シャインポスト〜光を作る影   作:Kabash

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初ライブを終えて

 ライブ翌日の夕刻。

 事務所のビルの前は、沈みかけた太陽がビルの壁を淡いオレンジに染めていた。

 

 愛莉は鞄を抱えて、とことこと天知の後ろに続いて歩いている。

 パンプスのヒール音が舗道に軽く響く。

 愛莉より頭ふたつ分高い位置にある天知の瞳が資料を見ながら、歩調を変えずに前を行く。

 

「ねぇ、天知さん」

 

 呼び止める声は、春よりもずっと柔らかく、甘い。

 天知は足を止める。

 夕日の光が横から差して、その眼差しを少しだけ黄金色に縁取った。

 

「なんでしょう」

 

「昨日のライブね……私、もっと可愛くできました。

 次は、もっと“天知さんが見てくれる可愛い”を見せちゃいます!」

 

 甘えるように言う。

 だが天知は表情を動かさない。

 

「私はちゃんと見ていましたよ、とても可愛らしかったと思います」

 

 天知は一瞬だけ横目で彼女を見る。

 愛莉は夕日に髪の毛の一本一本まで明るく照らされていた。

 

「……愛莉さんは、画になりますね。

 写真でも動画でも。効率良く“可愛い”ですね」

 

 遠回しな褒め言葉に愛莉はぱあっと顔をほころばせる。

 

「やーっ! もしかして惚れちゃいました?」

 

「違いますよ、マネージャーとしての評価です」

 

 そう言って歩き出す天知の背中に、愛莉はとことこついていく。

 彼の背中を追いながら、胸の奥でときめきが弾ける音を、愛莉だけが知っていた。

 

 ⸻

 

 

 夜の色が窓の外に残り、街路灯がかすかに白んでいる時間。それでもネットはすでに熱を帯びていた。

 

《#青天国春》《#琴森愛莉》《#篁響季》《#ナターリャ》《#兎塚七海》

 五つのタグが、夜の海を照らすブイのように並んで光り続ける。

 SNSのタイムラインには短い歓声が弾けていた。

 

「新人なのに歌のレベル高すぎない? 元々何かやってたの?」

「春ちゃんセンターの笑顔で泣いた」

「愛莉ちゃんかわいすぎて滅」

「ロシアちゃんの語尾ですわ!? しか勝たん」

「七海ちゃんの愛で愛でにより世界が浄化」

「響季さんはプロになれる」

「お前は武道館に行け」

 

 ライブ配信の冒頭無料部分の切り抜きは夜明けのような勢いで広がり、“無名の新人”だったはずの五人の名前は一斉に世界へ放たれていた。

 再生回数は加速度的に跳ね上がり、コメント欄は数秒ごとに新しい声で埋まっていく。

 天知はその流れを、暗いオフィスでひとり眺めていた。

 照明をつけず、モニターの光だけに照らされた顔には感情の波はひとつも見えず、ただ数字の変動だけを見つめていた。

 

 ⸻

 

 朝、家を出ると、春のマンション周辺はうすい曇り空。

 湿った風が頬をなで、昨夜の余韻を静かに洗い流すようだった。

 角を曲がった瞬間、近所の女子高生たちが小声で叫んだ。

 

「やばっ、あれ春ちゃんじゃない!? ライブ見たよ!!」

 

 春は足を止めて振り返る。ほんの少し息を飲んでから笑った。

 

「見てくれてありがとー!! ……なんか、嬉しいね」

 

 女子高生たちは喜びのあまりぴょんと跳ねる。

 それを見て春の胸も、ふわっと熱くなるように広がった。

 まるで、暗い部屋にようやく灯った小さなろうそくの明かりに触れたみたいだった。

 

 ⸻

 

 日中のショッピングモール。

 天井のガラスから降り注ぐ白い光が床に落ちて、愛莉はその上をスキップするように歩いていた。

 そこで、同年代の女の子3人組が近づいてきた。

 

「本物だ……反則級に可愛い……」

 

 愛莉は、くりっとした目でにこーっと笑う。

 

「やー! ありがと〜♡

 昨日はメイクさんががんばってくれたの〜。

 でも、私もがんばったんだよ?」

 

 そう言って胸の前で両手をぎゅっと握ると、女の子たちが一斉に悶えるように肩を寄せ合った。

 

「に、人間ってほんとにこんな可愛いの……?」

 

 モールの空気は花の香りみたいに甘く膨らんでいた。

 

 ⸻

 

 ライブ翌日の朝、スタジオ横の喫茶店。

 大きな窓から差す光が、響季の金髪を淡く縁取っていた。

 元バンド仲間の一人が、響季を見つけて走り寄ってくる。

 

「響季、ライブ見たよ……!」

 

 響季はコーヒーを置き、まっすぐ相手を見る。

 

「ありがとうございます。

 まだまだ未熟ですが……昨日は全力でした」

 

 真面目すぎる返答に元仲間は逆に笑ってしまう。

 

「いやいや、未熟どころじゃないよ……。

 本当はあんなに上手かったんだね……」

 

 響季は少しだけ視線を落とし、

 その濁りのない横顔に光が薄く反射した。

 

「……そう言っていただけるのは、嬉しいです」

 

 その丁寧さも響季という人間の武器だった。

 

 ⸻

 

 広い公園の端、レンガの壁を背景にナターリャは日本文学の教科書を抱えて歩いていた。

 すると後ろから、オタク風の男子学生たちが興奮気味に近づく。

 

「あっ、あの……昨日のライブ……

 ほんとうにアニメのヒロインみたいでした!」

 

 ナターリャはくるっと振り返り、月のように柔らかい笑顔を浮かべた。

 

「まあっ。見てくださったのですの? 

 日本のヒロインは、わたくしの憧れなのですわ!」

 

 その笑顔に男子学生たちは一瞬で真っ赤になる。

 風が揺らす銀糸が、日差しを受けて一層鮮やかだった。

 

 ⸻

 

 スポーツジム前で七海はスポーツウェア姿でストレッチしていた。

 周囲は午前の冷たい空気と、開店準備のざわめきに満ちている。

 そこへ、部活中だろう女子たちが声をかけた。

 

「七海ちゃん昨日めっちゃ可愛かった! 

 てかさ、あの春ちゃんの肩抱いてたやつ何!?」

 

 七海はにぱっと笑って、タオルを肩にかけた。

 

「んー? かわいかったから愛で愛でしただけだよ! 

 あたし、かわいい子大好き!」

 

 女子たちは幸せそうな表情で気絶した。

 

 ──

 

 控え室の窓からは、街の夜景がきらきらしてた。

 春は椅子に深く座って、スマホを胸に抱えたままぼんやり空を見ている。

 

「疲れましたか?」

 

「んー……疲れたっていうより、胸がいっぱいって感じかな。

 ほら、私ってさ、表情に全部出ちゃうでしょ? 

 今日の景色、全部胸に刺さって……うまく言えない」

 

 春はいつも陽だまりみたいなのに、今は静かな夜の湖みたいだった。

 

「ステージの途中、天知さんが私を見たでしょ? 

 あの瞬間、“あぁ、私たち始まったんだ”って思ったんだ」

 

 天知は少し驚いた。

 

「そんなふうに思われたのですね」

 

 春はこくりとうなずいて、ゆるりと微笑む。

 

「これからもっと一緒に見たい景色、増えちゃった」

 

 その言葉を呟いた瞬間、胸の奥がじんわり熱くなった。

 

 ──

 

 事務所の廊下は静かで、蛍光灯が白く長い影をつくっていた。

 ミーティングルームでは天知が書類を広げ、カップに入ったコーヒーには湯気が立ち上っている。

 みんなまだライブの高揚が抜けず、ほっぺたが少し火照っていた。

 

「初ライブ、大成功でしたね。数字も反応も想定以上……ですので、次を動かしたい」

 

 その言葉に、メンバーたちは一斉に息をのむ。

 天知がタブレットを操作すると、抜粋された三通のメールがスクリーンに共有される。

 “取材依頼”

 "対バン"

 "ロケ企画"

 

 天知はみんなをゆっくり見渡した。

 

「ここからが本当の勝負です。

 今日の拍手だけで終わらせない。一歩前へ踏み出しましょう」

 

 部屋の空気がふっと熱を帯びる。

 天知はメンバーと目を合わせ、静かにうなずいた。

 こうして、初ライブの余韻が消えないまま、彼女たちの第二章が幕を開けた。

 

 ── 

 

 愛莉は、小さめのライブハウスで行われた対バンステージの袖で小さく息を吐いた。

 

 ピンクのフリルが幾重にも重なった衣装。レースのリボン。パールのヘアピン。鏡に映る自分は、今日もちゃんと「可愛い」が仕上がっている。

 それを見るたび、胸の奥がきゅっと熱くなる。

 

 ——もっと、たくさんの人に見てほしい。

 

 それは、欲望というより渇望だった。

 

 所属しているアイドルグループ、RELUCEは着実に人気を伸ばしている。でもセンターは愛莉ではない。

 ロケ企画への出演や取材に応じるのは、他のメンバーだった。

 もちろんアイドルの本業はライブなので箱は小さくとも大切なお仕事だ。マネージャーはよくやってくれている。現場でのフォローも的確で、愛莉の体調の揺れにも誰より早く気づく人だ。

 だから不満なんてない……はずだった。

 

「君、やっぱり華があるね」

 

 初めて声をかけられたのは、対バンライブの控室前だった。

 振り向いた先にいた男は、にやりと笑みを浮かべていた。仕立てのいいスーツ、滑らかな口調。

 いつの間にか受け取っていた名刺には、事務所の社長とある。あとで調べてみたらグラビア雑誌系の会社だった。

 

「もっと露出を増やしたくない? 今のままじゃ、もったいない」

 

 “露出”という言葉が、ほんの一瞬だけ引っかかった。

 けれど男はすぐに続ける。

 

「雑誌の表紙、特集、写真集……君の“可愛い”を、もっと大きくしてあげられる」

 

 可愛い。

 その単語だけが、やけに甘く響いた。

 マネージャーに報告すべきだと頭では分かっていた。でも、男は言う。

 

「最初は軽い撮影からでいい。指名という形で、こちらからオファーを出すよ。君の評価が上がれば、グループにもプラスだろう?」

 

 それは、ずるい言い方だった。

 愛莉はうなずきも否定もしなかった。ただ曖昧に笑っただけだ。

 ——もし、本当に仕事が増えたら。

 

 数週間後、実際に愛莉個人への指名がいくつか入り始めた。いわゆる“可愛い系”のグラビア。

 水着ではなく、ふわふわの衣装やぬいぐるみと小道具。世界観は守られている。

 オファーを受け付けた天知は目を細めた。

 

「最近、愛莉への指名が増えていますね」

 

 好都合だという様子ではあったが、どこか慎重だった。

「私も人気出てきましたよね!」と嬉しそうに振る舞う愛莉だが、少し危うさのようなものを感じる。

 

 

 ──

 

 撮影のたびに、社長は距離を詰めてくる。肩に触れる時間が長くなり、耳元で囁くことが増える。

 手首より上を男性に触れられると嫌悪感を覚えることを知った。

 しかしそれを抑え込み、撮影では笑顔を作る。

 

「次はもう一段階、攻めてみようか」

 

 その言葉の意味を、愛莉は理解しないふりをした。

 もっと可愛いを広めたい。自分が選ばれたい。

 

 その思いが、警戒心を少しずつ鈍らせていく。

 

 今回の撮影は、都内の大きめのスタジオだった。しかしいつもよりスタッフが少ない。天知は別件の対応で少し後から合流すると聞いている。

 

 セットは白いベッド。薄いレースカーテン。

 

「今日は特別だ。君なら大丈夫」

 

 社長の声は低く、粘ついていた。

 

 撮影は順調に進んでいるはずだった。

 

 その日も愛莉は、甘い色のワンピースに袖を通していた。胸元には小さなリボン、ふわりと広がるスカート。鏡の中の自分は、いつも通り「可愛い」でできている。

 けれど、社長の視線だけが、少しずつ変わってきている気がした。

 

「今日は二本目の撮影もあるんだ」

 

 カメラマンが片付けを始めた頃、社長が軽い調子で言った。

 

「近くのスタジオ。すぐだよ」

 

 いつものことだ。現場はいくつも掛け持ちしている。

 だから愛莉は、深く考えなかった。

 社長から漂ってくる過剰な香水に少し鼻をむずむずさせながら社長の車に乗り込み、夜の街を少しだけ走る。

 窓の外のネオンが、ぼんやりと流れていく。

 やがて駐車場で車が止まった。

 愛莉は窓の外を見て、小さく首をかしげた。

 

「……ここ、スタジオですか?」

 

 車を降りたそこにあったのは、撮影ビルではなくホテルだった。

 社長は笑った。

 

「上に撮影できる部屋を借りてるんだ。最近はこういうの多いよ」

 

 言葉は軽い。

 でも、どこか急かすような雰囲気で愛莉を誘導する。

 空気が冷たく刺してくる。

 漏れ出る照明の柔らかさ。

 人の気配が妙に少ない。

 胸の奥がざわついた。

 

「社長……マネージャーさんを待っていてもいいですか?」

 

「大丈夫大丈夫。先に軽く撮っておくだけ」

 

 そう言いながら、ホテルの前で愛莉の手首を掴んだ。

 その瞬間、嫌な感覚が背筋を走る。

 

「……離して下さい」

 

「売れたいんだろ?」

 

 声が低くなる。

 

「次の段階に行くには、こういうのも必要なんだよ」

 

 手首を掴む力が強くなる。

 頭の中の冷たい部分が、防犯のため親に持たされていたバッグの中の催涙スプレーに意識を向けた瞬間だった。

 

「おいおいおい」

 

 背後から、やけに場違いな荒々しい声が響いた。

 

「おじさんお金持ってない?」

 

 振り返ると、数人の男たちが見下ろしていた。

 ラフな服装、軽薄で荒っぽい歩き方。どう見てもこのホテルの客には見えない。

 社長の手が止まる。

 

「……誰だお前ら」

 

「通りすがりだよ」

 

 男の一人が笑う。

 けれどその視線は、愛莉の掴まれている手首をしっかり見ていた。

 

「てか、めっちゃ可愛い子連れてるじゃん! 俺らも混ぜてよ」

 

 社長は舌打ちした。

 

「関係ないだろ。仕事だ」

 

「へえ」

 

 男は一歩近づいた。

 その後ろの仲間たちも、ゆっくり距離を詰めている。

 空気が一気に変わった。

 社長の指の力が、ほんの少し弱まる。

 

「……トラブルは面倒だな」

 

 吐き捨てるように言って、手を離した。

 その隙に、愛莉は一歩後ろへ下がる。

 先ほどまで掴まれていた手が震えている。足は凍りついたように動けない。

 

「よく見たらおじさん、高そうな時計してるじゃん! 

 もしかして社長さんとか?」

 

 男の一人が社長の時計に無遠慮に手を伸ばす。

 社長はそれを振り払うと、愛莉に目を向けずに足早にその場を離れようとする。

 

「今日は中止だ」

 

 苛立った声を残して、社長は車へ乗り込み、愛莉を置いて去っていった。

 静かになった空間で、愛莉はまだ鼓動の速い胸を押さえていた。

 男たちの標的が愛莉へ移る前に、早くその場を離れるべきなのに動けないでいると男たちは顔を見合わせた。

 

「……そういえば明日って新台だよな?」

「あ、やっべ。急げ!」

 

 さっきまで注目していた愛莉のことなどまるで見えていないかのように、さっさとその場を離れていく。

 

 嵐みたいだった。

 やがて愛莉の隣に見慣れた車が停まる。

 そして見慣れた男が降りてくる。

 

「……愛莉さん」

 

 いつもの穏やかな声。

 その目も普段通り冷静だった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 その一言で、張り詰めていたものが一気にほどける。

 さっきの男たちは、もうどこにもいない。

 

「天知さん!」

 

 やっと動くようになった足で天知の元へ駆け寄る。

 ぽかぽかと体が急速に温まる。

 

「さっきの人たちは……」

 

 思わず聞くと、マネージャーは肩をすくめた。

 

「さて。偶然でしょうか」

 

 まだ落ち着かない愛莉に、天知は一息ついて続ける。

 

「愛莉の可愛いは、守らないといけませんからね」

 

 それは優しい言葉のはずなのに、どこか静かな決意が混じっていた。

 愛莉は黙ってうなずいた。

 胸の奥に残っていた迷いが、ゆっくり消えていく。

 可愛いを広めたい。売れたい。

 でも——それまでの道を誰と歩くかは、自分で選ばないといけない。 

 

 

 その日を境に、怪しい事務所からの指名はぱたりと止んだ。

 代わりに、王道の雑誌やブランド案件が増えていく。ゆっくりと、しかし確実に。

 可愛いは、武器だ。

 けれど、それも大切に磨かなければいけない。

 愛莉は鏡の前で、もう一度リボンを結び直した。

 今度は、迷いのない目で。

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