
「元々バンドのボーカルをやってました。
歌うことが好きなので頑張ります」
「すごい、歌が上手なんだね」
「……まぁ、少しだけ自信はあります」
照れたように小さく笑う。髪をくるくるといじる姿は意外なほど可愛らしい。
愛莉が目を輝かせていると、銀糸の長髪にブルーの瞳、真っ白な肌が眩しく制服のようなスカートを翻しながら部屋に入ってくる姿に目を惹かれる。
「ごきげんよう、みなさま。私、ナターリャと申しますの。
日本のアイドル文化を広めるために参りましたわ!」
「わっ、きれい……! ハーフなんですか?」
「ふふっ、ええ。半分はロシアの血が流れていますわ。
でも、心はもう日本人ですのよ?」
ナターリャがふふんと腰に手を当てていると、後ろからドタバタと足音が聞こえた。
「ギリギリせーふ!?
って、え〜! めっちゃ可愛い子ばっかじゃん! やば~!」
元気な声とともに入ってきたのは、兎塚七海。
スポーツウェア姿で笑顔で全員に手を振る。
「ねえ、ナターリャちゃんって言うの?
髪さわってもいい? 早速エナジー補給していい?」
「ま、まってくださいましっ!? 初対面ですのよ!?」
手をわきわきさせながらナターリャににじり寄る七海。
中性的な顔立ちだが非常にめりはりのあるスタイルで華がある。
「七海ちゃん、いきなり触っちゃだめだよ〜!」
春が慌てて止めると、「えへへ、ごめんごめん!」と悪びれもなく笑う。
ほっと息をついたナターリャから目線を外すと、今度は話し込んでいる愛梨と響季の方へ駆け寄って行った。
初対面同士とは思えないほど賑やかな空気の中、ゆっくりとした硬質な足音が徐々に大きく聞こえてくる。
最後に姿を現したのは、喪服のようないつもの真っ黒なスーツを身に纏った天知だった。
手にはタブレットと数枚の書類。会議室が一瞬で静まる。
「──揃いましたね。
本日より、あなた方には“ReLUCE(リルーチェ)”として活動していただきます」
「リルーチェ……?」
何人かが声を揃えて繰り返す。
「“輝きを取り戻す”という意味です。私がつけました」
そう言って、彼は手元の資料を配る。
スケジュール、ステージ構成、楽曲案、演出──そのどれもが、既に細かく決まっている。
「これ、まさか……」
春がページをめくる。
「この会場、けっこう大きいですよね? 初ライブなのに……」
「ええ。
客席後方を囲む特大LEDパネル、上等な音響設備が整った劇場ホール。
収容人数八百名。配信では数万人が視聴可能です」
「そ、そんな規模、グループ最初のライブなんて普通無理じゃ……」
「“普通”で成功できるなら、誰も沈まない」
天知は穏やかに言う。
「私が欲しいのは、失われた輝きを、“もう一度”取り戻す舞台」
その言葉に、ざわついていた全員が黙る。
春の胸が静かに高鳴る。
彼の目は真っ直ぐだった。
「ただし、条件があります。
3年で武道館ライブを成功させること」
「え、そんな短期間で!?」
「やーっ、まじでスパルタ〜……」
「アイドルの夢……!」
「ふふっ、たぎりますわ〜!」
「やば、アツいじゃん!」
天知は静かに微笑む。
「いい反応です。
では、あなた方の“輝き”を見せてください」
春は周りを見る。
誰もが不安を抱えながらも、その目は前を向いていた。
「……もう、逃げない」
天知の目がわずかに細められる。
「ええ。
あなたが挑戦し続ける限り、私も一切の妥協はしません」
そして、彼は書類を閉じて立ち上がる。
「──ここから始まります。
あなたたちの“再輝(リルーチェ)”が」
──
都内スタジオビル。
朝の光が斜めに差し込み、廊下の白い床に細長い影を落としていた。
エレベーターの扉が開くと、かすかに木材と汗の匂いが混ざる“レッスンスタジオ特有の空気”が押し寄せて、無音の緊張が聞こえていた。
春はドキドキしながら、重いドアの前に立った。
深呼吸をひとつしたあと、ドアを少しだけ開けると巨大な鏡が朝光を反射し、一面に淡く光が散っていた。
光の中に、昨日顔を合わせたメンバーの姿が見える。
「おはようございますっ!」
愛莉がまっ先に気づいて手を振る。
その動きでふわっと甘いシャンプーの香りが流れた。
「お、おはよう!」
響季はもうストレッチをしていて、丁寧に小さく会釈をする。
「おはようございます、春さん」
ナターリャは春に微笑みを向けたあと、自撮り棒をセットしており「今日のレッスン記録ですわ」と胸を張っている。
七海は……既に床に寝転んでいた。
両手両足を広げて、豊かな胸を上下させている。
「あー、緊張でお腹痛い~……春ちゃーん助けて~」
春は吹き出しそうになるのを堪えた。
「はいはい、起きてよ七海ちゃん」
スタジオの入口ドアが数回叩かれる。
天知が姿を見せた瞬間、空気がすっと張り詰める。
黒いシャツに薄いグレーのジャケット。
髪は朝の光でうっすら銀色がかって見え、淡々とした視線がメンバーひとりひとりをなぞる。
「おはようございます。
本日から三週間──密度の高い時間を共有します」
春の胸がキュッと引き締まる。
“本当に始まったんだ”という実感が、肌の裏側を熱くした。
天知はタブレットを操作しつつ、言う。
「本日はまず、皆さんの“現在地”を確認します。
ダンス、ボーカル、体力──いずれも数字で把握したいので」
彼は嘘をつかない。
その代わり、容赦もない。
だからこそ、言葉に重さがある。
音響担当がスマホで流した軽いビートが、床板を震わせた。
春は鏡の中の自分と目を合わせる。
肩を回し、腰をほぐし、呼吸を整える。
鏡越しに、メンバーの姿が映った。
愛莉は可愛いしぐさを保ちながら一生懸命ついていこうとしているが、「やーっ……う、動けない~」と半泣き。
響季は体の可動域が広く、静かで美しいフォーム。
メンバーの中では一番高い身長もありながら背筋が伸びていて、
ナターリャは優雅だが、少しぎこちない。「この動き、むずかしいですわっ」とぷるぷる震えている。
七海は……跳ねていた。まるでウサギのように。
大胆に揺れる胸に時折メンバーの目線が吸い寄せられている。
「あっつ! 春ちゃーん見て! 汗出てきた!」
「七海ちゃん、距離! 近い近い!」
天知は彼女たちを後方から観察していた。
腕を組んだまま、姿勢は一切崩れない。視線は鋭いが、責めるような色はない。ただ見極めているだけ。
「……なるほど」
その小さな呟きだけで、春の胃がキュッとする。
天知が指先でスピーカーの音量を上げる。静かなイントロがスタジオに広がった。
「では、今からトレーナーの見せる振り付けを、五分で覚えていただきます。
先に申し上げますが、覚えられなかったことを責めたりしません。ただ、把握するだけです」
そう言う天知の眼差しは冷静で、でもどこか優しかった。
トレーナーのダンサーが一連の動きを披露すると、全員の目が真剣になる。
春の鼓動が強まった。久々に感じる、燃えるような緊張。
体が勝手に音を覚えていく。
五分後、鏡の前に五人が横に広がると、再度音が流れる。
春の体が滑らかに動き、周囲のリズムを引っ張るように踊り出す。
愛莉は少し遅れ気味。
響季は硬い。
ナターリャは大振りで浮いてしまう。
七海は勢いはあるが粗い。
でも──五人がひとつの鏡の中に映っている。
それがなんだか、嬉しかった。
踊り終えると、軽く汗をかいているメンバーを見ながら天知はタブレットにメモを取りながら淡々と言った。
「……春さん。
やはり、あなたが軸ですね」
春の胸が震えた。褒められたというより、見抜かれた感覚。
「他の四人も悪くありません。
それぞれ伸びしろと課題が明確です。
今日から、個別の強化メニューを作成します。トレーナーが」
ちらりと天知に目を向けられたトレーナーは、ふんと気合を入れている。
息を整えた七海が手を挙げた。
「ねぇねぇ天知さん! 私は? どうだった?」
天知はまっすぐ答える。
「筋力は優秀です。
ただし、制御が不足しています。
あなたは動きで魅せるタイプだと思います」
七海は一瞬口を開けてぼんやりしていたが──そして、にぱっと笑った。
「えへっ、なんか……好きかも、そういうの!」
ナターリャが小声で「七海さんはちょろいですわ……」と呟く。
レッスンが一段落すると、天知が前に出て、静かに手を叩いた。
「今日で、ひとつだけ分かったことがあります」
全員が息をのむ。
「あなた方はまだバラバラですが──バラバラのままでも輝ける可能性がある。
それは、誰にでもあるものではありません」
春は、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。
「必ず武道館ライブを成功させましょう。そのために、私がいます。
……あなた方は必ず、誰よりも輝ける」
春は、気づけば少し笑っていた。
メンバーも、それぞれ違う形で息を吸い直す。
磨かれていなかった宝石たちが、確かに輝き出した──。
スタジオ内の簡易セット。
ピンクの壁に白いライトがあてられ、中央には丸いテーブルと五脚の椅子。
ライトに照らされると、メンバーの髪や瞳に柔らかい光が宿り、画面越しでも華やかに見える空間だった。
配信開始のカウントダウンがモニターに映る。
3、2、1──
「み〜んな〜! こんばんはっ!」
春が弾けるような笑顔で手をピンと伸ばす。
「リルーチェですの!」
ナターリャが上品にお辞儀。
「やーっ! みんな見てますか~?」
愛莉が指でハートを作って画面に寄せる。
「お元気でしょうか!」
響季は緊張している。
「うが〜!」
七海はなぜか両手を熊の手のようにして威嚇している。
コメント欄が一気に流れ始める。
『はるるんかわいい!』
『愛莉たん天使?』
『ナタちゃん美しい』
『でっか』
『響季ちゃん絶対いい子だわ、1億賭ける』
七海がモニターを覗き込み、にやり。
「はるるん可愛いって言われてるよ、どう思う?」
「なっ……え、やめてよ七海ちゃん!?」
春の耳が真っ赤になり、七海が楽しそうに肩に抱きつく。
「重いよ~……ほんとにっ」
「はるるんの肩、すごい好き~。安心する~」
七海は頬ずりまでしてくる。
コメントが爆速で流れる。
『ナナはるはガチ』
『春ちゃん照れてて可愛い』
『七海そこ代われ』
『いや春そこ代われ』
『それだとおっさん同士になるがいいのか』
愛莉がマイペースにぽてぽて近づき、響季の腕をつつく。
「響季ちゃん、今日いつもより可愛いよ~?
気合い入ってるの、好き~!」
響季は一瞬フリーズしたあと、耳の先まで赤くなる。
「えっ、あっ、えっと……
ありがとうございます……?
こういうの、慣れていなくて……」
「じゃあ慣れよ~? はい、ぎゅー」
愛莉が両腕で響季に抱きつく。
響季は狼狽しつつも、少し嬉しそうに背中に手を添える。
コメント欄がまた爆発。
『ひびきあい来た!!』
『愛莉ちゃんのハグ大好き』
『響季が照れてるの貴重すぎる』
『いただきましたよぉ〜!』
ナターリャは優雅に紅茶を飲む仕草をしつつ、微笑みを浮かべる。
「みなさま、こういう百合営業とやら……
日本のアイドル文化では定番ですのね?」
「ナターリャちゃん、え、営業ってわけじゃ……!」
春が慌てる。
「ですけれど──」
ナターリャが春の手をそっと取って見つめる。
「本当に仲良くなるのは悪いことではありませんわよね?
春さん、あなたのリーダーシップにはいつも感心していますの」
春は息を呑む。
七海がすかさず割り込む。
「ちょ、ナタちゃんずるい! はるるんは私のものだよ~!?」
「何をおっしゃいますの?
春さんを独り占めするなど許せませんわ」
二人が春の両腕を抱える形になり──
春の顔は真っ赤。
『春争奪戦www』
『七海vsナターリャ、最高』
『これ無料で見ていいの!?』
『続きは有料だぞ』
配信コメントは限界突破していたその時、カメラの外、照明の陰に立つ天知がほんの一瞬だけ映り込む。
冷静な眼差しでメンバーを観察し、タブレットに何かをメモしていた。
『今なんかスーツの人いた?』
『もしかしてプロデューサー?』
『イケメンすぎない?』
春が慌てて笑う。
「あ、天知さんは今日の配信を見守ってくれているだけなので!
気にしないでください!」
天知はすぐ姿を消すが、そのさりげない支え方はメンバーだけでなく視聴者にも伝わった。
「これから、もっと仲良くなって、もっと色んな一面を見せたいです!」
春が元気に言う。
「やーっ! いっぱい絡む~!」
愛莉が嬉しそうに笑う。
「今後ともよろしくお願いいたします」
響季の丁寧な挨拶。
「次は私が春さんを独占しますわよ」
ナターリャの冗談めいたウィンク。
「絶対負けない~!」
七海が春の細い腰にしがみつく。
コメント欄が熱狂のまま、配信の赤ランプがスッと消えた。
スタジオを出ると、もう夕暮れ。
路地はオレンジ色に染まり、同じ色の春の髪が小さく揺れた。
「……今日の配信、ちゃんとできてたかな……」
七海やナターリャに抱きつかれて顔真っ赤になった場面や、七海にほっぺをぷにっとされて慌てた場面が春の頭の中でリフレインして、頭を抱えてうずくまる。
「——中々良い反応でしたよ」
背後から落ち着いた声。
振り返ると、天知が書類を胸に抱えながら歩み寄っていた。
「え、あ、天知さん……いつからいたの〜!?」
「あなたが『うわぁぁ恥ずかしい』と頭を抱えていたあたりからです」
「み、見てたの!?」
「ええ。あれは非常に“良かった”と思いますよ。ファンは喜んでいますし、あなたも自然に笑えていました」
言いながら、わずかに口角を上げる。
春はその微笑みを見ると胸がむず痒くなって、そっぽを向いた。
「うぅ……だって、みんな仲良くしてくれるし……私も楽しくて……」
「ふふ。素直でよろしいです」
天知はそう言いながら、長い足の歩幅を春に合わせて隣を歩く。
スタジオ前の薄暗い道を二人で歩いていると、どこか秘密めいた空気が漂う。
「ただ……ひとつだけ気になる点がありまして」
「な、なにかな?」
「七海さんに抱きつかれていた時のあなたの反応です」
「へ? 反応?」
「ええ。『は、恥ずかしいよぉ〜……』と小声で抗議していましたね」
「ちょっ、なんでそれ覚えてるの!?
というか今の私のマネ!? え!?」
「仕事ですので。——あと、少し可愛かったので」
春の肩がびくっと跳ねる。
「か、かわ……っ!?」
「その反応も含めて。なかなか、興味深い方だと思っています」
からかうような声音なのに、天知の目は優しくて、嘘がなくて。
春は胸がじんわり熱くなる。
「プロデューサーくん、時々……意地悪だよね」
「私は本当のことしか申しませんので」
「それが意地悪なんだよ〜……!」
春が頬をふくらませると、天知はわずかに目を細めた。
天知の言葉はいつも丁寧で、淡々としていて、それでいて毒があって。
普段男性と話すことは家族くらいだったため、春は胸を押さえてしまう。
そんな彼女を横目で見ながら、天知は静かに言う。
「明日のレッスン、楽しみにしています。あなたが笑っていてくれると、私も助かりますので」
「……が、頑張るね……!」
夕暮れの街に、春の声が小さく響いた。