特殊能力”超分析”で客寄せパンダの女子投手を救ってみた 作:うぱるぱん
翌朝、私は虻田二軍監督に呼び出された。
告げられたのは——明後日の広島ホワイトキャッツ戦で先発してくれないか、という申し出だった。なんでも、当初先発する予定だった倉田さんが肘痛で離脱し、さらにその代役として予定されていた浜家くんまで下半身のコンディション不良で戦線を離れてしまったらしい。
昨日登板したばかりではある。とはいえ、五十球しか投げられていない分、身体の疲れはまだ軽い。そしてなにより――こんな私でも、チームの役に少しでも立てるのなら。
「大丈夫です。いけます」
そんな思いが頭をよぎり、私は先発登板を引き受けることにした。
***
ジョギングを終えた私は、息を整えながらベンチに腰を下ろす。汗が体中を伝い、ナイロン素材のTシャツが背中に張り付く。
ランニング用のスマートウォッチで走行記録を確認していると、不意に声をかけられた。
「おつかれさまです。よかったらこれ、どうぞ」
顔を上げると、黄色を基調とするラクーンドッグスのトレーニングウェアに身を包んだ駒形さんが、スクイズボトルを片手に立っていた。
「わ、え、ありがとうございます!」
差し出されたボトルを手に取り、飲み口に口をつける。水の冷たい感触が火照った体に静かに染み渡っていく。
乾いた喉を潤すように水を流し込んでいると、視界の端で、駒形さんが同じベンチに腰を下ろしたのが見えた。目はグラウンドへ向けられたままなのに、身体だけがほんのわずかにこちら側へ傾いている。
……もしかして、私に何か用があるのかな。
口に運んでいたボトルをそっと下ろす。すると、やはり私が飲み終わるのを待っていたらしく、駒形さんの視線がふいにこちらへと向けられる。
「明後日のホワイトキャッツ戦、先発することになったみたいですね。中二日しかないですけど、本当に大丈夫ですか?」
駒形さんの声には、心配そうな色がほんのりと混じっていた。
さっき軽く体を動かしてみて気づいたのは、思っていた以上に疲れがまだ残っているということだった。それでも、ここで余計な気を使わせるのも申し訳ない気がしたので、私は胸の奥のだるさをそっと押し殺した。
「心配してくださってありがとうございます。でも、昨日だってそんなに球数投げたわけじゃないですし、全然大丈夫です!」
「……やっぱり、綾瀬さんってすごいですね」
すごい……? 中二日でも登板できる体力がってこと? いや、でもなんとなくだけど、そんな単純な意味で言ってる訳じゃなさそうな感じするし……。
その真意を聞き返そうとした――その瞬間にはもう、駒形さんの口が先に動いていた。
「でも、絶対に無理だけはしたらダメですよ。投げられなくなったら元も子もないですから」
「そう……ですね。心配してくださってありがとうございます」
「いえいえ、僕が勝手に心配になっただけですから……それでなんですけど、その日僕もたぶんスタメンなんで配球とかについて事前に話しておきたいと思ってるんですけど、今、時間大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です!」
ああ、最初からこの話をするつもりで来たんだろうな。と、一人で勝手に納得していると、駒形さんが何かを思い出したかのようにふっと視線を横にそらした。
「あ、そういえば昨日言い忘れてたんですけど、実は俺、綾瀬さんと同い年なんですよね……もしよかったらですけど、これからはため口で話しませんか?」
「そうなんですね! うん、そっちの方が私も話しやすいし、これからはため口でよろしくね!駒形くん!」
すると、駒形くんはなぜかくるりと体を反転させて、背を向けたまま固まってしまった。
「え、どうしたの?」
「いや、なんとなく振り向きたい気分になって……」
振り向きたい気分ってなに?
とまあ、それはともかく。
こうして、敬語からため口に切り替えた私たちは、そのまま本題へと話を進める。
敬語で話しているときは二つか三つ年上に見えてたけど、こうして見るとたしかに同い年くらいって感じするなぁ。そんなことを思いながら、私は駒形くんの話に耳を傾けていた。
「……今季の綾瀬さんの投球割合はストレート15%、ツーシーム25%、スライダー35%、チェンジアップ25%。典型的な”軟投派”の数字だね。でも、明後日からはこれを、ストレートが投球の六割以上を占める、”速球派”のピッチングに変えようと思ってる」
「……え?」
その言葉に、私は思わず戸惑ってしまう。
『140も出ねぇ球が通用する訳あるか。少しでも長くプロでやりたかったら変なプライドは捨てろ』
過去の言葉が私の頭をよぎる。私のストレートが通用しないことは、もう自分の中では当たり前になっていた。
「なにその反応?」と言わんばかりに、意外そうな表情を浮かべている駒形くん向かって、今の自分の気持ちをそのまま伝える。
「だって、私のまっすぐなんて140キロも出せないし、回転数だって平均にも届いてないんだよ? それを中心に……なんて言われても、正直抑えられるイメージが湧かないかな」
言っていて自分で情けなくなるけれど、それでも、これは紛れのない事実だ。
すると、駒形くんの口角が上がり、いたずらっぽい笑みがその顔に浮かんだ。
「……さては綾瀬さん、昨日『読んだ』って言ってたノート流し読みしたでしょ?」
「ッ!?……うん。ごめんなさい」
「ごめんごめん、そのことに文句を言うつもりは全くないから。むしろ、目を通してくれただけでもありがたいし、ノートに書いてたことも含めて今からちゃんと説明するから気にしないで」
駒形くんの柔らかな口調に、ノートを流し読みしてしまったことへの申し訳なさと、同時に胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
少しだけ沈黙が流れた後、駒形くんの表情がわずかに引き締まる。そして、確かな重みが増した声で、話を切り出した。
「……たしかに、単純な球速やスピン量だけみれば綾瀬さんのストレートはプロで通用するレベルじゃないかもしれない……でも、綾瀬さんのストレートには一つ、他のピッチャーには絶対に真似できない"絶対的な強み"がある」
「絶対的な……強み?」
「うん。だって綾瀬さんってさ——
***
翌々日、対広島ホワイトキャッツ戦。
見慣れたホームの屋外球場。そのマウンドに私は立っていた。
今日は一軍戦ではないけれど、それでもマウンドに立つのはやっぱり怖い。
また打たれたらどうしよう、また落胆されるかもしれない、また軽蔑されるかもしれない。そんな不安が私の胸に押し寄せる。
いや、それだけじゃない。
駒形くんのおかげで、今までとは違う自分になれるかもしれない——そう期待しているからこそ、その期待が裏切られるのがどうしようもなく怖かった。
左手に握ったボールを見つめていると、突然目の前から柔らかな声がした。
「ねぇ綾瀬さん、これ見て」
驚いて顔を上げると、駒形くんがすぐ目の前に立っていた。右手を差し出し、指先の爪を私の視線の高さに掲げている。
見ると、爪が鮮やかな黄色に塗られていた。
「それって……マニキュア?」
「うん」
「あれ? 駒形くんってメイクとかに興味ある感じだったっけ?」
「ううん、全く。実はこれ、おしゃれとかじゃなくて、サイン見やすくする用のやつなんだよね」
「へー、そんなのあるんだ。でもたしかに、こっちの方が見やすそう!」
「でしょ? それでさ、実はこれ”あるもの”の色を再現したオリジナルのマニキュアなんだよね。さて、ここでクイズです。その”あるもの”とはなんでしょう?」
「……へ?」
なんか唐突に始まった。
登板の直前に一体私は何をやらされてるんだろう。釈然としない気持ちを抱えながらも、一応駒形君の指先をじっくりと観察してみる。
いかにもオーソドックスな黄色といった感じで、特にこれと言った特徴がない。これ、実質ほとんどノーヒントじゃない? 結局なにも思いつかなかったので、とりあえず、適当に頭に浮かんだものを答えてみる。
「……レモンとか?」
「残念、惜しい。正解はダンディ◯野のスーツでした」
「全然惜しくないじゃん!」
というか、何をどうすればダンディ◯野さんの黄色をマニキュアで再現しようって発想になるんだろう。めっちゃ古いし。
脇にミットを挟み、両指を二丁拳銃のように構えたまま、駒形くんはキャッチャーのポジションへと戻っていく。
「ガッツ」
「惜しいけど違う!」
本当になんだったんだ。
この前の『おやじギャグ集』の件といい、駒形くんは変なところで変なことを言ってくるから正直よく分からない。
あれだけの分析ができる頭の良さがあるんだから、それにも何か意図があるのかもしれないって気もするけど……でも、頭がいい人ほど変わってるってよく言うしなぁ。
そんなことを考えているうちに、ふと肩の力が抜けている気づく。
緊張と不安で張りつめていたはずの呼吸も、さっきよりずっと楽だ。
――もしかして駒形くん。私をリラックスさせるために、わざと変なことを言ってくれたんじゃ……。
そんな考えが、ふと頭をよぎる。
――もしそうだとしたら、駒形くんってなんか……
顔が少し熱い。私は思わず、キャッチャーのポジションについた駒形くんに視線を向けた。
そして、目に入ったのは、未だにミットを脇に挟んだまま、こちら側に向かって両指を突き出しサイレンス〇ッツをする駒形くん。
「こら君、何やってるんだ! 早く準備しなさい!」
――やっぱりただの変な人かもしれない。
審判さんに注意される駒形くんを見ながら、私はそう思った。
とまぁ、それはともかく。
駒形くんの真意がどうであれ、なんとか落ち着きを取り戻すことができた私は、そのまま投球練習に入る。
ストライクゾーンのど真ん中に構えられたミットめがけて、ストレートを投げ込む。ボールがミットに収まった瞬間、小気味のいい音が辺りに響いた。
昨日ブルペンで受けてもらったときにも思ったんだけど、駒形くん、キャッチングめちゃくちゃ上手なんだよな。
フレーミングが信じられないほど自然なのもそうなんだけど、なによりもすごいのは捕る時の音の鳴らし方。捕り方が綺麗だからなのか、そんなに球速が出ていないはずの私のボールでも、まるで剛速球を投げ込んでいるかのような音が鳴る。
もちろん、だからと言って実際に球が速くなるわけではないけれど、“それっぽく聞こえる”だけで、こんなにも気持ちに違いが出るものなんだと驚かされる。
駒形くんのキャッチングに背中を押されるようにして、私は続けて数球、ストレートを投げ込んだ。
最後の一球がミットに収まる。駒形くんが立ち上がり、軽くボールを返してくれた。
私はボールを握りなおして、息を整える。
そして――
「プレイ!」
審判さんが試合開始を告げた。
直後、場内にはバッターの紹介を読み上げるアナウンスが響き渡る。
「一番センター、福田。背番号67」
審判に一礼をしてから、福田さんが左打席に入る。
小柄(と言っても、私より三十センチ近く高い)ながらも、バットコントロールが良く、かつ俊足も兼ね備えている嫌なバッターだ。
マニキュアの光る右手が、”真ん中高めのストレート”を示すサインを切る。
私が小さく頷くと、駒形くんはストライクゾーンの上辺ぎりぎりへとミットを静かに掲げた。
指先で縫い目を確かめてから、勢いよく腕を振り抜く。
そして、響いたのはミットの乾いた音。
福田さんのバットは動かず、ボールはそのまま見送られていた。
判定は――ストライク。
二球目。
示されたサインは、またしても”真ん中高めのストレート”。若干戸惑いながらも首を縦に振ると、駒形くんは全く同じコースに再びミットを構えた。
高めのストレート中心で行くとは聞いてたけど、同じコースを、それも福田さん相手に続けるとは思ってもいなかった。
若干の不安に駆られながらも、『駒形くんのことだから、きっと何か考えがあるはず』と自分の言い聞かせてボールを握る手に力を込める。
中途半端な高さへの失投をしないように気を引き締めて、ミット目がけてボールを投げ込む。
今度は福田さんのバットが鋭く振り出された。しかし、ボールはバットの下を通過し、空振り。カウントは、0-2(ノーボール・ツーストライク)になった。
よし、これで追い込んだ。
やっぱり駒形くんはすごい。あのタイミングで同じコースを選んだ理由や思考の過程は分からないけれど、結果として福田さんを最短で追い込むことに成功してみせた。
感心しながら駒形くんの方に目を向けた私は、そのまさかの光景に思わず目を見開いた。
――”真ん中高めのストレート”のサイン。
今度ばかりは、すぐには頷けなかった。
いくらなんでも無謀すぎる。プロのバッター相手に、それも二軍でとは言え、ここまで三割五分を超える打率をマークしている福田さんに、三球連続同じ球なんて通用するはずがない。
サインに首を振ろう。
そう思った瞬間、駒形くんの言葉が脳裏に浮かび上がってきた。
『俺と組めば、綾瀬さんは
――あの時、嬉しかったな。
プロになってからこれまで、ずっと現実ばかりを見せつけられてきた。
プレーでも言葉でも『No』を叩きつけられ続けて、いつしか、私自身までもが自分に『No』を突き付けるようになっていた。
でも、駒形くんは違った。
こんな私の可能性を肯定してくれた。
もしかしたら、私を励ますための方便かもしれない。本心から出た言葉ではないかもしれない。
そんな卑屈な考えをどこかに追いやってくれるだけの熱量が、駒形くんの言葉にはこもっていた。
――こんな私を信じてくれた人のことを、私が信じなくてどうする。
私は胸を締め付ける不安と恐怖の重さを振り切るように、深く息を吸い込み、サインに頷いた。
駒形くんがマスクの奥でニヤリと笑ったような気がした。
私は迷うことなく指先に力を込める。
要求通りのコースに投じた渾身のストレート。
それに応じるかのように振り抜かれた福田さんのバットは――
ボールのわずか下で、空を切っていた。