ぜひ読んでみてください。
一面の花畑がある。水平線の限りまで続く花畑。
その花たちの上で一人の裸の女性が仰向けで寝そべっている。女性の美麗さも相まって絵画を切り取ったようだった。
その美しさに反して、ここは地獄である。
花畑の上に広がっているのは空ではなく一面に並ぶ無数の扉。不気味な光景だが神秘的でもある。
地獄という恐怖の世界でこの女性はなんともないのだろうか。すぐにでも悪魔に連れ去られて、いたぶられ殺されるのではないだろうか。
だが、そんなことは起きない。
彼女自身が人間ではなく、悪魔。それもただの有象無象の悪魔ではない。
彼女は「苦痛の悪魔」
根源的恐怖の名を冠する超越者と呼ばれる悪魔の一柱。
超越者は皆、他の悪魔に恐れられているが、彼女はその中でも最も恐れられているといっても過言ではない。
彼女の怒りを買ったものに与えられるのは死ではなく、死んだ方が遥かにマシだと思えるほどの苦痛だからだ。
だからこそ彼女に寄り付こうとする者はいない。水平線まで広がる地獄の中で彼女以外の悪魔の姿は見えない。
その中で彼女は―――退屈していた。
退屈は嫌いではない。退屈は苦痛だからだ。
だが、昔はもっと退屈とは心地よいものだったはずだ。
いつからだっただろうか。退屈にそれほど快感を覚えなくなったのは。
思い出すべくもない。あのときだ。
チェンソーマンという悪魔がいた。
数々の悪魔に恐れられ、恨まれ、敬愛されていた。
チェンソーマンの所業の噂は超越者である苦痛の悪魔のもとにも届き、彼女は興味を抱いた。
一度会ってみようと、彼女は呪文を唱えてみたのだ。
「助けてチェンソーマン」
―――瞬間、彼は現れた。
チェンソーマンは助けを求めた悪魔を殺してしまう。
その法則に則り、チェンソーマンは苦痛の悪魔を殺そうと、チェンソーの生えた右手を振り上げた。
超越者の中でも上位の存在である彼女にとってその一撃を避けることはそれほど難しくはなかったが、新しい苦痛の発掘のために彼女はその一撃を無造作に受け止めた。
想像を絶する苦痛だった。想像を絶する快感だった。
ホモサピエンス誕生以前から、永い永い間存在していた彼女が初めて味わう苦痛であり、快感だった。
あまりの苦痛に、あまりの快感に、彼女は恐怖した。
何千万年と生きてきた彼女は、初めて抱く感情に冷静な思考を失った。
結果彼女は―――逃げた。
自身の能力でチェンソーマンに自殺を望むほどの苦痛を与えて動きを止め、全速力で駆け出した。
超越者である彼女の全速力に、苦痛でスタートダッシュに遅れたチェンソーマンが追いつけるべくもなく、彼女はチェンソーマンが取り逃がした唯一の悪魔となった。
何日、何週間、何カ月走ったのだろうか。
何千万年と生きてきたなかで初めて味わう感情を鎮めるためにはそれほどの時間が必要だった。
やがて精神が落ち着き、走るのを止めた彼女に訪れた感情は―――後悔だった。
あれほどの苦痛を与えてくれる存在から自ら逃げるなんてなんという愚行だろう。
もう一度あの苦痛を味わいたい。
その一心でもう一度彼を呼び出そうとして―――とある考えが廻った。
ただ自らが気持ちよくなるためだけに、彼を呼び出していいのだろうか。
彼は助けを求めた存在を殺す。助けを求めた彼女を殺したがっているはずなのだ。
だが、彼女は苦痛を味わいたいだけであり、死にたくはない。
死に至るまでの過程は苦痛の連続だが、死とは苦痛からの解放を意味するのだ。
そのため、彼女にとって死は最も忌むべきものである。
チェンソーマンを呼び出せば、彼女は最も欲している極上の苦痛を味わうことができるが、彼が欲している彼女の死を提供することができない。
一方的に彼女だけが得をするのだ。
今までの彼女であれば、そんなことはどうでもよかったはずである。自分が得をするのであれば、他者がどんな目に遭おうが、どうでもよかった。
だが、今は違う。
彼女の中にはこれまた初めての感情が芽吹いていた。
それは―――恋である。
そう、彼女は一目惚れ、ならぬ一痛惚れをしたのだ。
これまでになかった極上の苦痛を与えてくれた彼に、特別な感情を抱いてしまったのだ。
結局、彼女はチェンソーマンを呼び出すことができず、今に至る。
チェンソーマンと出会ってから、彼女の中であらゆる苦痛はランクを大きく下げた。
退屈という苦痛の快感では到底上塗りできないほど、彼に会えないことが辛かった。
以前も退屈に飽きることはあった。そのときは適当な悪魔に命令して、自分を痛めつけさせていた。
以前は誰でもよかった。自身に苦痛を与えてくれる存在であれば、どんな下等な悪魔が相手でも心地よかった。
今は違う。
どんな苦痛を与えてくれる悪魔であっても、彼以外の悪魔に軽々しく触れられたくなかった。
もう―――耐えられない。
「チェンソー様に…会いに行こう…」
一大決心だった。自分は彼に会っても自分の死をプレゼントすることができない。おそらく、自分は嫌われてしまうだろう。いや、もう嫌われている可能性が高い。
それでも―――会いたい。
他の悪魔に聴いた話によると、彼は今地獄におらず、現世にいるらしい。
彼は地獄で殺されたのだろうか、もしそうだとしたらその殺した悪魔に永遠の苦痛を与えてやるつもりだ。
彼のいる詳しい場所は分かっていないが、他の悪魔を使って彼を探させることはしない。
地獄で最上級に恐れられている彼女が命じれば、他の悪魔はそれに従うだろうが、それでは彼に対する誠意が足りない。
彼は助けを呼んだくせに殺されなかった自身に対して怒っているはずである。
それに対する最良の誠意は自身の死を捧げることであるが、それはできない。
であるならば、それ以外の誠意は全て尽くして然るべきである。
悪魔を使って楽をするのではなく、自身の足で彼を見つけ、謝罪する。それが最低限の誠意だ。
しかし、どうやって彼を見つけるか。彼女に索敵に適した能力はない。
彼女の思いついた案はデビルハンターになることだった。様々な悪魔のもとに派遣されるデビルハンターになれば、彼に会う確率は上がる。
ところで、デビルハンターとして働くということは、当然人の振りをすることになるわけだが、そのためには名前がいる。
どうするか。
苦痛の悪魔
苦痛
くつう
くつ…う…
「まあ、後で考えるか」
名前の問題を先送りにし、彼女は一体の悪魔を呼び出す。
「地獄の悪魔」
その言葉を発した瞬間、空に浮かぶ扉の一つが開き、悪魔が降ってくる。
花畑に着地した悪魔はすぐさま片膝をつく。
地獄の悪魔―――苦痛の悪魔の配下である。
多くの人々にとって、地獄とは死後責め苦を受ける場所である。
そのため、地獄に対する恐怖とは、死に関係なく苦痛を恐れる心が生み出すものであるため、地獄の悪魔は苦痛の悪魔の配下となっている。
「今から現世に行く。送って。」
地獄の悪魔は了承の意を示し、すぐさま彼女を現世に送ろうとする。
「ああ、待って」
地獄の悪魔は手を止める。
「これから私は
再び了承の意を示した地獄の悪魔は梅を現世に送った。
苦痛
くつ…う…
くつき…うめ…
朽木 梅
て感じです。
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