投稿頻度はゆっくりになりますが読んでいただけたら幸いです。
「……これで何回目なんだろうか」
カフェテリアの締め作業をしながら、思わず独り言が漏れた。
静まり返った店内には、淹れたての珈琲の残り香だけが漂っている。
僕の“直感”を知っている同僚のトレーナーに、
良さそうだと思ったウマ娘を先にスカウトされるのは、
もう珍しいことではない。
今日で何度目だったかも、もう覚えていない。
【僕の直感が働いたウマ娘は伸びる】
そんな噂めいた話がいつの間にか一人歩きして、
気づけば僕は、スカウト競争で毎度出遅れる立場になっていた。
それでも、トレーナーとして選抜レースを観ないわけにはいかない。
六ヶ月後の選抜レース――そこには必ず足を運ぶ。
今日も、直感を磨くために来た。
珈琲器具を片付けながら、小さく息を吐いた。
「……今回は、スカウトできたらいいんだけどな」
そして選抜レース当日が訪れた。
スタンドに立つと、いつもの熱気とざわめきが押し寄せてくる。
ゲートに向かって歩くウマ娘たちの気配が、
波のように空気を揺らしていた。
その中で――ふっと胸の奥が震えた。
八番。
視線の先で、黒鹿毛のウマ娘が静かにゲートへ入っていく。
線は細い。
華奢と言ってもいいほど頼りないのに、
なぜか目が離せなかった。
(……あの娘、なんかいいな)
資料を確認する。
「マンハッタンカフェ。成績……ふむ、勝ちはなし」
数字だけ見れば平凡だ。
それでも、胸の奥では“直感”が確かに動いていた。
レースは、三着。
悪くない。
けれど目立つわけではない。
観客が散り始める中、ふと隣から声がした。
「あの八番の娘、気になるの?」
振り返ると、同期の女性トレーナーが紙コップを片手に立っていた。
「ええ、まあ……なんとなく」
「また“なんとなく”? あなたのそれ、当たるから困るのよね」
そう言うと、彼女はすっと階段を降り、
マンハッタンカフェへ向かっていった。
僕は、その様子を見守るしかなかった。
スタンド下、マンハッタンカフェに声をかけた彼女は、
少し話しただけで、妙に早足で戻ってきた。
「……無理だった……」
ため息交じりに肩を落とす。
「“あなたじゃない”ってさ。
お友達が言ってるんだって。
……怖っ」
やれやれ、という顔だが、どこか本気で怯えている。
「お友達……?」
「そう。“そこにいますよ”って言われちゃったわ。
後ろ見ながらよ……ほんと無理」
僕は小さく息を吐く。
「まあ……なんというか」
女性トレーナーは苦笑しながらも、
「直感が言うなら、そのうち出番くるわよ」と肩を叩き、帰っていった。
そのあと姿を消していく黒鹿毛の背中を、
僕はしばらく目で追っていた。
胸の奥では、昼間から続く“震え”がまだ残っていた。
夜。
カフェテリアの手伝いを終え、閉店作業をする。
「……ほんとに従業員みたいだな」
苦笑しながら、片付けた珈琲器具を整える。
気づけば、自分のトレーナー室よりも
ここにいる時間のほうが長くなっていた。
今日のマンハッタンカフェの走りを思い返す。
「すごかったな、今回は3着だったけど。今後は重賞もいやG1制覇だって」
直感が、またふっと震えた。
そのとき――
視界の端で、“影”が揺れた。
昼間にも見た、あの黒い揺らぎだ。
まるで僕を誘うように、廊下の角へ消える。
「……行ってみるか」
明かりを落とし、後を追う。
角を曲がった先――
そこにいたのは、
夜のターフでひとり走る、マンハッタンカフェだった。
ライトに照らされた彼女は、
昼間よりずっと透明で、影そのもののようだった。
僕に気づいたカフェは走るのを止めて近づいてくる。
「……どうされたのですか?」
キョトンと首を傾げる仕草は可愛らしいが、
今はそれどころではない。
「あの子に誘われてここに来たんだ」
彼女の背後――ターフの奥に立つ“影”を見る。
カフェははっと振り向き、
再びこちらを見た。
「まさか……あなたにも、見えるのですか?」
夜気の冷たさより、
その声の震えのほうが強く胸に残った。
1話目は出会いまででした
次回はどこまでしようか