※次の話から本編入ります。
一夜明けて私はいつも通り学校に登校し、授業を受けた。ニュースを見たクラスメイトが代わる代わる私の心配をしてくれた。それが嬉しかった。
何気ない言葉なのに、胸の奥がじんわりと暖かくなった。
そして放課後、誰もいない教室。
カーテンが風に揺れて、机の影が長く伸びていた。
帰り支度をしていた私に、担任の先生がそっと声をかけてきた。
「森羅、ちょっといいか。……話があるんだ」
普段は柔らかく笑う先生が、どこか言葉を選んでいるように見えた。
──先生らしいな、と思う。
クラスの誰かを傷つけないために、いつも慎重に言葉を選ぶ人だ。そんな人が三年間、担任でいてくれた。
私は、人に恵まれている。
先生のあとをついて廊下を歩く。
夕陽が差し込むガラス窓に、二人の影が伸びて重なった。
その影を見ながら、胸の奥が少しざわつく。
(悪い話じゃなければ、いいんだけど……)
先生がノックして中に声をかけると、中から「どうぞ」と穏やかな声が返った。
校長室の扉が開き、校長先生がソファに座っていた。
テーブルの上には書類がいくつも広げられている。
「森羅さん、待ってたよ。そこに座ってくれるかい?」
「はい。失礼します」
扉を開けてくれた先生に軽く会釈してから中に入り、校長先生の正面のソファに腰を下ろした。
何を言われるのだろう。心当たりはない。
先生は扉を静かに閉め、校長先生の隣に腰を下ろした。
「単刀直入に言おう。実はね、森羅さん。
君を雄英高校ヒーロー科に推薦したいという書類が、ホークス名義で届いているんだ」
「……え?」
昨日のホークスさんの顔が浮かぶ。ちょっと胡散臭い笑顔と軽い口調。
別れ際にピースサインをしていた姿が脳裏をよぎる。
思わず小さくため息をついて、頭を軽く振った。
「推薦された理由を、聞いてもいいですか?」
「もちろんだよ。ホークスからの書類にも話していいと書かれていた。結論から言うと――昨日の事件で、君にヒーローの素質を見出したらしい」
「……気絶していただけの、私をですか?」
「私は森羅さんがあの場面で何をしていたのか、ニュースでしか知らない。
けどホークス曰く、森羅さんを助けたヒーローから君が気絶するまでに迅速に応急手当をしていたと聞いたそうだ。
恐怖を押し殺して、目の前の人を助けた――その姿に、彼は“ヒーローの原点”を見たと書いていたよ」
静まり返る校長室。風の音も遠くで止んでいるように感じた。
私はただ、両手を膝の上で重ねて少しだけ視線を落とした。
正直に言うと、昨日の真実は誰にも触れられずにありふれた事件として埋もれていくだけだと思っていた。
事実、真実を知るのは私と家族以外…そしてホークスさんと昨日敵を確保してくれた警察官の人たちだけだ。なのに敢えてホークスさんから事件に触れて、あろうことか私を雄英に推薦したいだなんて。あり得ない。
雄英はヒーローを志す人が皆憧れる学校。そして…皆が憧れるということは入学希望者が多く、入学倍率がかなり高い。入りたくても入れない人が多い、そんな学校である。
ヒーローを目指さない私には関係ない学校だと疑っていなかったそんな学校へ、推薦…?
「信じられません。それに私は…私、は」
「…森羅がヒーローを志望していないのは、気付いている。他に夢があるんだろう?」
「っ」
先生の言葉に息が詰まった。
どうしよう。
体が少し震えるのを感じた。
「…学校側としては、森羅さんがホークスの推薦で行くことは学校の評判に直結する。だから行ってほしい気持ちはあるんだ。それは本音だよ」
「でもな森羅。先生は、先生たちは森羅の気持ちを優先したい。お前は自分というものをしっかり持っている。だからこそそれを優先して、伸ばしてほしい。
これは校長先生と話して出た結論。この結論はな、森羅が選んだ道ならきっと大丈夫だと信じているからだ」
思ってもなかったことを言われた。
思わず顔を上げて先生たちを見た。優しい表情をしている。その表情には打算は一切ない。
「これは森羅の未来に直結する話だからな。この書類のコピーを渡すから、家に持って帰ってご家族とよく話してほしい。
ホークスへの返事の都合上、今日が火曜日だから…金曜日の放課後までに返事をくれると助かる」
よろしくな。
そう先生に言われてから書類のコピーを受け取り、先生たちにお礼を言ってから校長室を出て人通りがない廊下を歩いた。
学校を出て家に帰るまで、書類が入った鞄が酷く重く感じた。
なんで、どうして、どうしよう。そんな気持ちがぐるぐる頭を駆け巡る。
ホークスさんはどういう意図で推薦したいだなんて言ったんだ。意味が分からない。怖い。
家に着いて居間に入ると白を含めた家族が勢ぞろいしていた。タイミングが良いような、悪いような。
沈んだ表情の私に気付いたお兄ちゃんが私に座るよう促した。
「どうした、万。何があった?」
「…万、言わないと流石に分からないぞ」
白にそう言われ、鞄から学校で貰った書類を一式テーブルに広げた。
家族が覗き込む。
「まぁ…ホークスが万ちゃんを雄英のヒーロー科に推薦したいって書いてあるわ」
「昨日の事件を見てヒーローとしての素質を見出したのか…?」
両親が会話をしながら1枚の書類を見ている。
私は一言も発さずにテーブルを見つめている。
「…万。貴方はどうしたい?このお婆に教えてくれないかしら?」
「どんな気持ちも、受け止めるよ」
お祖母ちゃんとお祖父ちゃんが言葉をかけてくれた。
私はゆっくり、けれどはっきりと言う。
「私は…雄英には行きたくない。
ヒーローになろうとも、なれるとも、思わないから。それに私には夢が…ある」
スポーツトレーナーという夢は、職業はどうしても諦められない。私の天職とも思う。だからこそ、そちらに進みたい。
少し震えながらも発した私の言葉で居間は静まり返った。沈黙が痛い。けどここで引いてはいけない。
まっすぐ目の前の祖母と祖父を見つめる。
「そうなのね。なら…」
「それでもアンタには行ってもらうよ、万」
「っ大婆様!!」
お兄ちゃんが珍しく声を荒げた。
静かに大婆様を見つめた。大婆様の目は譲らないと語っている。それでも私も譲れない。
「なぜですか。ヒーローにならなくとも誰も困らない。何よりヒーローにならなくとも人を支えることも救うこともできます」
「それは分かっている。…万、アンタは未だに自分の個性を"必要以上に"恐れているね?」
「だから、なんですか。私の力は容易く人を傷つけます。恐れて何が悪いのですか」
「アンタの力は確かに正しく恐れる必要はある。それは認める。…だがね、必要以上に恐れるのは"愚か者"のすることだ。アンタは愚か者でいたいのかい?」
「愚か者でもいいです。…私は私の個性が恐ろしい」
白を助けた時、そしてヒーロー・風魔を助けた時に使った個性。それはどれも守り、命を繋げるためだけに使った。
けれど個性が発現してからずっと私の心の中には"恐怖心"があった。
前世で好んで遊んでいたゲームに酷似した『魔法』という個性。ゲームの中でもこの力は人を守ることと同時に何かを殺すことも容易い力だと表現されていた。そんな力を発現してしまったんだ。…恐ろしくなるのは当たり前だ。ゲームの力を手に入れて純粋に喜ぶには、私は年齢を重ねすぎた。
じっと大婆様と見つめ合う。
「恐ろしいなら尚更行ってもらう。制御できないその個性で、人を傷つけたいのかい?」
「それ、は…」
その可能性を指摘され、言葉が出なくなった。
一番避けたい出来事を指摘されて動揺する。
「雄英は高い入学倍率を誇る学校。
そこに入学してくる金の卵や教員のプロヒーローたちなら万の個性でも簡単には傷つかないだろう?」
「…でも、こんな気持ちで入学なんて」
「私はヒーロー志望として入学しろとは言わない。あくまで"個性の扱い方を学ぶため"に入学しろと言いたいんだ。
別にこの目的は言わなきゃ誰も知ることはない。
それにヒーロー科ってのは皆が皆、同じ動機で入るわけじゃないんだよ。だから今回の動機でもなんら問題はないはずさ。
そうだろう?瞬」
「…はい」
「なら問題はないね。万、あんたは雄英に入学する。これは決定事項だよ。…ただ1つだけ言うのなら、私はアンタが心配なんだよ。
…泣かせるような真似、しないでおくれ」
そう言って大婆様は居間から去って行った。
…私は、雄英に入学することになるのか。
それに大婆様へ心配をかけていた事実も、目の前に突き付けられた事実もうまく呑み込めなくて…黙ってしまった。
「…万、嫌なら断ってもいいんだぞ。大婆様はああ言ったけど、大事なのは万の気持ちだ」
「お兄ちゃん、私は…私は、大婆様に最後反論できなかった。
それはきっと図星だったんだと思う。制御できないこの個性で人を傷つける、その可能性から目を背けていた。背けてたんだよ…お兄ちゃん。
こうして目の前に突き付けられて、分かった。私は…雄英に行くよ。この力で誰かを傷つけないために」
自分の右手を見つめて、握る。
もし次に誰かに手を伸ばした時、その誰かを傷つけてしまったら…――そんな悪夢を何度も見ていたから。大婆様の言葉は心に入り込んできていた。
ただ…こんな不純な気持ちで行くのは申し訳ない。それでも決めた。
――恐怖を抱いたままでも、進むことを。
「でも…学校に相談して学校推薦に切り替えてもらおうかな。ホークスさん推薦はちょっと面倒になりそう。…それと、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「推薦って言っても必ず行けるとは決まってないんだよ」
少しだけ悪戯っ子のように笑う。
するとお兄ちゃんはちょっとだけ笑ってくれた。
「わざと落ちることはしない。けど、私より魅力的な子を雄英は見出すと思うよ」
「…オレなら、万は一番に入学させるぞ」
「それは贔屓目で見てるからでしょ?」
全力で受験して落ちたなら誰もが納得してくれる。それに私の不純な気持ちはヒーローは見落とさない。
少しだけ明るくなった家の雰囲気でそう思いながら目を閉じた。
きっと…合格しない。大丈夫。
学校に推薦の話を受けることと、学校推薦に切り替えてもらえないか相談した結果なんと了承してくれた。ホークスさんにも言っといてくれると。助かった。
その時に知ったんだけど、どうやら私の通っている学校は雄英とも関係が深いらしく、学校推薦したら雄英側に受け入れてもらえるらしい。
そして大婆様が裏で手を回していたのか、白と一緒に受験することができるようになった。理由は簡単。私たちは相互に個性が干渉するからとのこと。
理由がどうあれ、1人で行かなくて済んでよかったなとは思った。
そうして私は冷たい澄んだ冬の空気の中、白と共に推薦受験の試験を受けた。
そして…合格してしまった。
推薦といっても倍率はそれはもう滅茶苦茶高い。受験生のレベルも高い。
なのに合格してしまった。
驚き、考察…それよりも私の中を大きく占めたのは"恐怖"。
雄英が見たのは私と白の"特異性"か、私の"力"か。それとも…"選択"か。
その答えはきっと入学してから知るのだろう。
そして試されるのだろう。私という人間を、その先に示すものを。
――ただそれでも、歩き出したこの足は止められない。怖くても、前に進むしかない。
――立ち止まれないなら。歩き続けよう。きっとその先に得るものも、あるはずだから。
雄英の合格通知を握りしめて、私はそう思った。